132話 屍虫ムルティス(1)
アイン達は周囲を警戒しつつ大通りを進む。
身を潜めるために裏道を通ることも考えられたが、戦力的に開けた空間の方が奇襲の問題も無く安全だろうとの判断だった。
「かつて、この道には中央へ向かう馬車が通っていたものだ」
感傷に浸るファーレンだったが、今歩いている道は彼の言うような華やかな場所ではない。
道端には多くの亡骸が転がり、至る所から死霊共の呻き声が聞こえてくる。
腐臭で気が狂ってしまいそうなほどに穢れ切っていた。
昔は一獲千金を夢見た冒険者で溢れ、武勇を得ようと貴族が訪れることも度々あった。
大通りには鍛冶師や商人たちの声で騒がしいほど。
彼の中には、きっと美しい街並みが想起されていることだろう。
しかし、それが今ではこの有様だ。
呪いを齎したバロン・クライなる人物こそ責められるべきだろうが、その元凶であるルメロ神教、そして彼らを率いるファーレンにも罪がある。
「後悔してんのか?」
「まさか。この身が朽ち果てぬ限りは後悔などせん」
ファーレンは未だに過去の幻影を見ている。
彼の心はルメロ神教が栄えていた頃にあるのだ。
何としてでもメルディアに掛けられた呪いを解き、かつての栄華を取り戻すのだと。
何十年と死都に閉じ込められて尚も野望を捨てることは無い。
そんな彼の狂気があったからこそ、ルメロ神教はそれだけ栄えることが出来たのだろう。
同じ宗教という点で、アインは教皇庁のことを思い出す。
「ルメロ神教は教皇庁からの圧力は無かったの?」
「何度も有ったとも。彼らは厳格な一神教。我らのような特異な神を崇める教団は認められんだろう」
「なら、どうやって退けたの」
「権力を手放さぬよう、周辺を固めたまでだ」
その内の一つがバロン・クライの手記に記されていた娼婦の斡旋なのだろう。
その娼婦も辺境の村で見た目の良い少女を攫ってきたりしたもので、とてもだが肯定できる所業ではない。
「人間とは醜いものだ。誰もが己の可愛さに他者を陥れようとする」
「善意で人助けをする人もいると思うけれど」
「それ自体が偽善者の自己満足に過ぎんさ。もし真に善性が備わっていたのであれば、世にのさばる数多の悪は淘汰されていることだろう」
儂を含めてな、とファーレンは嗤う。
彼の思考は酷く歪んでいるようで、しかしアインにとって痛い話でもあった。
黒鎖魔紋を所持するということ。
それは多くの人間の命を危険に晒すことであって、現にアインが生き延びるために災禍の日に巻き込まれた人間もいるのだ。
この汚れてしまった手を、誰かを助けるために差し伸べることは出来ない。
彼に尋ねたいことは幾つもあったが、その前に目的地に到着する。
そこは迷宮都市の中央に存在する広場だ。
「……ここに何があるってんだ?」
マシブが警戒しながら足を踏み入れた時――低く鈍い唸り声が聞こえてきた。
何処からか聞こえてくる乾いた無数の足音。
それは次第に大きくなっていき、アインたちの前に姿を現す。
「なんだこいつはッ!? 馬鹿げてやがる!」
複数の魔物かと思われた無数の足音は、一体の魔物によって齎されたものだった。
形容するならば、巨大な肉塊。
その体は死者の血肉を繋ぎ合わせて出来ていた。
一体どれだけの屍があれば、これほど悍ましい魔物を創り出せるのだろう。
「あやつの名は屍虫ムルティス。メルディアの呪いが生み出した最高の魔物だ」
「最悪の間違いだと思うけれど」
アインはムルティスと対峙して思う。
これはバロン・クライの生み出した恨み辛みの塊なのだと。
どれほど負の感情を抱けば、ここまでの所業を成せるのだろうか。
「魔物退治は得意なのだろう?」
「無茶言いやがって」
マシブは武器を構える。
目の前の怪物は、これまでメルディアで倒してきた魔物と比べて明らかに別格だ。
しかし、今の彼もまた成長を重ねている。
馬鹿げた魔物ではあるが、戦えないほどの相手でもない。
少なくとも赤竜の王よりは戦いやすいだろうとマシブは意気込み、一気に駆けだしていく。
「叩き切ってやる――剛撃ッ!」
魔力を込めた強烈な一撃。
マシブの剣は腐臭を放つ肉塊を深々と斬り付ける。
異様なまでの脆さだったが、しかし、直後に異様な動きが見られる。
「チッ、修復してやがる」
見上げるほど巨大な肉塊の魔物。
それはマシブの剣を以てしても致命打にはならないようだった。
即座に傷口が塞がると、ムルティスはその巨大な体をゆっくりと動かし――悍ましい叫び声を上げる。
それは死に絶えた者たちの怨嗟の声だ。
臓腑に鈍く重く響いてくるようで、皆が耳を塞いで耐えようとする。
しかし、それを物ともせずアインが飛び出していく。
この程度で怯んでいるわけにはいかないのだ。
目指す場所は遥か先にあるのだから。
瞬時に肉迫し――大きく跳躍する。
敵はマシブの一撃でさえ即座に修復してしまうのだ。
再生力は底なしと思っていいだろう。
それ故に、アインは一撃の重さを求める。
体重を乗せただけでは足りない。
もっと強烈な、肉塊を弾けさせるほどの一撃を――。
「――重槍撃」
重力魔法を槍に乗せて放つ至高の一撃。
誰もが成し得ないであろうその技で以て、ムルティスの体を穿つ。
直後、爆ぜるようにムルティスの体が飛散する。
膨大な魔力にあてられて血肉の一部は焼け焦げていた。
だというのに、撒き散らされた血肉が即座に一か所に集まって再生する。
次は己の番だと言わんばかりにムルティスが体を大きく揺らし、アインを目掛けて突進する。
避けるべきかと思ったが、その背後にはファーレンたちがいる。
「俺がやるッ!」
マシブは突進を遮るように躍り出ると、剣を交差させて地に突き刺しムルティスを受け止める。
鈍い衝撃と同時に仰け反るが、マシブは負けじと声を張り上げる。
「こんなところで負けるかってんだ!」
ムルティスの巨躯を受け止めると、マシブは後方から魔力の動きを察知して横に飛ぶ。
直後、杖を掲げたファーレンが詠唱を完成させる。
「――神の祝福あれ」
浄化の光が腐敗しきったムルティスの体を焼く。
さすがにこれは堪えたのか、初めて苦痛に悶える様子を見せた。
「殴るだけじゃ倒せねえってことか」
マシブは面倒そうに剣を構える。
ムルティスの底なしの生命力は厄介だが、有効な攻撃手段を持っていれば図体が大きいだけに過ぎない。
そう考えていたが――。
「マシブ、下がってッ!」
アインの声に、マシブは咄嗟に後方へと飛ぶ。
直後、鞭のようにしなる何かが大地を叩き割った。
体勢を整えて視線を向ければ、そこには体のつくりを大きく変えたムルティスの姿があった。
「蟷螂か……?」
屍虫ムルティス。
それはただ死者の血肉を繋ぎ合わせた魔物ではない。
短時間の内に繰り返し進化を遂げていく、対処不可能な化け物だった。




