130話 ルメロ神教
メルディアの地に災厄を齎した存在。
この手記の内容は二人のとっても重要な情報だった。
「バロン・クライ……」
その名を呟く。
世界を破滅に導かんとする教団の祖。
彼が何者であるかは考えるまでもない。
「まさかこんな場所で手掛かりが得られるなんてな」
マシブは手記に視線を向ける。
その題は"リトラに捧ぐ"とある。
亡き妹の願いを叶えると言えば聞こえは良いかもしれないが、その先に待っているのは破滅のみだ。
アインからすれば、かの教団は敵対者であり恨みの対象である。
彼らが存在しなければ、今頃は故郷の村で平穏な日々を過ごしていたのだから。
無論、今の生活を苦と思っているわけではない。
血と叫びに彩られた戦いの日々は極上の快楽を与えてくれるのだ。
だが、もし返り血を浴びることの心地よさに気付かなかったならば。
何事も無く平凡な村娘として生きていけたならば。
そんなことを考えてしまうくらいには、以前の生活が眩しく感じていた。
十分な情報を得られたため、二人は書庫を後にする。
教団について調べることも重要だが、少なくともこの地でこれ以上有益な情報を得ることは難しいだろう。
この手記を見つけることが出来ただけでも十分な成果だ。
今二人が警戒すべきはルメロ神教だろう。
手記から得られた情報から察するに、彼らはまともな思考を持っていない。
もし彼らが二人に対して害意を持っているのであれば、策略に嵌まらないように動く必要がある。
無論、彼らが敵対してくればの話だ。
もし純粋に二人の力に縋っているのであれば、その時点で彼らは都合の良い道案内でしかない。
地下の愛玩奴隷に目を瞑れば良いだけのことだ。
「とりあえずは呪いの元凶をどうにかしねえとな。じゃねえと気楽に人探しなんてしてられねえ」
マシブは廊下の窓から外を眺める。
この広大なメルディアの地で人探しをすることは非常に難しい。
常闇に閉ざされて視界が悪いのだから尚更だ。
「一先ずは探索に出るべきだろうな。あのジジイに声をかけて適当に道案内でも借りていこうぜ」
その提案にアインも頷く。
しかしファーレンの元を訪ねるが、彼は自室にはいないようだった。
「……あー、地下でお楽しみってことか?」
マシブは不愉快そうに頭を掻く。
目的があって他者の命を奪うことは厭わないが、ルメロ神教のように命を冒涜するかのような行いは好ましくない。
もしメルディアに掛けられた呪いが解けたとして、地下で飼われている少女たちが報われることはないだろう。
アインは特に気にした様子もなく地下へと向かう。
その背を追うようにマシブも付いて行く。
あの場所を何度も目にすることは不快だったが、彼らの楽しみが終わることを待つことは馬鹿らしかった。
地下に降りた時、二人の目に飛び込んできたのは予想よりも酷い光景だった。
二人が声を発するまでもなくファーレンが振り返る。
「これは醜態を見られてしまったな。まあ、咎めるほどの善人でもなさそうだが」
二人の顔つきを見れば、多くの命を奪ってきたことはファーレンでなくとも気付くことが出来るだろう。
それも酷く利己的な理由なのだから、似通った存在である彼を咎められないのは仕方がない。
ファーレンの右手には先端を真っ赤に輝くほど熱した鉄の棒が握られていた。
それを少女に付きつければ、この世のものとは思えない絶叫が地下室に響き渡った。
「この行いは、おぬしらにはどう見えるかね?」
「下らねえお遊びだ。無意味に拷問紛いのことをして、何が楽しいのか分からねえ」
「そうだろう。しかし、儂はこれをする度に堪らなく生の愛おしさを感じるのだ」
苦痛に呻く少女の姿。
それを見る度に、狂おしいほどの生を感じるのだ。
このメルディアの地で長年苦しみ続けてきたファーレンからすれば、助けを請うような少女の悲鳴は自身の生への執着を再確認させる代物だった。
「命を奪うことは悪ではない。生きるためには他者を喰らう必要がある。それが人間の条理。であれば、命を弄ぶことは如何に」
鋭い針を取り出して、ファーレンは笑みを浮かべる。
それが何に使われるかは言うまでもないだろう。
命を奪うことに快楽を感じるアインからすれば、彼は同類なのかもしれない。
苦しみ悶える獲物の声を聞く度に気持ちが昂るのだ。
自らの糧とするという大義名分はあるが、その裏でファーレンのように醜悪な性を見出しているのも事実だった。
「罪というものが存在するのであれば、それは生命に限界を定めた神々のことだろう。我々は定められた世界の中で、自然の摂理に則って行動しているだけに過ぎんのだよ」
ファーレンが手を翳せば、癒しの光が血に塗れた少女の体を癒す。
そうして治療した少女を再び虐げるのだから、そこらの拷問よりもさらに質が悪いだろう。
本来であれば聖者のような清らかな者が行使するはずの治癒魔法が、彼のような悍ましいモノを孕んだ男に扱えるのはなぜだろうか。
「故に儂は肯定するのだ。全ての行いをな。この地に災厄を齎した者も正しければ、この呪いから解放されたいと願う我々も正しい。肯神ルメロはありとあらゆる行動・思考・感情を肯定する」
それは人間という存在の全てを肯定するということだ。
マシブはいまいち言葉の意味を把握できず頭を掻く。
「てめえらの教えなんかどうでもいい。道案内を借りてくぜ」
「ふむ、であれば助けになれそうな者を見繕うとしよう」
悩む間もなく頷くと、ファーレンは少女を再び磔にしてから階段を上がっていく。
メルディアの街を探索するには彼らの協力が不可欠だ。
二人も彼の後を追うように地下を後にする。
再びファーレンの自室へ移動すると、彼は何人か案内役を呼び出した。
いずれも手練れ揃いで、二人の手を借りずとも戦えるようだった。
「案内は彼らに任せるとして、儂も同行させてもらおう」
「てめえがか? 御守を任される気はねえんだが」
「心配せずとも、自分の身は自分で守れる。それに、儂の力はおぬしらにとっても役立つことだろう」
先ほど地下で見せた治癒の光。
瀕死の少女を一瞬で治療できるほどの力があるのだから、それこそ大陸内でも屈指の治癒術師といっても過言ではない。
彼が同行するのであれば、今までのように怪我で動けない状況に陥ることはないだろう。
「実のところ、呪いの元凶が存在する場所は把握できておるのだ」
「なら、なんで解呪しに行かなかったの?」
「戦力が不足しているのだ。呪いの元凶とそれを守護する魔物。その二つと対峙するには、我らは衰弱しすぎた」
ルメロ神教は長年メルディアで戦い続け、その過程で徐々に数が減っていった。
ようやく呪いの元凶を突き止めた時には既に手遅れ。
解呪をしに行くことも出来ず、ただ数少ない娯楽を貪る醜悪な集団へと成り下がっていった。
だが、アインとマシブがこの地を訪れたことで状況は変わった。
障害となる魔物さえ退けられれば、ファーレンが自ら解呪を行うことが出来るだろう。
「先ずは呪いの元凶を守護する魔物をどうにかするとしよう。準備が出来次第、北門に集合だ」
死都メルディアを覆う闇を晴らすため、二人は準備を始める。




