129話 ある男の手記
大陸北部に位置する都市メルディア。
そこに、不運にも戦争で両親を失ってしまった孤児の兄妹が訪れる。
兄のバロンと妹のリトラは、やっとの思いでこの地に辿り着くことが出来た。
「ここがメルディアか……」
行き交う人々の多さに圧倒されそうだった。
噂には聞いていたものの、実際に目の当たりにすると驚愕を隠せない。
薄汚れた服を着る二人は、この華やかな街からすれば場違いな格好をしていただろう。
だが、それを笑う者はいない。
その理由はメルディアの中央部にあった。
別名『迷宮都市』と呼ばれる、街の中心部に巨大な迷宮がある街。
その特殊な地形のために冒険者も多く訪れる。
誰もが一獲千金を夢見てこのメルディアの地を訪れる。
それは冒険者や旅人に限った話ではない。
別の場所では悪名を轟かせるような賊であったり、彼ら兄妹のような孤児も多くやってくるのだ。
「うぅ……なんだかおっかないね」
兄の後ろに隠れるようにして、妹のリトラは街並みを眺める。
辺境の地で暮らしていた二人にとって、メルディアのような繁栄した街は見慣れない。
そわそわと落ち着かない様子でいるリトラの手を引いて、バロンはその日の宿を探す。
だが、二人に宿代があるわけではない。
メルディアまでの旅路でほとんどを使い切ってしまい、その日の食糧さえ満足に得られない程度の金銭しか残っていなかった。
そんな二人が寝られる場所があるとすれば、人目に付かない路地裏くらいだ。
もちろん二人はそれを覚悟していた。
冒険者として成功することは簡単な事ではない。
安定した暮らしを送るためには、しばらく宿無し生活が強いられてしまうだろう。
そうして彼らのメルディアでの生活が始まった。
人目を忍んで路地裏に寝泊まりしつつ、日中は兄が迷宮に潜って金銭を稼ぐ日々。
過酷ながら、二人の間に笑みは絶えなかった。
しかし、不運にも兄のバロンには戦闘の才に恵まれなかった。
どれだけ剣を振ってもなかなか上達せず、迷宮に潜っても低階層がやっと。
意地を張って何度も深い階層に挑んだが、その度に酷い怪我を負ってリトラに心配をかけてしまっていた。
「お兄ちゃん。あんまり無理はしないでね」
「分かってるさ。けれど、今のままだといつまで経っても宿に泊まれないだろ?」
危険だと分かっていても、バロンは何度も深部へ挑戦を続けた。
酷い怪我を負っても命さえあれば構わない。
そうまでして、彼は金銭を稼ごうと必死になっていた。
彼の願いはただ一つ。
妹の笑顔を絶やさないこと。
そのためならば、多少の危険など気にすることではなかった。
その願いが届いたのだろうか。
ある日、路地裏で食事をとっていた二人のもとに大仰な服を纏った老人がやってきた。
老人は品定めするように目を細め、感心したように息を吐く。
「これはまた、若人が可哀そうに。よければ儂の所に来ないかね?」
宿の無い兄妹を迎え入れるという老人の誘い。
二度とはないだろう機会に、二人は考えるまでもなく頷いた。
老人に案内されたのは教会だった。
薄汚れた服は取り去って、二人には新しく綺麗な服が与えられた。
まさかこんな幸運がやってくるとは思ってもみなかったため、二人は何度も夢ではないかと疑ったくらいだった。
「俺たちは運が良い。本当だったら、もっと長いこと路地裏暮らしが続くはずだっただろうし」
「ファーレン様に感謝をしないとね」
「ああ、分かってるよ」
新しい服を着て笑顔を浮かべている彼女を見て、バロンは嬉しく思った。
路地裏暮らしでもリトラは笑顔を絶やさなかったが、今のリトラの方がずっと幸せそうだった。
無論、彼らは無償で宿を与えてもらったわけではない。
兄のバロンはこれまでと同様、日中は冒険者として迷宮に挑むこと。
妹のリトラは教会の雑用を手伝うこと。
これほどの好条件で二人の面倒を見てくれるというのだ。
二人はファーレンの善意に感謝をして、自分たちに課された条件をしっかり守った。
そのおかげでバロンはシルバーの冒険者カードを手に入れるほどの剣士になって、妹のリトラも修道女として正式にルメロ神教に迎え入れられた。
薄汚れた戦争孤児だった頃の姿は見る影もなく、二人は順風満帆な人生を歩んでいた。
そんな生活が続いていたせいだろう。
二人を徐々に侵食していく"影"の存在に気付けなかったのは。
教会での奉仕の度にリトラの性格が少しづつ変わっていく。
楽しそうに笑顔を見せる日もあれば、黙って寝たきりでいる日もあった。
初めは慣れない生活に戸惑っているのだろうとバロンは思っていたが、その楽観的な考えのせいで事態が重くなるまで気付くことが出来なかった。
ある夜のこと。
迷宮での戦利品をギルドで清算し終えた彼は、妹に贈り物でもしようかと街で首飾りを買った。
その日はちょうどリトラの誕生日だった。
だが、返ってもリトラの姿が無い。
まだ仕事をしているのだろうかと、首飾りを手に持って教会へ向かう。
そして、バロンは悪夢のような光景を見た。
部屋中に立ち込める甘ったるい香の匂いと、そこに混じった生臭さ。
狂ったように嬌声を上げる少女たち。
その中に妹の姿を見つけた時、彼の中で何か黒い物が生まれた。
ルメロ神教は健全な宗教ではなかった。
元より大陸にそう言った宗教は少ないのだが、特にルメロ神教は醜悪。
表では孤児の面倒を見るなど善良な行いをしていたが、裏では領主等の権力者との繋がりを持ち、様々な"奉仕"を対価に力を保っている。
その内の一つが、バロンの目にした光景だった。
手元からネックレスがするりと落ちた時、彼は我に返る。
目の前で行われている光景を正しく認識する。
薬漬けにされた少女たちは、きっと自分たちと同じようにファーレンによって連れて来られたのだろう。
悪夢のような光景を前にして、その手に黒鎖魔紋が浮かび上がったのは当然の摂理だろう。
気付けば彼は、目に映る誰も彼をも殺めていた。
血に塗れて呻く妹を目にした時、ようやく正気を取り戻す。
「リトラッ! しっかりしろ!」
「うぁ……お兄、ちゃん……」
その柔らかな白い肌は真っ赤に染まっていた。
腹部には大きな穴が開いて、そこから臓物が零れ落ちていた。
だが、痛みのおかげで死の間際だけ正気を取り戻していた。
「わたし……お兄ちゃんのために、って……」
兄が冒険者として頑張っていたように。
妹もまた、自分に出来ることで兄を支えようと思っていた。
気付けばルメロ神教の道具として、都合の良い愛玩奴隷として使われていた。
リトラはそれを拒もうとしたが、薬によって狂った頭では何もできない。
そして、その末路がこの悪夢だった。
「お兄ちゃん……」
「なんだ、なんでも言ってみろ」
これが妹の最後であることはバロンでも理解できていた。
だから、その遺言は何が何でも叶えるのだと。
その意思を伝えるように手を強く握ると、リトラは優しく微笑んで――次の瞬間には、これまで誰にも見せなかったような憎悪に満ちた表情を浮かべる。
「……全てが憎い。壊して、この世界の全てを」
もう何分と持たない状況で、リトラは遺言を残した。
世界に絶望した少女の最後の言葉。
兄のバロンは、この怒りを決して忘れないと誓い、名を改めた。
賛同者を募り、彼は己の教団を立ち上げた。
世界を壊すための狂信者の教義。
それが悪であることは理解していたが、彼にとっては何よりも妹の遺言が優先された。
何年も研究を重ね、ようやく生み出した儀式魔法。
その試験としてメルディアの地が選ばれたのは当然のことだろう。
中央部にある迷宮の深部へと赴き、そこを中心に召喚魔法を展開。
世界の管理者たる六転翼の一人を召喚。
それを彼は力で捻じ伏せ、儀式の媒介として利用した。
そうして、メルディアの地は永遠の闇に閉ざされた。




