127話 老司祭
その日、常闇に閉ざされたメルディアの地に太陽が姿を現した。
松明の明かりも要らない真昼のような明るさ。
何が起きたのかと、息を潜めていたルメロ神教の者たちが窓から顔を覗かせる。
「なんと、なんと巨大な……!」
この眩い光を放っていたのは、空に浮かぶ巨大な火球だった。
一体どれだけの魔術師を集めればこれほどの大魔法を行使できるというのか。
そして――日が沈む。
巨大な火球が地に落ちて、紅蓮の業火が周囲を呑み込んだ。
その下に群がっていた無数の死霊たちは瞬く間に燃え尽きた。
「これは救いか、あるいは……」
長年この地で戦い続けた彼らにとって、この炎は死霊共を浄化する炎として映ったことだろう。
神は未だ健在、救いは存在するのだと。
だが、その期待は僅かな時間で破られた。
未だ燃え盛る炎の奥から現れた二人組を見て、直観的に理解する。
――嗚呼、彼らは悪しき神の使いなのだろう。
死霊の群れが業火の餌食となったのは、単に彼らの歩みの妨げとなっていたから。
であれば、メルディアの地を長く占拠しているルメロ神教の拠点は、彼らからどう映ることだろうか。
これは不味いことだと、年老いた一人の男が前に出る。
「あの者たちを手厚く出迎えろ。あれの気分を害すれば、我々の命は無いと思え」
老司祭は尋常ではない様子だった。
まさかメルディアの地にこれほどの実力者が訪れるとは思ってもいなかった。
長らく支配し続けてきたルメロ神教に、今まさに選択が迫られていた。
信徒たちは慌てた様子で、二人を出迎えるべく門を開いた。
あれほどの大魔法を行使できるような相手に敵対するような真似は出来ない。
機嫌を取って穏便に済ませたいと考えていた。
アインとマシブはルメロ神教側の様子を見て、策が上手くいったことを確信する。
「呆気ねえな。もう少し粘るもんだと思っていたんだが」
彼らを統率者はよほど自身が大切なのだろう。
危険を正しく認識できることは、この呪われた地において最も重要な要素だ。
そもそも二人の実力を見て敵対しようと考える者は大陸中を探し回ってもほとんどいないのだが、それに驕るほど生温い道は歩んでいない。
開いた門を通るとルメロ神教の信徒たちが警戒した様子で出迎えた。
皆が恐怖を抱いているようで、中には怯えを隠しきれずに震えてる者までいた。
アインは周囲を見回して、外観の割に人が少ないと感じた。
少なくともこの規模の拠点を維持できるような人数ではない。
まさか奇襲のために隠れているとまでは思わなかったが、さすがに不自然な数だった。
信徒に案内され、二人は拠点の中を進んでいく。
石造りの壁には全面を覆うように魔紋が刻まれている。
こうして強度を高めることで死霊の襲撃を退けてきたのだろう。
だが、ルメロ神教の縄張りの周辺には数えきれないほどの死霊が集まってきている。
生者の気配に敏感なのだ。
その血肉を、魂を、死霊たちは求めて彷徨っているのだから。
そして、統率者たる老人の部屋へと辿り着く。
「旅の者よ。この呪われた地に何用かね?」
老司祭は二人をじっと観察していた。
鋭く細められた理知的な眼を見れば、侮れない相手であることがわかる。
戦力差があるにも関わらず強気に出られるのは、何か手札があってのことか。
「人を探してんだ。ジジイ、ここらで変な子供を見なかったか?」
「これはまた可笑しなことを。この呪われた地に、まさか幼子が一人で来たとでもいうのか」
「そのまさかだ。まあ、知らねえってんなら用はねえな」
マシブが踵を返そうとするが、老司祭がそれを引き留める。
「まあ待て若人よ。メルディアに探し人がいるというならば、我々の協力が必要になるだろう」
「お前らに何が出来る?」
「メルディアの地形は全て把握している。その幼子とやらが何者かは知らぬが、道案内がいた方が探しやすかろう」
それに、と老司祭は続ける。
「この地に掛けられた呪いについて、おぬしらはどこまで知っている?」
「死んだ奴が魔物になるんだろ? ここまで来る途中で何度も見たぜ」
「それだけではない。この地から決して出ることは叶わず、そして天寿を全うすることさえも出来ぬのだ」
「……どういうこと?」
目の前の老司祭はあと数年もすれば寿命が尽きるような年齢に見えた。
彼の言葉の意味が理解できず、アインは尋ねる。
「呪いをかけられた者は皆、時が止まったかのように成長が止まる。年老いていくことすら出来ず、このメルディアの地で死霊に貪られる恐怖と戦い続けるしかないということだ」
それを聞いてアインはなるほどと頷く。
先日の襲撃者は明らかに年不相応の実力を持っていた。
彼らが呪いの所為で成長が止まっていたのだとすれば、あの連携の取れた襲撃は納得できた。
不老の術は多くの魔術師が追い求めた究極の課題と言えるだろう。
人としての寿命を超越できたならば、魔術の研究を永遠に行えるからだ。
魔道を極めたならば、神域に足を踏み入れているといっても過言ではない。
そして、老司祭は狡猾な笑みを浮かべる。
「その呪いが、まさか自分たちだけ関係ないとは思っておらんだろうな? この地に足を踏み入れた時点でおぬしらも呪われているのだ」
彼の意図するところは至極単純。
二人が少女を探すことを手伝う代わりに、この地の呪いを解くことに手を貸せと。
彼の言葉が真実であれば、目的の少女を見つけたところで意味がない。
「それを証明できるの?」
「ああ、出来るとも。手っ取り早いのは、ふむ……彼を見てくれ」
老人が指した先にいたのは皮鎧を身に着けた男だ。
他の信徒と違い、ルメロ神教の人間のようには見えない。
「彼はこの地の者ではない。一獲千金を夢見て、呪いに呑まれた哀れな男よ」
紹介された男はグレッグと名乗った。
以前は冒険者をやっていたらしく、首に下げた冒険者カードを見せてきた。
階級はシルバーだったが、今の彼からはゴールド並の実力を感じた。
「チッ、面倒なことになってんな」
マシブが舌打ちをする。
メルディアの呪いについて外部で情報が得られなかったのはこういう理由があったのかと、今になって後悔していた。
安易に足を踏み入れず、呪いに関して慎重に情報を集めるべきだった。
この地の呪いに情報が無い以上、彼らと協力することは避けられないようだった。
アインも仕方が無いといった様子で警戒を解く。
「というわけだ。儂の名はファーレン・ベルーサ。よろしく頼むぞ、若人たちよ」
統率者――ファーレンは険しい顔を崩して笑みを見せた。




