125話 力に呑まれる
二人はしばしの休息の後、周囲の探索をするために出発する。
地下拠点から一歩出れば死霊の巣窟。
息を潜めて移動したとしても戦闘は避けられない。
現に、二人は至る所から死霊の気配を感じていた。
僅かでも隙を晒せば、彼らは好機と見て暗がりから躍り出て命を奪おうとするはずだ。
獣と違い、即座に襲い掛かって来ないのは彼らが人であった時の名残だろうか。
死してなお一定以上の知性を保っているのか。
いずれにしても、二人にとって障害となるのは明白だった。
「面倒臭えな。さっさと襲ってくりゃいいのによ」
マシブは焦れたように呟く。
死霊の群れは、二人の間合いに入らないように一定の距離を保ちながら移動をしている。
進むにつれてその数は増大していき、流石に無視出来る程度を越えていた。
「まともに相手をしたくはねえが……」
アインに視線を向ける。
多少消耗しようと、ここらで一度殲滅すべきだろうと考えていた。
アインはその意図を汲み取ると、槍を高々と翳し上げる。
その刃に刻まれた魔紋が赤黒く脈動し、黒鎖魔晶の力を解き放つ。
「――降り注げ、怒りの雨よ」
常闇に閉ざされた空を禍々しく染め上げる。
その光景は宵闇よりも不安を掻き立て、夜明け前のような焦燥を思い出させた。
赤黒く脈動する無数の槍。
それは救済の雨か、あるいは断罪の刃か。
見る者全てが手を組んで、必死に慈悲を請うことだろう。
空を彩る狂槍が今、メルディアの地に無数の墓標を刻む――かと思われた。
「――ッ!?」
胸元に刻まれた黒鎖魔紋が大魔術に共鳴する。
今にも降り注ごうとしていた無数の槍に魔紋が浮かび上がり、更なる力を欲してアインから魔力を吸い上げていた。
「おい、アインッ!」
マシブが揺さぶるが反応はない。
茫然と空を見上げ、魔力を吸い上げられていた。
その症状を見てマシブは即座に魔力暴走であることを察する。
慣れない魔術を行使する際、未熟な魔術師は魔力暴走を引き起こしてしまうことがあるのだ。
魔力の流れを自分では制御できなくなり、最後には暴発を起こす。
その威力は使用者によるが、今のアインは尋常ではない魔力量だ。
もしこのまま暴発してしまえば、辺り一帯が更地になってしまうことだろう。
そうなってしまえば二人も無事では済まない。
「あは、あははは……」
心地よかった。
魔力を吸い上げられていく感覚が、アインの脳内を蕩けさせていく。
そうしている間も黒鎖魔紋は激しく明滅を続けていた。
数多の命を喰らってきたせいで、力の制御がしきれなくなってきていたのだ。
アインは増大していく自らの狂気に呑み込まれそうになっていた。
それは伝承に伝わる災厄そのもので、教皇庁の触れ回る内容の通りだった。
虚ろな瞳で嗤い続けるアインを見て、マシブはこのままでは不味いと防御態勢を取った。
「は、はは……は?」
槍が降り注ぐ直前でアインの瞳に光が灯る。
空に浮かび上がる全ての槍が、第二段階を解放した時に現れる血飢の狂槍と同等の力を持っていた。
しかもそれは、黒鎖魔紋の力ではなくアイン自身の力によって生み出されたものだった。
咄嗟に魔術を霧散させ、アインはその場にへたり込む。
この一瞬で凄まじい量の魔力を持っていかれてしまった。
動けないほどではないが軽い眩暈を感じていた。
「大丈夫か?」
「平気……だと、思う」
額に滲んだ汗を拭い、アインは大きく息を吐き出す。
自分が黒鎖魔紋を制御しきれているとまでは思っていなかったが、まさか力に呑まれてしまうとは思ってもいなかった。
ここまで深く狂気に呑まれてしまったのは初めて黒鎖魔紋を解放した時以来だろう。
魔力は大きく消耗してしまったが、探索をする程度ならば問題ないだろう。
アインは呼吸を整えて落ち着くと立ち上がる。
「キツイなら休んでてもいいんだぜ?」
「大丈夫。もうあんな下手は打たないから」
場合によっては二人とも命を落とすところだったのだ。
アインは安易に強大な力に頼るべきではないと再確認をした。
だが、その隙に死霊の群れに囲まれてしまう。
大通りを進む二人を前後から挟むように迫ってきていた。
「やっぱりやるしかねえってことか」
「マシブは後ろを片付けて。私は前を殺る」
「ああ、分かったぜ」
マシブは身体強化を施すと、双剣『剛蛇毒牙』を手に死霊の群れに突撃する。
同時にアインも竜槍『魔穿』を構えて前方の敵へと襲い掛かった。
死霊の数は二十程度。
アインは槍を突き出すように群れの中を駆け抜け、同時に三体の死霊を穿つ。
槍の性能を試すには物足りない相手だが、少なくともこの程度の相手ならば容易く貫くことが出来るようだった。
振り向きざまに槍を左手に持ち替え、空いた右腕で鎧を身に着けた骸骨兵の腹部を殴り付ける。
義手による重い一撃は鎧ごと骸骨兵を叩き潰し、他の死霊たちの方へ吹っ飛ばした。
メルディアには多くの死霊が徘徊しているが、そのほとんどは大した魔物ではない。
それこそ黒鎖魔紋を解放する必要もなく、僅かな身体強化さえ不要なほど。
その理由は、昨日の地下拠点での出来事を思えば想像に易い。
アインが最後の一体を葬って振り返ると、マシブもちょうど戦闘を終えたところで背に大剣を戻していた。
「歯応えがねえな。昨日の出来事も考えると、やっぱりこいつらは――」
「呪いによって魔物化したメルディアの住人」
そこに魂が残っていたのかは分からない。
だが、彼らの亡骸は骸骨や動く死体となって彷徨い続けていた。
あまりにも哀れな末路だろう。
迷宮に潜む死霊は命を落とした冒険者などが基となっているために力の強いものが多い。
対して、メルディアに潜む死霊は力の無い住人たちが基となっているために大した力は持っていなかった。
だが戦う力を持たない人々からすれば十分脅威足りえた。
これだけ多くの死霊が徘徊していることを考えれば、ほとんどの住人は命を落としたのだろう。
昨日のような襲撃はそうないだろう。
「どれだけの業を積めばこんな死に様になるんだろうな」
マシブは肩を竦める。
誰かに弔ってもらえるわけでもなく、忌むべき魔物となって徘徊し続ける。
自分はそんな末路は迎えたくないと思っていたが、あるいはもっと酷いものになるかもしれないとも思っていた。
自らの目的のために、彼は何者であっても犠牲にする覚悟が出来ている。
ドラグニア王国では一つの街を犠牲にしてまでアインを守り抜いた。
その結果として手配書が出されてしまうほどの悪人になってしまったが、彼はその選択を後悔していない。
アインを一人でいさせるわけにはいかない。
それは先ほどの出来事によってより強い想いとなった。
黒鎖魔紋の力は容易に制御できるような代物ではない。
いざという時、アインを止められるのは自分しかいないのだと、マシブは改めて意思を固める。
たとえ己の身が朽ちたとしても無様な死だけは許容できない。
地獄に落ちるのは、体が動く限り足掻いてからでも構わないだろう。
「先に進もうぜ。もう少し進めば例のルメロ神教とやらの縄張りがあるはずだ」
それ故に、今は愉しまなければならない。
最高の思い出を抱いて、地獄への門を嗤いながら通れるように。




