121話 竜槍『魔穿』
ミレシアが邪教徒によって連れ去られた。
その報せは瞬く間に里中に伝わり、惨劇を悲しむエルフたちに更なる衝撃を齎す。
ただでさえ多くの命が散ってしまったというのに、さらにミレシアまでもが失われたのだ。
その実力を知る者からすれば「まさか」と言いたくなるような事態だったが、現に彼女は帰らない。
怒りも嘆きも憎しみさえも通り越し、皆が絶望に打ち拉がれていた。
「にしても、邪教徒共の狙いがわからねえな。ミレシアを攫ったところで何の意味があるんだ」
ミレシアのような見目麗しい女性であれば、好色な人間の目に付く可能性はある。
隷属の魔法を使用できるならば、戦力として利用することもあり得るだろう。
だが、今回の襲撃で教団は他のエルフを連れ去るようなことをしていない。
彼らはミレシアという明確な獲物を定めて襲撃をしてきたのだ。
であれば、それ以外に何か理由があるということだろう。
考えていても埒が明かないため、二人はラドニスの元に向かった。
ミレシアが連れ去られたとの報せは彼にも届いていたのだろう。
酷く狼狽えた様子のラドニスが出迎えた。
「よく来てくれた。一先ずは、里の防衛に力を貸してくれたことに感謝を」
「構わねえよ。結局、俺たちも"仕事"は上手くやれなかったからな」
マシブの言う仕事とは、言うまでもなく教団の狙いを阻むことである。
幹部であるカーナを返り討ちにし、さらに多くの邪教徒を殺めたが、それでも最終的にはミレシアを連れ去られてしまった。
それが出来なかった時点で、彼にとっては失敗と同義だった。
「……仕方の無いことだ。まさかあやつらがミレシアを連れ去ろうとしているとは、誰も考えられないだろう」
ラドニスは悔しそうに拳を握り締める。
賊に狙われるような代物をエルフ族の里は多く有しているが、族長を生け捕りにするなど予想しろという方が酷な話だ。
それでも、彼は自身のことを浅慮な若輩者だと責めていた。
アインは漠然とだが、ミレシアの持つ価値に気付く。
それがどのようにして教団の益となるのかは分からなかったが、彼らの欲しているものは間違いない。
「――ヘンゼの血筋。それを利用するとしたら何が出来る?」
「血筋を利用する……?」
「どんなことでも構わない。魔術でも、装置でも、儀式でも」
「ふむ……」
ラドニスは深く考え込む。
ヘンゼの血筋は邪神の住まう世界――冥界の力を微かに含んでいる。
だが代を重ねる毎に薄れていき、今代のミレシアには似た性質を持つ黒鎖魔紋の気配を感じ取る程度しか出来ない。
だが、外部から干渉すれば、あるいは――。
「現世と冥界を繋げようとでもいうのか……?」
邪神を崇める彼らからすれば、信仰対象が現界させようとすることは不自然ではない。
しかし、それは同時に悍ましい惨劇を世界に齎す。
冥界の怪物が流れ込み、瞬く間に世界は死に絶えることだろう。
「……儀式だ。ヘンゼの血筋を利用して、この世界に災厄を齎そうとしている」
「災厄って、また物騒だな。それはどんな規模なんだ?」
「想像するのも恐ろしい。だが、簡潔に言うとするならば……災禍の日が永劫のものとなるということだ」
冥界から溢れ出した異形の軍勢。
それは災禍の日と同等か、あるいはそれ以上かもしれない。
儀式が成立してしまったならば、この世界に安息の地はなくなってしまう。
ラドニスの導き出した答えにマシブは顔を引きつらせる。
そうなってしまえば、常人では生き延びることが出来ないだろう。
たとえ黒鎖魔紋を持っていたとしても、常に災禍の日が訪れるとなると戦い抜くことは難しい。
「ここ最近で起きている魔物の活性化も、その影響と考えれば納得できる。君たちの斃した赤竜の王も黒鎖魔紋に似た力を発現させたというが、それもまた冥界の力を受けて凶暴化したことが原因だろう」
「全ての元凶は、教団だったってことかよ」
マシブは苛立った様子で机に拳を叩きつけた。
彼もまた、旅の最中に活性化の影響によって被害を受けている人々を見てきた。
許せるはずが無かった。
アインもまた、同様に殺気を滾らせていた。
教団の目的が世界に災厄を齎すことだったとして、それ自体に怒りを覚えることはなかった。
しかし、故郷の村を凶暴化したオークが襲撃したこと。
そこから続く、絶望に満ちた悲劇の数々。
自身の辿ってきた道に転がる不幸は彼らの所為だったのであれば、到底許せることではない。
「殺さないと……」
彼らの言う"あのお方"という存在を殺さなければ、この地獄の底で煮えたぎる溶岩のような憤怒は鎮められない。
そのためには、今以上に力を付けなければならないだろう。
アインはラドニスに視線を向ける。
「槍はどこまで出来たの?」
「細かな調整も終わっている。試してみて支障が無ければ、そのまま持って行って大丈夫だろう」
そう言うと、ラドニスは奥の工房から一本の槍を持ってきた。
一目見て一級品であると理解できる、精巧に作られた槍だった。
アインは槍を手に取る。
赤竜の王の牙を削り出した槍には複雑な術式が刻み込まれており、それを繋ぐように黒鎖魔晶が埋め込まれている。
槍に呼応するように、体の奥底に呑み込まれた赤竜の王の魂が震えていた。
そして、胸元の黒鎖魔紋が熱く脈動する。
溢れ出した禍々しい力が槍を黒く染め上げていく。
「これは……」
変化が終わると、まるで長年使い続けてきた槍のように手に馴染んでいた。
アインは驚いたように槍を見つめていたが、魔槍『狼角』を遥かに上回る力を感じて笑みを浮かべた。
ラドニスも槍の変化に驚いていたが、アインに槍の説明を始める。
「この槍は黒鎖魔晶を埋め込むことで黒鎖魔紋との親和性を高めているのだよ。試しに……というのは危険だからまたの機会にしてもらうが。基本的な術式は狼角と同じだが、君の成長に合わせてより複雑な術式を刻ませてもらった」
この世界において最高峰の素材をアインに合わせて仕立てたのだ。
これ以上ないほど上等な槍だろう。
「銘は竜槍『魔穿』だ。今度は如何なる戦いにおいても折れるようなことはないと保証しよう」
鋼の腕と竜槍『魔穿』を得て、アインは着実に力を付けていることを実感する。
だが、目指す場所は遥か天涯。
未だに見えぬ人外の領域だ。
はたして、今の己はアイゼルネと打ち合えるだろうか。
彼女と並ぶ実力者であるヴァルターに、力を認めさせられるほどの存在になっただろうか。
「それと、二人にはすまないが……ミレシアのことを頼まれてもらいたい」
叔父であるラドニスにとって、ミレシアは大切な家族だ。
彼女の幼い頃を知るからこそ見捨てられないが、彼にはミレシアを救い出すほどの力も無い。
「ああ、構わないぜ。アインもそれでいいよな?」
マシブの問いにアインは頷く。
いずれにしても、教団はアインにとっても敵だ。
彼らの野望を阻む途中でミレシアを助けることになるかもしれない。
「よっし、それじゃ行こうぜ。ええと、次はどこだったか」
マシブは地図を広げる。
森を抜けて、さらに北西へと進む。
そこにあるのは真っ黒に塗り潰された地帯だ。
ガルディアを去る際、アインはガーランドからこの地について聞いていた。
曰く、魔物の災害によって滅びた地であると。
死に絶えた民衆の怨念が徘徊しているために、今では旅人も寄り付かなくなってしまった。
――死都メルディア。
次なる目的地へ向けて、二人はエルフ族の里を出発した。




