119話 暗躍
黒鎖魔紋。
邪神の寵愛を受けし者に与えられる、至高の力。
狂気を引き出し破滅を齎す呪われた魔紋。
それを持つ者が里に三人。
その内、教団に所属する者は二人――カーナ・オルトメシアとアルフレッド・ベルト。
両名共に第二段階まで解放をしていたが、その結果は酷く粗末なものだった。
「嗚呼、嘆かわしい」
呆れたように嘆息する。
これほど強大な力を得たというのに、容易く打ち倒されてしまったのだから。
アルフレッドは無様に命乞いをしてしまった。
カーナは無様に敗走をしてしまった。
これは果たして、狂気と呼べる代物なのだろうか。
否である。
男は怒りに打ち震えていた。
この程度では、いずれ来る大災厄を生き延びられない。
「所詮は紛い物に過ぎない。そういうことなのでしょう」
彼は知っている。
邪神とは単一の存在ではないことを。
特に、アルフレッドに力を与えた邪神は位階の低い存在だった。
哀れに思って拾ってみたものの、結局は取るに足らない愚物に過ぎなかった。
もし彼の神が強大な力を持つ存在であったならば、きっとあのような無様を晒すことはなかっただろう。
そうでないのは、アルフレッドにその資格が無かったと言わざるを得ない。
一方で、凄まじい戦いを見せた少女。
教団に敵対する者でありながら、彼の関心を引くほどの存在がいた。
「『狂槍』のアイン……肩書に恥じぬ、見事な戦いぶりでした」
未だ第二段階までしか解放出来てはいないが、その力は明らかに規格外のものだった。
その華奢な体の何処に、数多の魂を喰らったのだろうか。
その気配は、悪魔よりも悍ましい。
彼女の背後に数えきれないほどの怨念を感じていた。
ここに至るまでの道程で、一体どれほどの命を奪ってきたのか。
それだけではない。
アインの内から感じる気配の中に、強大な存在が一つ。
魂を喰らいきれていないのか、獰猛な竜が形を残している。
――赤竜の王ロート・ベルディヌ。
かの偉大な竜は、遥か昔から力を蓄え続けた極上の魂を持つ。
今のアインでは扱いきれていないのだろう。
いずれその魂を喰らい尽くすことが出来たならば、それは男にとっても脅威足りえる存在に成長するだろう。
だが、それ故に惜しい。
アインは冷酷な戦士ではあるが、無慈悲な殺戮者ではない。
その狂気が無辜の民をも獲物と定めた時、真に黒鎖魔紋の力を行使することが出来るだろう。
男はアインから視線を外すと、里を見渡す。
そして、今回の目当てを見つける。
「――宵闇の偶像」
塊の闇が落ちる。
深淵を思わせるような昏い色。
悍ましく蠢くそれは、徐々に人の形を成していく。
召喚されたのは漆黒の鎧を纏った騎士だった。
その兜から見える顔は、既に朽ち果てた骸骨面。
骸骨騎士は周囲を見回すと、里の西へと駆けていく。
その方向には戦う力を持たない幼子などが避難している。
骸骨騎士の狙いに気付いたエルフたちが次々と行く手を阻むが、まるで意味を成さなかった。
魔術は当たる寸前で掻き消え、矢を射ても頑丈な鎧に阻まれてしまう。
このままでは、幾多の幼子たちが命を失うことだろう。
だが、それを許さぬ者が一人。
この里の長であるミレシア・フラウ・ヘンゼ。
骸骨騎士を討つ為に彼女は西側へと誘き出されたのだ。
さすがに距離を話さなければ、アインやマシブに気付かれてしまう。
彼女の力は凄まじく、骸骨騎士さえも圧倒していた。
これがヘンゼの血筋。
邪神の住まう世界の力を、彼女は僅かとはいえ有している。
その血筋にこそ価値がある。
骸骨騎士が斃されると、男は気配無くミレシアに近付く。
ミレシアの戦士としての勘が何者かの接近に気付く。
瞬時に魔力を練り上げ、強烈な剣戟を叩き込む。
咄嗟に放たれたとは思えないほどの威力だった。
しかし――。
「――ッ!?」
彼女の視界に映ったのは、黒い服に身を包んだ長身痩躯の男。
その肌色は青白く、どこか遠い場所を見ているかのような眼と相まって一層不気味に思えた。
彼の接近に気づくことは出来ていた。
ミレシアの体を流れるヘンゼの血が黒鎖魔紋の気配を感じ取ったおかげで、より正確な一撃を放つことが出来た。
だというのに、何故だろう。
男の腹部を貫いているはずの剣に、全く手応えが無いのは。
「さすがはヘンゼの血筋、といったところでしょうか。いやはや、惜しい才能を持っている」
如何にしてミレシアの一撃を避けたのか。
幻術の類にしては、あまりにも気配がはっきりしている。
そもそも腹部を貫いているというのに、血の一滴さえ流れないのは有り得ない。
「さて――回収しましょうか」
その瞬間、ミレシアの視界が暗転する。
倒れそうになる彼女を抱きとめると、男は転移魔法で消え去る。
ただ、邪教徒の目的が果たされたという事実だけが、その周囲にいたエルフたちに突き付けられていた。
これを以て、教団によるエルフの里襲撃は幕を閉じた。




