118話 意地(3)
膨大な魔力が吹き荒れる。
カーナは身の危険を感じて飛び退くと、マシブの姿を見て愕然とする。
「そんな、まさか……」
先ほどまで、マシブは虫の息だった。
放っておいても死んでしまいそうなほどに弱っていた。
もはや指先を少し動かすことさえ困難なほどに。
それが、今の彼はどうだろうか。
殺気に満ち溢れ、悪鬼のような形相でカーナを睨み付けている。
変化はそれだけではない。
治っているのだ。
酷い怪我を負っていたというのに、今のマシブはそれを感じさせないほどの力強さを感じる。
マシブは荒く息を吐き出す。
そして、拳を固く握りしめて、己の変化を悟る。
「ああ、こういうことだったのか。やってみれば、単純なもんじゃねえか」
体中の傷が塞がっていく。
それは紛れもない治癒魔法だった。
彼の灼化の影響も受けて、その効果がさらに高まっている。
身体強化と治癒魔法の均衡を保つ。
それが可能な範囲内であれば、存分に身体強化を施すことが出来る。
たとえ己の肉体の限界を超えていようと。
「しっかし、こいつはまた酷えな……」
ミレシアの奥義『瞬魔』とは、即ち限界を超えた身体強化による肉体の崩壊を治癒魔法で食い止める物である。
当然、体にかかる負荷は相応のものであり、痛みも伴うことだろう。
マシブは徐々に強化の度合いを高めていく。
今はまだ、会得したばかりで扱いきれないかもしれない。
だが、それでも十分すぎるほどの力がそこにあった。
「灼化、改め――灼鬼纏転」
凄まじい力が漲っていた。
これならば、万象全てを叩き切ることが出来る。
そんな自信が今の彼にはあった。
燃え上がる灼熱のように、揺らめく赤い魔力を纏っていた。
その強烈な殺気を受けてカーナの表情から余裕が消える。
「侮ったな、魔女さんよお」
「そう、ですわね。確かにわたくしは貴方を侮っていた……」
その結果が、マシブの成長へと繋がってしまった。
これで敗北してしまったならば、カーナは地獄で何度も後悔することになるだろう。
だが、彼女とて教団の幹部の一人。
容易く葬られるほど生易しい相手ではない。
「……今度は本気で相手をして差し上げますわ」
カーナの表情が真剣なものへと変わる。
全力を以て戦わなければ、今のマシブには敵わないと判断していた。
ここに来て、彼女は初めて本気で対峙する。
居心地の悪さを感じつつ、マシブは剣を構える。
周囲で蠢く無数の茨。
さながら庭園に迷い込んだ獣のような気分だった。
だが、先ほどまでのような恐ろしさはない。
むしろ対等であるとさえ感じていた。
灼鬼纏転による強化は、未だかつてないほどの力をマシブに与えている。
その気迫たるや、悪鬼と呼ぶに相応しい。
強烈な殺気を受けて、カーナが不愉快そうに眉をひそめた。
「癪に障りますわね――茨の鞭」
無数の茨が至る所から襲い掛かる。
この地は彼女によって生み出された領域。
カーナはこの空間を支配し、圧倒的に優位な状況に立っているはずなのだ。
それ故に、戦いに敗北は許されない。
「――剛撃ッ!」
鈍い手応え。
だが、彼の剣は確かに茨を断ち切って見せた。
続く茨も苛烈な剣戟の下に斬り伏せられていく。
――殺れる。
自信が確信へと変わる。
どれだけ茨が襲い掛かって来ようと、今のマシブであれば叩き切ることが出来るのだ。
遂に、マシブはカーナの方へ足を踏み出す。
「そんな、有り得ないッ――」
その風貌は悪鬼の如く。
両手に握られた剣が閃く度、茨が叩き切られていく。
殺気に満ちた瞳に睨み付けられ、カーナは巨大な蛇の視線に射抜かれたかのような錯覚に陥る。
否定しようにも、目の前で起きていることは現実なのだ。
一歩ずつ、力強い足取りでマシブは距離を詰めていく。
「――喰命砲」
咄嗟に撃ち出された魔弾は、軌道が僅かに逸れて彼方へと飛んでいく。
手が震えてまともに狙いを定められないのだ。
まさか幹部ともあろう者が恐れを抱いているなど、カーナは認めるわけにはいかない。
彼女の過ちは、目の前にいる男を侮ったことだろう。
マシブはこれまでの旅の中で幾度となく窮地に立たされ、その度に強靭な精神を以て乗り越えてきた。
今回もまた、同様に足掻き続けただけに過ぎない。
「くッ――茨の縫壁」
彼女は敗者だ。
このまま戦い続けたところで勝機は無い。
だが、この場で大人しく死ぬつもりは無かった。
死よりも屈辱的な逃走をカーナは選んだのだ。
無数の茨で編み上げられた壁が、マシブの行く手を阻む。
「邪魔だ――天地滅衝」
両腕から同時に振り下ろされた剣が茨の壁を叩き切り、強引に道を開く。
その先にカーナの姿を探すが、何処にも見当たらない。
「転移魔法、か……」
取り逃がしてしまった後悔よりも、成し遂げた達成感が上回っていた。
未だ里の中では邪教徒とエルフたちが交戦していたが、マシブは灼鬼纏転を解除してその場に倒れ込む。
体中が悲鳴を上げていた。
これほど酷使されたのだから当然だろう。
むしろ、この状態で最後まで戦い抜いた彼の精神が異常だった。
幹部が去ってしまえば、後は残党を狩るだけだ。
里の方で聞こえる無数の断末魔。
それを成した人物は、想像に難くない。
だが、彼は気付けなかった。
戦いの裏で暗躍する、強大な気配に。




