104話 黒鎖魔紋
「さて、何から話そうかしら」
席に着いた二人にミレシアが視線を向ける。
彼女に聞くべきことは多いだろう。
「こっちの事情は聞かねえのか?」
「ええ、構わないわ。見たところ、あまり話せるような内容ではなさそうだもの」
エルフ族の里を訪れた際の二人の殺気立った様子から、少なくとも平穏な道を歩いてきたわけではないということは彼女も悟っていた。
邪教徒からの襲撃を退けてもらうために手を貸してもらうのだ。
深い詮索をする必要はないと思っていた。
アインはミレシアに尋ねる。
「ヘンゼの血筋って何? 黒鎖魔紋に気付いたことに関係があるの?」
「ええ、そうよ。それを説明するには、過去に起きた大戦について話す必要があるわね」
ミレシアは一冊の本を取り出した。
そこに記された表題は『悪魔と英雄』というものだった。
「これは、歴史家ノア・レンセントが大戦について記した書物よ。内容については御伽噺のようなものだけれど、黒鎖魔紋を持つ貴女は知っておくべきことよ」
ミレシアはアインに書物を差し出す。
そこに記されていたのは、およそ三百年ほど前に別の大陸で起きた戦争に関するものだった。
しかし、その裏に隠された陰謀が、ただの戦争でないことを示していた。
大陸最大とされる軍事国が、他国への侵略を開始。
その過程で多くの国が犠牲となり、多くの者が命を落としていった。
理不尽な蹂躙の果てに、死んでいった者たちの魂を利用した召喚術式が発動される。
その国の目的は、彼らの信仰する神話上の聖女を冥界から呼び戻すことだった。
だが、彼らは聖女を復活させるも、最終的に大陸各国が手を取り合って結成した連合軍によって討伐された。
大戦についての項目を読み終えると、アインは顔を上げる。
「これと黒鎖魔紋にどういう関係があるの?」
「黒鎖魔紋が現れた原因は、その大戦にあるということよ。重要なのは、冥界から聖女を呼び戻したというところね」
ミレシアはどう説明すべきか少し悩んだ様子で考え、少しして口を開いた。
「例えば精霊術師が精霊を召喚する際、精霊の住まう精神界と現世との境界に干渉して呼び出すわ。それが可能なのは、現世と精神界との距離が密接だから。それこそ、並列しているといってもいい」
「聖女を呼び戻したのも、同じ召喚魔術ってこと?」
「ええ。けれど、そこには大きな問題があるの。現世と冥界との距離は、それこそ並の魔術では干渉できないほどに離れていた――はずだった」
ミレシアの言わんとすることをアインは理解できた。
要するに、聖女を呼び戻すために現世と冥界との間に強引に干渉したことによって、その距離が近くなってしまったのだと。
そして、それが原因となって黒鎖魔紋が現れ始めた。
「冥界は本来、人間が干渉して良い領域じゃないわ。禁忌を追い求めた術師が過去に何度か冥界へと干渉を試みたけれど、そのどれも失敗している。冥界自体、世界としては現世よりも上位のものだから当然なのだけれど……その国は、途方もない人数の魂を代償にすることで強引に成し遂げた。そして、そのことが原因となってこれまで距離の開いていた現世と冥界との境界に乱れが生じたの」
隣接した世界同士は互いに干渉し合う。
しかし、上位世界と隣接した際は一方的な干渉を受けることとなる。
それによって流れ込んできた異界の力が、魔物の周期的な活性化や黒鎖魔紋の出現を齎したのだとミレシアは言う。
「黒鎖魔紋の始まりについては分かった。それで、ミレシアはなんで私が持っていることに気付けたの?」
「あたしの先祖は、かの大戦で連合軍側として参戦していた。そして、一時的にではあるけれど冥界に足を踏み入れていた。その影響で黒鎖魔紋の元となる異界の力が、血筋に強く残っているのよ」
「なら、ミレシアも黒鎖魔紋を?」
「そこまでの力は持っていないわ。黒鎖魔紋は魔物の活性化と違って、この世界で邪神と呼ばれている存在によって編み出されたものだもの。元は同じとしても、力としての格が違いすぎるわね」
黒鎖魔紋の力は邪神によって与えられた。
そして、アインは自身に力を与えた神の名を知っている。
赤竜の王と同様に長き時を生きた聖翼竜エリュシオンから聞いた話だ。
かの竜曰く、原初の神の一柱にして狂気と暴食を司る邪神。
その名をファナキエルと。
「黒鎖魔紋に気付けたのは、あたしが貴女と同質の力を持っていたからというだけ。それにしても、代を重ねていく毎に薄れて、あたしの場合は残滓のようなものだけれど」
「そう……」
ミレシアはヘンゼの血筋による影響で、黒鎖魔紋の力を感じ取れるようだった。
力を行使できるほど残されてはいないものの、感じ取るだけならば可能。
それ故に、一目見ただけでアインが持っていると断言できたのだ。
彼女の話に疑うべき点は無いだろう。
アインがマシブに視線を向けると、彼も警戒を解いた。
ここまで話を聞いて、さらに手の内も明かしてもらったのだから、これ以上警戒すべき点は無い。
(それに……)
アインはミレシアを見つめる。
彼女は紛うこと無き一流の剣士だ。
先ほどのマシブとの戦いを見ても、片腕のみでは彼女に勝つことは厳しいかもしれない。
だが、それは黒鎖魔紋の力を使わなければの話だった。
力を解放さえすれば、槍を振るわずとも強大な魔法を行使できる。
たとえ相手がミレシアであろうと、アインは勝利に絶対の自信を持っていた。
であれば、これ以上警戒する必要はない。
「それで、他に聞きたいことはあるかしら?」
「聞きたいことは十分聞けた。あとは、この里を襲っている邪教徒について、分かる限りを教えてほしい」
ミレシアが頷こうとした時――遠くから悲鳴が聞こえてきた。
その原因は考えるまでもない。
三人は席を立つと、戦闘の準備をする。
「悪いけれど、先に付き合ってもらうわよ?」
その言葉にアインが頷く。
こうして黒鎖魔紋について話を聞くのも興味深かったが、やはり戦場で味わう甘美な時間には劣る。
アインは短剣を手に取ると、真っ先に飛び出していった。




