103話 エルフの剣士
三人は里の外れにある開けた場所に来ていた。
周囲は背丈の高い樹木に囲まれており、足場は石のプレートを敷き詰められている。
微かに霧がかかって、さながら自然の闘技場といった様相を呈していた。
「さて、どっちが相手をしてくれるのかしら?」
ミレシアの挑発的な視線を受けて、アインが前に出ようとする。
だが、それを手で制し、マシブが前に出る。
「俺が相手をしてやるよ」
「貴方が? どちらかというと、魔物を相手にする方が得意そうに見えるのだけれど」
「そっちが本業なのは否定しねえ。けどよ、人を相手にするのが苦手ってわけじゃねえぜ」
マシブの表情には余裕があった。
目の前にいるエルフの少女は腰に剣を帯びている。
恵まれた体格を持つ彼にとって、はたして彼女の細腕は脅威になり得るだろうか。
もしミレシアが身軽さで翻弄しようというものならば、それこそマシブにとっては羽虫と同然。
二振りの大剣から繰り出される彼の剣閃は速さと力の両方を備えているのだ。
同じ剣士として、マシブは彼女に負ける要素はどこにもないと思っていた。
「アインもそれで構わねえな?」
「……別に」
やや不服そうな表情でアインが後方へ下がる。
片腕のみでは満足に戦うことも出来ない。
相手が一級の剣士であればなおさらだ。
それに、アインはミレシアに興味を抱いていた。
エルフというのは魔力に非常に恵まれた種族であり、その生まれ持った膨大な魔力から放たれる魔術は非常に厄介だ。
だというのに、ミレシアは魔術師ではなく剣士という道を選んだ。
彼女がどのような戦い方をするのか、冷静に一歩引いた視点から観察してみたいと思ったのだ。
族長であるミレシアが手合わせをするとあって、里のエルフたちが観戦に来ていた。
部外者であるアインやマシブを里に滞在させるだけの価値があるのか、戦いを見て判断しに来ているというのもあるだろう。
邪教徒の襲撃で人間に対して過敏になっているのだ。
「アインさんはどちらが勝つと思いますか?」
アインの横にレスターが並ぶ。
彼も興味津々といった様子で、戦いが始まるのを今か今かと待ちわびていた。
「マシブ……と言いたいけれど、たぶん負けると思う」
「相棒なのにあまり自信が無いんですね」
「実力に関しては信頼してる。けど、あのエルフは……」
ミレシアの内に秘められた膨大な魔力は、明らかに別格だ。
それこそ、一流の魔術師でさえ彼女の足元にも及ばないだろう。
それだけの魔力で剣を扱うとなれば、きっと凄まじい剣戟が繰り広げられることだろう。
「ミレシア様もお強いですから。あの方に勝てるほどの剣士はそういないでしょうね」
レスターはミレシアの勝利を疑ってはいないようだった。
その自信が少し羨ましいと思いつつ、アインは戦いを見守る。
視線の先ではマシブとミレシアが対峙していた。
殺気を滾らせるマシブに対して、ミレシアは一貫して自然体を貫いていた。
そっと剣の柄に手を添えるだけで身構えたりなどはしていない。
「どうした、来ねえのか?」
「いいえ。せっかくだから、貴方に先手を譲ってあげようと思って」
ミレシアは挑発的な笑みを浮かべ、わざとらしく隙を見せる。
誘うような動きに、マシブはあえて乗っていく。
「後悔するなよ――ッ!」
魔力を体に巡らせ、一気に肉迫する。
その巨躯に見合わない速さに、観衆から感嘆の声が上がる。
「おらぁッ!」
力任せに大剣を振り下ろす。
並の相手であれば、この時点で血飛沫を上げて崩れ落ちることだろう。
しかし、ミレシアは流れるような動きで横へ移動して躱す。
だが、マシブの攻撃はそこでは終わらない。
もう一方の大剣を即座に抜き、さらに引き戻した大剣を振るう。
それでもなお躱し続けるミレシアを見て、マシブは焦れたように剣に魔力を込めた。
「ちょこまかと動きやがってッ!」
「なら、受けとめれば良いのかしら?」
その直後――マシブの手に鈍い衝撃が伝わってきた。
そして、目の前で起きていることを見て愕然とする。
瞬時に抜刀したミレシアが、マシブの一撃を剣で受け止めて見せたのだ。
「あら、随分と間抜けな顔をしているわね? 戦いの最中に気を緩めるなんて、戦士失格よ」
そう言うと、ミレシアは一気にマシブを押し返した。
まさか自分が力負けするとは思っておらず、マシブは驚いた様子でミレシアのことを見つめる。
「今の馬鹿力はなんだってんだよ」
「これは、ヘンゼの血筋に伝わる剣術。その一端を、ほんの少しだけ味合わせてあげる」
直後、ミレシアの気配が一変する。
先ほどまでのような遊び半分ではなく、今の彼女は戦士の眼をしていた。
剣を地に平行にして横に構え、悠然と立つ姿は上に立つ者に相応しい風格があった。
研ぎ澄まされた鋭い殺気がマシブを襲う。
彼の第六感が、今のミレシアは危険だと警笛を鳴らしていた。
「チィ――灼化ッ!」
全ての魔力を注ぎ込む勢いで体を強化していく。
力負けしているならば、より強力な力で以て制すればいい。
出し惜しみしている状況ではなかった。
マシブの体から赤い魔力光が迸る。
それは、彼が凄まじい鍛錬の末に編み出した独自の奥義。
己の肉体を限界まで高め、マシブはミレシアを迎え撃たんとする。
ミレシアはそれを見て、驚いたようにマシブを見つめる。
今の彼は、先ほどまでとは明らかに別格の力を誇っている。
同じ剣士として、マシブの身体強化に興味を持ったようだった。
「これを受け止めきれるかしら――」
ミレシアの剣に膨大な魔力が収束していく。
まるで大魔法を行使する際のような、剣士が扱うにはあまりにも多すぎる魔力。
それを、ただ一閃に全て込めようというのだ。
そして、ミレシアはその魔力を解き放つ。
「――断空」
爆ぜるような音と共に、極彩色の魔力波が打ち出される。
大地を抉りながら突き進むそれは、まさに剣術の極みと言っていい技だった。
しかし、マシブは至って冷静だった。
己の力に自信があるのだ。
眼前に迫る極光を前にしても、動じずに剣を振るうことが出来る。
「――剛撃」
赤き魔力を迸らせ、マシブは真正面からミレシアの放った技を迎え撃つ。
如何なる相手であろうと力でねじ伏せる。
それが、彼の戦い方なのだ。
マシブの放った強烈な一撃は、ミレシアの断空を叩き潰し、掻き消した。
魔力光の残滓が散る中で、マシブは犬歯を剥き出しに嗤う。
「まだ本気じゃねえんだろ? 来いよ」
まだミレシアは手の内を隠している。
長年戦い続けてきた戦士としての直感が、そう感じさせていた。
そして、その全てを切らせるだけの力をマシブは持っていた。
ミレシアは意外そうな表情を浮かべた後、面白そうに笑みを浮かべた。
彼女にとっても、マシブがここまで粘れるのは意外だったのだろう。
本命はアインだと考えていたが、それは改めざるを得ないと思っていた。
「仕方がないわね。本当は、貴方にここまで使うつもりは無かったのだけれど」
ミレシアから一切の殺気が消え失せる。
戦意を失ったわけではない。
ただ、澄んだ川のような穏やかな様子で、その技の名を呟く。
「奥義――瞬魔」
その声が届く頃には、既に剣が振るわれていた。
咄嗟に剣を振るうも受け止めきれず、マシブは後方に大きく飛ばされた。
体勢を整えようとするが、あまりの衝撃に体が痺れて地を転がってしまう。
「くそ、なんだよ今のは……」
立ち上がろうとするも、平衡感覚を失った体がよろけて這い蹲ってしまう。
あまりの速さに目で追うことが出来なかった。
ただ、手に残る痺れだけが、ミレシアの剣撃の重さを物語っていた。
これが本気を出したミレシアの力なのだろう。
後方で観察していたアインは、その力の全貌を掴めずにいた。
「どう、これで満足してもらえたかしら?」
少し乱れた息でミレシアが尋ねる。
まさか手の内のほとんどを切ることになるとは思っていなかったらしい。
勝利したものの、彼女の表情はやや不満げだった。
「確か……灼化っていったかしら。変質させた魔力で体を強化する奥義。なかなかに面白いものを見せてもらったわ」
「ちっ、俺の負けだ。悔しいが、確かにお前の方が剣士として上だ」
マシブは潔く敗北を認める。
このまま足掻いたところでミレシアと打ち合えるとは到底思えなかった。
己の実力に自信があったせいか、その表情は酷く悔しそうだった。
「貴方が弱いわけじゃないわ。けれど、ヘンゼの血筋に伝わる剣術は、かつて最強と謳われた男が編み出した至高の剣術。それを知っているかどうか、それだけの違いよ」
もちろん、生きた年数の違いもあるけれど。
ミレシアはそう言うと、アインの方に視線を向ける。
「さて、家に戻るわよ。邪教徒の襲撃に備えて、色々と話さなければいけないことがあるんだから」
手合わせを終えて、三人は家へと戻る。
こうして実力を見せてもらったのだ。
戦士として、これ以上彼女を疑い続ける必要はなかった。




