10話 初めてのクエスト
翌朝、アインは早速依頼を受けようと冒険者ギルドに来ていた。
少し緊張していたものの、依頼をこなして報酬を受け取るだけの簡単な作業だ。
実力さえあれば、何の問題もない。
受付嬢の所に歩いていくと、早速依頼を紹介された。
「アインさんは初めての依頼ですからね。こちらの薬草の採集が良いと思います」
依頼名:薬草の採集
期限:無期限
報酬:一束につき銅貨一枚
備考:薬草の質によっては報酬の上乗せ有り。
初心者向けの簡単な依頼で、村の周辺で薬草を取っていたことのあるアインにとっては容易い内容だった。
しかし、アインはあまり惹かれるものを感じない。
できれば討伐系の、難易度が高いものがいいと思っていた。
「何か、討伐依頼でいい感じの依頼はないかな?」
「討伐ですか? アインさんは冒険者になったばかりですし、こういった安全なものから経験を積んでいった方がいいと思いますよ?」
「そうだぜアイン、まずは薬草を取れるようになるところから始めねえとな!」
後ろから聞こえたうるさい声に、アインは顔をしかめる。
振り返れば、マシブが腕を組んで先輩風を吹かしていた。
その首に下げられた冒険者カードはシルバーで、アインより二つ上の階級だった。
昨日母親にこっぴどく叱られて半泣きになっていた彼だったが、今朝になると普段通りの様子に戻っていた。
「それによお、討伐依頼ってのは結構危険なんだぜ? せめていくつか依頼をこなしてから……」
「このホーンウルフの討伐でおねがい」
「って聞けよ!」
依頼名:ホーンウルフの討伐
期限:翌朝まで
報酬:一体につき銅貨十枚
備考:討伐の証として角を持ち帰ること。また、上位種や亜種を発見・討伐した場合、報酬に換算する。
アインは手頃な討伐依頼を選ぶ。
ホーンウルフは村の周辺で何度か倒したこともあったため、問題はないだろうと思った。
本当ならばもう少し難易度の高い依頼を受けたかったが、階級がアイアンの状態ではこれ以上の依頼は受けられないようだった。
「本当によろしいんですか? こちらの依頼は少し難易度の高いものですから、いくつか依頼を受けてからの方がいいかと」
「大丈夫。このくらいの魔物なら、私も倒したことあるからね」
「そうですか。かしこまりました」
受付嬢は手早く手続きを済ませると、アインに依頼の紙を手渡す。
「おいおい、本当にいいのかよ? せめてマシな装備を整えてからじゃねえと危険だぜ?」
「そのマシな装備を揃えるために、この依頼を受けるんでしょ」
「けどよお……」
アインの装備は汚れた服と槍が一本のみ。
見た目はただの村娘としか思えないのだから、さすがにマシブでも心配になってしまう。
だが、アインは不敵に笑う。
「まあ見てて。たくさん倒して帰ってくるから」
そう言って、アインはホーンウルフの討伐に向かった。
◆◇◆◇◆
シュミットの街に冒険者が多いのは理由がある。
それは、街の近辺に森や鉱脈、迷宮など魔物が発生する場所が多いからだ。
そのため生きる糧を稼ぐために冒険者が集まり、そして彼らの武具を作る鍛冶師たちが集まった。
鉱脈にはゴーレムのような魔物が生息しており、迷宮は虫系の魔物や死霊系の魔物の巣窟となっている。
そして今回アインが向かうのは、獣が多く生息する森だった。
街から南へ二時間ほど歩くと、アインはようやく目的の森に到着する。
以前は害のない獣がほとんどだったのだが、近頃、この森ではホーンウルフのような人を襲う魔物の目撃情報が多かった。
そのため、ギルドに依頼が来ていたらしかった。
アインは森の中を臆することなく進んでいく。
よほど大量に、それこそ災禍の日と並ぶほどの魔物が押し寄せてこない限り死ぬことはないだろう。
しかし、安易に黒鎖魔紋に頼るわけにはいかないため、極力自力で戦おうと考えていた。
森は思っていたよりも深かった。
徐々に背丈の高い木が増えてきて、日光が遮られて薄暗い。
木々の間隔も狭くなってきて、槍を振り回すには少し厳しい状態だった。
しかし、不思議なことに魔物と全く遭遇しなかった。
魔物はおろか、獣の類さえほとんど見かけない。
時折聞こえる鳥の声も、アインの故郷の村と比べれば遥かに少なかった。
村で生活していた時、たまにこういうことがあった。
それまでいたはずの魔物が全く見かけられなくなって、森が不自然なほど静かになる。
その原因は必ず、よそからやってきた魔物が生態系を荒らしたことによるものだった。
しかし、それにしても静かだった。
アインは少し慎重に、周囲の気配に気を配りながら歩いていく。
そしてしばらく歩いた時だった。
「――ッ!」
背後からの足音に気付き、即座に槍を突き出す。
肉を貫く生々しい感触。槍の先には、喉元を突き刺されてぐったりとするホーンウルフの姿があった。
ようやく一体目。
アインは達成感を感じるが、まだまだ成果としては足りていない。
討伐の証として角を取った時、ふとアインは思いつく。
横たわるホーンウルフの死体。血の臭い。
これを利用すれば、遠くの魔物も臭いにつられて集まってくるのではないだろうか。
思いつくと、アインは早速行動に移す。
血の臭いが広がりやすいようにホーンウルフを解体すると、周辺に放り投げていく。
こうすれば、手っ取り早く獲物を狩ることが出来る。
アインは草陰に身を隠し、獲物の接近をじっと待つ。
すると、血の臭いに釣られたホーンウルフたちが次々とやってきた。
それらをアインは奇襲で仕留めていく。よりいっそう周辺の血の臭いが濃くなっていく。
これを繰り返せば、あっという間に稼ぐことが出来るだろう。
黒鎖魔紋を得たおかげで体が軽かった。
以前は一対一でなければ相手にできなかったホーンウルフも、今のアインにとっては大した相手ではない。
慣れさえすれば、複数で襲い掛かられても容易くあしらえる様になっていた。
案外簡単なのかもしれない。
アインがそう思った矢先のことだった。
一際大きな足音。鋭い殺気。
今までとは明らかに別格の魔物が、アインの前に姿を現した。
純白の毛皮。それに反した、漆黒の角。
これまで倒してきたホーンウルフの何倍もあろうかという体躯。
その角はアインに向けられていた。
これまでとは違う気配に、アインの額を汗が伝う。
奇襲をするわけでもなく悠然と姿を表した獣。
よほど自信があるのだろう。魔物とは思えない、堂々とした立ち振舞いだった。
しかし、アインは同時に好機とも思っていた。
目の前の獣がホーンウルフの上位種であることは明確。
であれば、より高い報酬を目指すのも悪くはない。
何より、アインの中では、目の前の獣と殺し合いたいという衝動が湧き上がっていた。
獣がアインに角を向けてくるように、アインもまた、槍を突き出して構える。
動き出したのは同時だった。
「はあああああッ!」
殺意を込めた一突き。
獣を相手にして、持久戦は厳しい。
一撃で仕留めようと、アインは全力の一撃を放つ。
槍と角がぶつかり合い、甲高い音が響き――折れたのは、アインの槍だった。
「ッ!?」
驚いている間もなく突進で弾き飛ばされ、アインは木に叩きつけられる。
痛みはあるが、災禍の日ほどではない。
しかし、武器を失ってしまったのは痛手だった。
もとよりかなり消耗していた槍が、ホーンウルフを相手にしていたことで壊れる寸前にまでなっていたのだ。
その状態では、上位種を相手にすることは厳しい。
得物は失われた。
しかし、アインの一撃もまた無意味だったわけではない。
脳天を酷く揺さぶられた獣は、ややふらつきながらアインを睨みつけていた。
手元にあるのは折れた槍の残骸のみ。
柄の部分は木製で、あの角と打ち合うにはかなり厳しいものだ。
しかし、それ以外の場所を狙えば、あるいは。
アインは戦意を衰えさせる事無く、むしろ昂揚さえしてきていた。
災禍の日でもない。黒鎖魔紋の力を解放しているわけでもない。
だというのに、アインは今、この状態を心の底から楽しんでいた。
アインもまた、目の前の獣と同様に身を低くして槍の残骸を構える。
真似てみて分かったのは、この構えは守りを捨てて攻撃に特化しているということ。
以前アインが使っていた槍術とは全く異なる構えだ。
じっと相手が動き出すのを待つ。
相手は獣。であれば、いつまでも固まったままということはできない。
抑えきれない衝動に、獣がアインに襲い掛かる。
獣の突進を迎え撃つような動きを見せ――アインは横に飛んだ。
アインの背後にあったのは大きな木。
勢いそのままに木にぶち当たった獣が驚愕する。
その隙を、アインが逃すはずもなかった。
「もらったッ!」
アインは大きく跳躍すると、獣の頭に飛び乗った。
振り落とそうと暴れられる前に、アインは槍の残骸を振り下ろす。
狙うのは獣の右目。
視界を奪うことで、相手の感覚を狂わせようと考えていた。
力任せに槍の残骸を叩きつけて右目を潰し、アインは即座に飛び退いた。
痛みにもがき、獣が弱々しく声を上げる。
しかし、アインは容赦しない。
弾き飛ばされたもう一方の槍の残骸を素早く回収する。
穂先の部分は無事だったらしく、短槍としてなら戦えそうだった。
アインは牙を剥きだしにして嗤う。
アインは真正面から獣に向かって駆けていく。
獣は右目が潰れている。その状態では、真正面から向かってくるアインの位置も正確に把握することはできないだろう。
アインの読み通り、獣は見当違いの方向に角を突き出した。
隙だらけの獣の懐に潜り込み――心臓めがけて槍を突き上げた。
荒々しい咆哮が森に響き渡る。
それはアインへの怒りか、あるいは死への恐怖か。
それを最後に、獣はぐったりと地に倒れこんだ。
森が再び静寂に包まれる。
多くの命が失われたこの場で、最後に立っていたのはアインだ。
「やった……」
アインは静かに呟く。
しかし、その内では魂が震えるような歓びに浸っていた。
自分は無力な村娘ではない。
魔物を仕留めて生きていく冒険者なのだ。
アインはこの戦いを通じて、ようやく実感を得ることが出来た。