第7話 美咲希と先生
「そういえば、訊きたいことがあったんですよぉ」
ハンドルを切りながら、診助は助手席に座って、窓を見つめ続けている美咲希に声をかけた。その声に美咲希は目線を診助に移す。
「卯城さんって柘榴くんの彼女さんなんですかぁ?」
唐突な質問に驚きの顔を見せる。
「え?なんでそんなことを?」
「いやぁね、柘榴くんがまさか幼気な中学生に手を出すとは思えなくてぇ」
相も変わらず、診助はヘラヘラと笑っている。
「私は柘榴さんの彼女なんかじゃありませんよ」
「あ、やっぱりぃ」
「やっぱり?」
「なんとなくですよぉ。『オトナの勘』ってヤツですよぉ」
「そこは『オンナの勘』では?」
診助は軽く笑うと、大きくハンドルを切った。
「時に、卯城さん」
「はい」
「卯城さんは柘榴くんが食人嗜好者だってことはご存知で?」
美咲希は少し黙る。どう答えるのが正解なのかがわからなかったからだ。そして、やっと出た回答が
「ええ、まあ」
であった。
「どうしてそんな自信なさげなんですか?」
「いや、その……。まさか、先生がご存知だったとは思わなくて」
診助は大声で笑う。
「柘榴くんの性癖を知らずに彼を診るなんて無理ですよぉ」
「そう、ですよね」
「柘榴くんからは他に何か聞いてます?」
「え……他に?」
「えぇ、他に」
「と申しますと……」
「そうですねぇ……例えばぁ」
診助は美咲希の方へ顔を向けるとにんまりと唇を歪める。
「仕事、のこととか」
「仕事のことですか?仕事に関しては収入がいいとだけ。後は普通の人とも馴染めるようにバイトはちょこちょこやってる、とまぁ、これぐらいですけど」
「本当にそれだけですか?」
「本当に、それだけです」
「彼は貴女に昔のこととか話したりしました?」
「いいえ、何も」
「……そうですか」
診助は眼鏡をくいっと上げると重々しく口を開けた。
「貴女は運がいい」
「え?」
「ボクはね、彼の担当医であると共に監視役でもあるんです」
診助の目がスゥッと沈む。空気が冷たくなる。美咲希は息を飲み込む。
「監視役?」
「そう、彼は今とある組織に所属しています」
「……組織?」
「もちろん、輝もです」
「輝……輝って、見目 輝のことですか?」
「ええ。それにボクはその組織の一番の人と友人関係で且つ組織の立ち上げにも手を貸しました」
美咲希は今、死の淵に立たされているのだということに気づく。
「つまり、私は殺されるということですか?」
「いいえ、今は殺しません。ただ、状況次第、ということです」
美咲希はその言葉に安堵することなく、只々『状況次第』の意味を考えていた。
「裏を返せば、いつ殺されるかわからない、ということなんですけどね。それに彼は危険な人だ。それは重々ご存知のはず」
「……」
「彼もいつ殺されるのかわかりません。これは警告です。貴女は彼の傍から離れるべきだ。彼の傍にいるということは必然的に組織とも関わっていかなくちゃならない。だからこそ……」
「わかってます」
美咲希はようやく声を出した。
「わかってます。彼が危険な人だ、ていうことぐらい。わかってるんです」
「いいや、わかってない」
診助は声を荒げた。それでも美咲希は続ける。
「私は彼に復讐を依頼した。あの依頼には組織のことなんて、一切含まれてません。私と彼個人のことなんです。それに……」
美咲希は診助の目の前でリストバンドを外す。白い腕にはくっきりと無数の横線が引かれていた。診助は驚きもせずに見つめる。
「リストカット……ですか」
「私は彼に出会うまでずっと自殺することばかり考えていました。そんな私でも運がいいのか、周りの人たちは必死にココに引き止めてくれていた。それでも、私は死のう死のうとばかり思ってた。だけど、彼と出会って生きる目標ができたんです。だから、私にとって彼は神様みたいな人なんです」
満面の笑みを浮かべながら話す美咲希に診助はふぅと一息吐いた。
「彼は悪魔みたいな人ですよ」
「別にいいんです、それでも。一度は捨てようとしてた命。今は延長戦みたいなもんなんですから」
「ほほう……。つまりはもう貴女は死んだ人間だと?」
診助は鼻で笑う。
「そういうことになりますね」
「そうですか。だったら、責任を持って彼の傍にいてあげてください。彼はああ見えて、結構さみしがり屋なんですよぉ」
そう言うと、診助は困ったように微笑んだ。
「わかりました」
美咲希も笑顔で返す。
「何かあったら、連絡してくださいねぇ。これ、ボクの病院の番号と携帯の番号ですぅ」
美咲希は診助から手渡されたカードをまじまじと見つめる。ごくごく一般的な名刺のようだ。そして、裏返す。そこには黒のボールペンでどこかの住所が乱雑に書かれている。
「……これは?」
「それは柘榴くんや輝くんの仕事先ですよぉ。ま、仕事先と行ってもそこで仕事するわけじゃないんですけどねぇ」
「ありがとうございます」
美咲希は名刺を丁寧に手帳に挟む。
「因みに何かよっぽどのことがあった時のみ足を運んでくださいねぇ。じゃないと、殺されちゃうかもしれませんからぁ」
「もちろんです」
「着きましたよぉ」
すると、自動車はいつの間にか校門近くに止まっていた。美咲希はドアに手をかける。ドアを開けて振り向くと診助はにんまりと口を歪めながら、手を振っていた。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ〜こちらこそ、楽しいドライブでしたよぉ」
「あの、学校終わったらそちらに向かってもよろしいですか?」
「ぜひぜひ」
「すぐに行きますね。今日は本当にありがとうございました。それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
車から降りるとひとつお辞儀をして、美咲希は校舎の方へ駆けていった。
診助はその様子を最後まで見届けると、白衣のポケットから携帯を取り出した。
「あ、もしもし」
電話のようだ。
「藪井です。……彼はビタミン不足と食中毒の症状がでてるだけなので、大丈夫だろう。……ああ、それとね、例の子との接触に成功したよ。……どういう子?そうだね、キミの言うとおり、とっても素直ないい子だったね。処分の必要はなさそうだ。……もちろん、言ってないよ。組織のことはちょっぴり話してみたけどね。……んー、そうだな…そこはなんとも言えないね。ただ、鬼島 柘榴…いや、大和 尚希にとっては相当大切な子みたいだよ。……ははは、キミは本当に意地悪だなぁ。……そういえば、あの子はどうするんだ?…あの子って?ほら、最近、キミがこっそり引き取った子供さ。……ふーん…大変そうだね。……ま、躾けたらどうにでもなるでしょう。なんてたってその子は…ああ、はいはい。わかったよ。ではでは」
携帯をパタリと閉じる。そして、下に向くと診助は身体を震わせる。しかし、しばらくすると口元の手を外し大声で笑い始めた。涙が出そうになっている。ヒーヒー言いながら、笑い声を収めると前を見据えた。
「さてと、これからどうなるのやら…」
そう言って、診助は眼鏡を上げた。