第4話 尚希の日常
コインロッカーからトランクを取り出し、時計を確認する。午前十時十八分。重いスポーツバックが肩に負担をかけているせいでかなり痛くなってきた。待ち合わせ時間よりも十五分前に来てしまったことを今更ながら後悔する。だが、あと数分でやってくるはずだ。
「柘榴、久々だな」
突然の陽気な野太い声に肩を思わずびくつかせた。後ろを振り向く。Tシャツの袖から覗くバランスよく引き締まった筋肉は元軍人であることを物語っている。父は日本人、母はドイツ系アメリカ人のハーフである彼は堀が深くやはり日本人離れしており、身長も高いためよく目立つ。
「よお」
「元気にしてたか」
「まあ」
「荷物は重くないか?」
「そりゃあ、重いよ」
「持ってやろうか」
「よろしく」
「では、行こう」
「ああ」
こうしてふたりは合流すると目的地に向かった。
尚希はため息をついた。家事が日課になりつつあった平和な日常に一件のメールが届いたからだ。差出人は所謂上司。尚希宛の依頼が来たので請けて欲しいとの旨だった。内容が内容なため、一件の仕事につき多額の報酬は手に入る。それが指名されたとなれば尚更だ。それに貯金はまだ充分あり、バイトも続けているとは言え、金は必要不可欠だ。という訳で不本意ながら、仕事を請けることにした。それでも満足が行かなかった。
「なんでお前も一緒なんだよ……ジャック・オーエン」
紺のジャケットのポケットに手を突っ込んでいる尚希は一層機嫌を悪くさせていた。
「仕方がないだろう。ボスの指示なのだから」
ジャックと呼ばれた男は笑い飛ばして尚希の殺気を跳ねのける。
「そういえば、今日の依頼は拷問と聞いたのだが……?」
湿気の強い裏道には人っ子ひとりいない。
「ああ、そうだ。というか、ジャックは『拷問向き』じゃないだろ。なんでお前が?」
尚希は周りを警戒しながら、進みつつ何故ジャックも派遣されたのかが未だに気になるらしい。
「『拷問向き』ではないからだろう」
「ん?どういうことだ。鸚鵡返しのつもりか」
「俺はどう手早く人を殺せるかでしか動けていない。だから、暗殺向きではあるが、拷問には向いていない」
「よくわかってるじゃん」
「きっとボスはこう考えているのだろう。鬼島 柘榴を観察して新しい殺し方を模索しろ、とね」
図体だけは大きいジャックの自慢げな顔にいらつきつつも
「なるほど」
と冷静を装う。
湿気と血生臭さが抜けない仄暗い倉庫内。如何にもな格好の人が数十名。そして、真ん中には意識のないまま座らされている男がひとり。尚希とジャックは足を踏み入れた。数名が銃を構える。尚希は臆せず挨拶をした。
「本日は御指名ありがとうございます。鬼島 柘榴です」
にこりと微笑みつつ、丁寧にお辞儀をすると、奥から依頼者が姿を現した。
「随分とお若い方ですね。本当にお任せしてもよろしいので?」
彼はサングラスを外し、胸ポケットに入れると尚希を頭からつま先まで舐めるように見つめる。
「ええ、こういうことは慣れてますので。それに今日は特別に助手も連れてきています。ね、ジャック」
突然、振られた話題にジャックは戸惑う。
「あ、ああ」
筋肉隆々のジャックを見た男は安堵の表情を浮かべていた。
「それは頼もしい限りだ。よろしく頼む」
「わかりました。まずは依頼内容の確認を改めてさせて頂きます。打ち合わせ通り、あの男性から訊き出す情報はみっつ。一つ目は指示を出しているのは誰か。二つ目が他にあなたの組織との内通者はいるのか。そして、最後は内通者がいた場合、それは誰か。で、よろしいですね?」
重々しい態度で依頼者は頷く。
「そうだ」
「では、始めさせていただきますね」
そう言って、尚希はジャックに黒のスポーツバックを肩から下ろさせた。
尚希は中央にいる下着一枚の男性を見ていた。改めて強く縛るための紐の太さを決めるのだ。その間、ジャックには倉庫の奥にあった大きめの水槽に水を張らせに行かせる。丈夫で彼に合った紐を見つけると、それぞれ彼の手首を椅子の肘掛け部分に、足首は両脚をひとつにまとめて更に強く縛り付ける。そして、大きいスポーツバックから拷問に使うのであろう道具を次々と取り出すと床に敷いたブルーシートの上にひとつずつ並べていく。ジャックが戻ってくる頃には包丁やナイフ、小さめのチェーンソーといった明らかに武器になるものから中にはホチキスや長い釘、トンカチといった日用品が並んでいた。あまりの道具のレパートリーにジャックを始め依頼者や拷問を受ける者までもが息を飲む。そして、最後にトランクを開ける。そこには怪しげな機械が入っていた。
「これはなんだ?」
ジャックはそう言いながら、触れようと手を伸ばすと尚希の手に弾かれる。
「コンセントの位置は?」
その質問に依頼者が答える。
「確かに電気は来ているが、使い物になるかどうか……」
「じゃあ、発電機は?」
「あるよ、ほらここに」
依頼者が指さした先には埃は被っているものの確かにあった。
「お借りしますね」
発電機を手に入れた尚希はジャックに指示を出した。
「ジャック、発電機を頼む」
「わかった」
ジャックが発電機を動かしている間、尚希は水の張った水槽に粉状の何かを入れると拷問を受ける男の足を入れた。そこで初めて男は小さく口を開いた。
「ど、どうするつもりだ」
男に合わせて尚希も小声で答えた。
「拷問に決まってる」
「金ならいくらでもある。だから、助けてくれ」
「こっちだって金を積まれてここに来てる。それは無理な話だよ」
「そうか…」
「死にたくなければ、今のうちに話すべきだ」
「それは無理だ」
「わかった」
そして、尚希は満面の笑みを浮かべた。
「俺は自白剤なんてものを使うのは嫌いなんだ。存分に苦しませてやるから、楽しみにしておけよ」
「おい、柘榴。出来たぞ。これで当分はもつだろう」
ジャックのその声を合図に尚希は男の口をガムテープで塞ぎ、コードにつながった大きなクリップを男の足の親指と人差し指の間に挟む。尚希はコードの先にあるコントローラーのような機械を少し弄った。その瞬間、男は小さく悲鳴を上げた。徐々にコントローラーに取り付けられたバーを上げる。それに合わせ、男も震えを激しくさせる。しばらく経ってから、バーを元に戻した。男はぐったりと頭を垂らしている。尚希は男のガムテープを勢いよく外す。
「お前に指示を出していたのは誰だ?」
尚希の質問に男は口を噤む。
「もう一度訊く。誰だ」
男は震えながら、ゆっくりと口を開く。
「お、教える……もんか」
そう声を絞り出すと脂汗と共ににんまりと笑みを歪める。
「そうかそうか」
笑みを浮かべながら尚希は返答すると、ブルーシートの上を舐めるように見つめる。
「右利き?それとも左利き?」
男はその質問が自分に向けられていると知らずに首を傾げる。
「そこのお前だよ。ねぇ、右利き?左利き?」
「右だ。右利きだ」
「ふーん、そっか」
そして、徐ろに肉切包丁を手に取る。酷く冷たい表情でそれを見つめる。しかし、頬は紅潮しているようだ。場に似つかわしくない雰囲気を醸し出していた。
「ジャック、手首を押さえろ。右だ」
その指示にジャックは応える。男はこれから先の未来に思わず背筋がゾワリと逆立った。
「まさか…おい、やめてくれ…頼む…」
男の瞳には涙が浮かんでいる。
「やめてほしいなら、早く言わなくちゃ、ねェ」
興奮しながら尚希は包丁を勢いよく振り下ろす。その勢いに合わせて、男の親指は無残にも床に落ちた。男は歯を食いしばりながら、大粒の涙を流し始めた。肘掛けに刺さった肉切り包丁をそのままにし、尚希は親指を拾い上げる。
「男の肉は食べない主義なんだよねェ……。硬いし、不味いし、愛しがいもないし。ま、だからと言って絶対に食べないって訳じゃないからね。安心してよ。美味しく食べてあげるからさ」
そう言って、指を口に含み、飲み込む。その異様な光景に誰もが息を飲み、目を見開いた。一方、男はもう一生戻ることのない指の末路に絶望していた。ジャックも断面図をじっと眺めている。
「やはり大量に血は出ないな」
「そりゃ、指には大きな血管がないからね」
肉切包丁をもう一度手に取った尚希は血が付着した部分をゆっくりと指でなぞる。そしてその指を舐める。それを凝視するジャックは唾を飲み込む。
「手首を切ってはダメなのか?」
「だから、お前は『拷問向き』じゃないんだよ」
「……そうか」
明らかに残念そうな顔をするジャックが哀れに思った。
「手首を切るときはお前も手伝わせてやるよ」
「うむ。わかった」
男の方に尚希が向きなおると、すっかり青ざめている男は子鹿のように震えていた。
「話す…話すよ。だから、これ以上は…」
その言葉に尚希は怒鳴りつける。
「はぁ?まだまだこれからでしょ。もっともっと見せろよ。こちとら、腹が減って腹が減って仕方ないのにさ」
「へっ……?!」
戸惑う男を他所に尚希はジャックに右手首を押さえさせると、また肉切包丁を振り下ろした。今度は人差し指がポロリと地面に落ちる。尚希はそれを拾い上げ、男の口に突っ込む。男ははらはらと涙を静かに流すだけであった。
「どう?自分の指の味は」
しかし、男は無言を通す。
「なに?食べないの?食べてみなよ。案外、イケるかもよ?ほら、口動かせよ!ほら!!」
そう言いながら、尚希は男の頬を何度も平手打ちする。その内、男は泣きながら少しずつ咀嚼し始めた。それを見て、満足そうに微笑む。
「そうそう。そうやって、素直に食えばいいんだよ。お味はどう?あ、骨と爪は口から出していいからね」
男は嗚咽を交えて答える。
「ほいひい……れ、ふ」
「それはよかった」
そして、尚希は所々錆び付いたパイプ椅子を奥から引きずり出すと男の横に置き、どかりち座った。
「君はヒトの肉を食べた。これってどういうことかわかる?」
「ふぁはひはへん」
「もう君は俺と同じ。人を食うバケモンになったってことさ」
男は骨を器用に吐き出すと、口に残った肉を飲み込む。
「えっ…」
「ま、比喩みたいなもんだから気にしなくていいんだけどさ。とにかく君の立場はもうここにない。さっさとブチまけちゃえよ。そしたら、俺が君の居場所を作ってやるよ。な?」
ぼやける目で男は周囲をぐるりと見渡す。依頼者に尚希とジャック以外のその他の者までが男に対して、不気味で気持ち悪い化物を見ているかのような目線に男はようやく気づく。
「……わかった。全部話す」
そう言って、男はぽつりぽつりと吐露し始めた。
尚希は額の汗を手首の裾で拭う。倉庫には尚希とジャックのふたりしかいない。報酬はしっかりと手に入れることができた。先ほどからジャックは拷問に使用された道具を手入れしたり、片づけたりと忙しなく動いている。尚希は丁寧に男の死体を切り分けながら、少しずつ口に運び続ける。粗方の作業を終えたジャックは声をかける。
「なんだか、可哀想なことをしてしまったな」
尚希は手を止めると首を傾げた。
「ん?何が」
「さっき仲間にするとかなんとか言っていたじゃないか」
それを尚希は鼻で笑った。
「別に仲間にするとは言っていないし、男の方は殺すっていうのが報酬のひとつだったろう」
「いや、『殺せ』とは言われてない。ただ『拷問が終わったら、何をしても構わない』だ。これだったら、無理に殺さなくても……」
「どっちにしろ、腹も減ってたんだ。食われて当然だろ。それにお前も少なからず、興奮しただろ?よかったじゃねェか。なァ?血液嗜好者さん」
その言葉にジャックは黙りこくった。しばらく経つと、尚希が声をかける。
「そうだ。ひとつ訊いてもいいか」
「なんだ」
「お前の古い知り合いかなんかで、お前のように殺人鬼に成り果てた奴っているか」
「成り果てたって…」
ジャックは明らかに嫌そうな顔を見せる。
「成り果ててるだろ」
「まぁ、そうだが……。そうだな……よくは知らないな」
「血の入った瓶がうちに数十本ある。それを数本分けてやるからさ、調べて欲しいんだ」
しばらく沈黙が続いたが、ジャックはゆったりと唇を歪めた。
「わかった。ただし、瓶は数本で足りると思うなよ?」
尚希は彼の働きに応じては出需品の瓶が消えていってしまうことに気づくと今更ながら後悔せざるをえなかった。