Ⅲ
俺の目の前に広がるのは赤黒い液体。そして、その真ん中には、黒髪黒眼の少年、今なら、分かる。黒犬だ。そして、彼の胸の中にいるのは、背中には不自然な形で翼が生えているが、青い髪と青い目が印象的なあの子。
『青い鳥、青い鳥、お願いだから、置いて逝かないでくれ!!』
彼はあの子にそう叫ぶが、あの子は目を開けない。あの子は動かない。あの子は喋らない。
『………どうして、どうして、あいつが死ななくちゃならないんだ?何で、あいつがこんな目に遭わなくちゃならないんだ?あいつはまだ幸せを運び足らないのに……。あいつ自身が幸せじゃないのに』
彼の瞳には憎悪と憎しみが宿る。
『こんな世界、認めるか!認めてたまるか!!』
彼の周りに、突風が吹き荒れる。
『こいつにこんな目にあわせた奴を殺してやる。壊してやる』
彼の瞳に青髪赤目の人物が入る。
『………君の気が済むのなら、俺を殺せばいい』
その人物はそう言うと、彼はその人物に幾数の光の矢を叩きこむ。すると、その人物は抵抗せずに地面に倒れる。
だけど、彼の憎しみは晴れない。晴れないどころか、憎しみが深まる。
『青い鳥、お前を殺した元凶を殺したのに。まだ空っぽのままだ。俺はどうすればいい』
彼はそう呟くが、誰も答えてくれない。
『俺はこの後、どうすればいい?教えてくれ、青い鳥』
***
今と変わらない村の景色。いつもと同じように、虐められている俺。身体が弱かった。力も弱かった。だから、村の子供達に苛められていた。
大人の助けを呼ぶのは情けなくて、恥ずかしくて、ただ耐えるしかなかった。
そんな時、声を掛けたのはあいつだった。あいつは絵本の中のヒーローみたいに見えた。
俺がありがとうと言うと、あいつは言った。困っている人がいれば、助けるのは当たり前だと。
何故か、俺はその言葉が嬉しかった。俺を助けてくれる人は誰もいなかったから。俺を助けてくれる人はいるんだ。それがとても嬉しかった。
『………俺はここまでだ。後は一人でブラウンさんの所に行けるな?』
男性の声が聴こえる。だけど、どんな人だったか、思い出せない。一つ分かることは聞いたことのある声だった。この声は聞いたことはある。だけど、誰だったか。思い出せない。
『はい。大丈夫です。ありがとうございます』
青い鳥がその人物にお礼を言う。
『別に構わない。俺が出来るのはこれくらいだからな。この子が迷惑を掛けると思うが、仲良くしてくれ』
その人物は俺を見て、それだけを言うと、この場から離れていってしまった。
『あの人、君の知り合い?』
俺があいつにそう尋ねると、
『お父さんとお母さんの知り合いだそうです。お父さんとお母さんは事情があって、私を育てなくなってしまったようなので、この村にいるおじさんのところに来ました。お父さんとお母さんは連れていけないそうなので、代わりに連れてきてくれました』
『そうなんだ。ブラウンさんの家だったけ?僕、外には出ないから、よく分からないんだよね。そうだ。お父さんに聞けばわかるかも。お父さんの所に連れて行ってあげる』
俺はあいつの手を引き、親父のところに行こうとする。
―起きて、起きてってば―
その声で、俺の頭は覚醒する。何事だ。
―何事じゃないよ。アルの様子がおかしいんだ。起こした方がいいみたい。彼の付添い人もそう言っている―
アルの様子がおかしい?それに、付添い人って……。俺は眠り眼を擦りながら、ベッドから起きようとすると、目の前に何かいた。もやもやとした何か。ある部分だけぼやけている。何がいるんだ?
俺は完全に目を開けると、半透明の男がいた。足はない。実態はない。ソレは俺と目が合うと、ニコリと笑った。その笑顔はぎこちない。と言うか、貴方は誰?実体はないし、足がないと言えば、幽霊?幽霊!?
「ぎゃああああああ」
俺の叫びは部屋中響いたのは言うまでもない。
「アルさん、この方は一体誰でしょうか?」
あの後、魔法を解いて、アルを起こすと、彼は首にしている何かを掴んでいた。大切なものなのだろうか?そう思っていると、彼は目を擦って、ニコニコ笑顔で「お早う」と言ってくる。今はそんなこと、どうでもいいので、彼を正座させて、半透明でふよふよと浮いているソレを指す。
「シロちゃんのこと?聖焔から借りてきた精霊君だよ」
どうやら、ソレは幽霊ではなく、聖焔さんとやらが作った人工精霊らしい。俺は聖焔さんとやらと面識がないので、何とも言うことができないが、聖焔の技術力もしくは、教会の技術力は凄すぎる。
どれほど凄いかと言うと、裏の人間には何もできないことがないと思えてしまうほどだ。
「まあ、その精霊さんのことは放っておこう」
どうやって、人工精霊を作ったのか大いに興味はあるが、その本人がいない今は聞けない。
「うなされていたようだが、お望みの夢は見れたのか?」
アルのご要望で、夢を見れるようにはしたが、それが悪夢だったのであれば、改善しなければならない。その為にはどんな夢がアウトなのか知らなければならない。
「うん。それでオッケー。僕の見る夢は良くない夢ばかりだから、うなされるのは結構あるから、気にしなくてもいいよ」
アルはそう言うが、良くない夢ばかり見ていいわけがない。
「やっぱり、夢をみないように施そうか?」
俺がそう提案すると、アルは首を横に振る。
「このままでいいよ。どんな夢であっても、俺は見なくてはいけないから」
俺が夢を見て、たくさんの人が救えるのなら、それでいいんだ、とアルは言う。彼が言いたいことはよく分からない。だけど、もしかしたら、彼の夢と執行者であることが関係あるのなら、俺が口出しすることではないのかもしれない。
「それよりも、その魔法って、凄いね。もしかして、あの魔法って、断罪天使や鏡の中の支配者が言っていた魔法?」
術者の思う通りになるって言う奴?と、アルは言う。
「それは秘密と言っておく」
詳しいことを言うと、時間がいくらあっても足りないし、こう言った魔法は無暗に明かすものではない。俺の十八番と言える魔法は特に。
「酷いな。俺はそれを知ったところで、使えないのに」
アルは不満そうに言う。アルがニコニコ笑顔以外の表情を見るのは初めてかもしれない。いつもは大人びたように見えるが、その表情は年齢相応の表情に見える。
「なら、アルケーの秘密と引き換え」
それなら、教えなくもない。
「黒犬はケチだね」
「魔法使いは自分のことを知られてはいけないんだよ。俺の師匠曰く、自分の得意魔法を知られるのは三流魔法使いの証だそうだ」
俺からすれば、三流魔法使いだからこそ、得意魔法を隠すのではないかと思う。本当の一流魔法使いの魔法は分かっても、真似できないのだから。俺は黒龍さんの召喚獣を見たことがあるが、それを召喚できるとは思えないし、鏡の中の支配者の空間支配もできるはずがない。紅蓮さんは炎精さんだから、炎の魔法陣破棄できるが、断罪天使に至っては魔法陣破棄の原理が不明だ。
俺の魔法は考え方が一捻りされているだけなので、考え方さえ分かれば誰にだってできる。
もしこの魔法が聖焔とやらに知られたら、簡単に使われてしまうだろう。それは魔法使いとしては悔しいことである。
「仕方ないな。黒犬よりお兄さんである俺がひいてあげよう」
「いやいや。大人だったら、そもそもそんなこと聞かないからな」
大人と言うのなら、もう少し俺の心情を察して欲しい。
「なら、お詫びに、人工精霊の話をするのはどうかな?」
「それなら、さっきの奴はちゃらにする」
魔法使いと言うのは知的好奇心の塊だ。プライドと知的好奇心を天秤にかけたら、知的好奇心の方が勝つ。
「聖焔の精霊さんはシロちゃん以外に、クロちゃん、コウちゃん、ソウちゃん、リョクちゃん、オウちゃんがいます。聖焔は使用用途によって使い分けているみたい」
「そりゃあ凄い」
6体も人工精霊がいるとは驚きだ。是非とも、彼らの生態を観察したい。
「ただし、本物の精霊と違って、不安定みたいで、実体を持てないそうで、触ることはできない。それで、話もできない。ただし、言葉は理解できるみたいで、命令には忠実なんだって」
「それはいい」
俺のところにいる精霊さんは触れて、言葉が話せるが、気まぐれで、飯と睡眠しか頭にない。命令したとしても、文句を垂れる。出来ることなら、その精霊さん達のように、契約者に忠実であって欲しい。
―君、僕に不満?そんなに、実体のない精霊がいいのなら、毎朝、君の枕上にいようか?―
スノウはそう言ってくる。ブタとウサギの合いの子が半透明の姿で、俺の枕下にいるところを想像してみる。シロちゃんは怖かったが、ファンシーな幽霊だったら、平気だ。
「後で、青い鳥に教えてやるか」
青い鳥にそれを言ったら、カメラを持って、早朝、俺の部屋に突撃してくることだろう。スノウIN幽霊バージョンが写真に映るかは謎だが。
―ブー。黒犬の馬鹿―
スノウは俺の視界から姿を消す。機嫌を損ねて、森の中に帰ってしまったのかもしれない。あいつはケーキを差し出せば、すぐに機嫌を直すので、心配はないだろう。
「その精霊は具体的にどんなことができるのか?」
人工精霊と本物の精霊の違いがあるのだろうか?スノウは格が違うと言っていたが、どう違うのか知りたいものだ。
「さあ?そこは俺も分からない。俺は聖焔が精霊達を使っているところなんて見たことないからね。そもそも、聖焔が第一線に出ることが珍しいから」
執行者のトップが前線に出てくることなどないようだ。と言うことは、実力は未知数。
「それで、精霊達によって、好みがあるんだ。シロちゃんは可愛い男の子が好きなんだよ。トニーがお気に入り何だって。あと、黒犬も気に入ったみたい」
アルがそう言うと、シロちゃんはアルの後ろに隠れて、照れているような仕草をする。俺は精霊の好みなんて興味はない。俺がその精霊さん達の好みを把握しても、あまり意味をなさない。だが、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がする。
「……アルさん、その方、男の方ですよね?」
基本的、精霊には性別はないらしい。スノウは一応、オスと自称しているらしいが、生殖機能などあるはずがないので、そこは重要視していないようだ。だが、目の前にいるシロちゃんは見た目、男性だ。
「聖焔の話だと、シロちゃんは男性みたいだね。女の子には眼中にない同性主義者だって」
アルがそう言うと、シロちゃんは俺にウインクをしてくる。その瞬間、全身の鳥肌が立つ。
「聖焔さんに言え。変な性格設定するなって」
俺の周りはどうして可笑しな連中ばかりいるんだ?ここで、俺は宣言する。俺は異性主義者だ。同性主義者ではない。
「そう言われてもね。彼の思考はあまり理解できないし、頑固だから、言っても無駄だと思う。それに、シロちゃんもこのままでいいって言っているよ」
シロちゃんは音もなく俺に近づく。
「シロちゃんが良くても、俺は良くない」
来るな、と手でジェスチャーするが、シロちゃんは距離を縮めてくる。その瞬間、手に何かがぶつかる。
「ん?」
俺の近くに障害物なんてあるはずがない。近くを見てみると、床には白い物体が転がっている。間違いなく、スノウである。
「………お前、そんなところで何しているんだ?」
お前は森に帰って、拗ねていると思ったが。
―黒犬をおどかそうと思って、背後から忍び込もうと思ったのに、何でわかったの―
スノウは涙を浮かべながら、そんなことを言ってくる。スノウの姿で怖くないと言われたから、俺を怖がらそうとしていたのか。何とも、単純な発想だ。
「お前はお前のままでいいんだ」
お前は我が家のマスコットのままでいい。変な設定など、お前に必要ない。睡眠欲と食欲の権化で、気まぐれで、奇妙な恰好した精霊さんでも、命令に忠実でも同性大好きな精霊さんよりよっぽどましだ。
スノウを抱いてやると、スノウは何故かニヤリと笑う。すると、何故か、シロちゃんは寂しそうな様子を浮かべる。
「負けちゃったね、シロちゃん。でも、大丈夫。俺と聖焔はシロちゃんの味方だから」
アルはシロちゃんを慰めている。
「お腹すきました。早くご飯を作って下さい」
ペコペコです、と青い鳥が俺の部屋に入ってくる。それなら、自分で作れ。お前は自分の分の料理くらいは作れるだろうが。
「………そんな時間か」
青い鳥のお腹事情はとにかく、そろそろ、朝食を作らなくちゃならないな。お袋は料理に関しては半ば放棄しているので、俺が作らないと、弟達はいつまで経っても、食事にありつけない。
「そうです。カニスもお腹すき過ぎて、死にかけています」
リビングで倒れています、とこいつは言う。
カニスとはたまに遊びに来るアッシュブロンドの青年だ。実は紅蓮さんと同じ、世界からの贈り物と呼ばれる神子の一人、風精である。娼婦館の件で知り合い、教会に保護されている。戦闘能力は非常に高いが、生活能力は皆無である。箱入り息子なので、仕方がない。彼は獣の王と言われた狼王の末裔でもあるので、銀色狼に変身することができる(前は満月の時しか変身できなかったが、今は自分の意思によって変身することができるらしい。その為、青い鳥に変身するように強要されているらしい)。
「遊びに来たのか?」
最近、教会もカニスの監視を緩めたようで、遊びに来る回数は増えてきた。だが、何故、カニスは餓死しそうになっている?
「はい。断罪天使も一緒です。彼はピンピンとしています。弟さん達と遊んでいます」
カニスが我が家に遊びに来る時は断罪天使がもれなく付いてきてくれる。その時、青い鳥の友人である再生人形のお手紙も一緒に持ってきてくれる。執行者の中で、良識人と言える(苦労人とも言えるかもしれないが)。
「断罪天使がいるの?一カ月ぶりだね」
アルはそんなことを言ってくる。執行者同士、あまり顔を合わせることをしないのだろうか?
そんなことを思いながら、階段を降りていくと、断罪天使と弟達が遊んでいる。
「断罪天使、ヴェスタ祭以来だな」
2カ月ぶりである。あの後、東陣共和国に行ったり、西方の都市へ行ったりとしていたので、断罪天使とは入れ違いになることがあった(その度、弟達と遊んでくれたようだ。その時、ハクとも遊んでくれたようで、太陽みたいなお兄さんと遊んでもらったと言っていた)。
「………黒犬か。久しぶりだな。アルも久しぶりだな」
断罪天使は俺達に気づいて、そんなことを言ってくる。
「その横にいる人は風精?初めて見た」
アルは断罪天使の横で倒れているカニスを興味深そうに見る。初対面なのか?確か、カニスが教会に来てから結構経つはずだが。
「カニス、生きているか?」
俺は声を掛けると、カニスはビクッと反応する。
「ここは何処だ?帝王は?」
カニスは挙動不審の行動を見せながら、周りを見る。何で、そこで帝王が出てくるんだ?
「………ここは黒犬の家だ。帝王とは王都で別れただろう」
断罪天使はそんなことを言ってくる。帝王は王都までお見送りでもしたのだろうか?それにしては、カニスは怯えているが。
「俺は帝王の魔の手から逃れられたのか。死ぬかと思った」
生きているって、素晴らしい、とカニスは真剣な表情でそんなことを言う。
「………あんたと帝王は何をしていたんだ?」
どうしたら、そんな状況に発展する?
「………カニスの想い人が帝王にばれて、王都まで鬼ごっこをしていたな」
カニスの代わりに、断罪天使が答えてくれる。
「なるほど」
そう言うことか。帝王は競争相手を減らす為に、殺そうとしていたわけか(と言っても、執行者が神子を殺すことはないはずだから、脅迫するくらいだったと思うが)。何とも、過激な行動をするものだ。とは言え、もしかしなくても、帝王とカニスの鬼ごっこの原因を作ったのは俺だよな?
「カニスや帝王に想い人がいたのですか?それは応援しなければなりません。ですが、彼らに想われるとはその人は罪深き人です」
彼らの鬼ごっこの元凶であり、罪深き人である青い鳥さんはそんなことを言ってくる。この事実を知ったら、青い鳥は喜びそうだが、そうすると、余計な混乱を招きそうなので、黙っていた方が賢明だろう。
「うんうん。そうだね。でも、案外、想い人は気付いてないものだよ。言われて初めて気付くんだよ」
アルはそんなことを言ってくる。それには同意だ。現に、帝王やカニスが争奪戦を繰り広げている想い人は他人事のように話しているのだから。
「それは言えているかもしれません。私がここまで思っているのに、彼は私の想いに気づいてくれません」
青い鳥はそんなことを言ってくる。ちょっと待て。その人物は俺か?
「………帝王、聴こえているか?どうやら、互いに潰し合っている状況ではないようだ。黒犬をいち早く暗殺すべきだ」
カニスはと言うと、ブツブツ話している。それって、執行者どうしが連絡をとる例の通信?カニスは風精だよな?
「カニスには万が一があった時のために、聖焔が執行者と連絡を取れるよう、魔法具を渡していた」
断罪天使が親切にも教えてくれる。カニス、今は万が一の時じゃありませんよね!?
「ちょっと待って下さい。俺は白です。青い鳥の妄言に振り回されないで下さい」
あんたらみたいな超人を敵に回したら、俺みたいな一般人は死ぬ。
「妄言とは酷いです。私はいつも大真面目です」
「………コンビクトで磔の刑にする?それをする前に、逃げられる。睡眠中に暗殺をした方が確実だと思う」
「だから、俺の暗殺計画を話し合うのはやめて下さい!!」
俺は何も悪いことをしていない。なのに、何故、こんな目に逢う?
「兄ちゃん、朝食まだ?」
「おなかすいた」
この状況をいまいち呑み込めていない弟達はそんなことを言ってくる。
「………朝食はまだなのか?」
親父は机の上を見ながら、リビングに入ってくる。
どいつも、こいつも、俺のことよりもご飯ですか。コンチクショウ。