彼女は災厄 俺は勇者
短編『彼は勇者 私は災厄』とストーリーが繋がっております。
俺たちは〝災厄〟の目撃情報を追いながら、南下して旅を続けていた。
ロイヒェンという亜熱帯地方にある国から拠点となっているリリースェナに戻ること数日。その頃から特に災厄は姿を表すようになったという。
災厄とは、ひとたび歩めば大地を痛め、ひとたび歌えばどこかで人が死ぬ。悲哀しか写さない瞳は憂いた精霊が月の雫を垂らして黄金色に染め上げ、虚無で埋め尽くされた心は髪から色を無くしてしまったという物語がある。
子供が悪さをする時、この世界の大人たちは災厄を引き合いに出して咎める。災厄とは禍であり、憎悪の象徴であった。
「聞き込みに行っていたベルノルトとルナルが戻って来た。買い出し組はそのまま宿へと行くのだそうだ。我々は先に鍛冶屋へ行こう」
長い耳をひくりとさせ、フェルシスは弓を肩へかけ直した。俺がろくに返事を返さない事は周知の事実なので、エルフ族の男はすぐに背を向け歩き出した。
この男は特に災厄に強い怨みを持っていた。それこそ、男の前でその名前を出す事すら憚られる程に。だから災厄に関する聞き込みはフェルシスと、誰とも口を利かない俺以外の五人が行っていた。
今ある情報は目撃されている災厄は小柄な女であり、長い白髪に金色の瞳で微笑むのだと皆が口を揃えて言った。中には逃げる姿を追いかけた者もいるようだが、次の瞬間には忽然と消失しているのだそうだ。
では、今目の前に居るものは何なのか。
俺が腰かけていた街の広場の中心の噴水台。そこに此方を見つめる小さな存在があった。
「レイジ、何をしている。早く行くぞ」
真っ白い体毛に覆われた小鳥が小さく首を傾げた。黄金色の瞳を瞬かせ、空へと飛び立って行った。
幸せであった日常が覆ったのは、日差しが眩しい初夏の事だった。陽の光を浴びて強く輝く海のさざ波と、突如地面に現れたうねる黒い空洞の対比は今でも鮮明に思い出せた。
底に空いた暗闇は恋人を一飲みした。手を伸ばしたが、彼女の身体は闇に包まれ直ぐに見えなくなってしまった。
彼女の名前を叫んでも穴は俺の声すらも吸収していく。自分も後を追うため脚に力を入れたその時、中から無数の黄土色の腕が伸びてきて俺の全身のいたる箇所を拘束した。
これは違う。彼女が落ちた先と違う場所に繋がっている。
振りほどく為にもがいたが、圧倒的な力は俺を暗闇へと引きずり込んだ。
闇が開けた先は、重厚で異国感ある白亜の広間のようであった。床には幾重にも重なった幾何学模様と文字らしきものが自分を中心に円になるように描かれていた。
一通り視線を巡らすと、一人の男が驚いたように此方を見ていた。慌てて出て行ったローブの男は、学者風の男と他に幾人かの騎士を引き連れて広間へと流れ込んできた。
その言語は全く理解出来なかった。しかし柔和な笑顔を貼り付けた学者風の男の様子から、黄土色の腕の正体はこいつらだという事は直ぐに飲み込めた。こちらを懐柔しようとする姿は俺の心を逆撫でした。
俺は彼女は何処かと詰め寄る。最初は狼狽える彼等だったが、俺の激昂が収まらないと分かるや否や拘束するべく手段を切り替えてきた。
抵抗し、叫べば騎士3人が吹き飛んだ。その様子に俺に動揺が生まれた一瞬の隙をついて見えない力は身体を拘束した。徐々に意識が薄れる中彼女の事ばかりを考えていた。
次に目を覚ました時は、薄暗く冷たい牢の中だった。狭い格子窓から覗く月は、地球ではあり得ない程に大きかった。
未知の力の存在を目の当たりにして、ここが地球ではない別の世界だという事は理解できた。感覚を思い出しながら自分にも宿っている力を引き出すと、難なく拘束は外れ、牢も呆気なく開かれた。
そこへ異常に気付いた騎士たちが集まる。身構えていない者は次々に蹴散らし、近くに投げ出されていた剣を拾う。陣形を整えて攻撃してくる騎士たちには、経験の違いから防御に徹するしかなかった。そこに魔術師が加われば素人に争う術はない。
力にねじ伏せられ、俺はこの時熱した鉄を胸に打ち込まれた。
奴隷の刻印の効果は絶大だった。人間に対して刃となる力を向けても発動せず、抗おうにも体は思うように動かなかった。
手足を呪詛が込められた鎖で繋がれ、獣の様に唸る俺は言葉を解する腕輪を嵌められた。腕輪はぴったり張り付き、肉を抉るように指を掛けたが外れる気配はなかった。
この国の王と重役たちに無理矢理会わされた時は嫌悪で吐き気が込み上げた。言葉はお互い通じている筈なのに、その思想は何処までも相容れず、会話として成り立ってはいなかった。
そこで分かった事は、奴隷の刻印によりこの世界の人間、強いてはリリースェナ国の主だたる人物を俺は害する事が出来なくなった。それと、日本への帰還方法は世界の何処かにいる魔王のみぞ知るという事だ。過去の勇者は魔王討伐後、魔王の亡骸が消え逝くと共に元の世界に帰っていったという。
魔王とは長い年月を経て現れ、魔物を生み、人間を害する。自然や動物たちも徐々に生気を無くし世界を崩壊に導くのだという。俺が呼ばれた理由は、聖剣を使い魔王を伐ち世界を元に戻すことであると語られた。
同じくこの世界に落ちた彼女については、魔王討伐と並行して使命に支障が無い範囲内であれば探しても良いという。つまり、魔王討伐を完遂させなければ帰還できないどころか、使命を放棄すれば最悪俺は処分され、彼女は終ぞ取り残される事になる。
この世界は、彼女の存在を人質とした。
最初の一年弱は血を吐く思いで訓練に徹した。
俺の力は対魔物であればこの上ない程無敵であった。まずは制御を覚える事から始まり、今では針穴に糸を通すようにコントロール出来るようになった。
魔王討伐には俺の他に6人の勇士がいた。個々に実力者であり彼らの戦う姿は圧巻であった。今でも一人も欠けず、魔王討伐の道を共に歩んでいる。
しかしパーティーの大半は俺に不満を募らせていた。
出会ってからの一度も、挨拶すら交わす事のない俺は口無しと呼ばれた。構わなかった。この世界は余りに身勝手で、傲慢で、悲痛を叫んだって誰一人にも届かないのだから。
だから口を開く事は止めた。ただ一刻も早く彼女を見つけ、全てが終わればいいと思っていた。
放っておいてくれれば良かった。しかし中には、必要以上に絡んでくる奴らもいた。
「黒の英雄サマは気楽なもんだよな。面倒ごとは全部こっちに押し付けて、自分はブラブラ街を探索ってか」
フェルシスと共に宿へと戻ってきた俺を待っていたのはこの一言であった。
唾を吐き捨て、忌々しげに口を歪めるのはリリースェナの隣国出身のヴァルフレーダという男だ。褐色の肌と鈍色の短髪は、この世界最強の戦闘民族の特徴だという。
短気で自己中心的なこの男は何かにつけ俺に絡み、無視すれば更に噛み付くはた迷惑な男でもあった。
「我々は鍛冶屋に行くと言ってあったであろう。全くお前は、」
「ちょっとヴァル!いつもいつもレイジさんに対して突っかかってばっかり!」
不愉快そうに言葉を紡ぐフェルシスの横で女は声を荒げた。青い瞳はヴァルフレーダを射貫き、口を開けば金色の髪が波打った。
「もうっ、子供っぽい!」
「ローレア!待てって!」
白い外装を翻し自身の部屋へ戻ろうとする彼女を、ヴァルフレーダは慌てて追いかけて行った。
「レイジ」
声の方を振り向けば、食堂のテーブルの一席にこちらに手を振る姿があった。
すでにフェルシスは椅子に腰掛けるところであり、自分も習って早い夕食を囲んだ。
「早速〝災厄〟の情報だが、このまま南下した先のグルドの町で見たものがいたらしい」
一応のリーダーである男・ベルノルトは俺たちの顔を順番に見て言った。フェルシスの眉が僅かに動いたが、それ以降は淡々と夕食を口に運んでいた。
カラン。
グラスの氷を弄ぶのは、ギルドのSSランク登録者であるルナルだ。しなやかなで細い腕はグラスを揺らす。彼女はその実、隠密を得意とし世界の情勢にも精通していた。
「このまま行けばシュテートね」
続けて彼女は口を開く。
《シュテート》
それは国では無く地域を示す名称。どの国も所有権を持たない特殊な場所であり、不可侵の領域であった。
理由はその劣悪な環境と、二代前の魔王が住み着いていた地であるからだった。魔王としては珍しく根城を築き、そこに〝災厄〟と共に住んでいたという。
シュテートには季節など無く一年中雪が吹雪いている。極寒の地は生き物を排除し、酔狂な者ですら寄り付くものなどいなかった。
語る彼女は一つ欠伸をもらした。
話を聞き終わり、ベルノルトはその武骨な腕を組み直し溜息を吐き出す。なんと無く予想はついていた様で、これから先を思案し眉間を揉んでいる。
「過去の歴史と同じであれば、魔王の傍に災厄がいる可能性は高いだろう。とにかく今は災厄の痕跡を辿り、魔王の元へたどり着く事だ」
一番騒がしい二人が居ない夕飯はあっという間に終わった。
先に食べ終わったベルノルトが立ち上がった所で、俺はどうしても気になる事を口にしていた。
「災厄とは人間の姿以外のものもいるのか?」
驚いたように四人はこちらを見返した。
最初は誰が言葉を発したのか分からなかったようで、俺だと分かるや否や皆一同に幽霊でも見た様な何とも形容し難い表情をしていた。
「……いや、私は聞いたことがないな……。どの歴史の上でも災厄は人型であり、白と金の色彩は災厄のものだけであった筈……」
ルナルの答えを聞き、俺はそのまま席を立った。
彼らの横を通り過ぎざま、「喋れたんだな……あんた」という陰気な魔法使いの男の言葉が俺の背中へと注がれた。
決して順調とは言い難い旅は、確実に魔王の元へ近づいている様だった。訪れる村や町は回を重ねる毎にその衰退は増していった。
旅する時間に比例して、ヴァルフレーダと俺との間の険悪さは酷くなっていった。一方的に彼が俺を嫌悪しているだけなのだが、俺の態度がヴァルフレーダの苛立ちを助長させていた。
理由は明白だった。俺が何の為に魔王討伐に出ているか知らない彼らの目には、恋人を探す為に時折行方をくらます俺の姿は怠慢にしか映らなかった。協調性の無い者はどの世界でも厄介者なのだ。
それに加え、ヴァルフレーダの好きな女がやたら滅多俺に構うのも気に入らない要因の一つのようだった。
「レイジさん、よく見てみるとこの森所々に貴重な薬草が生えてるんです。あっちの開けた所とか沢山ありそうですよ。一緒に探しましょう!」
半ば強引に腕を引かれる俺は彼女の金色の髪が揺らめく後頭部を見つめた。
続いて後ろを振り返れば、鬼の形相をしたヴァルフレーダを深緑のローブを纏った魔法使いが宥めていた。
ローレアという女は、このパーティーの守備を担当する魔法使いであった。もう一人の魔法使いの男は攻撃魔法を扱うのに対し、ローレアは一国を丸々護れる程のシールドを張ることが出来るのだという。
彼女ははきはき物を言い、誰に対しても明るく接した。徐々に瘴気に犯されてゆく世界を旅する中、目を覆いたくなるような場面に出くわした事も少なくはない。そんな中、彼女は挫けても何度も立ち上がった。そしてみんなに笑いかけるのだ。
ヴァルフレーダは彼女のそんな所を愛したのだと思う。
彼女が俺を構うようになったのは、記憶を辿れば最初で最後、俺が彼女に声をかけた時からであろう。災厄と同じ色を持つあの小鳥を再び目撃した時だ。
俺の周りを一周し、空高く舞い上がる。あれは災厄ではないのか?とローレアに問いかけた時には小鳥は太陽に向かって飛び立っており、こちらからは飛行する影しか見えなくなっていた。
ローレアは鳥よりも、それはもう零れ落ちそうな程丸くさせた目を俺へと向けていた。
彼女の言う通り、回復薬になる貴重な薬草がいたる所に生えていた。夢中になって採取する彼女の後ろを、取りこぼしを積みながら追って行った。
気付けば他の5人とはぐれていた。しかしヴァルフレーダのローレア限定の嗅覚は人間の域を超えていると誰かが言っていたので、きっとそのうち見つけてくれるだろうと高を括っていた。
それが悪かったのかも知れない。不穏な気配に気付いた時には手遅れであった。
ローレアの悲鳴がつん裂く。茂みに身を潜める彼女の元へ駆けつけると、くくり罠が血を滴らせ彼女の足を捉えていた。先程から感じていた気配に視界を巡らせれば、無数の目が此方を伺っていた。
人間だ。それも何人も。生気を無くした瞳は無感動に獲物を見定めていた。
遠くから声が聞こえる。俺と同じ様に察知した小汚い格好をした男たちは散り散りに逃げていった。
「ローレア!」
息を切らして茂みを掻き分けた姿はヴァルフレーダだった。ローレアの様子に目を走らせると、彼の体が一気に怒りで支配されるのが分かった。
続いて現れたパーティーメンバーも次々に息を飲む。ベルノルトが慌てて罠を開き、ヴァルフレーダが彼女を引き上げた。
苦しそうに息を吐き出すローレアの体をルナルに預けると、ヴァルフレーダは僅かに残る別の気配に目を据えた。
「……ローレアを頼む」
結果から言えば、罠を仕掛けていたのは山の麓にある村の人間達であった。村の大半は瘴気に侵されており、崩れゆく情勢や自然災害の元、飢えに喘ぐ人々が人間を襲っていたらしい。
罠自体は至る所に張り巡らされていたのだが、例の場所は薬草が種類豊富に生殖しており、それこそ訪れる人間は引く手数多にいたと言う。特に罠が仕掛けられていた場所に俺たちは迂闊にも足を踏み入れていた。
「とりあえずはこれで大丈夫。不幸中の幸いだったのがこの薬草ね」
呼吸は安定したものの未だ苦しそうに眠るローレアの額をルナルは拭っている。
このパーティーはヒーリングを使えるのがローレアしか居らず、しかもその力は僅かばかりであった。大半を薬草で賄っており、調合等はすべてルナルが請け負っていた。
「早く清潔な環境で寝かせてやりたいが……これでは安心して休ませてやれないな」
「いつ寝首をかかれるか分からない状況よりは、この森の中の方がよほどマシであろう」
ベルノルトとフェルシスが話しているとヴァルフレーダがようやく戻ってきた。
あの後逃げ出した中から一人捕まえる事ができ、一番近くの駐在所まで届けに行った帰りだった。
「ヴァルフレーダ、お前」
「……心配するな。村の連中には何もしてない」
傷付ければローレアが悲しむ。
小さく漏れた台詞は、彼の中を嵐のように渦巻いている様に見えた。
「だがな、俺はどうしてもお前だけは許せねぇ……」
彼の中を荒れ狂うようにくすぶっている激情は塞き止めるものを無くし俺を貫いた。
「おい口無し!お前はローレアが悲鳴を上げる瞬間も、犯人が逃げてくとこも見てたんだろう!何で何もしなかった!」
ヴァルフレーダの瞳孔が開く。怒りで震える腕が俺の胸元を鷲掴んだ。
「こんな時もだんまりかよ!」
「止めろヴァルフレーダ!」
激情を乗せる男の後ろでベルノルトが叫ぶが、ヴァルフレーダが拘束を緩める気配はなかった。
「いつもいつも自分は関係ありませんってー涼しい顔しやがって……優越感に浸ってるのも大概にしろよ黒の英雄サマ」
その褐色の腕から炎が生まれた。
ヴァルフレーダの力が湧き上がり、炎となって彼の身を包んだ。彼を覆う紅蓮の旋律は俺の身を少しずつ焦がしていった。
「ヴァルフレーダ!」
「うるせえ!その気になりゃ俺なんて簡単にはね退けられるだろ!こいつはな、俺らの事なんざ捨て駒か何かにしか思っちゃいないんだよ!」
「そうじゃない!」
「ほら口無し、偶には歯向かってみろよ。感情剥き出して楯突いてみればいい」
その炎か、それとも彼の感情か。チリチリと俺を燃やしてゆくのは。
「なんとか言えっ!」
爆発した炎は一瞬俺の身を包んだ。
掴まれていた服が燃え落ち、支えるものが無くなった俺は尻から地面へと転げた。
さらに激情で身を燃やす男は俺へと向けて地を踏む。力任せに髪を引っ張られ、無理矢理顔を上げさせられた。
ヴァルフレーダの表情が徐々に困惑を宿していくのを黙って見ていた。
「……おい、何だよこれ……」
炎は消え去っていた。
ヴァルフレーダの視線は、外気に晒された俺の胸元に釘付けになっていた。
「何でお前がそれを付けてる……」
〝奴隷の刻印〟その存在は世界の誰もが知っていた。
各国の上層機関のみしか扱えず、その絶対の効力から使用に制限がある。通常であれば第一級犯罪者や、戦争後の上流階級者の捕虜などにしか使用された例は無い。
それが、異世界から召喚された勇者に打ち込まれていた。
「説明しろ!ベルノルト!」
パーティー内唯一のリリースェナ国出身のベルノルトは王都騎士団副団長という肩書きを持つ。実力もさる事ながら忠誠心も高く、魔王討伐のメンバーに真っ先に加わった人物である。
しかしその裏、彼の主だたる任務は俺の監視と魔物以外の外敵存在からの庇護であった。
ぽつりぽつりと言葉を選ぶようにしてベルノルトによって語られたのは、素晴らしい英雄譚の陰に潜む真実であった。
他人の口から語られる自分の話は、どこかの世界の残酷な物語のようで、それを聞く俺の表情筋は結局いつまでたっても動く事は無かった。
「奴隷の刻印は個々に制約を結ぶ事が出来る。レイジは刻印によって、対象が悪党であれ何であれ人間に一切の危害をくわえる事ができない。他人を拘束、または人間から受ける攻撃に対しても防御すらままならない」
「……意味、わかんねぇ……。じゃあこいつは、魔王を刈るためだけの存在って事か?」
ベルノルトはもう何も語らなかった。
語らない事こそが真実であった。
彼らはようやく俺の行動の辻褄があったようで、どうして早く言ってくれなかったのかと問いかけた。
「レイジは奴隷の刻印の情報に関しても口外出来ないよう制限されている」
「お前は……」
何か言いかけたヴァルフレーダは、言葉にならなかったものを呑み込んだ。
いつの間にか目を覚ましていたローレアはルナルに体を支えられ嗚咽を漏らしている。他の面々も一様に同じ様な顔をしており、旅に出てから初めて怒りを覚えた。
「この世界は身勝手な奴らばかりだ」
俺の呟きは誰に返される事もなく、異様な程に澄み渡った空へと溶けていった。
俺達はひたすら魔王への道程を歩んだ。
あれからヴァルフレーダが俺に絡んでくる事は無くなった。それどころかむっつりと口を引き結び、ローレアとすら言葉を交わしているところをあまり見なくなった。
反対にローレアは前以上に俺といる様になったが、だからと言って何かが変わる事は無かった。
旅が進むにつれ羽織る外装が厚手になった。冷気が肌を刺し、吐き出す息は白かった。
シュテートまであと僅かという所まできている証拠であった。ここへきて災厄の情報は途絶えたが、皆はシュテートこそ魔王の住まう場所だと当たりを付けていた。
ローレアによって張られたシールドの中。野営をする俺たちはばらけて火を囲んでいた。これから夕食になるスープは辺りに匂いを漂わせている。
鍋の中をかき混ぜるルナルの横を通り過ぎ、俺の元へと近づいてくる姿があった。
「レイジ」
深緑のローブを纏う魔法使いの男、バスチアンだった。この男は存在感の希薄な魔法使いで、ざんばらに切られた髪と目の下の隈が男を陰気な印象にしていた。
他のメンバーともろくに談笑しているところを見た事が無い男が、珍しく俺に声をかけてきた。
「……時間はかかったけど、一つ魔法を完成させた」
岩壁に背を預けて座る俺の前に膝をつける。バスチアンは白いチョークの様なもので地面に文字を走らせた。
「お前の恋人を探す魔法だ」
ひゅっ、と息が詰まる。
何を言われたのか理解できないまま、地面を這う男の後頭部を見つめた。
「バスチアン、それって……!」
ローレアが身を乗り出す。他のメンバーもバスチアンの動きに釘付けになっている。
「元々人探しの魔法は扱えたんだ。でもレイジの恋人を探せるものでは無かったから」
生命は個々に世界と密接に紐付いている。
本来の探索魔法はその紐を手繰り寄せるものであるが、異世界からの落ち人は世界に認知されていない存在であり、そこから探す事は出来ない。
バスチアンは言った。
そしてようやく魔法の組み替えに成功したと。
「元々こういう細かい作業は得意じゃない。だから僕なんて本来、デカい攻撃魔法が使えるだけの一点爆発型なんだけどね」
全てを書き終わったようで、手に付いた白い粉を払っている。
俺は呆然と彼の顔を見返した。
「僕の手を握って」
ガクガクと震える両手で、彼の差し出された手を握った。縋るように、離さないように。
それでも震えは止まらなかった。
「強く願うんだ、恋人を。探索魔法が辿れるのは、レイジ、君の記憶と想いだけだ」
容易くそれは成し遂げられた。
いつだって、考えるのは彼女の事だけだった。
勝気な瞳は彼女の意志の強さを色濃く映していた。呆れたように俺をみる顔が、笑顔に変わる瞬間が大好きだった。綺麗に切り揃えられた黒髪は、ずっと指を通していたくなる程艶やかだった。薄い唇が弧を描き、俺の名を呼ぶ姿を愛していた。
もう何年も彼女と離れているのに、記憶の中の彼女は鮮明で美しかった。
「……レイジさん!」
硬く瞑っていた目を開けると、彼女が少し怒った表情で此方を見ていた。
『ちょっと、何て顔してるのよ』
「……結衣っ」
ずっとずっと恋い焦がれた存在がそこにはあった。
死んでいた俺の心から、命を吹き返したように様々な感情が駆け巡った。
「レイジ!それはお前の記憶の一部だ!」
バスチアンが叫ぶ。
「記憶が少し漏れている。あぶれた記憶は魔力を帯びて彼女の姿を投影してしまっている」
現実に戻された俺は、そこにいる彼女が異世界に落ちる直前の姿である事に気が付いた。
無意識に伸ばしていた手が止まる。これは本物ではないのだと絶望した。
「まだ標が出ていない。悪いレイジ、もう少し集中してくれっ」
記憶の中の彼女が眼差しを向けるのは、跪く俺をすり抜けた後方にあった。振り返れば、歪にネクタイを締める過去の俺が彼女の元へと歩いてきた。
『そ…そんな事言われたって緊張するものは緊張するんだよっ。見てみろこの手、汗でびっちょびちょ』
『いやっ汚い!ちょっとその手で触んないでよね!』
『……なっ!お前仮にもこれからご両親に挨拶に行く恋人に対してそりゃないよ!』
『情けない顔しない!喝っ!』
『いてえっ!』
久しぶりに聞いた日本語はよく耳に馴染んだ。戯れる結衣の姿を再び焼き付けるように目に映す俺は、うわ言の様に彼女の名前をつぶやいていた。
『さて、準備できたよね。気合い入れてくよ玲二』
『……俺、戦士になる』
『是非なってちょうだい。そして気難しい父に立ち向かって』
そして彼女は靴を履く。ヒールの低いパンプスは結衣の好きな淡い水色。
一番お気に入りだと言っていたワンピースの裾を翻し、緩やかに彼女は微笑んだ。
『先行って待ってるね』
待ってくれ、結衣。
待っていると言った君は、この世界の何処を探しても見当たらないんだ。気配も、匂いも、暖かさも。君に通じるものは何処にもない。
あるのは冷たい見知らぬ大地だけで、自分の中の大切であった部分がボロボロと零れ落ちてゆく。自分が自分で無くなる感覚は、とても恐ろしいんだと知った。
「出た!」
バスチアンの言葉と共に、地面から湧き出た発光体は曲線を描き彼方へと線を結んだ。
夜空に映える光の道標は、確かにどこかへと繋がっている。
「レイジ、あんたの恋人はあの光の先だ。仮に死んでいた場合標は全く現れない。安心しろ、ちゃんと彼女はあそこで生きている」
止めどなく流れる涙は、決壊したように次から次へと溢れ出た。
すでに彼女の残影は搔き消え、光の標も徐々に薄まりとうとう霧散してしまった。完全に消えても尚、俺はその光の先から視線を逸らす事が出来なかった。
不意に肩に熱が置かれた。振り返る事はしなかったが、声でヴァルフレーダの手だという事は分かった。
「必ず見つけるぞ。見つけて、魔王倒して、お前らを必ず元の世界に帰してやる」
力強く放たれた台詞は俺の心をくすぶった。
久しぶりに感じた様々な感情は、上手く制御出来ないまま涙となって流れ続けた。
「……ありがとう……ありがとうっ」
その言葉しか出てこなかった。しかし何度も何度も気がすむまで繰り返した。
皆はただ静かに受け止めていた。
「あの光の先は……」
誰かが漏らした言葉の続きは誰もが飲み込んだ。
光の先、シュテートに全てがある。
その日は夢を見た。幸せの続きの夢を。
淡い色のワンピースを着た恋人は浜辺へ降りると、そのまま海へと走って行った。俺は眩しくて目を細める。
名前を呼ばれて振り返った彼女の顔は逆光になって見えなかった。
「ローレア……!」
既に丸三日近くシールドを張り続けている彼女の消耗は誰よりも激しかった。慌てて駆け寄ったヴァルフレーダの背に負ぶさる彼女は、それはもう申し訳無さそうに彼に謝った。
彼女がシールドを持続させなければならない理由は俺達が今いる場所にあった。彼女がパーティー全員を守ってくれているからこそ、ようやくこの地を踏みしめる事が出来ていた。
シュテートに入って五日が経っていた。
初めは我慢できていた冷気も、中枢に進むにつれその寒さは壮絶を極めた。到底生身の人間が過ごせる環境ではなく、二日目にしてローレアによってシールドが張らる事となった。精霊の力を身に宿し、気候の変化に柔軟に対応できるフェルシスでさえ苦痛の表情を浮かべていた。
ローレアのシールドは吹雪から俺たちを守ってくれているが、それもどこまで保つか分からないのが正直なところであった。
俺達は焦っていた。
「……ごめんね、みんな。私の力がもっと大きかったら……」
「うるせえ!それ以上言ったら殴るぞ!」
「ちょっと何て横暴なの、あんた。言い方ってもんがあるでしょう」
「いいの、ルナル。ヴァルフレーダが優しい事はよく分かってるから」
「ローレア……」
「ちっ……これだから恋する暴君は嫌なんだ。滅べばいいのに」
「聞こえてんぞ!バスチアン!」
旅も佳境にきてようやく俺達は打ち解けてきたようだった。ここまで来るのにずいぶんと時間はかかったが、全ては無駄ではない道程であったのだと思う。
俺も少しずつ皆と会話をするようになっていた。意外ととっつきやすいキャラだったのね、と言われた時は苦笑いしか出てこなかった。
「おい、あれって……」
ヴァルフレーダの視線の先を辿る。少し先に大きな角を持った真っ白な鹿がこちらを見つめていた。
「何だあの生き物?初めてみるぞ」
「私もだわ。魔物ってわけでは無さそうだけれど」
そもそも生き物が生息しない土地と言われているシュテートに動物がいる光景こそが不自然であった。
「……あれはエゾシカだ」
それは何だ?と問いかけられても俺は正しい答えを持っていなかった。どう見てもあれは地球上の生物であった。
しかしその姿はふわりと歪んだ。
一瞬吹雪いたその後、そこにいたのは一人の人間だった。
「……災厄!」
白く長い髪は吹雪に揺れる。遠くからでもその瞳が黄金色に輝くのが見えたような気がした。
募る想いは無意識に体を動かした。
「結衣っ」
彼女だ。ようやく見つけた。
シールドを離れた俺を吹雪が撃ち付ける。吹雪の重みと冷たさで一瞬動きを囚われた俺は、彼女の姿を見失っていた。
「結衣!」
「馬鹿かお前は!急に飛び出すやつがいるか!」
ローレアを背負ったヴァルフレーダが慌てて横に並んだ。
「レイジ、正気になれ。あれは災厄であってお前の恋人ではない」
ベルノルトが気遣うように嗜めるが、俺は決して正気を失っているわけではない。あれは確かに恋人であった。
一羽のフクロウが飛び立って行くのが見えた。白い翼を羽ばたかせ、奥へ奥へと姿が消えていく。
「災厄は幻覚を見せるのか?」
「いや、違うだろう。もしかしたら幾つか姿を持っているのかもしれない。そうすれば今までの目撃情報も納得できる」
思案するベルノルトとバスチアンを置いて俺はまた走り出した。背後から呼び止める声が聞こえたが、もう見失う訳にはいかなかった。
久しぶりに見た彼女は、今目の前で流れる雪と同じように真っ白な髪をしていた。煌めく瞳は俺の知らない色をしていたが、その意志の強い眼差しは変わらず彼女そのものだった。
誰が何と言おうと間違える筈などなかった。
なだらかな斜面を登った先は、凍てついた泉であった。不思議とここだけは吹雪いておらず、凍り付いた水面が透明さを保ちながら静かに存在していた。
フクロウがゆっくりと泉の中央を旋回している。俺はその姿に引き寄せられるまま、泉の表面に足を踏み入れた。
「結衣」
遅くなってごめん。でもようやく会えた。
「結衣」
返事をして。笑って。一緒に帰ろう。
フクロウは一度大きく飛躍すると、その身体を彼女の姿に変えた。
泣きそうに顔を歪めて、でも怒ったように彼女は笑った。
「ばか玲二、遅いのよ」
愛しさが込み上げた。
彼女の前では、俺は感情を抑えられなくなる。
また怒られるかもしれないなと思った。彼女は俺の情け無い顔をよく叱咤したから。
でも今だけは。
駆け寄る姿へと手を伸ばす。
俺へと伸ばされた彼女の手は、触れることなく空を舞った。
何が起こったのか理解出来なかった俺は、結衣の崩れてゆく身体を目で追った。
「ようやくだ!ようやく我らの悲願が達成された!」
響く笑い声は誰のものだったか。
背後を振り返れば弓を持ったフェルシスが嬉しそうに笑い声を上げていた。
気が狂ったと言わんとばかりの男を囲むのは、顔面蒼白の仲間達であった。
彼女へと視線を戻す。
胸に一本の矢が刺さっていた。溢れる血は、水面の氷を徐々に覆っていった。
「……結衣?」
その身体を抱き上げる。
だらりと腕が下がり、瞳は硬く閉じられていた。息づかいは聞こえない。
ようやく理解した。
彼女はもう戻って来なくなった。
目の前が真っ赤に染まる。
自分の中から膨大な力が噴き出て、俺の周りを黒く染め上げた。
まるで黒い焔であった。燃え上がる業火の焔は、俺の意識をさらに混沌へと落としていった。
結衣、君がいない世界ならいっその事無くしてしまおうか。
災厄は死して悲劇を降らす。
裏切、悲哀、憤怒。様々な不幸の根源はごうごうと渦を巻き、虫が湧くようにせめぎ合い、一点の曇りのない災厄の誕生となる。
勇者であった男は破滅を導く憎悪へと身を委ねた。
以下、意外と多かった登場人物紹介。
メモ書き程度なので読んでも本作内の情報+αくらいです。
ヴァルフレーダ
褐色の肌 鈍色の短髪
短気 自己中 仲間想い 口悪い
バランス型 でも特出なし
ローレアが好き
ローレア
波打つ金髪 青い瞳
優しい 芯が強い 意外にはきはき
シールド(強固) 体力あり
ヒーリングも少し
フェルシス
エルフ族時期族長
銀髪の長髪を三つ編み
災厄に強い憎悪 冷たい 種族意識強い
弓は百発百中 空中歩ける 妖精と話せる
ルナル
赤褐色の短髪 スレンダー
ギルドSSランク保持者
身軽 運動神経凄い 暗殺 猿じゃない
淡白 家事完璧
バスチアン
焦げ茶のザンバラヘアー
攻撃魔法限定で凄い 他のはちょっと出来る
不潔そう 根暗そう 隈できてる
真面目 苦労性 リア充がんばる
ベルノルト
大きい 筋肉質 茶色の短髪
脳筋じゃない 一応リーダー
精霊都市の王都騎士団副団長
肉弾戦が一番得意 拳で岩を砕く