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97.今も昔も

 軍学校に入学してからというもの、やっぱり父のところに帰ればよかったなぁ、とジェイミーは後悔していた。


 新しい父だという人は、怒ってばかり。母だという人は、泣いてばかり。リリーは可愛いけど髪の毛を引っ張ってくるし、そもそも学校が忙しくてあまり一緒に遊べない。

 おまけに、学校では何人かの生徒が嫌がらせをしてくるのだ。特に酷いのはギルバートという奴。意地悪なことばかり言ってくるので、どんどんつまらない気分になってしまう。


 でも、楽しいこともある。ウィルという友達が出来たからだ。


 ウィリアムという名前の生徒は、同学年に三人いる。入学早々、生徒たちはこの、三人のウィリアムに群がった。


 もちろんジェイミーも他の生徒と同じようにした。「ウィリアムという名前の生徒と仲よくしろ」と、伯爵に口すっぱく言われていたからである。


 ジェイミーはあまり人気の無さそうなウィリアムに声をかけた。他の二人の周りには常に人だかりが出来ていて、なかなか近付けなかったのだ。


 人気のないウィルのことを、ジェイミーはとても気に入っている。他の生徒みたいに意地悪をしないし、ジェイミーがあまりものを知らなくてもバカにしないし、それに運動がすごく上手なのだ。

 一度ウィルが屋敷に遊びに来たときは、いつも怒鳴ってばかりの伯爵がとても上機嫌だった。リリーも楽しそうにはしゃいでいた。

 他の生徒は気付かないが、きっとウィルは普通とは違う、特別な人なのだろう。だから一緒にいると、いいことばかり起きるのだ。そんなウィルと友達になれたのだから、やっぱり帰らなくてよかったかもしれないと、ジェイミーは考え直した。




 ある日ウィルが「兄上が死ぬかもしれない」と言い出したとき、ジェイミーはずいぶんと困ってしまった。まだ一人で馬にも乗れない自分が、ウィルの悩みを解決出来るだろうか。


「病気なの? 僕のお母さんもそうだよ」

「兄上は元気だけど、でも全然休まないんだ。眠くならないんだって。変だよね」


 会ってみる? とウィルが言うので、ジェイミーはうん、と頷いた。




 ウィルの兄を初めて見たとき、ジェイミーはリンゴを丸ごと放り込めるくらいに大きく口を開けてしまった。リリーが持っている絵本の中からそのまま飛び出してきたような人だったからだ。


「ウィル、遊びにきたのか」


 広い部屋で書類に囲まれ、忙しなくペンを走らせていたウィルの兄は、弟の姿を目に留めると険しかった表情を一気にほころばせた。


「君はウィルの友達? 見ない顔だね」


 優しい声はどことなくウィルに似ている。

 側に来て目線を合わせてくれたその人に、ジェイミーはすっかり圧倒されていた。緊張で言葉を返せずにいると、扉近くに立っている家来のような男が代わりに声を上げた。


「その子は確か、ハデス伯爵のご子息です」

「ハデス伯爵? あの人には息子がいたっけ?」

「婚前に生まれた子供なのでずっと田舎に隠していたらしいですよ。なかなか夫人が身ごもらないので仕方なく引っ張り出してきたんでしょう」

「お前、もう少し言い方ってものがあるだろう」


 男はしれっと窓の外に視線を移す。

 そのとき、部屋の扉がドンドンと鳴った。すかさず険しい表情を浮かべ(たたず)まいを直したウィルの兄は、低い声で返事をした。扉の向こうから威圧感あふれる男が現れる。

 ジェイミーは彼が誰なのか知っていた。国軍で一番偉い人だ。確か、団長という人。


「陛下、なぜ書類にサインして下さらないのですか!」


 数枚の紙を掲げながら、怒鳴る団長。ウィルの兄は疲れたような声を返した。


「何度も言っただろう。負傷した兵がまだ回復していないのだから、シャウラ国への報復など当分無理だ」

「今戦わなくて、いつ戦うのです。我々軍人の仕事をこの先ずっと、奪っていくおつもりですか」

「仕事もなにも、死んでしまっては元も子もないだろう」

「全く! あなたの判断のせいでどれだけの数の命が失われたか、数えるのも恐ろしい。私が指揮をとればこんな最悪なことにはならなかった。民兵を犠牲にしておきながら褒めそやされて、勘違いしているんじゃないだろうな!」


 ウィルの兄は、勢いよく殴られたのを耐えるみたいな、そんな顔をした。


 団長は大声で怒鳴ったことで頭が冷えたらしい。次の瞬間には、真っ青になっていた。


「何ということを……。お許しください、陛下……」

「いいんだ。あの遺体の山を見れば、腹が立って当然だな」

「私はただ……」

「なぁ、確か、サルガス公爵夫人が持ってきたケーキがあったっけ?」


 扉近くに立っている男に、ウィルの兄は明るく尋ねる。家来のような男は気まずそうな顔で「はい」と頷いた。




 団長は去り、ジェイミーとウィルの目の前には綺麗な色のケーキが一つずつ並んだ。

 リリーが見たら喜ぶだろうな、と考えるジェイミーの隣で、ウィルは不安げな声を出す。


「兄上は食べないんですか?」

「食べないよ。毒が入ってたら困るだろう。お前たちは毒味役だ。心して口に入れなさい」


 固まるジェイミーに、嘘だよ、とウィルが耳打ちする。


「では、紅茶の毒味は陛下のお役目ですね」


 家来のような男が三人の前にカップを並べながら言った。ウィルの兄は紅茶をぐいと飲んで、ふむ、と頷く。


「諸君、どうやら今日の紅茶には睡眠薬が盛られているようだ。誰かが謀反でも企んでいるのかな?」


 さすがに冗談だとジェイミーにも分かった。本当にこの陽気な人が死にそうだと、ウィルは思うのだろうか。


「ジェイミー、君はお母様によく似てるね」


 ウィルを挟んで、ソファーの向こう側に座っているウィルの兄は、深い青色の瞳を真っ直ぐジェイミーに向けてきた。


「そうですか?」

「そうですよ。夫人に赤色の宝石を見せてもらったことはある? 確か、首飾りだったと思うけど」


 首を横に振ると、ウィルの兄は小さく微笑んだ。


「そうか。一度見せてもらいなさい。とても綺麗だよ」


 何もかも見透かすような目は、ほんの少しだけジェイミーを気後れさせた。間に座るウィルが声を上げる。


「兄上、今日寝る前に本を読んでくれますか?」

「悪いなウィル。今夜も仕事があるんだ」

「兄上はいつ眠っているんですか? ずっと起きたままじゃだめだってマーソン先生が言ってましたよ」

「ちゃんと寝てるよ。ほら、ケーキ食べないのか?」


 ウィルの兄は何かをごまかすようにカップを持ち上げ口に運び、弟から目をそらした。ウィルは肩を落として、渋々ケーキに手をつける。ジェイミーも一緒にケーキを食べながら、落ち込んでいるウィルをしきりに気にしていた。


 それから三人でいくつか言葉を交わしていると、ウィルの兄が突然ソファーの背もたれに突っ伏した。ジェイミーとウィルは驚いてフォークを落とす。


「兄上? どうしたんですか?」


 びくともしない兄の肩を、ウィルは半泣きで揺する。先程ケーキと紅茶を用意してくれた男が、急いで側にかけつけた。


「よかった、薬が効いたんだ」


 男の言葉を聞いて、ジェイミーは顔色を青くした。


「毒を飲ませたの?」

「そんなわけあるか。おーい、誰か!」


 男の呼び掛けに、数人の大人たちが集まった。駆けつけた全員が目の前の光景にぎょっと目を見張る。


「とうとう倒れたのか!」

「違う。マーソンが調合した薬が効いた。睡眠薬だよ」

「陛下に薬を盛ったのか? とんでもない奴だなお前」

「珍しく気がゆるんでたんだ。感謝しますよ殿下」


 言いながら、男はウィルとジェイミーを両腕で軽々と持ち上げソファーから下ろした。

 大きなソファーはウィルの兄のベッドと化す。

 呆気にとられていたジェイミーは、そういえば、これでウィルの悩みは解決したんじゃないだろうか、と気付いた。


「よかったね」

「うん……?」


 いまいち納得できないという顔で首をひねるウィル。二人はなぜだか大量のお菓子を持たされ、部屋を追い出されたのだった。


◇◇◇


 アンタレス国ならとっくに日が落ちている時間でも、アケルナー国の太陽はさんさんと光輝いている。

 スプリング家との取引が終わり、シェリルが荷造りを終えるのを待つ間、ジェイミーたちは建物の外で待機していた。


「最近はよく眠れていますか?」


 ジェイミーの唐突な問いに、ローリーは目を丸くする。


「どうした突然」

「いえ、ウィルが心配していたので」

「十年以上前の話だろう。大丈夫かジェイミー」

「大丈夫じゃないかもしれません」


 子供の頃の何気ない選択がまさかこんな事態にまで発展するとは。もっと本気で自分の人生について考えておくべきだった。

 今さらな反省をするジェイミーの背後にはニックが立っている。照りつける太陽を避けるためジェイミーを盾にしているのだ。


「もっと横に伸びろよ。微妙に日が当たるんだよ」


 いろいろな意味でため息をつきたい気分になっているジェイミーに、ローリーが声をかけてきた。


「勝手にダイヤモンドを担保にして、すまなかった。あれ以上価値のあるものが手元に無かったんだ」

「気にしません。あんなもの、持ってたって何の役にも立たないですから」


 ぶっきらぼうな口調で答える。何秒か経過したあと、そういえばあれはかつての国王からの贈り物だったと思い出した。


 気分を害してしまったかと、こっそり様子をうかがう。ローリーは綺麗な笑みを浮かべたままジェイミーの左腕を掴んだ。


「腕が治ったな」

「え?」

「腕だよ。もう痛くないだろう」


 そう言われてみれば、とジェイミーは自分の左腕に意識を向ける。カルロに刺されてから、左腕にずっと違和感があった。今朝もそれは変わりなかったのだが、いつの間にか治っている。なぜだろう。アケルナー国の気候が体に合っているのだろうか。

 腕の痛みが引いた原因をあれこれ考えるジェイミーに、ローリーはからかうような表情を向けた。


「また会えて嬉しいんだろう。だったらそんな風にこの世の終わりみたいな顔してないで、素直に喜べばいいじゃないか」


 まさか、シェリルと再会できたから腕が治ったと言いたいのだろうか。ジェイミーは思いきり顔をしかめて見せる。


「どうして喜べますか。陛下は彼女を国のために利用するおつもりでしょう」

「お前が協力してくれれば上手くいくんだけどなぁ」

「スプリング家の力を借りる必要があるとは思えません。国境は同盟国が守っているようですし、アケルナー国やシャウラ国に攻め入られる心配はほとんどないと思いますが」


 主君を相手にすらすらと文句が出てきたので、ジェイミーは内心でとても焦った。口答えするジェイミーがおかしかったのか、ローリーは今にも吹き出しそうな顔をしている。


「確かに、お前の言う通りだよ。だが私は心配性なんだ。余計に手を打っておかないと、どうにも不安でね」

「でしたら得体の知れない組織を頼る前に、まず国軍を頼って下さい」


 国境すら、本格的に守っているのは他国の軍なのだ。アケルナー国が敵となった今でも、ローリーは相変わらず、国軍を実戦の場に赴かせるつもりがない様子である。


「ああ、そうだな」


 当たり障りのない言葉で、ローリーは会話を打ち切った。


 また会えて嬉しいんだろう、という言葉がジェイミーの頭の中をぐるぐると回る。嬉しくないわけがない。もうずっと、会いたくて仕方がなかった。


 都合のいい状況だ。シェリルはダイヤモンドを盗んだことを気に病んでいるようだから、無理やり言い寄ればきっと応えてくれるだろう。家の問題だってなんとかしてくれるらしいし、彼女を側に置いておけばローリーの期待に応えることにもなる。


 想像するだけで、寒気がした。自分の都合でシェリルの人生を利用するなんて、まるでハデス伯爵が自分にしたことと、同じではないか。

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