95.ローリーvs.カルロ第二戦
ふんぞり返っている。
そのような表現がぴったりな、カルロである。
「こういうのなんて言うんだっけ。ミイラ取りが、いや、羊の毛が……? ねぇローリー君、なんて言うんだっけ?」
ローリーは取り繕うのも疲れたようで、頬杖をつきながら拗ねたように黙り込んでいる。妙に粗野な印象を与える態度は、ひょっとしたら彼の素なのかもしれない。そんなことをぼんやり考えているシェリルの耳に、アメリアが針を突き刺した。
「痛い!」
「危ないわね、動かないで」
縫った方が綺麗に治るという言葉に騙されて手当てされることを了承したのが間違いだった。ナイフで切られるより針で縫われる方が断然痛い。おまけに大勢の人がいるリビングで針を刺される姿を披露するというこの屈辱。別の部屋で手当てしようという双子の提案を却下したのは、カルロである。
可哀想だと思わないかローリー君、とか、痛そうだねローリー君、とかカルロが言いまくるので、ローリーはもうすぐキレるかもしれないとシェリルは思った。
もっとも、カルロの言葉はローリーよりも、彼の側に控えているジェイミーに響いているようだった。
「皆よく見なさい。今目の前に見えるのが、策に溺れた策士の姿だよ。しっかりと目に焼き付けておくように」
つい先程までローリーのことを警戒しまくっていたくせに、現在のカルロはずいぶんと余裕ぶっている。というか、調子に乗っている。
ローリーは小さく肩をすくめながら言った。
「おっしゃる通り、私は読みを誤ったようだ。潔く退散するしかなさそうだな」
「切り替えが早すぎないか。そんなに急いで帰る必要ないだろう。もう少し優越感に浸らせてくれよ」
「そうのんびりもしてられないんだ。私の替え玉はとっくに偽物だとバレてしまっているし、早く戻ってこいと催促の知らせも届いてる」
かすかに違和感を覚えたシェリルは、思わず二人の会話に口を挟んだ。
「どうして替え玉なんて用意したの? こっそり国を出る必要なんてないでしょう」
エリック国王やスプリング家が行方をくらますことがないように、密かにアケルナー国を訪れたというのは分かる。だが祖国にまで出国することを隠す必要は無いのではないだろうか。ジェイミーとニックにも、同行していることを隠していたようだった。
シェリルの疑問に、ローリーは平然とした表情で答える。
「内通者がいたら、困るからね」
この瞬間のシェリルたちの一致団結ぶりは、きっと称賛に値するはずだ。
シェリル、カルロ、それからアメリアとダミアンは、全神経を顔面に集中させて平静を装った。さながら鳥の鳴き声でも聞き流しているように、「あ、そう」という空気を必死で作り出す。
「さすが、いつでも警戒を怠らないんですね。カルロさんにもその姿勢を見習ってもらいたいものです」
「失敬な。俺は自然に適応した野良猫並みにいつでも何でも警戒してるぞ」
ダミアンとカルロの会話を、ローリーが不審に思っている様子はない。シェリルたちは心の中でこっそりと冷や汗を拭った。
スプリング家の密かな奮闘などつゆ知らず、ローリーは何やら頭を抱えていた。
「参ったなぁ。アケルナー国とシャウラ国を同時に相手するなんて、考えただけでも気が滅入る。おまけにルドベキア軍はそちらの手の内にあるときた」
「君本当はそんなに困ってないだろう。何だかんだ言って一人でぱぱっと解決するくせに」
カルロの言葉に、ローリーは美麗な顔を思いきり歪める。
「どうして誰も彼も私のことを何でも解決できる魔法使いみたいに思いたがるのかな。これでも苦心することはそれなりにあるっていうのに」
「たった一人で国を支えるなんて芸当は魔法使いにだって不可能だろうよ。はっきり言って君は異常だ。戦争は嫌だ。人身売買は嫌だ。身分の差は無くしたいし国民の命を危険にさらしたくもない。君はそれなりに苦心するだけで、それだけのことを貫き通してしまうんだからな」
「買いかぶりすぎだ。きっとあなたの方が、私より多くのことに長けているんだろう」
「それこそ買いかぶりすぎだ。このままお互い買いかぶり合うのも悪くないがやめておこう。時間があまりないらしいから」
カルロとローリーが真顔で褒めあっている間に、アメリアがシェリルの傷を縫い終わった。耳を突き刺されることから解放されて、シェリルはホッと息を吐く。
「その傷、痕になったりするのかな」
一応気にしているのか、ローリーがどこか申し訳なさそうな顔で呟く。
自ら招いた事態とはいえ、少しくらい文句を言ってやりたい気持ちがシェリルにはあった。がしかし、ジェイミーの落ち込みが激しいので、嫌味はとりあえず喉の奥にしまっておくことにした。
「すぐ治ると思う」
シェリルの返答に、ローリーはふっとやわらかい笑みを浮かべる。
「それはなにより。実は君にひとつ、言っておきたいことがあるんだ」
「何?」
「このままアンタレス国に帰ったら、ジェイミーが裁判にかけられるかもしれない」
「そう、ジェイミーが裁判に…………。え、ジェイミーが裁判に?」
なんの脈略もなくもたらされた情報に、シェリルは気の抜けた声を返す。と同時に、ローリーは満足げな顔ですっくと立ち上がった。
「では、我々は今すぐお暇するとしよう。突然の訪問、無礼な振るまい、心から申し訳なく思っている。一日も早くその傷が治癒するよう祈っているよ」
「ちょっと待って。どうして裁判にかけられるの?」
「気にすることはない。さぁ皆、撤退だ。チリひとつ残さないように」
ローリーは本当にこのまま帰るつもりらしい。引き止めるために再び声を上げようとしたシェリルの口をカルロが片手で塞ぐ。
「たちが悪いなぁ……。シェリルを焚き付けるのはもうやめてくれないか」
苦々しくそうこぼしたカルロに、ローリーはすました表情を向ける。
「先に手を出したのはそちらだということを、ゆめゆめ忘れないように。言っておくが、私は国を守るためならなんだってする。我が国と敵対している人間の都合など、知ったことではない」
シェリルはカルロの手を無理矢理引き剥がし、勢いよく立ち上がった。
「裁判って、私のせいなの?」
「まぁ、そうとも言える。帰国の催促と一緒に、ウィルから手紙が届いたんだ。ジェイミーには内容を話しておくつもりだが、君も一緒に聞きたいか?」
シェリルは一も二もなく頷いた。カルロがため息と共に頭を押さえる。ジェイミーは話の内容の見当がつかないのか、戸惑っているようだった。
事の発端は、アレース公爵が主催したジェイミーの快気祝いでの一幕である。
催しのさなか、ジェイミーがハデス伯爵を殴るという騒動があった。大半の人間は、伯爵が離婚する意思を固めたことに対し、爵位を継げなくなったジェイミーが反抗したのだと思っている。
運の悪いことに、二人の言い争いを密かに聞いていた人物がいた。それがアレース派の人間であったために、言い争いの内容はアレース公爵の耳に入ることになる。
その日、伯爵はジェイミーに、離婚することと軍を辞めても構わないことを伝えたあと、元いた場所に帰りたいのならそうすればいい、と告げた。
それに対しジェイミーは、今さら戻れるわけがないだろうと言って激昂し、伯爵を殴り飛ばした。
このやりとりに引っ掛かりを覚えたアレース公爵は、アクラブ神殿に登記してあるジェイミーの出生記録を調べた。それから登記に立ち会った神官を探しだし、大金を積んで、隠していることがあるなら白状するよう脅しをかけた。
聖職者が必ずしも善人であるとは限らない。金と権力を前に口が緩んだ神官は、自身の保護を公爵に約束させたあと、簡単に口を割った。
曰く、ジェイミーは伯爵と血の繋がりが無いのだ。
間違いなく伯爵夫人の子供であるが、軍学校に入学する以前はずっと、実の父親と暮らしていた。
十六年前、家系図や出生記録を管理する資格をもつ神官を伯爵が買収し、ジェイミーの記録を書き換えてしまったのである。
ローリーの話を聞きながら、シェリルはジェイミーを見つめていた。瞬きすら忘れて固まっている、ジェイミーを見ていた。ローリーの話がスプリング家を取り込むための作り話であればいいと心の底から願ったが、彼の反応を見る限り、本当の話のようだ。
「それで、どうしてジェイミーが裁判にかけられるの? 罪を犯したのはハデス伯爵でしょ」
とにかく話を先に進めようと、シェリルは疑問をぶつける。ローリーはあっさりと答えを教えてくれた。
「ジェイミーを相手取る方が、安上がりなんだよ」
アンタレス国の裁判は、アクラブ教の神官たちが主だって進めていくことになっている。
公爵と伯爵は、金で神官を買収する術を知っている。そして両家の財力は、五分五分といったところだ。つまり伯爵を相手にすれば、賄賂の額で勝敗が決まることになる。
おまけに伯爵には、建国の王であるアクラブ神を手助けした、ハデスの血が流れている。教典にもその名が記されているハデスの子孫を聖職者が有罪とするかどうかは、微妙なところだ。
一方のジェイミーは、伯爵と血が繋がっていないことが明らかになったばかり。公爵に対抗出来るほどの金も無い。さらに騎士隊に所属しているために、入隊式や祭典などの折に触れて、幾度も自らの血に偽りがないことを誓ってきた。誓いに嘘があったというのは、神官たちにとって問い詰めやすい罪である。
言わば、見せしめなのだ。伯爵に協力すれば公爵に潰されると、多くの者が認識するようになればしめたもの、ということだろう。
「ついてないねぇ」
いかにも他人事という態度でカルロが言った。
シェリルは頭の中をしっかりと整理したあと、ローリーに真剣な顔を向けた。
「ジェイミーが罪人になるだなんて、そんなのだめよ。何とかしないと」
「そうなんだ。何とかしないといけない」
「するわよ。私が。何とかすればいいんでしょう、何とかすれば!」
満足げに微笑むローリーなど、もう眼中に無かった。アレース公爵の魔の手から、ジェイミーを守らなければならない。
使命感に燃えるシェリルの肩を、カルロがトントンと叩く。
「シェリル、冷静になりなさい」
「止めないで下さいカルロさん。力ずくで止めるっていうなら、その耳を私とお揃いにしてやりますから」
「まぁ、したいならすればいいが、それよりちょっと落ち着いて考えなさい。ジェイミー君の意思を無視するんじゃないよ。彼まだ一言も喋ってないぞ」
確かに。
シェリルは一旦口を閉じた。そして、珍しく怖い顔をして黙り込んでいる、ジェイミーに意識を向ける。
ジェイミーはゆっくりとシェリルに目を向けたあと、首を横に振った。
「必要ない」
「え?」
「助けは必要ない」
なるほど、そう言うなら仕方ない、と納得出来るはずもない。シェリルは食い下がるための言葉を必死に探した。
「怒ってるの? 私のせいでこうなったから……」
「いや、違う。分からないのか? アンタレス国に入国したらそのまま人質として拘束される。スプリング家がアンタレス国の味方に付くまで、仲間の元に戻れなくなるぞ」
「ねぇ、それって、この人の前で言って大丈夫なの……?」
君主の策略を臣下がバラしていいものだろうか。あらゆる面でジェイミーのことが心配になってきたシェリルの隣では、カルロが楽しそうにローリーの顔を覗き込んでいた。
「また同じところで躓いたねぇローリー君。君って、人望がないのかな」
ローリーはどうしたものかと言いたげに、頭をかいている。
シェリルにとって、ローリーの困惑など心底どうでもいいことであった。
重要なのは、このままではジェイミーの人生がめちゃくちゃになってしまうということと、ジェイミーが助けを拒んだということ。
「嫌がったって無駄よ。殴られたって手を貸すわ。止められるものなら止めてみなさいよ」
なぜか説得が喧嘩腰になってしまった。ジェイミーは途方に暮れたような顔で口をつぐむ。
カルロがやれやれと頭を振った。
「脅してどうする。可哀想に。お前のせいでジェイミー君は大変な思いをしてるっていうのに」
「私たちのせいですよ」
「ああ、まぁ、確かに、それは言えてるな」
シェリルの言葉に思うところがあったようで、カルロは指を顎にかけて考え込む素振りをした。
嫌な予感がしたのか、ダミアンがピクリと眉を動かす。
「ちょっとカルロさん。変なこと考えないで下さいよ」
「心配するな。俺の頭はまともなことしか考えられないように出来ている。ねぇローリー君。今いくら持ってる?」
「……は?」
「金だよ金。それか、金になるもの。最高でいくら出せる?」
唐突な問いにローリーは怪訝な顔をした。疑い深い目でカルロを見返す。
「なぜそんなことを?」
「仲間にはなれないが、何なら金で雇われてやってもいい。ジェイミー君の件は国同士の争いとは全く関係ないし、アケルナー国を裏切ることにはならないからね」
この瞬間、リビングには様々な表情が入り乱れた。
アメリアとダミアンは絶句し、ジェイミーは嬉しいとも悲しいともつかない顔を。シェリルは当然、喜んだ。ローリーもシェリルと同様、ゆっくりと口角を上げた。
「いくら欲しい?」
「そうだなぁ。金貨千枚くらいは欲しいかな」
カルロの提示額に「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げたのはニックである。ローリーは顔色ひとつ変えず、頷いた。
「いいだろう。現金を渡す手はずが整うまで、担保としてダイヤモンドを預けよう。ジェイミー、首飾りを」
ジェイミーはしばらくの間ためらっていたが、結局言われた通り、ローリーにさそりの心臓を手渡した。真っ赤な宝石は再びカルロの手に渡る。
「どうも。じゃあ、アメリアを連れていってくれ。彼女はとても優秀だぞ」
「それは無いだろう。こちらの狙いは十分理解しているはずだ。自力で逃げられる人間を連れ帰っても意味がない」
「ああ、シェリルを人質にしたいんだったね。それなら、その気になるよう俺を説得してみろよ」
「では、報酬を三倍に。これでどうだ?」
さすがにカルロは言葉を失った。金貨三千枚というと、一家族が一生贅沢をして暮らせる額である。
「負けたよ……。君の熱意にさ……。シェリル、今すぐ旅の支度をしなさい」
あっさりと陥落したカルロの肩をアメリアが思いきり拳で殴る。
「信じられない! 金で仲間を売る気ですか!?」
「人聞きの悪い。一時貸すだけだよ。ほらシェリル、俺の気が変わる前に準備しなさい」
やっぱりやめたと言われる前に、シェリルは急いで部屋を出た。
シェリルの後ろ姿を憮然とした顔で見送ったダミアンは、己の首長に向けるものとは思えない、軽蔑に満ちた眼差しをカルロに向けた。
「どうなっても知りませんよ。シェリルが俺たちを裏切ってアンタレス国側についたら、あんたが自分で始末してくださいね」
「裏切らないよ。ジェイミー君がそんなことさせるはずないだろう」
皮肉っぽいカルロの言葉に、ジェイミーは表情を強ばらせる。
ローリーが控えめに咳払いした。
「ジェイミーは軍人だ。国のためになることをすると、私は信じている」
「そうだな。俺もジェイミー君がシェリルを悩ませるようなことをしないと信じている。皆がジェイミー君を信じているんだ。素晴らしいことじゃないか」
金欠問題が解決してカルロは口笛でも吹きそうなほど上機嫌だ。
アメリアとダミアンは、もう失う余地すらないと思っていたカルロへの敬意を、地の底のそのまた底に封印したのだった。