8.騎士隊の本当の実力
「お前、こっちに来い」
未だに状況を飲み込めていないシェリルは、トマスの言葉に固まった。ジェイミーは微動だにしないシェリルを自身の背に隠した。隊長は大きくため息をつき、口を開く。
「何故そちらに行く必要がある」
「人質は多い方がいい」
「多い方がいい? 何だその安直な発想はお前は人質を集めて人質大国でも作るつもりなのか」
トマスの回答に隊長はイライラと髪の毛を掻きむしった。そしてジェイミーの背後で絶句しているシェリルを睨む。
「とんだタイミングで登場してくれたな。使用人に報告は行っていないのか?」
シェリルは小さな声で「すみません」と呟き縮こまった。隊長は「いや……」と眉間にシワを寄せ、考え込むように腕を組む。トマスが焦れたように声を上げた。
「おい、聞こえなかったか? 早くしろ」
ジェイミーたちはお互いに顔を見合わせ、何かいい案はないかと知恵を絞った。しばらく沈黙が流れたあと、シェリルが怖々と声を発した。
「あれってその、例の侵入者ですか? 殿下を襲ったっていう……」
シェリルの言葉に、隊長は渋面を浮かべ頷く。シェリルはようやく何が起きているのかを理解したようで、アニーに視線を向けたあと、何かを決意するように拳を握り、隊長に向き直った。
「あの、私、あの人の言う通りにします」
隊長は目を見開いてシェリルを凝視する。
「なんだって?」
「ですから、私人質になります。アニーさんが心配だし」
「そんなこと出来るわけないだろ。人質が増えれば俺たちの仕事も増えるんだよ」
「それはまぁ、そうですよねぇ……」
シェリルの案は即却下となり、一同は再び考え込む。
トマスが痺れを切らして再び口を開いたとき、廊下の向こうから一人の騎士が走ってきた。騎士は隊長に耳打ちして、一枚の紙を手渡した。隊長はその紙に目を通したあと、小さく頷きトマスに向かって声を上げた。
「トマス、取引をしよう」
「取引?」
トマスは目を細め、真意を探ろうと隊長の次なる言葉を待っている。隊長はトマスに向けて紙をかかげて見せた。
「これは国王陛下の署名だ。これがあれば、お前の罪を軽くできる」
「何が言いたい」
トマスは疑り深く隊長を睨んだ。隊長は慎重に言葉を続ける。
「ひとつ聞きたい。お前は我が国の襲撃に失敗し、スプリング家の存在も明かしてしまった。このまま逃亡に成功したとして、のこのこアケルナー国に帰るつもりなのか? アケルナーの国王がそこまで寛大だとは思えないんだが」
奴隷大国なんて呼ばれる国の国王が、任務に失敗したトマスを「よく帰ってきた」とねぎらうとは思えない。トマスは隊長の問いに、淡々と答えた。
「俺の行く末を案じてもらう必要はない。ただの時間稼ぎで聞いているだけなら、それに付き合うほど俺も寛大ではないと思わないか?」
トマスが剣を握る手に力を込めた。隊長はすかさず言葉を続ける。
「はっきり言おう。この食料庫はもう、我々アンタレス国軍が包囲している」
隊長の言葉に驚いたのはジェイミーたちの方であった。言われてみれば人が潜んでいる気配がしないこともない。
「さすが隊長!」
「いつの間に。全然気付かなかった!」
感動にうち震えている隊員たちと対照に、トマスは何を今さらという顔をしている。
「気付いていないと思ってたのか」
トマスは気付いていたようだ。
しかし、そんなことでへこたれる隊長ではない。
「この状況で逃亡など不可能だ。お前が人質をどうしようが、どのみち牢獄に逆戻りだぞ。今人質を解放すれば最悪の刑を免れると言っているんだ」
「そんな話、真に受けると思うか? 最悪でもそうでなくても刑を受けるつもりはない。このまま人質を使ってお前らを脅す方が俺にとっては都合がいいからな」
「本気で逃げ切れると思っているのか?」
トマスの背後、食料庫の窓の外では、弓を構えた歩兵が待機している。アニーの安全を確保すればいつ矢を放ってもおかしくないのだ。そのことに気付いているであろうトマスは、少しも取り乱す様子はなく、笑みさえ浮かべてみせた。隊長は苦虫を噛み潰したような表情で告げた。
「よく聞け。万が一人質を傷付ければ、アケルナー国からの宣戦布告と受け取るぞ。お前は同盟の話し合いを有利に進めるために送り込まれたのだろう。戦争になれば元も子もなくなると分からないのか」
隊長が言い終えたとき、トマスは思わずといったように頬を緩めた。ジェイミーは違和感を覚え、眉をひそめる。さっきの隊長の言葉のどこに、笑顔になる要素があったというのだろう。
トマスは自信たっぷりに口を開いた。
「それはつまり、もう人質を助けるつもりはないということか? 万が一人質を傷付けるようなことがあっても?」
それならば、もうこの女は必要ない。そう口に出すことなく、トマスはアニーの首を切りつけようと剣を持つ手に力を入れた。
「よせ、殺すな!」
瞬間、焦りを含んだ隊長の怒号が響いた。ジェイミーたちはとっさに駆け出していたが、とうてい間に合う距離ではない。
誰もがアニーの救出を諦めかけたそのとき、真っ青になっているアニーの首から血が流れるより早く、何処からか飛んできたナイフがトマスの手を弾いた。
「なっ……!」
トマスは思わず剣を振り落とした。
アニーは添えられていた剣刃から解放された隙に、食料庫の出口に向かって一目散に駆け出した。窓の外の歩兵が好機とばかりにトマスに向けて矢を放つ。トマスは落とした剣を蹴り上げ負傷していない方の手で柄を掴み、矢を全て防いだ。
シェリルは扉の方まで走ってきたアニーに駆け寄った。アニーはシェリルに抱き付き、腰が抜けてしまったのかその場にへなへなと崩れ落ちる。
「死ぬかと思ったぁ……」
「もう大丈夫ですよ」
トマスは目の前に迫ってきたジェイミーに斬りかかった。ジェイミーはすんでのところでそれをよけ、トマスの手元を素早く蹴り上げた。
トマスは再び剣を振り落とし、騎士隊に取り囲まれる。
「降参しろトマス。もう逃げられないぞ」
隊長の言葉にトマスは悔しがる様子もなく、あっさりと両手をあげた。どうにかこうにか、人質救出は成功したと言えるだろう。
ジェイミーは近くにぶら下がっている芋の入った袋を手に取った。口を縛っている縄をほどき、トマスの両手を後ろ手に縛り上げる。
トマスの右手の甲はすっぱりと切れてしまっていて、血だらけだった。ジェイミーは床に落ちているナイフを拾い上げ、首をひねる。
「これ、隊長が投げたんですか」
「いや、俺じゃない」
隊長も腑に落ちないという顔で、首を横に振った。他の隊員たちに聞いても、同じ反応である。トマスはジェイミーが投げたと思っていたようで、「お前じゃないのか」と不機嫌に吐き捨てた。
繰り返しになるが、騎士隊に足りないものは経験である。このとき一人でもトマスが脱獄に成功していることに注目していれば、縄で手を縛っただけのトマスから目を離すことは無かっただろう。人質をとられるという常にない緊張感から解放されて、気が緩んでいたことも確かだ。自分たちがトマスの周りを囲んでいるからと、非力なメイド二人のそばから離れていたことも、後に後悔すべきポイントである。
「なあ」
トマスが下卑た笑いを浮かべながら、指示を出している隊長に声をかけた。隊長は非常に迷惑そうな顔でトマスの方に顔を向ける。
「何だ」
「気付かないのか。俺が脱獄出来たのは協力者がいたからだ。この部屋のどこかに隠れてるぞ」
隊員たちは一斉に部屋の中を見回した。緊張が走ったのはほんの一瞬で、よく考えれば、それが敵の注意を逸らすための使い古された方法だということは明らかだった。しかしトマスはすでに両手の拘束をほどいていて、近くに立っていた歩兵から弓と矢を奪うには十分すぎる一瞬だった。
逃走するつもりかと、ジェイミーたちはトマスを囲んで剣を構えた。しかしトマスは逃げることなくその場で弓を構え、アニーとシェリルにむけて矢を放った。
トマスを囲んでいた騎士と騎士の間を通り抜け、文字通りあっと言う間に、こちらに背中を向けて泣いているアニーの元へ矢が向かった。
トマスの腕は確かだった。矢尻がアニーの心臓に向かっていることからわかる。そのまま進めばアニーを貫くことになるが、矢は空中で止まっている。なぜ止まっているのか。それは、アニーに抱きつかれているシェリルが腕を伸ばし、突き刺さる直前に矢を掴んだからだ。
まるで時間が止まったように、人々の動きは停止した。矢を射った張本人であるトマスでさえ、固まっている。
今この瞬間、この場にいる全員の考えは一致している。この距離で放った矢を素手で掴むなんてそう簡単に出来ることじゃない。
ジェイミーはこのとき、先程のナイフのことを思い出していた。トマスはジェイミーが投げたのではないかと疑っていたが、あのときジェイミーの後ろに立っていたのは、シェリルだった。