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86.家族の行く先

「兄さん! 待ってよ! ねぇってば!」


 だだっ広い廊下を足早に進むジェイミーの後ろを、リリーが走って追いかける。

 ジェイミーは完全に頭に血が上ってしまっていた。これ程までに怒りを覚えたのは生まれて初めてだったので、リリーの呼び掛けに冷静に応じる自信がなく歩調は緩めなかった。


「兄さん! 今すぐ止まらないと跳び蹴りするわよ!」


 本気の怒鳴り声に、さすがに足を止める。恐る恐る背後を振り返れば怒り心頭といった様子のリリーの姿がある。


「その靴で? 背中に穴が開くぞ」

「嫌ならそのまま動かないでよ!」


 リリーは令嬢にあるまじき足音をたてながらドスドスとジェイミーの側に歩み寄る。

 なにやら腹を立てているらしいリリーを前にして、どうしようもなく憤っていたジェイミーは案外簡単に冷静になった。キレることに慣れていないせいか怒りを維持するということが出来ないのかもしれない。


「それで? お父様に何を言われたの?」


 どんな些細な仕草も見逃さないとでもいうように、リリーは瞬きひとつせずジェイミーのことを見上げ尋ねる。ジェイミーは無意識に視線を泳がせた。


「軍を辞めてもいいって言われたから、腹が立って……」

「嘘よ。そうやって適当なことを言って、いつもいつも調子よく逃げられると思ったら大間違いなんだから」


 見逃すつもりは毛頭ないという態度のリリーに、ジェイミーは弱り果てる。


「その……」


 意を決して正直に答えようとするが、言葉に詰まってしまった。指先が急激に冷たくなっていくような感覚がして、焦燥が湧いてくる。


「あの……言えない、無理だ。悪いけど」


 それだけ返すのが精一杯だった。ジェイミーの様子がいつもと違うことに気付いたらしいリリーは、泣きそうな顔をしながら「そう」と呟き、それ以上は追求しようとしてこなかった。


 建物に雪が吹き付ける音だけが響く廊下で、しばらく二人は向き合ったまま黙りこむ。そのままどれくらい経過したのか、リリーが沈黙を破った。


「シェリルに会いたい?」


 予期していなかった質問にジェイミーは一瞬面食らい、すかさず取り繕った笑みを浮かべて見せた。


「さぁ、どうかな。分からない」

「兄さん。あなたは本当に嘘をつく才能が無いわね」


 出来の悪い弟子を前にした鍛冶屋のごとく、呆れ返るリリー。


「嘘だと思うか?」

「ええ、会いたいと顔に書いてある」

「そうか。参ったな」


 ジェイミーはうんざりと天井を仰ぎ見る。

 細やかな装飾の施された吊り燭台をどれだけ眺めてみても、気分は晴れない。正直、自分でも嫌気がさしているのだ。これだけ状況がこじれてもなお、厄介な想いが消える気配はない。


「アケルナー国の、秘密組織の一員だったって、本当に信じてるの?」


 もうごまかしは利かないだろうと思い正直に頷く。呆れられるかと思ったが、意外にもリリーは真面目な顔でジェイミーの答えを受け止めていた。指を顎にかけ難しい顔で考え込んでいる。わずかの間があって、リリーは口を開いた。


「私、アケルナー国に(つて)があるの。だからスプリング家やシェリルについて、詳しく調べられるかもしれない」


 リリーの言葉を理解するのに、ジェイミーは数秒を要した。


(つて)って、どんな?」

「二年前、アケルナー国から縁談が来たの。ベイド子爵という方よ。覚えてない?」


 そういえばそんな話があったような気がする、とジェイミーは二年前の記憶を手繰り寄せる。

 ウィルと婚約する以前、社交界デビューもまだであるというのにリリーの元には絶えず縁談が押し寄せていた。伯爵がリリーの肖像画をあちこちにバラまいていたからである。


「覚えてないな。縁談なんて星の数あったろう」

「でもベイド子爵は本当にしつこかったの。珍しく口を出してきたじゃないの、絶対に断れって」

「そう言われてみれば、そんなこともあったかな……」


 二年前といえば、アケルナー国との同盟の話し合いがまだ本格的に始まっていない頃だ。ジェイミーはその頃、奴隷大国と呼ばれるアケルナー国に少し偏見を持っていた。おまけにベイド子爵はリリーより二十も年上であった。これは嫁いで苦労しない方がおかしいなと思い、何がなんでも断れとリリーに言って聞かせたのだ。

 だがベイド子爵は食い下がった。ジェイミーを取り込もうと、わざわざ軍の本部に挨拶に来たこともある。そういう手段に出る者はまれにいるので、大して印象には残っていないのだが。


「あの人一度だけ、王都の屋敷に押し掛けて来たことがあるの。アケルナー国の王家と親しくしているということをしきりに自慢していたのをよく覚えてる。特に王弟とは幼馴染みで、本当の兄弟のようなものだと言っていたわ。だからきっと、スプリング家についての情報を手に入れ易いはずよ」

「さすがに、今さら連絡をとっても協力してもらえる保証は……」


 言いかけて、ジェイミーは動きを止める。リリーはしかめっ面を浮かべながらイライラと声を上げた。


「また兄さんは! そうやって言い訳して時間が解決するのを待つつもりね。聞いてみなきゃ分からないじゃないの。何としてでもシェリルを見つけ出してダイヤモンドを取り返さなきゃ、家族がバラバラになっちゃう!」


 リリーの言葉はジェイミーの耳に半分も届かなかった。ぼんやりしているジェイミーを見て、リリーは怪訝な顔になる。


「どうしたの?」


 ジェイミーはゆっくりと視線を下げ、リリーに目を向けた。


「あの男だ」

「え?」

「闘技場の、あの男だ」

「闘技場?」


 リリーは話が飲み込めず、小さく首を傾げた。

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