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85.切れた糸

 白い衣を(まと)った山々の向こうに、太陽がゆっくりと身を隠そうとする頃。アレース公爵の邸宅には、華やかな人々が溢れかえっていた。


 踏みつけることが躊躇(ためら)われるほど立派な絨毯に、まばゆいばかりのシャンデリア。そしてここぞとばかりにめかし込んだ貴族たち。

 何がそんなにめでたいのだろうとジェイミーはぼんやり考える。知人や同僚はもちろんのこと、面識の無い者もたくさんひしめいていて、時折自分の快気祝いだということを忘れそうになる。絶え間なくかけられるねぎらいの言葉に適当な笑顔を返しつつ、ジェイミーはこっそりとため息をついた。


 てっきりアレース派の人間に囲まれ嫌みでも言われるものと思っていたが、そんなことはなかった。あまりにも平穏に時が過ぎるので逆に不安になってくる。


 もしやジェイミーを含むウィレット家一族は、アレース公爵にとってはもう敵ですらなく、哀れみの対象に成り下がったのではないか。

 予想外に親切な声ばかりかけられるので、ジェイミーはそんな後ろ向きなことを考えて平静を保った。実際、ジェイミーの立場は今、客観的に見て哀れとしか言いようがなかった。


 国軍の機密であったシェリルの存在は今や社交界全体に知れ渡っている。

 これはハデス伯爵が貴族院の議員であるために起こった事態だ。伯爵は、軍がシェリルの存在を意図的に隠していたことにひどく腹を立てた。さそりの心臓を盗まれたのは軍が情報共有を怠ったせいだとして、シェリルに関する情報を逐一(ちくいち)貴族院に報告するよう軍の上層部に要求したのである。

 伯爵の意見に賛同する議員は少なくなかった。彼らは軍に属する議員だけがより多くの情報を握っていることに、危機感を覚えたのだ。軍が貴族院以上の権力を手にする日はそう遠くないと考え、積極的にあらゆる情報を手にいれようとした。


 結果、シェリルに関する情報は貴族院に筒抜けとなった。貴族院に筒抜けということは、社交界にも筒抜けということだ。


 ウィレット家の使用人の証言、ルドベキア軍の情報、そして、ジェイミーの主張。上流階級に属する者たちはそれら全ての情報を吟味(ぎんみ)し、そして答えを出した。


 秘密組織を装うシェリルという女に、ジェイミーは誘惑されまんまと騙された。そしてダイヤモンドを奪われ、騙された張本人は未だにその事実を受け止めていない。これが貴族たちの共通認識である。


 そういうわけでジェイミーは現在、どう慰めていいのかよく分からない奴、という扱いを受けている。


 この(けな)されるでも歓迎されるでもない状況は、ジェイミーをとても落ち着かない気分にさせた。鳥の羽で攻撃されているような、中途半端な不愉快さがある。


 こっそり抜け出してもかまわないだろうかとジェイミーが本気で悩んでいると、騎士隊の同僚であるスティーブが笑顔で近付いてきた。


「ジェイミー、楽しんでるか?」


 親しげに肩を組んできたスティーブにジェイミーは渋い顔を向ける。


「全然。平和すぎて気味悪くて……」

「安心しろよ。俺の親はお前が負傷したことをちゃんと喜んでるから」


 冗談めかして笑うスティーブを見て、ジェイミーは肩の力を少し抜いた。


「アレース派の人間にとってはやっぱり、嬉しいことなのか?」

「当たり前だろ。お前はウィレット家の唯一の跡取りだし。おまけにダイヤモンドが盗まれた。心の中では皆歓喜してるさ」


 スティーブはばかばかしいというように、小さく頭を振った。

 彼はジェイミーと敵対すべき家の生まれであるが、次男だからなのか、アレースとハデスのいさかいにあまり興味を持っていない。両親の前ではジェイミーを嫌っているように振る舞うが、あくまでフリをしているだけのようである。


「シェリルが本当は盗賊だったって話、信じるか?」


 何とはなしに尋ねると、スティーブは答えに窮するような反応をした。


「あのさ、実はそのことについて、ちょっと話があるんだけど」


 言いながらスティーブは警戒するように周囲を見回し、人気の少ない場所を視線で指し示す。ジェイミーは怪訝に思いつつも促されるまま移動しようと足を踏み出した。そして、すぐに立ち止まる。スティーブも同時に動きを止めた。


 二人の行く手を阻むように、ウィレット家の当主、ハデス伯爵が立っていたのだ。


「ハ、ハデス伯爵。この度はとんだ災難でしたね。心中お察しします」


 スティーブはすかさず愛想笑いを浮かべ片手を差し出した。しかし伯爵はスティーブを一瞥(いちべつ)しただけで、真顔のまま微動だにしない。スティーブは気まずそうに咳払いしたあと、手を静かに引っ込めた。


「話がある」


 およそ息子に向けるものとは思えないほど無機質な声で、伯爵は言った。遠回しにあっちへ行けと言われたことを察したスティーブは、小さく礼をする。


「それでは僕は……これで失礼します」

「悪い」

「いいって」


 謝るジェイミーの肩を軽く叩いたあと、スティーブは去っていった。伯爵はスティーブが人混みに紛れるのを見届けたあと、しろがね色の瞳をゆっくりとジェイミーに向けた。


「あれはマリンズ家の息子だな。何の利益があって親しくしようなどと考えた」

「親しくありません。あと少しで決闘が始まるところでした」


 ジェイミーのいい加減な返答に伯爵はクスリともしなかった。相変わらずの無表情で、「離婚することに決めた」と、さらりと呟いた。


 ジェイミーは最初、耳を疑った。取りあえず「そうですか」と返しながら、伯爵の言葉をよくよく頭の中で整理する。


「だがサラもリリーも、追い出すつもりはない。今まで通り世話をするから心配するな」


 たくさんの人で賑わっているにも関わらず、伯爵の声だけが無遠慮に頭の中に入ってくる。

 ジェイミーは伯爵と向き合うフリをしつつ、彼の背後にある大きな窓の外に目を向けた。まだまだ雪はやむ気配がない。あとどれくらい待てば春は訪れるだろうか。去年はどうだったか思い出そうとしている間にも、伯爵は話を進めていく。


「お前も、これからは好きにするといい。軍の仕事は辞めたければ止めはしない」


 軽く頷いて見せる。これで話は終わりだという合図のつもりだったが、伯爵はジェイミーの気持ちを推し量ったりはしないので無意味な動作に終わった。






 快気祝いという名目でわいわいと盛り上がる人々をウィルは遠目に眺めていた。壁に寄りかかり腕を組みながら、険しい顔でポツリと呟く。


「やっぱり、腕を庇ってる」


 退屈しのぎにカードで遊んでいたニックとリリーは同時に顔を上げる。ニックはきょろきょろと辺りを見回し、どうやら自分たちに向けてウィルが言葉を発したらしいと判断したあと、ウィルの方に視線を戻した。


「誰が?」

「ジェイミーが」


 ウィルの答えにニックとリリーは顔を見合わせる。リリーは数回瞬きしたあと、眉をひそめた。


「でも、兄さんはもう痛みは無いって……」

「多分、嘘ついてるんだ」


 昨日ジェイミーの見舞いに行ったときからずっと気になっていたというウィルに、ニックは呆気にとられたような顔を向ける。


「恐ろしい奴だなお前は。隠そうとしても弱点を見抜いてしまうのか。左腕が狙い目だとここにいる奴ら全員に教えてやれよ。英雄になれるぞ」


 ウィルは不可解だと言いたげな表情で、考え込む。


「どうして僕らにまで隠すんだろう」

「分からないことは本人に聞くのが一番だ。どこにいる? 問い質すぞ」


 三人は人混みに目を凝らし、ジェイミーの姿を探した。しかし人が多すぎてなかなか見つけ出すことができない。

 人混みを見つめすぎて三人の目がチカチカしてきたころ、どこからか悲鳴が聞こえてきた。


「なんだ?」

「あっちだ。喧嘩かな」


 ウィルが指差した方向に、人が倒れている。その人物を目にした瞬間、リリーは口元を手で覆った。


「やだ嘘、お父様だわ」


 倒れているのはハデス伯爵だった。正面に立っているのはジェイミーだ。どうやらジェイミーが伯爵を殴ったようだ。


「あーあ。ジェイミーの奴、ついにキレたか」


 呑気に呟くニックとは対照的に、ウィルは焦ったような声を出した。


「まずい」


 そう言って駆け出すウィルを、ニックは大げさだと呼び止めようとした。しかしすぐに顔色を青くし、ウィルの後を追う。


 伯爵が腰に下げていた剣を抜き、ジェイミーに斬りかかろうとしていたのだ。






 甲高い悲鳴があちらこちらに響き渡る。剣が風を切る音が聞こえる。伯爵が振り切ろうとした剣は、間一髪のところでウィルによって食い止められた。


 金属が勢いよくぶつかる音を合図に、辺りはしんと静まり返る。


 ウィルは伯爵の剣を受け止めたまま、信じられないという顔で言った。


「正気ですか、自分の息子なんですよ?」


 伯爵はジェイミーに殴られた頬を拭い、特に表情を変えることなく剣を引き鞘に収めた。


「失礼致しました、殿下。しかしそやつはもう私の息子ではありません」


 冷たく吐き捨てられた言葉を聞いて、遅れて追い付いたリリーは「え……」と小さく声を上げる。

 ウィルの背後では、ニックが愕然とした表情でジェイミーを見つめていた。


「お前、よけろよ。なに考えてんだ」


 ジェイミーは剣を抜くことをせず、伯爵の剣をよけようともしなかった。ざわつく周囲に目もくれず伯爵を思いきり睨み付けている。

 一瞬だけ何か言おうと口を開きかけたジェイミーだったが、再び口を閉じ、何も言わず足早に会場を去っていった。


 リリーは伯爵の側に駆け寄り焦った声で尋ねる。


「お父様、兄さんに何を言ったの?」


 伯爵はリリーを目だけで見下ろすと、何の感情も含まない声で言った。


「あいつはもうお前の兄ではない」


 それだけ言って、伯爵は人々の視線を避けるようにその場を去った。

 リリーはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがてジェイミーの後を追って駆け出した。


「あ、リリー!」

「放っとけよ。首突っ込まない方がいい」


 リリーを追いかけようとしたウィルの腕を、ニックが掴む。ウィルは不安げな表情でリリーの後ろ姿を見送った。

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