84.ダイヤモンドの代償
二年前、フォーマルハウト国の大富豪、ジャルダン卿の所有するティアラが盗まれた。希少な宝石をふんだんにあしらったティアラは国宝と表現しても差し支えないほど高価なものだった。
さらに一年前、アダラ国のべレンズ神殿に保管されていた聖剣が盗まれた。こちらも、失えば国が傾くくらいには高価な代物である。
この二つの事件は、ルドベキア軍が長年追っている盗賊団によるものであると考えられている。この盗賊団、盗みの手口が巧みで尻尾が全く掴めないのだが、最近、ある事実が明らかになった。
「ジャルダン卿、そしてべレンズ神殿の神官長は、盗難に遭う少し前、シェリル・スプリングという女と知り合っていたらしい」
秘密組織であるスプリング家の一員だと名乗る女は、ジャルダン卿と神官長を誘惑し、ティアラや聖剣の保管場所を聞き出したあと、盗難事件が起きた直後に姿を消した。
ウィルがルドベキア軍から聞いたという話に、ジェイミーは顔をしかめる。
「一年以上前の盗難事件だろ。どうして今になってそんな事実が出てくるんだ」
「それは事件が起こった当初、被害に遭った二人が意図的にシェリルのことを隠していたからだよ。ジャルダン卿は妻がいるにも関わらずシェリルに誘惑されて、結局誘いに乗ってしまった。べレンズ神殿の神官長も同じように、戒律を破ってシェリルと関係を持った。ルドベキア軍の調査で最近ようやく事実が明るみになったんだ」
そして、三ヵ月前。
アンタレス国はシェリル・スプリングと名乗る女が自国に潜入していると、ルドベキア軍に手紙で報告している。最初はどこかの国の諜報員だろうと返答したルドベキア軍だったが、二つの国で起きた盗難事件にシェリルが関わっていると明らかになったことで、あらためて詳しく話を聞こうとアンタレス国にやって来たのだ。
しかし、時すでに遅く。さそりの心臓と共にシェリルは姿を消した。
ニックはジェイミー宛に送られてきた見舞いの花束を物色しながら、つまらなそうに言った。
「ウィルがさっき渡したその紙な、被害に遭った二人の話を元にルドベキア軍が描いた似顔絵なんだ」
ジェイミーはどこからどう見てもシェリルにしか見えない似顔絵を見つめながら、すっきりしない表情を浮かべる。
「じゃあ、シェリルは本当は盗賊だったってことか? さそりの心臓が目的でこの国に忍び込んだ?」
「ルドベキア軍はその可能性が高いと言ってる。今日の夕方、この屋敷をいろいろと調査したいそうだよ。お前の話も聞きたいってさ」
「そうか……」
ウィルの言葉に相づちを打ったあと、ジェイミーは難しい顔で考え込む。
どんな大国にも肩入れしない、中立を守る組織、ルドベキア軍。彼らがもたらす情報はとても強い影響力を持っている。だからきっと、軍の上層部はシェリルが盗賊だったという話を信じるだろう。上層部に限らず、ほとんどの者はジェイミーではなくルドベキア軍を信じるはずだ。
見たはずの男を見ていないという使用人。絶妙なタイミングで現れたルドベキア軍。着々とスプリング家の存在は無かったことになりつつある。
だがジェイミーは確信していた。
シェリルは盗賊じゃない。さそりの心臓に興味などなかったはず。カルロという男は、確かにいた。
なぜ自分は襲われたのか、ジェイミーはその理由をずっと考えている。何かとても重要なことを見落としているような気がしてならない。
思案に暮れるジェイミーを見て、ウィルが気遣わしげに言った。
「あのさ、ジェイミー。追い討ちをかけるようで申し訳ないけど、もうひとつ言っておくことがある」
「何だ?」
「アレース公爵が、お前の快気祝いをしたいと言ってるんだ」
もうこれ以上悪いことなど起こらないと思っていたジェイミーは、うつろな顔で似顔絵から視線を上げた。
「快気祝い? 負傷祝いの間違いだろ」
「いつなの?」
リリーが尋ねると、ウィルは気の毒なくらいに申し訳なさそうな声を出した。
「明日」
ジェイミーとリリーは絶句する。快気祝いとは体調が完全に回復してから行うものではないのだろうか。しかし日程を指定したのが伯爵だと聞いて得心がいく。
ハデス伯爵とアレース公爵の戦いはもう始まっているのだ。両家の戦いにおいて弱味を見せることはすなわち敗北を意味する。ジェイミーは明日までに、左手だけで逆立ちして歌を歌えるくらいには回復していなければならない。
見舞いの品であるクッキーを勝手にボリボリ食べているニックは、ジェイミーたちを遠巻きに眺めながら呆れたような声を上げた。
「お前の家族って本当、薄情だよな。見舞いに来るのはリリーちゃんだけだし、快気祝いをするっていうのもウィルを介して知るなんてさ。見ず知らずの他人の方がまだ親切にしてくれんじゃねぇの」
悲しいことに言い返す言葉がなく、ジェイミーは苦笑いするしかなかった。ウィルが焦ったように口を開く。
「さそりの心臓が盗まれてごたついてるせいだよ。落ち着いたら顔くらい出してくれるって」
「それだよ、さそりの心臓。それがないと何かまずいの? まるで家ごと盗まれたみたいに大騒ぎしてるけど」
ニックの指摘に、ジェイミー、リリー、ウィルは静かに顔を見合わせる。リリーは手元の扇子に視線を落としながら、消え入りそうな声で呟いた。
「お父様はさそりの心臓が欲しくてお母様と結婚したの。だから、もしこのまま首飾りが戻ってこなかったら……」
「離婚するかもしれないって? 冗談だろ。そんなことしたら跡継ぎも失うんじゃないのか?」
爵位を継ぐことが出来るのは正妻との間にできた子供である。もし伯爵が夫人と離婚すれば、ジェイミーは次期当主ではなくなる。成人した跡継ぎを自ら手放すなんてリスクを負う貴族は滅多にいないが、ウィレット家の場合は事情が少し異なる。
「俺たちの母親は社交が全く出来ない人なんだよ。貴族社会で生きていく上で、これは結構厄介なことなんだ。だから今、天秤にかけてるんだと思う。首飾りが戻ってくる可能性と社交が下手な伯爵夫人を抱えるリスクと、どっちをとるかで揉めてるんだ」
まるで他人事のような顔で説明するジェイミーに、ニックはやれやれと頭を振って見せた。
「ジェイミー、リリーちゃん。俺の的確で核心をついたありがたい意見を聞きたいか?」
「悪いな。今好奇心が出払ってる」
「私も」
「そうか、そんなに言うなら聞かせてやろう。お前らの家族はおかしいよ。ちょっと珍しいだけの石ころに振り回されて、馬鹿みたいだ。はっきり言って救いようがない」
遠慮も何もないニックの言葉にジェイミーは大きなため息を返す。
「今まで気づかなかった。心に響いたよ、どうもありがとう」
「いい加減反抗することを覚えろ。お前の親父はたとえお前が世界征服を成し遂げたって満足なんかしないぞ。快気祝いなんてすっぽかしちまえばいいんだよ。伯爵の言いなりになるのはもうやめろって」
「俺は別に好き好んで言いなりになってるわけじゃない」
想像以上に不機嫌な声が出て、ジェイミーは少し驚いた。
部屋の中に不穏な空気が流れる。ニックは苛立ったような表情を浮かべ、ウィルは気まずそうに押し黙る。
ジェイミーはすぐに謝ろうとしたが、言葉を発することが出来なかった。左腕が突然痛みだしたのだ。
傷は順調に回復しているのに、どういうわけか時々酷く痛む時がある。痛み止めが全く効かないので、きっと傷のせいでないのだろう。
しばらく重たい沈黙が続き、やがて小さなすすり泣きが聞こえてきた。ジェイミーはぎょっとして顔を上げる。リリーがポロポロと涙を溢していた。
「リ、リリー。どうした?」
「兄さん。私のせいなの」
「え、何が……?」
「私がダイヤモンドの保管場所をシェリルに教えたの。首飾りが盗まれたのは私のせいなの。だから、もしお父様とお母様が離婚したら、それもきっと私のせいだわ」
そういって、リリーはわぁっと顔を覆って泣き出した。ジェイミー、ウィル、ニックは慌ててリリーを慰める。
「い、いやいや。違うって。多分俺がうっかり口を滑らせたのかな……? そんな気がしてきたなぁ」
「そうだよリリー。リリーのせいじゃないって」
「リリーちゃん、ほらほら、かわいいお花があるよ。泣き止めー」
あの手この手でリリーの涙を止めようとする三人の間には、ある種の緊張が走っていた。
リリーは昔から、本気で泣くと理不尽にキレるのだ。そして暴力を振るう。ここにいる三人は全員、幼ない頃のリリーに泣きながら跳び蹴りされたことがある。
今回は誰が犠牲になるのか。三人はお互いに視線を交わす。ジェイミーは一応負傷しているので、対象外だろう。ウィルはリリーに攻撃された回数が極端に少ないので、今回も免れる可能性は高い。となると……。
ジェイミーとウィルはニックに視線を向けた。ニックは己に降りかかるであろう災難を予測し、顔色を青くする。
「リ、リリーちゃん……。自分を責めるんじゃない。君は何も悪くないよ」
「いいえ、全部私が悪いの。本当は皆もそう思ってるんでしょう? 本音を言ってよ! さぁ、早く!」
リリーは泣きながらゆっくりとニックに歩み寄る。ニックはジェイミーとウィルにとっさに助けを求めた。しかしジェイミーとウィルは二人して天井を見上げ、吊るしてある蝋燭の数を数えるフリをしている。
「お前ら覚えとけよ!」
「ニック、正直に言って! 全部私が悪いんでしょう!?」
リリーは泣きながらニックの胸ぐらを掴む。ニックはとりあえず、薄情な友人二人を心の中でありったけ呪っておいた。