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81.二日酔いには水分補給

 シェリルはジェイミーのベッドに埋まっていた。ベッドに埋まりながら、スティーブが用意した宿でもなく、自分の部屋でもなく、ジェイミーの部屋で寝ている理由について真剣に考えていた。考えようとはするのだが、頭が痛くて何も考えられない。


 とりあえずジェイミーの部屋を出て自分の部屋に戻る。何もかも脱ぎ捨て、あるのかないのか分からないくらい狭いバスルームに入り、貯めておいた水を被る。石鹸で顔を重点的に洗ったあと、着なれたワンピースを身に付けようやく人心地ついた。

 ドレスも化粧も、一度だけで勘弁だな、とシェリルは思った。ドレスは肩が凝る上に動きにくいし、化粧は顔に何か張り付いているような違和感があっていただけない。そんなことを考えていると、再び頭痛が襲ってきた。おまけに水を被って冷えてしまったせいで体が震える。次々と襲い来る不調に耐えかね、シェリルはあまり気が進まなかったが軍の医務室に向かうことにした。






「うわ、どうしたの君」


 衛生隊のロイドは、医務室に現れた真っ青な顔のシェリルに目を丸くした。シェリルはまるで井戸から這い上がった幽霊のように髪から水を滴らせながら、フラフラとロイドに歩み寄った。


「先生いる?」

「隊長は今神殿に行ってる。闘技場にいた子供たちを診てるんだ。午後には戻ってくると思うけど、なに、君も風邪ひいたの?」

「二日酔いなの。頭が痛くて、なんとかしてくれない?」


 ロイドは面倒くさそうな顔をしながら白いカーテンの向こうに引っ込んだ。そして面倒くさそうな顔のまま戻ってきて、シェリルにリンゴと水を差し出す。


「はい」

「何これ。もっと有効成分が痛みに直接届きそうな薬をちょうだいよ」

「薬の成分が頭に直接届いたら死ぬよ。酒が抜けるまで飲みすぎたことを悔やむんだね」


 シェリルは心のなかでケッと悪態をつき、大人しく患者用のベッドに腰掛けリンゴをかじった。ロイドはその様子を見つめながら、腕を組み何かを考え込んでいる。


「……なに?」

「昨日の夜、騎士隊のキャンベル隊長が来てさ、君が酒に酔って道端で寝てるかもしれないって言ってたよ。もしここに運び込まれたらすぐ騎士隊に連絡するように言われてるんだけど、元気そうだし、自分で無事だって言いに行ってくれない?」


 なんてことだ、とシェリルは嘆息する。

 なぜ隊長はシェリルがスティーブを鮮やかに欺き逃亡を成功させたと思わなかったのだろう。しかも医務室を訪れることを先読みされている。

 どうやらシェリルの威厳が時と共に薄れていっているようだ。また一から構築しなおさなければ。


「私が騎士隊に無事だと言いに行くと見せかけて逃げ出したらどうするの。もっと警戒心を持ちなさいよ」

「逃亡するなら騎士隊に報告してからにしてくれ。そうすれば僕の責任にはならないから」


 もう本当に逃げてしまおうかな、とシェリルはリンゴをかじりながら考えた。ロイドはなんのためらいもなく実験の続きがあると言ってカーテンの向こうに引っ込んでしまった。


 ベッドでそのままふて寝していたら、騎士隊の隊員が一人現れた。


「あ、いたいた。おーい、起きろ」


 ビシバシ起こされてシェリルは不機嫌に身を起こす。


「なにするのよ」

「なにするのよじゃないよ。無事ならちゃんと騎士隊に報告しに来い」

「なんで私が報告しに行くと思うの。私は騎士じゃないのよ。ていうかどうしてここにいるって分かったの」

「ジェイミーが今朝、君が自分の部屋で寝てるって報告に来たんだ。でもジェイミーの部屋は空っぽだったから、試しに君の部屋に行ってみたら怪しい水滴が医務室まで続いてたんだよ。滑って危ないから廊下を濡らすのやめてくれない?」


 シェリルはハッとする。

 ジェイミーで思い出した。そういえば自分はどうしてジェイミーの部屋で寝ていたのだろう。まさか酔っぱらって忍び込んでしまったのだろうか。だとしたらジェイミーの名誉を多分に傷つけてしまったのではないだろうか。青い顔をするシェリルに、隊員は一枚の封筒を差し出した。


「これ、今朝君宛に届いた手紙なんだけど」


 シェリルは唐突に差し出された封筒をしげしげと見つめる。差出人不明だが、宛名の字で仲間からの手紙であることは一目瞭然だ。


「いいの? 読んでも。仲間からの手紙かもしれないのに」

「一応中身は確認したんだけどさ、内容がさっぱり解読できなかったんだ。だからもう本人に直接聞けって隊長が」


 正直に教えると思っているのだろうか。やっぱりシェリルの威厳は失われてきているのかもしれない。どこか釈然としない気持ちで封筒を受け取る。中を見て、固まる。隊員は興味津々でシェリルの顔を覗き込んだ。


「それで? 何て書いてあるの?」

「……読めない」

「は?」

「読めない」


 シェリルは戦慄した。封筒の中身は暗号であった。スプリング家が独自にあみ出した、図形を用いた暗号である。もちろんシェリルはその暗号を書くことも解くこともできる。しかしこの手紙に書いてある暗号、ビックリするくらい下手くそだ。


「嘘だろ。教えられないほどの情報が書いてあるとか?」

「本当に読めないの。どっちが上かも分からない」


 この下手くそぐあい、誰が書いたかは想像がつく。だが誰が書いたか分かっても仕方がない。大事なのは内容なのだから。


 シェリルは頑張った。二日酔いの頭を駆使し、なんとか手紙を読み取ろうとした。十分かけて半分ほど解読し、今度はその内容に戦慄した。


「読めた? 何て書いてある?」


 シェリルが手紙を解読するのを根気強く待っていた隊員は、期待を込めた視線をシェリルに向けた。シェリルはゆっくりと顔を上げ、隊員に詰め寄る。


「ジェイミーは?」

「え?」

「ジェイミーは今どこにいるの?」

「確か、王都にある伯爵邸に帰ってるよ。少し前に急に呼び出されたとか言って……」


 シェリルはさぁっと顔色を失った。しばらく氷のように固まったあと、我に返る。


「ニックよ……」

「は?」

「ニックに話すわ。手紙の内容はニックだけに話す」


 ただ事ではないシェリルの様子に、隊員は戸惑うばかりであった。


◇◇◇


「で、何なの。手紙の内容ってのは」


 突然呼び出されたかと思うとシェリルと二人っきりで執務室に閉じ込められたニックは、面倒くさそうな表情を浮かべている。シェリルはソファーに腰かけているニックの真正面まで無言で歩いていき、背もたれに両手をついて彼の逃げ場を奪った。


「ニック、お願いがあるの」

「……やめろよ。俺は友人の女には手を出さない主義なんだ」


 何かを勘違いしているらしいニックを無視し、シェリルは一言一句に力を込めて言った。


「ジェイミーのところに連れていって。できるだけ早く」

「はい?」

「軍にバレないように。そこの窓から抜け出してジェイミーのところに……」

「ちょっと待て。おちつけ」


 ニックはシェリルを一旦自分の隣に座らせた。シェリルは真剣な顔でニックの肩を掴む。


「時間がないのよ。お願いだから……」

「シェリルちゃん。いくらジェイミーが恋しいからって実家まで押し掛けるのはさすがのあいつも迷惑だと思うよ」

「冗談言ってる場合じゃないの。私は本気で頼んでるのよ」


 尋常ではなく焦っているシェリルを見て、どうやら真面目な話らしい、とニックはようやく理解した。


「その手紙、何て書いてあるの?」

「話せない。お礼ならなんだってするわ。だから何も聞かず連れていって欲しいの」


 いくら自由人と言っても、ニックは軍の人間である。シェリルの口車に乗せられて何か問題でも起これば苦労して入った騎士隊をクビになる。ニックは悩んだ。悩んだ末に答えを出した。


「ウィレット家の住所を教えてやる。適当な理由をつけて一人で馬小屋に行け。ある程度時間は稼ぐから、自力でジェイミーのところに行けばいい。俺が出来るのはそれが限界だ」


 要はニックが手引きしたとバレなければシェリルが何をしようと構わないのだ。しかし現実はそんなに甘くなかった。


「無理よ。私馬に乗れないの」

「まじかよ」


 シェリルは馬に乗れない自分を呪った。しかし呪ったところで事が好転するはずもない。


「ニック、もう正直に言っちゃうけど、このままじゃジェイミーが私の仲間に殺されるかもしれない。とにかく早く屋敷に行かなくちゃ」

「それなら隊長にそのことを話してくれよ。そうすれば軍の命令で助けに行けるから」

「命令を待ってたんじゃ間に合わないのよ! お願い、あなたにしか頼めないの」

「あー、もう、何で俺なんだよ。ウィルに頼んでくれりゃあよかったのに」


 ニックは頭を抱えた。己の判断ひとつでジェイミーの生き死にが決まってしまうかもしれない状況に葛藤しているようだ。しかしもう時間がない。再びシェリルが説得を試みようとしたとき、ニックは決心したように立ち上がった。


「念のため言っておくけど、俺はウィレット家に顔が利かないからな。正面から屋敷に入れてもらえるかどうか分からないぞ」


 ニックはやけくそ気味にそう言って、執務室の窓へと足を向けた。

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