80.日和見男の葛藤
スタンシー家の舞踏会から一夜明け、昨日も一昨日もそうであったように、今日もアンタレス国には薄暗い朝が訪れた。
国軍本部の食堂に寝ぼけ眼のウィルとニックが現れる。二人は一足早く朝食にありついているジェイミーの姿を見つけて、フラフラと近付いた。
「ジェイミー、おはよう」
「お前いつの間に兵舎に帰ってたんだよ」
言いながら、ウィルとニックはジェイミーの両隣にそれぞれ腰を下ろす。ジェイミーはぼんやりと二人に目をやり、それから気だるげに頬杖をついた。
「日が変わる前には帰ったよ」
「のんきな奴だな。俺たちあれから大変だったんだぞ」
ニックは嫌味ったらしく言いながら、ジェイミーが食べようとしていたパンを奪い取る。ジェイミーは特に文句も言わず、今朝作ったばかりだと料理長が自慢していたバターを差し出した。そして妙に疲労している友人たちの様子に首を傾げる。
「何かあったのか?」
「シェリルがいなくなったんだ。スティーブと三人で探したんだけど、どこにもいない」
ウィルの言葉を聞いた瞬間、ジェイミーはすっかり失念していたというように額に手を当てた。
「あー、そうだった……」
訳を知っているような反応をするジェイミーに、ウィルとニックは訝しげな目を向ける。ニックが口を開いた。
「何だよ。お前もしかしてシェリルちゃんがどこにいるか知ってるのか?」
「ああ、知ってる」
気まずい顔で頷くジェイミー。二人は驚き目を見張る。
「え、本当に? どこにいるの?」
「部屋にいる」
「部屋って、兵舎の? 探したけどいなか……」
いいかけて、ウィルはハッとする。そして、青ざめる。ニックは食べかけのパンをぼとりと落とした。
「ちょっと待て。まさかお前の部屋にいるなんて言わないよな」
「そのまさかだ」
「まじかよ……」
友人二人の反応にジェイミーも事の重大さを認識した。昨日、酔っぱらったシェリルをスティーブに預ける気にどうしてもなれず、勝手に連れ出してしまったのだ。その後は正直言ってスティーブのことは忘れていた。
スティーブはシェリルを見失ったことを隊長に報告したはずだ。ということは隊長は今、シェリルが逃亡したと思っているかもしれない。兵を出動するなんてことになる前に真相を伝えねばなるまい。
「隊長に報告してくる」
「まぁ待て」
立ち上がったジェイミーの腕をニックが掴み、引き戻した。左右からウィルとニックに拘束されて、ジェイミーは身動きがとれなくなる。
「なにするんだ」
「ジェイミー、はっきりさせよう。正直に答えろ。やったのか? やってないのか?」
ニックが真剣な顔で尋ねてくるので、ジェイミーも真剣な顔で答えた。
「やってない」
「嘘だろ。正直に答えろ」
「……キスはした。それ以上はしてない」
真面目に伝えたつもりだったが、二人とも全く信じている様子はない。ウィルが疑心たっぷりな声で言った。
「日が変わる前にシェリルを部屋に連れ込んでキスはしたけど朝まで何もなかったって言うのか? スティーブが全く同じこと言ったらお前信じるか?」
「違うんだ。昨日シェリルは酔っぱらってたから、放っておけなくて……」
きっとジェイミーの目は分かりやすく泳いでいたのだろう。二人はますます疑い深い視線をジェイミーに向ける。ジェイミーはとうとう降伏した。
「わかったよ、認める! 確かに下心はあった。でもシェリルは部屋に入った瞬間泥みたいに眠りこけたから俺は暖炉の前で一人寂しく夜を明かしたんだ。手は出さなかった。誓ってもいい」
必死の訴えに一応、納得はしたらしい。ウィルとニックはジェイミーを拘束するのをやめ、ひとまず冷静になろうと自分の分の朝食を取りに行った。戻ってきて、しばらく静かにパンをかじる。口火を切ったのはニックだった。
「お前の予想通り、スティーブはシェリルちゃんがいなくなったことをすでに隊長に報告してる。でも隊長はあんまり慌ててない」
「なんで?」
ウィルが話を引き継ぐ。
「シェリルが酒瓶を片手に歩き回ってたのを、舞踏会に参加してた騎士隊の何人かが見てたからだよ。せいぜい酔っぱらって道端で居眠りでもしてるんじゃないかって隊長は考えてる。それでも氷づけになってたらさすがにまずいと思って、僕らは必死にシェリルを探してたわけだけど」
ジェイミーは罪悪感を感じ、曖昧に目を伏せた。ウィルは話を続ける。
「幸い、ジェイミーと一緒にいるところを見た奴はいない。つまり、黙ってればバレない」
「そうだ。酔っぱらったシェリルちゃんが知らない間にお前の部屋に忍び込んでたってことにすればいい。お前は朝方兵舎に戻ったから忍び込まれていることに気付かなかった。これで完璧だ。口裏を合わせるようシェリルちゃんを説得してこい。今すぐに!」
さぁ行け、はやく行けとせっつく二人に対し、ジェイミーはためらいがちに告げた。
「説得の必要はない。シェリルは昨日のことをほとんど覚えてないから」
ウィルとニックは同時に黙り込む。そして数回瞬きしたあと、ウィルがゆっくり口を開く。
「ほとんどって、どれくらい……?」
「舞踏会でニックと話した辺りからまともな記憶が無いと言ってた」
「じゃあお前とキスしたことも、部屋に連れ込まれたことも覚えてないわけか」
ニックの問いにジェイミーは複雑な気持ちで頷いた。
ウィルとニックは一気に肩の力を抜く。
「なんだ。じゃあ僕たちが黙ってれば問題ないのか……」
ウィルは心配して損した、と呟きつつ食事を再開する。料理長自慢の焼きたてパンを黙々と口に運ぶ友人たちを尻目に、ジェイミーは思案に暮れていた。全く食事に手をつけようとせずぼんやりとしているジェイミーを見て、ウィルとニックは顔を見合わせる。
ニックはジェイミーの眼前で手を振った。
「おーい。どうした。寝てんのか?」
「やっぱり、本当のことを隊長に報告した方がいいんじゃないかと思うんだ」
ポツリと呟いたジェイミーに対し、ニックは呆れ返った表情を浮かべる。
「何言ってんだ。ただでさえ隊長はお前とシェリルちゃんを遠ざけようとしてるんだぞ。本当のことなんて話したら色仕掛けに引っ掛かったと思われて信用を失うかもしれない」
ニックの考えはもっともである。シェリルに気があることが知れたら、今後何を報告しても、シェリルのために情報を操作しているんじゃないかと疑われることになるだろう。事実、ジェイミーはすでにいくつかの情報をシェリルのために報告していない。
「でも、どうせそのうちバレることだと思うんだよ。今回はたまたま大事にならずにすんだけど、次はこんなに上手いこといくかどうか……」
「次ってなんだ。次は何をするつもりなんだ。大丈夫かお前。お前本当にジェイミーなのか?」
ニックはジェイミーの頬をつねりグイグイと引っ張った。
「痛い痛い。やめろ、本当にジェイミーだよ」
「多分、自分で思ってる以上に混乱してるんだよ。今はとりあえず僕たちの言う通りにしといた方がいいと思う」
ウィルが綺麗に話をまとめてくれた。しかしジェイミーは冷静になるまで何もせず待つ余裕などなかった。無理矢理にでもシェリルと引き離されなければ、何か仕出かしてしまいそうで安心できないのだ。
そう正直に打ち明けると、ウィルとニックは信じられないという目でジェイミーを凝視した。
「本当に、どうしたんだよ。そういうの柄じゃないって」
ニックの言葉に、ジェイミーは「だよなぁ」と上の空で返したのだった。