79.脈絡のない想い
たくさんの人で賑わう会場を出て、幅の広い通路を進み角を曲がった先で、怪しげな集会が開かれている。六人の男女が休憩用の長椅子に腰掛け真剣な顔で言葉を交わしているのである。
くたびれた服を着た虚ろな顔の男は、椅子の肘掛けの装飾を睨み付けながら、自分がいかに舞踏会が苦手かということについて語っていた。
「俺は三男なんだ。上の兄は二人とも優秀で、周りはいつも俺と兄たちを比べようとする。舞踏会で誘いに応じてくれる女は皆、本当は兄が目当てなんだ。そうでなくても、三男ってだけで敬遠される。それで段々女性をダンスに誘うのが怖くなったんだけど、でも舞踏会の招待を断るのも怖いんだ。たとえ壁際でも、社交界に居場所が欲しい……。皆、臆病者の俺をぜひ笑ってくれ」
「いいや、笑えない。俺も同じようなものさ……」
「私もよ」
「あなたは臆病者なんかじゃないわ」
この集会は何かというと、壁の花と呼ばれる者たちの集まりである。シェリルはニックが披露してくれた手法を用いて、壁際に立っていた人々に片っ端から声をかけたのだ。ほとんどには無視されたが、五人の男女がシェリルの誘いに乗ってくれた。
「マイク、あなたは自分の弱さをさらけ出すことの出来る勇敢な人よ。さぁ、これを飲んで」
シェリルはマイクの持っているグラスに激励の気持ちを込めて酒を注いだ。一体どこで酒瓶を入手したのか思い出せないのだが、マイクが元気になるのなら細かいことはどうでもいいのである。
「ありがとうシェリル。気持ちを打ち明けたら心が楽になったよ」
「それはよかったわ。次は誰にする?」
「次は、私の話を聞いてもらえるかしら」
ジーナがお行儀よく片手を挙げて名乗り出る。シェリルが促すと、彼女は自分が壁の花になってしまった理由をぽつぽつと語りはじめた。こんな調子で順番に胸のうちを語り合っていると、いつの間にか気が合う者同士で談笑がはじまった。やがて、ジーナはマイクと、アンドリューはマリオンと意気投合し、ダンスを踊るため仲良く会場に戻って行ってしまった。
取り残されたシェリルとセオドアは、あぶれた者同士で酒を酌み交わす。しばらくしてシェリルは、セオドアがじっと自分を見つめていることに気が付いた。
「セオドア、そういえばあなたの話がまだだったわね」
シェリルが話を振ると、セオドアはにっこりと微笑んでシェリルの頭に手を伸ばした。
「僕は君の話が聞きたいな」
髪飾りを撫でながら甘ったるい声で呟くセオドア。シェリルはとっくのとうに、レグルス語が話せないから誰にも相手にされない、と打ち明けたはずなのだが、彼は真剣に聞いていなかったようだ。
「ねぇ、私たちも踊りに行かない?」
「それは魅力的な誘いだけど、ようやく二人きりになれたんだしもう少し楽しもうよ」
何を、と尋ねる前に髪飾りを弄んでいたセオドアの手がシェリルの腰に回った。
「ちょっと、あの……」
「君って髪と目の色で損してるよね」
失礼なことを言いながらのしかかってくるセオドア。この男、シェリルが酒瓶を持っていることを忘れているのだろうか。
「ねぇ、止めた方がいいと思うけど」
聞く耳を持たずキスをしようとするセオドアの頭に、シェリルは狙いを定めた。中身を全て飲み干しておけばよかったな、と考えつつ酒瓶を振り上げようとしたとき、突然セオドアの体の重みが消えた。
あれ、と呟き、辺りを見回す。呻き声が聞こえてそちらの方に目を向けると、ジェイミーがセオドアを地面に組み敷いていた。
「ジェイミー?」
幻覚だろうかと思って何度も瞬きするが、やっぱりジェイミーである。ジェイミーはシェリルの方に視線を移すと、険しい顔で口を開いた。
「同意の上?」
「え?」
しばらくして質問の意味を理解したシェリルは、慌てて首を横に振った。ジェイミーは小さくため息をつくと、セオドアの腕を背中側に締め上げたまま、立ち上がる。
「ミルワード卿、スタンシー家まで出禁になりたいんですか」
「あ、ああ、ジェイミー君。久しぶりだねぇ、元気だった?」
ひきつったように笑うセオドアに、ジェイミーは険のある声で言った。
「いい加減にしないと、また連行しますからね。今日のところは見逃しますが次は無いですよ」
「はは、大げさだなぁ……」
笑ってごまかそうとしたセオドアの表情が突然苦痛に歪んだ。ジェイミーが彼の腕を思いきりひねったようだ。
「分かった! 分かったから!」
ジェイミーが手を離すと、セオドアは瞬時に体勢を整えた。シェリルは唖然としたまま、機敏に走り去るセオドアの背中を見送る。
「またって、あの人前にも何かしたの?」
「聞かない方がいいよ」
ジェイミーは吐き捨てるように言ったあと、先程セオドアが座っていた場所に腰を下ろした。
はて、なぜジェイミーがここにいるのか。シェリルは考えてみる。たまたま通りかかったということはないだろう。シェリルが声をかけた者たちは皆(セオドア以外は)、長年日陰にいたせいでとてもシャイであったので、わざわざ通行人の死角になる場所を選び会話していたのだ。
「久々の舞踏会は上手くいってる?」
シェリルは酒を飲みつつ、とりあえずジェイミーの社交界復帰の進捗状況を聞いてみる。ジェイミーはなぜか険しい表情のまま、シェリルが持っている酒瓶を取り上げてしまった。
「あ、ちょっと……」
シェリルの手が届かないところに酒瓶を置くジェイミー。何やら不機嫌そうである。もしかしたらあまり上手くいっていないのかもしれない。
「そうなの、残念ね。でも、あんまり気にしちゃダメよ。誰にでも上手くいかないときくらいあるわ」
シェリルは先程のマイクやジーナの話をして、上手くいかないのはジェイミーだけではないと励まそうとした。しかしシェリルが何か言う前にジェイミーが声を上げた。
「スティーブに脅されてるんだって?」
シェリルはピタリと動きを止める。そして、無意識にニックの軽薄な笑顔が頭をよぎった。あの男の口は空気より軽いのか。
「ニックに聞いたの?」
「スティーブにもね。シェリルのこと探してたぞ」
シェリルはげんなりと肩を落とした。誰も彼も、好き勝手なことをする。
ということはつまり、ジェイミーはスティーブに頼まれて自分を探しに来たのだろうか。せっかく舞踏会を楽しんでいたのにシェリルを探すため中断せざるを得なくなり、不機嫌になったと、そういうことかもしれない。
「そう、分かったわ。今すぐスティーブのところに戻るから、安心して舞踏会の続きを楽しんで」
シェリルは牢獄に戻る囚人のような気持ちで立ち上がり、会場へ向かうためくるりと方向転換した。それをまたくるりと回されて、椅子に座らされる。先程と同じ体勢に逆戻りである。しかもジェイミーに肩を押さえられて立ち上がることが出来ない。
「どうしたの。遊んでるの?」
「スティーブの言いなりになるのはもうやめてくれないか」
真剣な顔のジェイミーに見つめられ、シェリルは心臓が止まってしまうかと思った。なんせジェイミーは今、普段にも増して格好いいのである。
舞踏会という特異な空間がそうさせるのか、普段以上に輝いて見える。以前は薄っぺらいマントなんて何の役にも立たないと思っていたシェリルだが、今分かった。マントは必要だ。格好いいから。
シェリルはジェイミーに見惚れつつも、彼の不機嫌な様子や、スティーブの言いなりになるなという言葉から一つの答えを導きだした。
「ふ、なるほど。そういうことね」
突然ふっふっふっと笑いだしたシェリルを、ジェイミーは気味悪そうに眺める。
「あの、真剣な話なんだけど……」
「ええ、分かってる。水くさいじゃないの。こんなまわりくどいことしなくても、私はいつでもあなたの味方なのに」
シェリルは冴え渡る自分の頭脳が恐ろしかった。
つまりこういうことだ。
スティーブが出世のためにシェリルを従わせていると知ったジェイミーは、さぞ悔しかったに違いない。なぜなら本来、シェリルの監視役として実績を積み出世するのは、ジェイミーのはずだったのだから。
だから再びスティーブではなく自分に監視されてくれ、とジェイミーは遠回しに言っているのだろう。しかし出世したいだけなら、何もシェリルを監視するなんて面倒なことをする必要はない。
「ジェイミー、私がとっておきの情報をあなたに教えてあげるわ」
「とっておきの情報?」
「そう。前に、ローリーがうちの国王の弱点を掴んでると教えたでしょう? 私は弱点の内容を知らないと言ったけど、あれは嘘なの。本当は知ってる。アケルナー国王バリック・リバーは、流行り病をこじらせて体が弱ってきているの。国王の側近とスプリング家以外は誰も気付いていないけど、ローリーだけはそれに気付いているのよ」
ジェイミーは途中から呆然としながら、シェリルの話を聞いていた。
「へぇ、そうなんだ」
「そして、ここからはローリーも知らない話。バリックには、仲の悪い年の離れた弟がいる。この弟っていうのが困った奴で、王座を奪うために何度も実の兄を暗殺しようとしているの。その度にスプリング家が国王を守ってきたけど、まるできりがないのよ。国王のやることなすこと全てに反発していて、アンタレス国との同盟にも反対を……」
「ちょ、ちょっと待て。なんでそんな話を俺にするんだ」
焦った様子で話を遮るジェイミーに、シェリルは真面目な顔で言った。
「この情報を私から聞き出したと言って上に報告すれば、出世できるかもしれないでしょ?」
「俺がいつ出世したいなんて言った」
「言わなくても分かるわ。この情報が気に入らないなら、スプリング家について教えてあげる。スプリング家は国王個人に仕えているの。だから例えば王子や王女の言うことは聞かな……」
「まてまて!」
ジェイミーに片手で口を押さえられ、シェリルは話すのを一旦やめた。
「シェリル。お前酔ってるんだろ。あとで絶対後悔するから余計なことは言わない方がいいぞ」
シェリルはジェイミーの手をどけて、ムッとした顔になる。
「私は酔ってないわ」
「酔ってる人間は皆そう言うんだよ」
ジェイミーはあくまで監視役として出世したいようだ。こだわりがあるのだろう。
「分かったわ。それじゃあ私、大人しくしてるから、ジェイミーの好きにして」
もう余計なことはしないし言わない。そう決心するシェリルの正面で、ジェイミーはどういうわけか、疲れたようにガクッとうなだれた。
「強い酒が欲しい……」
「あるわよ。そこに」
手の届かないところに置いてある酒瓶を指差すシェリル。しかしジェイミーは酒瓶には目もくれず、背もたれにぐったりと背中を預け、椅子の正面に飾ってある絵画をうろんな表情で見つめながらポツリと呟いた。
「なぁシェリル……。これからどうするつもりなんだ?」
「これからって?」
「陛下の弱点を見つけたんだから、もうこの国にいる理由もないだろ。アケルナー国に帰りたいなら手を貸してもいいけど」
シェリルはそう、と頷く。それから数秒経過したのち、ジェイミーを二度見した。
「それって、バレたらジェイミーが大変なんじゃ……」
「ああ、大変なんだ。でもこのままでも、困ったことになる」
なぜか微妙にシェリルから目を逸らして話すジェイミー。前に訓練場で話したときのように、様子が変である。
「もしかして、何か困ってるの? 私が力になるわよ」
ジェイミーはゆっくりとシェリルの方に視線を移し、それから囁くほど小さな声で言った。
「…………その目」
「え?」
「その目に困ってる」
切実な表情で告げられて、シェリルはなんと返していいか分からなくなる。困惑するシェリルに構わず、ジェイミーは言葉を続けた。
「その声も、笑い方も、何もかもに困ってる。もううんざりだ」
なにやら酷いことを言われているような気がするが、シェリルはどうしてか胸が高鳴った。ジェイミーの手が頬に触れる。その冷たさに気をとられている間に、唇を奪われていた。