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77.ありがたくない助言

 スタンシー家の舞踏会には、ジェイミー、ウィル、リリー、そして一応、シェリルが参加している。仲間はずれにされたようで面白くなかったニックは、招待されていないにも関わらず自主的に舞踏会に参加しているらしい。


「忍び込んだの?」

「まさか、そんなことしないよ。隊長の招待状を拝借したんだ。あの人社交嫌いで舞踏会には滅多に参加しないからさ。代理で来たって言ったらすんなり入れてもらえた」


 言いながら、へらへらと笑っているニック。相変わらず自由な男である。とはいえ、シェリルは内心とてもホッとしていた。言葉が通じる相手がいるというのはとてつもない安心感なのだ。


「私、ここに来て初めてまともに会話したかも……」

「ああ、もしかしてレグルス語話せないの?」


 シェリルはニックの言葉でようやく、会場に飛び交っている言語の正体を知ることが出来た。


「レグルス人が話すのは共通語じゃなかったっけ?」

「レグルス国の王族が話す言葉をレグルス語って言うんだよ。王家の秘密を漏らさないために生まれた言語なんだ。つまり、レグルス国民の大半はレグルス語を話せない」


 それをなぜアンタレス人が使いこなしているのだろう。話せても限りなく役に立たないではないか。


「わざわざマイナーな言語で教養を試すなんて、嫌な感じ」

「貴族ってのは総じてそういうもんだろ」


 そう言いつつも、ニックはレグルス語を難なく話せるらしい。のらくらしているように見えて、エリートと呼ばれるだけのことはあるようだ。三年前にやっと共通語の読み書きが出来るようになったシェリルとはわけが違うのである。


 なんだか腹立たしくなったシェリルは、ニックが持ってきた酒を一気に飲み干した。気が晴れるまで飲み続けようと心に決めていると、遠くの方にジェイミーの姿を見つけた。

 ジェイミーならレグルス語でシェリルの知識を試すなんてことはしないだろうが、話しかけようという気にはとてもなれない。たくさんの人に囲まれているので近付く隙が無いのだ。ウィルやリリーも同様である。彼らはこの舞踏会という催し物に、しっかりと貢献している。それに比べて、シェリルは全くと言っていいほど状況に馴染めていない。


 しかしそれでも、シェリルは舞踏会に参加してよかったと思っている。ジェイミーが嘲笑の的になっていないことを自分の目で確かめることができたからだ。


「そういえば、ジェイミーの噂は本当に沈静したみたいね。安心した」

「あれ、一応心配してたんだ。てっきりジェイミーのことはもうどうでもいいのかと思ったよ」

「え、なんで?」

「だって、ここ最近はすっかりスティーブにご執心だったろ」


 ニックの指摘にシェリルは顎が外れてしまうくらいに驚いた。驚愕するシェリルをニックは面白そうに眺めている。シェリルはなんとか、喉の奥から声を絞り出した。


「…………嘘。そんな風に見える?」

「一見ね。少なくともジェイミーやウィルにはそう見えてるみたいだ。スティーブのやつ、上手くやってるよな。一体どういうわけであいつの言いなりになってんの?」


 シェリルは外れた顎が地面に落っこちてしまうかと思った。この男、シェリルがスティーブに利用されていることをちゃんと分かっているのだ。


「ニック……。気付いてたなら助けてくれたっていいじゃない……」

「助けたいのは山々なんだけどさ、スティーブは昔から苦手なんだよ。でもまぁ、話の内容によっては助けてやってもいいよ」


 ニックはシェリルの肩に腕を回し身を屈めた。そして、内緒話をするみたいにシェリルの耳元に顔を寄せる。


「どういう経緯でスティーブとつるむようになったのか話してみな。悪いようにはしないからさ」


 シェリルは辺りを見回し、近くにスティーブがいないことを確認する。そしてなるべく小さな声で、スティーブに逆らえなくなった事情を説明した。






 シェリルが全てを話し終えると、ニックは哲学者のごとく難しい表情を浮かべ唸った。


「出世のためにねぇ。あのスティーブが……」


 納得いかない、という顔で呟くニックに、シェリルはおずおずと声をかける。


「あの、この話、ジェイミーには言わないでね」

「ああ、うん。安心しなよ。俺は口が堅いんだ」


 にわかには信じ難いが、シェリルは取り合えずニックを信用することにした。ニックはしばらく眉間にシワをよせ考え込んだあと、ゆっくりとシェリルを見下ろす。物言いたげな顔で見つめられる。


「何? どうしたの?」

「シェリルちゃん。俺からアドバイスが二つある」

「アドバイス?」

「そう。アドバイス」


 ニヤリと口の端を持ち上げるニックに、シェリルは胡散臭いという表情を返す。


「アドバイスなんていらない。事情を話したら助けてくれるんじゃなかったの?」

「助けるまでもないね。もうスティーブの言うことは聞かなくても大丈夫だよ。なんなら拳のひとつでもお見舞いしてやればいい」


 人の話をちゃんと聞いていたのだろうか。無責任なことを言うニックにシェリルはふくれっ面を向けた。


「だから、そうしたらジェイミーが社交界を追放されちゃうんだってば」


 シェリルの切実な主張を、ニックは全く真剣に受け止めなかった。まるでシェリルが子供だましに引っ掛かっているとでも言いたげな態度である。


「シェリルちゃん。君はジェイミーのことをどれだけ無力な男だと思ってるんだ。あいつは別に君に庇って貰わなくても、大抵のことは自力でなんとか出来るよ」

「社交界を追放されるのは大抵のことじゃないわ」

「大抵のことだよ」


 自信満々に言い切られて、シェリルは口をつぐんだ。反論する様子の無いシェリルを見て、ニックは満足げに話を続ける。


「ジェイミーだって、今の今までボーッと生きてきたわけじゃないんだ。人脈もあるし、味方もちゃんといる」

「でも……」

「スティーブの両親はさ、ハデス伯爵と敵対するアレース公爵に傾倒してるんだ。つまり、元々ジェイミーのことを目の敵にしてる。ジェイミーは昔から散々嫌がらせされてきたみたいだけど、それでも社交界を追放されたりはしてない。これがどういうことか分かる?」

「スティーブの両親には、ジェイミーを社交界から追放する程の力は無いってこと?」

「そういうこと。スティーブの脅しはただのはったりだ。だから真面目に取り合う必要は無いんだよ」


 シェリルは唖然として、肩の力を抜いた。なぜ一ヵ月もの間、自分はスティーブの嘘に気付けなかったのだろう。冷静になって確認すればすぐに分かることだったのに。


 言いようの無い無力感に(さいな)まれるシェリルの肩に、ニックが手を置く。


「まぁそう落ち込むな。もうひとつ、いいこと教えてやるよ」

「スティーブの滅ぼしかたでも教えてくれるの?」

「あいつを滅ぼすのは無理。もう過去の男のことは忘れて、新しい相手を見つけるべきだ」


 そう言って、ニックは近くの花瓶から一本の赤いバラを引き抜いた。


「私、あなたのことはかけがえのない友達だと思ってるけど……でもあの、男としては……」

「いや、別に口説いてるわけじゃないから。言っただろ。アドバイスだよ。レグルス語が話せない君に、舞踏会の楽しみ方を教えてあげよう」


 楽しげなニックとは対照的に、シェリルはうんざりとため息をついた。


「気持ちは嬉しいけど、でもいいの。これ以上育ちの違いを思い知らされるのはごめんだわ」


 言葉の壁を越えても、また新しい壁が待っているのだ。このまま会場のすみにいる方が精神衛生上、はるかに安全である。


「そんなこと言うなって。そのドレス、すごく似合ってるよ。普段のままでも綺麗だけど、今日は一段と美しさが引き立ってる。それだけ魅力を振り撒いておいて、誰にも恩恵を与えないつもりなの?」


 耳を疑うような賛辞をスラスラと述べるニックに、シェリルは目を丸くした。一体どこで修行すればそれほどまでに歯の浮くセリフを真顔で吐けるようになるのだろう。

 信じられない、という顔でニックを凝視するが、ニックは全く気にする様子はなく普段通り軽薄な笑みを浮かべていた。


「いいか。俺たちみたいに身分の低い人間が上流階級とまともに会話するためには、心がけなければならないことが三つある。プライドを捨てることと、考える隙を与えないことと、道義心に訴えかけることだ」

「よくわかんない」


 何やら高度な技術が必要なようである。もうすでに実行することを諦めている向上心の無い生徒のために、ニックは実演して見せると言って周囲を見回した。






「失礼、落としましたよ」


 一人の女性の行く手を阻み、ニックは一輪のバラを差し出した。不意をつかれた女性は驚いた顔で立ち止まり、瞬時に笑顔を浮かべる。


「まぁ、ご親切に。でも残念。それは私のバラじゃないわ」


 適当にあしらって立ち去ろうとした女性の隣に、ニックは並んだ。


「本当に? てっきりあなたが落としたのかと……。実は、バラの精が迷い込んだのかと期待していたんです。精霊だとすれば、あなたのその現実とは思えないほどの美しさも説明がつくでしょう?」


 遠巻きに様子を見守っていたシェリルは、思わずうへぇ、と口を曲げた。

 当の女性はというと、クスクスと上品に笑っている。


「期待を裏切ってしまって申し訳ないわね」

「いえ、きっと僕が悪いんですよ。労働者階級の出なので、洗練された女性に慣れていないんです」

「あら……。そんな風には見えないけれど……」


 労働者階級、という言葉に女性は動きを止めた。どうやってこの場を切り抜けようか真剣に考えはじめたようだ。ニックは沈黙が続かないよう、それでいて必死に見えないように話し続けた。


「どうか怖がらないで下さい。いくら育ちが悪いからといって、このバラで突然あなたを刺したりはしませんから」

「怖がってなどいないわ。ただ少し、驚いただけ。私は階級で人を差別したりはしない主義なの」

「素晴らしい。世の人間は全員、あなたの考えを見習うべきだ。そうすれば世界はもっと平和になる。どうでしょう、世界平和への第一歩として、僕と一曲踊っていただけませんか?」


 どうしてそうなる、とシェリルは冷静に突っ込んだ。女性も困惑している。が、ニックは諦めない。


「僕を助けると思って。あなたのように美しい女性と踊れば箔がつく。レグルス語が話せない僕でも上流階級に馴染めるかもしれません」

「私を利用するつもりなの?」

「あなたが美しすぎるのがいけないんです。もう少し魅力を抑えておけばよかったものを、僕の目に留まったが最後です。潔く降参してください」


 絶対断られる、とシェリルは思った。しかしどういうわけか、女性はニックを拒まなかった。仕方ないわねぇ、と言いつつまんざらでもない表情で頷いたのだ。気が変わる前にとニックは素早く女性の手を取り、こっそりシェリルの方を見てウインクした。そして二人はシェリルを置き去りにして、あはは、うふふ、と華やかな人混みの中に消えていったのだった。


 取り残されたシェリルは、しばらく瞬きをするのを忘れ呆然としていた。


 あれを真似しろと言うのだろうか。


 全然参考にならない。


 とはいえ、シェリルは少しだけ元気を取り戻していた。上流階級の集団に圧倒され自信を失いかけていたが、階級の違いなどお構いなしに自由に振る舞うニックを見て、何故だか勇気が湧いてきた。


 せっかく子供の頃から密かに憧れていた舞踏会に参加しているのだ。すみっこに立っているだけで夢の時間を終えてしまうなんて、天国にいる母に怒られてしまう。


 酔いも回り機嫌がよくなったシェリルは、近くの花瓶から一本のバラを引き抜いた。

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