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75.考えるな、感じろ

 見て盗める器用な奴もいる、というスティーブの言葉は嘘では無かった。

 兵舎に戻りベッドで眠っていたシェリルは夜中にふと目を覚ました。うっすら目をあけ、すぐに全開にする。隣にスティーブが横たわっていたのだ。


「スティーブ、あなた、どうかしてるわよ……」


 まさか本当に忍び込んで来るとは思わなかった。スティーブは手のひらに頭を乗せ肘をつき、まるでここにいるのが当然といった顔でシェリルを見下ろしている。


「君には分からないかも知れないけど、騎士隊の中で頭ひとつ抜けるのは本当に難しいんだ。頼むよ、協力してくれ」

「出世うんぬんの前に、あなたは人として大事なものが何か欠けてると思う」


 シェリルは虚ろな表情のまま上体を起こした。スティーブも体を起こし、二人はベッドの上で向き合う。


「四六時中一緒にいるだけでいいんだよ。自慢じゃないけど、そうしたいっていう子は多いんだ。悪くない話だろ」

「じゃあその子たちにあなたに付きまとわれるという栄誉を喜んで譲るわ」


 スティーブはそうか、と頷き、腕を組んで何やら考え込んでいる。シェリルはその隙に、ベッドの隙間に手を伸ばし仕込んであるナイフをすぐに取り出せるよう体勢を整えた。


「それじゃあ仕方ない。こんな手は使いたく無かったんだけど……」


 スティーブはそう言って、何かを決断したようにシェリルを見据える。暴力でも振るわれるのだろうかと身構えるシェリルに、スティーブは真剣な顔で言った。


「俺の両親は社交界で結構、強い影響力を持ってるんだ。例えば俺が頼めば、ジェイミーを社交界から追放することなんてわけないんだよ」


 シェリルはナイフを掴みかけていた手を思わず止めた。そして、スティーブの言いたいことを理解し、血の気が引く。


「言いたいこと分かる?」

「分かる、けど、冗談でしょ。だって、ジェイミーは友達じゃないの?」


 脅しが効いたことが分かったのか、スティーブはわずかに口角を上げた。


「ただの同僚だよ。嫌ってるわけじゃないけど、すごく親しいってわけでもない。だから別にジェイミーが困ったところで俺はなんとも思わない」

「たかが出世のためにそこまでする?」

「するさ。よく考えてみればジェイミーも上層部に期待されてる一人だし、潰しておくに越したことはないからな」


 やはり、この男は人として大事なものが何か欠けている。シェリルは全力でスティーブを睨み付けるが、スティーブは痛くも痒くもないという顔で薄く笑っただけだった。


「ジェイミーの父親を知ってるか? 権力に固執する哀れなハデス伯爵だ。あの人はジェイミーのことを便利な道具としか思っていない。もしジェイミーが社交界を閉め出されて、利用価値が無くなったら伯爵はどうするだろうなぁ」


 シェリルは思わず唇を噛んだ。そして、憎たらしいことこの上ない目の前の男に、協力することを承知したのである。


◇◇◇


 スティーブの言った通り、自警団は闘技場の備品を弁償しろという要求を取り下げた。

 これによりシェリルの立場はなんとも心許ない状況になったが、拘束されたりはしなかった。スティーブは自分のおかげだと言っているが、実際は国軍がシェリルに対する興味を失っただけのようである。騎士隊も、人身売買に関することに付きっきりでシェリルのことを全く気にしていない。


 にも関わらず、ジェイミーを盾に脅されているシェリルは四六時中スティーブに行動を管理されていた。ジェイミーに監視されていた頃と状況はほぼ同じだったが、心理的には全然違う。


 スティーブはシェリルの事を、ここぞとばかりに自分の益のために利用した。縄抜けやナイフ投げなど、スプリング家に伝わる技術を教えろと言ってきたり、暇さえあれば近場で開催中の美術展に付き合わされたり。おまけに、ジェイミーと話をしようとすると必ず邪魔しにやってくる。おかげでここ二週間、シェリルはジェイミーと全く口を利いていない。






 ある日シェリルは訓練場のすみっこで絵を描いていた。断じてシェリルの個人的な趣味ではない。スティーブの命令である。


 スティーブは絵画が好きだ。とりわけ難しい解釈が必要な抽象画に興味を持っている。その趣味にシェリルも付き合わされているのだ。

 どうやら、他人の字を上手く真似ることの出来るシェリルには、絵の才能があるとスティーブは考えているらしい。確かに模写は得意だが、だからといって芸術的な才能があるかといったらそれはまた別の話だ。

 しかしスティーブはシェリルの都合などお構いなしに、数枚の絵を完成させるよう命じた。珍しい美術品を収集していることで有名なスタンシー男爵とお近づきになりたいからだという。


 スタンシー男爵は、才能ある売れない画家を支援することがとても好きな人らしい。だからスティーブは、シェリルをうだつの上がらない画家だと言ってスタンシー男爵に紹介し、彼に取り入ろうと考えている。そうして彼のコレクションを鑑賞する機会を得たいのだ。


 絵が必要なら自分で描けよ、というシェリルの要求は却下された。観るのは好きだが描くことに興味は無いらしい。


 自主訓練をしている騎士たちを尻目に、シェリルはため息をつきながら筆を動かす。今シェリルはつかの間の自由を謳歌していた。スティーブが上層部に呼び出されたのだ。恐らくシェリルの動向を報告しているのだろうが、ここ最近はわけの分からない絵を描いてばかりなので報告されて困ることなど何もない。


 やさぐれた気分で絵の具を混ぜていると、ポンポンと肩を叩かれた。もう戻ってきたのかこのやろう、という気持ちを全力でかもし出しながら振り向くと、そこにはスティーブではなくジェイミーが立っていた。


「何描いてるの?」


 笑顔で尋ねられ、シェリルは不機嫌に寄せていた眉をじわじわと元の位置に戻す。


「えっと、その……」

「座ってもいい?」


 ジェイミーはまともに言葉を発することが出来ないでいるシェリルを不審がることもなく、ついさっきまでスティーブが座っていた椅子を指して尋ねた。シェリルが素早く頷くと、ジェイミーはシェリルの隣に腰掛け、描いている本人でさえ何を表現しているのかよく分からない絵を覗き込んだ。


「絵を描くのが好きなのか?」

「スティーブが好きだって言うから描いてるだけで、私は別に、絵に興味はないの」


 シェリルの言葉にジェイミーは少し困ったような表情を浮かべる。


「最近よくスティーブと一緒にいるね」

「ええ、まぁ、懐中時計を譲ってもらったからそのお礼にいろいろと付き合ってるのよ」

「そっか」


 ジェイミーは小さく笑って、それから何かを言いかけ、口を閉じた。沈黙が数秒続き、シェリルは気まずい空気に耐えられず自分からジェイミーに話を振った。


「ジェイミーはここで何してるの? 訓練しに来たの?」

「いや、実は、礼を言いに来た」

「礼? 何の?」

「一ヵ月くらい前だったかな。俺の噂を何とかするために神官長の手紙を方々に送ってくれただろ。その効果が出てきたみたいでさ、悪い噂が今、沈静化してるらしいんだよ」


 シェリルは今の今まで、ジェイミーの噂のことをすっかり忘れてしまっていた。というか、一ヵ月以上前に出した手紙の効果が今現れたというのは、ただ単に時間が経ってジェイミーに関する噂への興味が薄れただけのような気がしないでもない。

 何はともあれ、ジェイミーの名誉が回復したことは大変喜ばしいことである。シェリルは満面の笑みを浮かべジェイミーと向き合った。


「よかった! これでまた社交界に出入りできるようになるのね!」

「ああ。さっそく来月、スタンシー家の舞踏会に参加する予定なんだ」

「スタンシーって、スタンシー男爵?」

「知ってるのか?」


 目を見開くジェイミーに、シェリルは様々な気持ちを込めて、しっかり頷いて見せる。


 ここ二週間、シェリルが必死の思いで描いている絵は全て、スタンシー男爵に捧げるためのものだ。そのことを半ば自棄になって告げると、ジェイミーは微妙な顔になった。


「スティーブが美術品に興味があるなんて、知らなかったな」


 すごく親しいわけでもないというスティーブの言葉は本当だったようだ。


 シェリルとジェイミーの間に再び沈黙が流れる。ジェイミーは何か、思い詰めたような顔でシェリルが描いた絵を見つめていた。その視線はシャボン玉のようにふわふわと宙を漂っている。どこかぎくしゃくとした様子に、シェリルは首を傾げる。


「どうかしたの?」

「ああ、ごめん。ちょっと緊張してて……」


 決まり悪そうに頭をかくジェイミー。シェリルはますます首を傾げた。


「どうして?」

「ここ最近、シェリルに避けられてるみたいだったから。不用意なこと言ったらまた逃げられるんじゃないかと思って」


 そう言って苦笑いするジェイミーを見て、シェリルは頭を殴られたような衝撃を受けた。


 なんということだ。そんな風に思われていたなんて。

 急いで弁解しようとしたとき、最悪のタイミングでスティーブが戻ってきた。


「あれ、ジェイミー。なにやってんの?」


 シェリルに対する普段の態度とはまるで違い、スティーブは人のいい笑顔を浮かべジェイミーに近づいた。


「あー、えっと、絵を見せて貰ってた」

「ふーん。これ、どう思う?」


 スティーブはシェリルの描いた絵を指差し尋ねる。ジェイミーは絵をしばらく見つめたあと、口を開いた。


「いい絵だと思うよ。何て言うか、誰にも真似できないところが、いいかなって……」

「そうか。でもメッセージ性が足りないと思わないか?」

「まぁ、これが何を表しているのかっていうのは正直、俺の未熟な感性では理解できそうにないけど」


 当たり前だ。描いている本人だって理解していないのだから。スティーブはひとつため息をついて、シェリルに冷たい視線を向けた。


「ほらな、ジェイミーもこう言ってる。もっとこう、情熱が伝わるような絵は描けないの? 線のひとつひとつに意味があるみたいな……」

「知らないわよ。描きたくて描いてるんじゃないんだから」


 言いたいことを言わせておけば、本当に横暴な男である。スティーブは地面に散らばっていた画材一式をさっさと抱えあげると、シェリルの腕を掴んで訓練場の出口に足を向けた。


「ほら、行くぞ。じゃあなジェイミー。また明日」


 ジェイミーが口を挟む隙もなく、スティーブはシェリルを引っ張ってその場から立ち去った。シェリルはスティーブの歩幅に合わせて歩くのに必死で、そのときのジェイミーの表情を確認することが出来なかった。

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