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74.直感は信じるべき

 恋は盲目とよく言うが、恋をしたからこそ見えるものもある。シェリルはジェイミーに恋をしているからこそ、普段なら気付けないことに気付くことが出来た。


 例えば、スティーブ。


 いくら複製品といえど、懐中時計は高価な物である。何かお礼をしたいとスティーブに伝えたところ、それなら美術展に付き合って欲しいと言われた。それくらいなら、と承諾したのが今朝のこと。


 そのまま何となくの流れで雑談をしていると、スティーブの部屋に開かずの引き出しがあるという話になった。前の住人が鍵を無くしてしまい、開けられないのだと言う。鍵なしで解錠することなどシェリルにとってはお手のもの。試してみましょうかとシェリルから提案し、スティーブの部屋を訪れたのが昼のこと。


 そして夜。

 美術展は幸いなことに歩いて行ける距離だったので、馬に乗れないことがスティーブにバレることは無かった。さすがアンタレス国と言うべきか、美術展はとても美しく華やかなものだった。氷の彫刻。シェリルの身長ほどもある巨大な刺繍。雪の結晶の絵画。


 帰り道、スティーブは夜遅くまで付き合わせて悪かったとシェリルに詫びた。シェリルは、自分も楽しかったから気にしないで欲しいと伝えた。暗い夜道を二人で歩いているとなにやら良い感じの雰囲気になり、スティーブはごく自然にシェリルの手を握った。

 真剣な顔で見つめられシェリルは思わず足を止めた。スティーブはシェリルの頬に触れ、目を閉じてと囁いた。言われるがまま目を閉じ、スティーブの顔が近付いて来る気配を感じたとき。




 シェリルは、スティーブの顔面を手のひらで食い止めた。




「…………あの」

「スティーブ、あなたもしかして私を口説くように命じられてる?」


 スティーブはシェリルの手のひらを引き剥がし、眉尻を下げる。


「邪推しすぎだよ。僕はただ……」

「あなたってすごく賢いんでしょう。命じられてるんじゃなきゃ、私みたいにわけがわからない人間に手を出そうなんて思わないはずよね」

「恋愛は理屈じゃないと思う」

「そう。じゃあ感情的に伝えるわ。私あなたのこと全然信用出来ない。直感でそう思うの」


 しばらく二人は睨みあう。数秒後、スティーブは諦めた風にため息をついた。


「あーあ。もうバレたか。うまくやれてると思ったのに」


 そう言って肩をすくめるスティーブ。シェリルはいいように弄ばれた気がして、というか実際に弄ばれたので、怒りにうち震えた。


「いつから? 誰に頼まれたの?」

「先週上層部に頼まれたんだ。自信あったんだけどな。どうして気付いたの? さっきまでその気だったよね」


 スティーブは本当に分からないという顔でシェリルを見下ろす。シェリルは耳まで真っ赤になってスティーブを睨み付けた。


「その気になんて、なってない」


 嘘である。全然その気だった。わずか一日で部屋に連れ込まれ夜道で手を繋ぎ、キスする寸前まで流されてしまった。以前のシェリルだったらコロッといってしまっていたことだろう。しかしシェリルは一足先にジェイミーにコロッといってしまっている。だからスティーブにコロッといくことはないのである。


 スティーブは観察するみたいにじっとシェリルを見据えていたが、やがてどうでもいいというように視線を逸らし、シェリルの腰に手を回した。


「それじゃあまぁ、歩きながら話そうか」

「ちょっと、何よこの手は」


 突然馴れ馴れしくなったスティーブをシェリルは全力で押し返した。が、スティーブはびくともしない。


「相談なんだけどさ、俺が上層部に命じられて君を口説いてること、気付かなかったことにしてくれない?」

「嫌よ。何でそんなこと……」

「実績積んではやく出世したいんだよね。せっかくのチャンスを棒に振りたくないんだ。懐中時計をタダで譲ってやったんだから協力してくれたっていいだろ」


 完全にキャラが変わっている。一体どこにこんな本性を隠し持っていたのだろう。というか、懐中時計。あれは作戦の内だったのか。


「ジェイミーもグルなの?」

「やっぱり、そこが気になるんだ」


 スティーブは嘲笑するような表情を浮かべ、シェリルの考えを否定した。


「あいつは何も知らないよ。たまたま君が懐中時計を欲しがってるって教えてくれてさ、怪しまれず君に近付くいい機会だと思って、利用させてもらったんだ。だから安心しなよ」

「自分で言うのもなんだけど、私を口説くならジェイミーの方が適役でしょ。どうして今までまともに話した事もないあなたが選ばれたの?」


 国軍はこれまで、ことあるごとにジェイミーを盾にしてシェリルを操ってきた。どうして今さらスティーブにシェリルを口説かせるなどという面倒なことを考えたのだろう。

 シェリルの疑問を、スティーブは鼻で笑った。


「ジェイミーは君に肩入れしてる節があるからな。俺が選ばれたのは多分、ジェイミーに似てるからだと思う。髪の色、目の色、身長に、歳も一緒だし。まぁ頭は俺の方がいいんだけど」

「あ、そう」


 一言余計だが、とりあえずシェリルは納得した。確かによく見ればスティーブはジェイミーに容姿が似ている。だからさっき、その気になってしまったのかもしれない。無念である。


 スティーブは淡々と言葉を続けた。


「本当のこと言うと、陛下は君のことを警戒する必要は無いって言ってるんだ。弱点を握られてるにも関わらずね。ただ上層部は陛下と違って、君の行動を常に監視してないと落ち着かないんだよ。権力しか取り柄のない気が小さい奴らばっかりだからさ」

「スティーブ。化けの皮が剥がれてるみたいだけど、大丈夫?」


 この人はもっと、誠実で気が利くおとぎ話に出てくる王子様のような人だと思っていたのに。豹変したスティーブを前にシェリルはショックを隠せない。


 スティーブはシェリルの言葉を清々しいほどに無視し、一方的に話し続けた。


「だから行動を把握してるフリをするだけでも、奴ら納得すると思うんだ。形だけ俺に騙されてるフリしてくれない? 難しいことじゃないだろ」

「嫌よ。あなたに監視されるなんてまっぴらごめんだわ」

「まぁそう言わず」


 何の前触れもなく、スティーブはシェリルの足を払い地面に組み敷いた。突然仰向けに倒されたシェリルはさすがに驚いて、言葉を失う。スティーブはシェリルに覆い被さったまま、呑気な調子で言った。


「人気のない道にほいほい付いていくのはやめた方がいいよ。自分は大丈夫だと思ってるんだろうけど、こういうことが出来る奴もいるからね」


 何なんだこの男は。


 シェリルはいろいろと活力のようなものが失われていくのを感じた。抵抗する気も起きないほどに腹立たしい。


「付け加えると、特殊な技術を人前で披露して、得意になるのもやめた方がいい。見て盗める器用な奴もいるから。まぁ俺のことなんだけど」

「何の話よ」

「引き出しの鍵、見事だったよ。試しに自分でやってみたら簡単に開け閉め出来た。同じやり方で君の部屋の鍵も開けられるの?」

「は?」


 開けてどうする。まさか脅しているのだろうか。


「協力する気になった?」

「全然ならない。それで私が怯えると思ってるの? あいにくだけど、全く怖くないわ」

「それ不味いよ。恐怖は生きるためには必要な感情なのに」


 シェリルはひとつ深呼吸したあと、スティーブに思いっきり頭突きした。


「いっ…………てぇ……」

「どいて。背中が冷たい」


 頭を押さえるスティーブを押し退け、立ち上がる。一人で帰ろうと歩き始めると、後ろから頭を押さえたままのスティーブが追いかけてきた。


「あー、じゃあさ、こんなのはどう?」

「やめて。これ以上何かしたら自警団との契約をめちゃくちゃにしてやるから」

「それはムリだよ。もう君は話し合いに参加出来ないから」


 シェリルはピタリと歩みを止める。それから、ゆっくりとスティーブの方を振り返った。


「どういうこと?」

「自警団は人身売買の件を無かったことにしようとしてる。話し合いの回数も極力減らしたいらしくてさ、備品の弁償に関しては明日にでも要求を取り下げるつもりだって、小耳にはさんだんだ」

「嘘よ。そんなことしたって国軍は追及をやめないでしょ?」

「まぁそうなんだけど、ご機嫌とってるつもりなんだろ。金はいらないから見逃してくれってさ」


 スティーブの言うことが本当だとしたら、シェリルはとても困ったことになる。拘束されない理由が無くなってしまった。ジェイミー以外にはバレていないが、馬に乗れないので交通手段が無い。単身で逃亡することはほぼ不可能だ。


「自警団が要求を取り下げるつもりだって、どうして教えてくれたの? 今夜のうちに私が逃亡したらどうするつもりなのよ」

「だからこうやって見張ってる。それに、君が一人で逃亡できるなんてとても思えないしね。真冬のアンタレス国を舐めてたら痛い目に遭うよ」


 逃げられないことを見抜かれている。シェリルは密かに、焦った。アケルナー国に手紙は送ってあるので、目的はすでに果たしている。だからといって、地下牢に入れられて拷問されるのはさすがに嫌だ。仲間は絶対に助けには来ないし、自力でなんとかするしかない。


 考え込むシェリルに、スティーブが言った。


「悪い話じゃないだろ? さっきも言った通り、君を拘束したがってるのは上層部だけだ。上層部さえ納得すれば君は地下牢に入らなくてすむ」

「そんな話、信じられない」

「本当だよ。どうする? 今すぐ決めないと、明日には俺の気が変わってるかもしれないよ」


 地下牢か、監視か。

 シェリルは悩みに悩んだ末、決断を下した。


「お断りよ。あなたに監視されるくらいなら地下牢に入る方がまし」


 シェリルの勘が告げている。この男、絶対信用すべきじゃない。

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