73.庭園会議
凍えるほど冷え込んだある日のこと。ジェイミーは王宮の室内庭園で花を摘んでいた。
もちろん、仕事である。庭師のほとんどが風邪で寝込んでしまったとかで、なぜか騎士隊が応援に駆り出されたのだ。
王宮の廊下や部屋に飾る花を集めなければならないのだが、何をどのように選べばいいのかジェイミーには全く分からなかった。庭師が風邪のときくらい花は飾らなくてもいいんじゃないかと思わなくもない。しかし、アンタレス人は何ごとにおいても華やかさを重要視するので、薄暗い日々が続く冬に花がないというのはわりと深刻な問題だった。
考えても分からないものは分からないので、ジェイミーは適当に花を選ぶことにした。黙々と花を切りとるジェイミーの傍らで任務を放棄しているのは、ニックである。
「俺たちこんなことするために騎士になったわけじゃないよな。おかしいだろ、どう考えても」
「深く考えるな。手を動かせ」
庭師とて、丹精込めて世話した庭園を素人に荒らされるなんて嫌だろう。しかし飾るために咲いた花なのだから、枯れる前に飾ってやらなければ気の毒だ。
無心で作業するジェイミーに、全く仕事をする気のないニックが言った。
「そういえばさぁ、アニーが今朝、新品の懐中時計を貰ったって自慢してきたんだ」
「へぇ……」
茎の短い花はどうやって切ればいいんだろう、と悩んでいたジェイミーの意識は、ニックの持ち出した話題に引き付けられた。
「シェリルちゃんがアニーにプレゼントしたらしいんだよ。で、その懐中時計の蓋にはスティーブの家の名前が彫ってあったんだ」
「そうか……」
懐中時計をシェリルに譲ってやって欲しいとスティーブに口添えしたのはジェイミーである。だが、ここでそれを白状するつもりはない。
「アニーの奴、生粋の騎士隊マニアだからさ、スティーブの懐中時計を貰ったって誰かれかまわず自慢しまくってるんだ。バカバカしいよな。たかが懐中時計だろ。何がそんなに嬉しいんだか」
ふて腐れたように吐き捨てるニック。
ジェイミーは密かに、自分の選択は間違っていなかったと安堵した。
元々ジェイミーは、自分の持っている懐中時計をシェリルに譲ろうと考えていた。だがよく考えて、それは危険だと思い直した。ジェイミーが懐中時計を譲ればそれはアニーの手に渡る。その事がニックに伝われば、四六時中嫌味を言われると、なんとなく想像がついたのだ。
スティーブには悪いことをしたが、ニックが彼に噛みつくことはまずないだろう。何事においても優等な男であるスティーブに対して、ニックは苦手意識を持っているのだ。隙がないのでからかいがいが無いのだと言う。
「そんなにスティーブが羨ましいならお前もアニーさんに何か贈ればいいだろ」
完全にやる気を失っているニックに、ジェイミーは呆れつつ声をかけた。ニックは不愉快そうに口元を曲げる。
「俺とスティーブじゃ、アニーにとっては雲泥の差がある。どうせ笑いのネタにされるのがオチだ」
「意外と臆病なんだな」
「繊細と言え、繊細と」
女性にどれだけ冷たくあしらわれてもめげないニックが、すっかりうなだれている。ジェイミーは少しだけ罪悪感を覚えたが本当に少しだけだったので、すぐに気を取り直し花を切る作業に戻った。
視線を手元に移すと、目の前にきらびやかなドレスの裾が見えた。なぜだろう、と思いゆっくりと顔を上げる。そこには妹のリリーがいた。
「うわ! リリー!?」
「ごきげんよう兄さん」
リリーは鉢植えの間を通り、当たり前のようにジェイミーの側に歩み寄る。
「何やってんだこんなとこで」
「兄さんこそ何やってるの? 庭師に転職したなんて知らなかったわ」
リリーはジェイミーが持っている花を見て呆れ返ったように言った。ジェイミーは抱えていた花を器に入れ、改めてリリーと向き合う。
「ウィルは公務でいないけど……」
「知ってる。今日は兄さんに会いに来たの」
「まさか、婚約者探しの話か?」
リリーが頷くのを見てジェイミーは一気に気が重くなった。なるべく考えないようにしているのに、リリーはそれが気に食わないのだ。また説教をされるのかと身構えるが、リリーは別に苦言を呈しに来たわけではなかった。
「朗報よ兄さん。サルガス公爵夫人が兄さんの味方についたわ。なんでも、アクラブ神殿の神官長さまが兄さんの噂の真否について疑問を抱いていらっしゃるとか。信心深い人たちは空気を読んで神官長さまの考えに同意してる」
一瞬何を言われたのか分からず、ジェイミーは黙りこんだ。数秒の沈黙のあとゆっくりと口を開く。
「つまり……ということは……」
「社交界での兄さんの立場が回復しそうだってこと。だから、この流れを利用する他ないわ。今こそガンガン社交に精を出して汚名を返上するべきよ」
拳を握り力説するリリー。
ようやく話を理解したジェイミーは、自身の立場が回復したことよりも、シェリルの策がうまくいったことに驚いていた。正直な話、手紙を送るだけで社交界の流れを変えることなど不可能だと思っていたのだ。
しばらく呆然としたあと、ジェイミーはハッとする。
「じゃあ、もう婚約者を探す必要は無いのか……」
一ヵ月以内に婚約者候補を見つけろと言う命令は、変態疑惑をおさめるためのものだった。一ヵ月という期限はとうに過ぎてしまったが、噂が収束したなら別に舞踏会に参加する必要はない。
ジェイミーの考えを察したらしいリリーは、貴族令嬢にあるまじき表情で舌打ちした。
「兄さん。どうして私が舞踏会やお茶会に参加しづらくなったかわかる? 噂が広まったとき、兄さんがすぐに対処しなかったからよ」
「それは本当に悪かったよ。でもまぁ、全部丸くおさまったってことで……」
「おさまってない! この、ことなかれ主義の日和見主義! そんなんだから浮気された挙げ句フラれるのよ!」
久々に浮気の話を持ち出され、ジェイミーは地味にダメージを食らった。おまけに周囲にいる同僚たちが同情するような視線を投げてくるので、とてつもなく居心地が悪くなる。
「なんだよ。何怒ってるんだ」
「せっかく公爵夫人が味方について下さったのに、それでもまだ行動を起こそうとしない兄さんに怒ってるの! どのみち結婚はしなくちゃいけないんだし舞踏会には参加するべきでしょ。それともなに、まだローズ様に未練があるの?」
ジェイミーはリリーの剣幕に気圧されながら、困ったように頭をかいた。
「いや、未練はもう無いけどさ……」
「けど何?」
「次を探す気にもなれないっていうか……」
「あーもう! 兄さんってどうしてそうなの!? まるで意気地がないんだから!」
まさか妹に意気地無し呼ばわりされる日が来るとは思わなかった。ジェイミーは釈然としない思いを抱えつつ、降参するというように両手を上げる。
「わかったよ。舞踏会にはちゃんと参加するようにするから、そう怒るな」
「そう、それはよかった。実は昨日、スタンシー家のお茶会に参加したんだけど、来月の舞踏会には兄さんも連れていくって次女のレイチェル様にノリで約束しちゃったのよ」
「ああ、そういうことね……」
リリーは言質をとるためにわざわざジェイミーの元を訪れたのだ。妹に上手く誘導されてしまったことが、ジェイミーは少しだけ悔しかった。
「やっぱりやめたなんて言わないでよ。私の名誉のためにもスタンシー家の舞踏会には参加してね。私は兄さんを信じてるわ」
「リリー、お前は本当に、かわいい妹だよ……」
リリーはしてやったりという顔でにっこりと微笑む。
乗り気にはなれないが、仕方ない。リリーの言う通り、いつかは相手を見つけて結婚しなければならないのだ。ジェイミーはなんとか自分を納得させた。
どんよりとしているジェイミーを見てなぜかニックが元気を取り戻した。陽気に笑いながらバシバシと背中を叩いてくる。
「とうとう第二の社交界デビューの日取りが決まったか! 張り切っておめかししないとなぁ、ジェイミー」
「うるさい」
ニックを睨み付けようとしたとき、リリーがジェイミーの腕を引っ張った。
「兄さん。話はまだ終わってないわ」
「まだ何かあるのか」
心持ち後ずさるジェイミーにリリーは真顔で詰め寄る。
「兄さんて、シェリルの世話役をクビになったの?」
「へ?」
ジェイミーは首をかしげ、どういうことだろうと考えた。そして、そういわれてみればそんな設定だったと思い出す。監視役として四六時中シェリルの側にいることをごまかす為の嘘だった。しかし、シェリルはもう軍に監視されるつもりはないと宣言している。クビになったと言えなくもないので、ジェイミーは適当に頷いておいた。
リリーはさらにジェイミーに迫る。
「それで、次の世話役はスティーブになったの?」
「スティーブ?」
なぜここでスティーブが出てくるのか。困惑するジェイミーに、リリーは秘密を打ち明けるみたいに声を潜めて言った。
「さっき兄さんを探しに兵舎まで行ったんだけど、並んで歩くシェリルとスティーブに出くわしたの」
「へぇ」
「挨拶したら、今夜二人で美術展に行く予定だって言うのよ」
「美術展……」
いつの間にそんな仲になったんだろう。
思案するジェイミーに構わず、リリーは続ける。
「しかもね、二人はそのままスティーブの部屋に入っていったの」
その言葉に反応したのは、ジェイミーの背後で話を盗み聞きしていたニックだった。
「おおっと、それは大変だ」
「でしょう? 私も大変なものを見てしまったと思った。あれって、スティーブがシェリルの世話役だからなの? それとも二人は個人的に仲がいいのかしら」
リリーの質問にジェイミーは困窮する。二人の仲などジェイミーには知るべくもないが、少なくともスティーブがシェリルの世話役でないことははっきりしている。
「分からないけど多分、個人的に仲がいいんだろう」
ジェイミーは確信が持てないままそう答えた。恐らく懐中時計の件で親しくなったのだろう。リリーはふぅんと相づちを打ったあと、納得がいかないという表情を浮かべた。
「シェリルは兄さんのことを気に入ってるように見えたのにな。でもやっぱり、兄さんとスティーブならスティーブの方がいいのかしら」
「やっぱりって何だ。やっぱりって」
「だって、スティーブは兄さんと違って気が利く人だもの」
「リリー、気が利く男ってのはな、空想上の生き物だ。スティーブが特殊なのであって俺が特別に無神経なわけじゃないんだよ」
ここらへんはハッキリさせておかなければならない。ジェイミーの言葉をリリーは一笑に付した。
「なによそれ。そうやって開き直ってるから世話役をクビにされて……」
言いかけて、リリーは動きを止めた。それから、じっとジェイミーを見つめてくる。
「どうした?」
無言でこちらを睨みつけてくるリリーにジェイミーは戸惑う。虫でもいたかな、と周囲を見回そうとした瞬間、リリーが小さく呟いた。
「私、兄さんのそんな顔初めて見たかも」
「そんな顔?」
リリーは逡巡する素振りを見せたあと、ためらいがちに告げた。
「兄さん、今、面白くないって顔してるわよ」
リリーに指摘されて初めて、ジェイミーは自分の感情を認識した。今の心境を言葉にするとしたらまさしくそうだ。全くもって、面白くない。