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72.スカーレット

 アンタレス国には秘宝と呼ばれるものがあった。あった、というのは、今はもうない、という意味である。


 世にも珍しい真っ赤なダイヤモンド。通称"さそりの心臓"は、アンタレス国という国ができる前から存在したと言われている。


 王家は代々、アンタレス国にダイヤモンド鉱山が存在することを隠してきた。紛争の引き金になりかねないからだ。赤いダイヤモンドの存在を知るものは、王族と、ごく一部の上流階級に限られていた。


 アンタレス国にはかつてこんな噂があった。

 階級に関わらず、王家に特別な貢献をした者には国王が変わった褒美を与える、というものだ。年月が経ち、噂は事実として認識されるようになる。今明らかになっている"変わった褒美"の所有者は、三人。




 一人目は、アレース公爵。

 王家の側近として仕えていた二代目の公爵が、当時の国王から授かったものだと言われている。彼はある日、国に潜んでいる密偵の存在に気付き国王の暗殺を未然に防いだ。その功績を称えられ、赤いダイヤモンドが施されたブローチを与えられた。

 爵位と同じくそのブローチを継ぐには条件がある。国王が定めた条件はたったひとつ。


――現在の所有者の、大切な友人であること――


 さそりの心臓が他の家に渡ることを恐れた公爵家は、代々自分の息子を『小さな友人』として、ブローチを長男に継がせることにしている。


 二人目は、サルガス公爵夫人。

 彼女の手に赤いダイヤモンドが施された指輪が渡った経緯は曖昧である。何しろ指輪を継ぐ条件があまり大っぴらに出来るものではないのだ。


――現在の所有者の、密かに愛するものであること――


 最初に指輪を授けられたのは伝書屋を営む男だったと言われている。彼は五代目の国王が密かに恋慕っていた町娘に、国王がしたためたラブレターを届けた。国王と町娘は当然結ばれることはなかったが、王家に感づかれることなく二人の文通に協力したとして、密やかにさそりの心臓を授けられたのだ。


 三人目は、サラ・ウィレット。

 赤いダイヤモンドが施された首飾りを授けられたのは、サラの祖母である、ジェイミー・プラントである。リリーとジェイミーにとっては曾祖母にあたり、ジェイミーはその名を聞けば分かる通り、彼女の名前を受け継いでいる。


 ジェイミー・プラントは美しい渓谷に暮らす、ごくありふれた少女だった。ある日彼女は川辺に女性が倒れているのを発見する。女性を家まで運び、手当てして、プラント家に住まわせた。

 二人は数ヵ月のときを、ともに過ごした。一緒に市場に行き果物を食べ歩いたり、家の近くの川に葉っぱの船を浮かべたりして、涼やかな夏はゆっくりと過ぎていった。

 プラント家の住人は気付いていた。女性がアンタレス国の王妃であるということに。そして、十歳になったばかりの第一王女が流行り病で亡くなり、そのことで王妃が塞ぎ込んでいるということを風の噂で聞いていた。


 何も聞かず当然のように世話をしてくれるプラント家と接して、彼女が何を思ったのかは分からない。ある日王妃はジェイミーに言った。


「あなたを自分の娘のように思うことを、許してくれるかしら。そうすれば私、きっと勇気が湧いてくるわ」


 ジェイミーは無邪気に笑って頷いた。


「それってすごく素敵な考えね!」


 やがて王妃は、王宮に戻ります、と告げ静かにプラント家を去っていった。


 数週間後、プラント家にこっそりと現れたのは当時のアンタレス国王である。彼はジェイミーの前に身を屈め、なんだか高級そうな箱を開いた。中には赤色に輝く石の、首飾りが。


「僕の愛する人を救ってくれた勇敢なお姫様に、特別な褒美を与えよう。この石がいつでも君と、君の愛する人たちにとっての誇りになることを願うよ」


 この首飾りを継ぐにも、条件がある。


――現在の所有者の、娘であること――


 血の繋がりは問わないというから、ジェイミーは息子の妻に首飾りを譲った。そしてジェイミーの孫、サラが誕生し、彼女が首飾りの所有者となったのである。


◇◇◇


 シェリルは嫌な予感がして、顔をしかめた。


「伯爵はさそりの心臓が欲しくて夫人と結婚したの?」


 よくできましたと言うようにリリーは頷く。


「私がお茶会の噂で聞いたところによると、お父様は昔から、さそりの心臓を持っている人を大金をかけて探してたらしいのよ。国王の気まぐれで与えられる褒美を待つよりも、持ってる人から奪う方が手っ取り早いでしょ」

「夫人はそのことを知ってて伯爵と結婚したのかしら」


 リリーはなんとも微妙な顔をして首を左右に振った。


「お母様はきっと、さそりの心臓を狙っての結婚だとは思っていなかったはず。当時は、積極的に結婚したがってたって聞いたわ。多分、お父様がうまく言い寄ったのよ」


 シェリルはなるほどなぁとため息をつく。なんとなく話が読めてしまった。


 伯爵はさそりの心臓を手に入れたが、完全に手に入れたというわけではない。社交を上手くこなせないサラが所有者である限り、公の場でダイヤモンドを披露しウィレット家の権威を示すことは出来ない。


 首飾りを継げるのはサラの娘である。リリーは将来王家に嫁ぐので、伯爵にとっては都合が悪い。


「伯爵はジェイミーの結婚相手に首飾りを継がせようとしてるのね……」

「そういうこと」


 おまけに、とリリーは続ける。


「今となっては、さそりの心臓は王家にとっても貴重なものになってしまったの。赤いダイヤモンドを持っているっていうのは昔以上に価値のあることだから、お父様は余計に首飾りに執着してるわ」

「それって、どういうこと?」

「さそりの心臓はもう、アンタレス国の秘宝ではないのよ。陛下が十五年前、ダイヤモンド鉱山をレグルス国に明け渡したから」


 その説明だけで、シェリルは全てを理解した。


 レグルス国とは、世界中で知らない者はいないと言われるほどの大国だ。資源、軍事、労働、あらゆることが国内だけで機能するので、他国の力を借りる必要がない。ゆえにレグルス国も、他国に力を貸すことはない。


 しかし十五年前、レグルス国は一年間だけアンタレス国に軍力を提供したことがあった。ローリーが戦場に送り込んだ民兵のほとんどが命を落としてからの一年間だ。二度と同じ悲劇を繰り返さないよう、その一年間、ローリーは周辺諸国と熱心に交渉しアンタレス国の守りを固めた。その間無防備になるアンタレス国をレグルス国が守ったのである。


 当時、ローリーがどのようにしてあのレグルス国を味方につけたのかあらゆる国が知りたがった。だが知ったところで、ほとんどの国はその方法を実践できないだろう。少なくとも、珍しい宝石を採掘出来る鉱山を所有していない国にとっては、参考にならない。


「ジェイミーの結婚って想像以上に責任重大ね」


 考えるだけで頭痛がしてきたシェリル。当のジェイミーはきっと頭痛どころではないだろう。


「兄さんはさそりの心臓を見るのも嫌だって言ってるわ。今首飾りは王都の屋敷の金庫に入ってるけど、兄さんは金庫がある部屋にすら近付こうとしないの」


 ウィレット家の闇は思った以上に深い。シェリルはよく、自分に家族がいればきっと素晴らしいだろうなと考えるが、家族というものは苦労の種でもあるのだなとしみじみ感じたのだった。


◇◇◇


 その日の夜、シェリルの部屋に一人の訪問者が現れた。


「スティーブ?」


 目の前の青年の名をシェリルは何とか記憶から引っ張り出して口にした。


 スティーブはジェイミーの同期で、軍学校を次席で卒業した秀才である。ちなみに首席はマークと言う男で、引くほど勉強が出来るが超がつく変わり者であるため、結果的にスティーブが一番頼りになる、というのがシェリルの認識である。


「夜遅くにごめん。これを渡したくて」


 そう言ってスティーブはシェリルに小さな箱を手渡した。蓋を開けると、中には綺麗な懐中時計が入っていた。


「これって……」

「ジェイミーから聞いたんだ。懐中時計が欲しいんだって?」

「え、これ、もしかして私にくれるの?」


 スティーブは爽やかな笑顔で頷く。

 苦手な馬に乗っても手に入らなかった懐中時計が、まさか向こうから歩いてくるとは。シェリルは歓喜の声を上げかけて、そして冷静になった。今シェリルの手元にあるのはどこからどう見ても新品の懐中時計である。


「あの、いくら払えばいい? 私あんまりお金持ってないんだけど……」

「お金はいいよ。それ複製品なんだ。父親が懐中時計に目がなくてさ、行商人が見本としてたくさん置いていくから屋敷にあり余ってるんだ」


 シェリルは今度こそ歓喜した。どんなに些細なことでも相談はしてみるものである。何度も繰り返し感謝を伝えると、スティーブは照れくさそうに笑いながら、自分の部屋に戻っていった。

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