表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/131

67.氷柱は凶器

「どうして逃げる。何だそのいけないものを見てしまったみたいな反応は」


 ジェイミーはシェリルの腕を掴みながら、いたずらをした子供を咎めるような口調で言った。シェリルはギクシャクと不自然に振り返り、苦しい笑顔を顔面に張り付ける。


「わ、私は何も見てない。何も聞いてない。何も言わな……」

「なに言ってるんだよ。この人は叔母だよ。父方の」


 現在の状況を落ち着き払って釈明するジェイミー。シェリルはあーはいはい、なるほどと何度も頷いた。


「大丈夫よジェイミー。私、口は堅いの」

「は?」

「愛の形は人それぞれよ。私はいいと思う。相手がたとえ叔母でもかまわないと思う」

「かまうよ。何言い出すんだ」


 若干引いているジェイミーの隣で、叔母と紹介された女はクスクスと笑っている。


「面白い子。外国の方?」


 一体何をもって外国から来たと言い当てたのか分からないが、シェリルは素直に頷いた。


「はい、そうです」

「そう。どうりで地味なわけね」


 品定めするようにシェリルを上から下までじっくり観察したあと、女は納得したように呟く。シェリルは愛想笑いを返したが、顔が微妙にひきつってしまった。そのことに気付いているのかいないのか、女はジェイミーの腕を離すとシェリルにゆっくりと歩み寄り、その美しい顔をぐっと近付けてきた。


「せっかく小綺麗な顔をしているのに、髪と瞳が土の色じゃあ台無しね。あなたの国は泥水を飲む風習でもあるの? だからこんな色に染まってしまったのかしら」


 喧嘩を売られているのだろうか。それとも素で言っているのだろうか。女の真意を測りかね困惑していると、いつのまにか近くに来ていたジェイミーに強く腕を引かれた。


「失礼なことを。常識を疑いますよ」


 ジェイミーは抑えた声で静かに女をたしなめた。背中に隠されてしまい、シェリルはジェイミーの表情を見ることが出来なくなる。

 女は優雅に口元を押さえ面白がるように目を細めた。


「私はローズの方が好きだわ。あの子は華と品があるもの」

「比べる必要ないでしょう。もう帰ってもらえませんか」


 驚くほどに冷え冷えとした声だったので、シェリルは思わずジェイミーの側から後ずさってしまった。

 どう考えても部外者はシェリルの方である。自分がこの場を去った方がいいのでは、と思い至り恐る恐る声をかけようとするが、女に先を越された。


「まぁ怖い。社交をサボっていたから礼儀を忘れてしまったのね。お兄様に言いつけてやるわ」

「勝手にしてください」


 緊迫した空気が漂う。シェリルは間が悪すぎる自分を呪った。ものすごく居心地が悪い。ジリジリと声をかけるタイミングを見計らっていると、今度はジェイミーに先を越された。


「屋敷まで送ります。そこで待っていて下さい」


 そう言って、ジェイミーは部屋の中に引っ込み女のものと思われる荷物やら傘やらを抱えて戻ってきた。

 この流れに乗ってシェリルもこっそり立ち去ろうとするが、ジェイミーに手を引かれ部屋のなかに押し込まれる。


「好きにしてていいから。ちょっと待ってて」


 そう言い残しジェイミーは扉を閉めた。完全に逃げる機会を失ったシェリルは、仕方なく暖炉の前に座り大人しくジェイミーの帰りを待つことにする。このときはまさか、四時間も待ちぼうけを食うことになるとは夢にも思わなかった。






――待つこと四時間。


 もしかしてこれは知らぬ間に立ち去れという無言のメッセージではないかと思いはじめたシェリル。

 しかし暖炉には微妙に火がついたまま。放っておくことは出来ず、火を消していいのか、それとも完全に消えるまで見張っておくべきか延々と悩む。

 グツグツと考えを煮詰めていると、勢いよく部屋の扉が開きジェイミーが現れた。ジェイミーはシェリルの姿を認めたとたん、焦った様子で近付いてきた。


「ごめん! 何から謝っていいのか……」


 これだけ待たされたことに不満がないこともなかったシェリルだが、ジェイミーを見た瞬間そんなものは全てどこかへ吹き飛んでしまった。ジェイミーは全身雪にまみれていたのである。その姿を見れば何やら大変だったらしいということは一目瞭然だった。


「ジェイミー!? どうしたのその格好!」


 急いでジェイミーを暖炉の前に座らせる。よく見れば外套を着ていない。持って出るのを忘れたのだろう。シェリルは近くのソファーにかけてあった布を勝手にひっつかみジェイミーにグルグルと巻き付けた。ジェイミーはされるがまま、申し訳なさそうな顔をシェリルに向けている。


「本当にごめん。こんなに待たせるつもりなかったんだけど」

「そんなことより薪! 薪は!?」


 暖炉の火は消えかけている。キョロキョロ辺りを見回していると、ジェイミーが近くに置いてある鉄の箱から薪を取り出しポイポイと暖炉に投げ入れた。


 シェリルは全身の力が抜ける思いでジェイミーの向かいにへたりこむ。ジェイミーは決まり悪そうに、頭に積もった雪を払った。


「それで、相談ってなに?」


 当然のような顔で尋ねるジェイミーにシェリルは面食らう。なんと律儀な人だろう。自分は氷づけになりかけているというのに。


「ジェイミーには悪いけど、わざわざ叔母さまを追いたてる必要があるほど重大な相談じゃないのよ」

「いいんだ。とっとと帰って欲しかったから来てくれて助かった」


 ずいぶんな物言いである。どうやらジェイミーはあの女性のことをあまりよく思っていないらしい。シェリルは溶けかけた雪でキラキラ光っているジェイミーの髪を見つめながら、そういえば、と声を上げた。


「……こんな話があるわよね。アンタレス国の氷柱は完全犯罪に最適だっていう」

「殺してないよ。さすがに」


 苦笑するジェイミーにシェリルは疑いの目を向ける。氷柱うんぬんは冗談として、本当は何があったのか気になって仕方がなかった。

 いくら叔母とは言っても、貴族階級の婦人が一人で兵舎を訪れたりするだろうか。しかも彼女はジェイミーと一晩を共にしたと言う。貴族じゃなくても稀なことのように思えてならない。


 しかし興味本意で尋ねるのもな、とシェリルは思い直す。誰にだって知られたくないことはあるものだ。良心に従って何があったかは聞くまい。そうシェリルが決心したとき、ジェイミーが困ったような笑顔を浮かべつつ口を開いた。


「母親がね、病気なんだよ」


 唐突な告白だった。

 四時間も置き去りにしたお詫びのつもりなのだろうか。それともシェリルはよっぽど興味津々という顔をしてしまっていたのか。いずれにせよ、聞き流していい話でないことは理解できた。


「そう。お気の毒に……」

「体はなんともないんだ。精神的なものらしい。だから見舞いに行って元気づけてやれって何度も叔母に言われてたんだけど、ずっと無視してたらとうとう昨日の夜押し掛けて来た。母に顔を見せに行くと約束するまで帰らないって言ってね」


 ジェイミーは火掻き棒で暖炉の薪の位置を調整しながら、ポツリポツリと静かに語った。シェリルは先程の女性を思い浮かべ、意外だという顔で相づちをうつ。


「叔母さまはお母様と仲がいいのね。わざわざ会いに行くようジェイミーに頼みに来るなんて」

「まさか、その逆だよ。あの人は母を嫌ってる」


 顔をしかめるジェイミーに、シェリルは何と返すべきか迷った。どこまで突っ込んで話を聞いていいのか分からない。そんなシェリルの心情を察したのか、ジェイミーは作り笑いを浮かべ明るい声を出した。


「ごめん、つまんない話だね。忘れていいから」


 そう言われたとたん、シェリルはなんだか突き放されたような気がしてガッカリしてしまった。せっかくジェイミーが心を開いてくれようとしたのに、尻込みしたことを後悔する。もしジェイミーと話をするのがこれで最後になってしまうのだとしたら、もう少し彼のことを深く知っておきたかったといつか悔やむときが来るのだろう。


「どうしてジェイミーはお母様のお見舞いに行かないの?」


 ジェイミーの話から察するに、シェリルがこの部屋を訪ねるまで、彼は母親の見舞いに行くことを一晩中拒否していたのだ。何となく触れてはいけないことだと感じていたが、勇気を奮って聞いてみる。嫌な顔をされるかと思ったがそんなことはなかった。今一番食べたいものは? と聞かれたような感じで、ジェイミーはそうだなぁ、と考え込む。


「たぶん、逆効果だと思うから」

「どういう意味?」


 ずいと前のめりになってジェイミーに迫る。ジェイミーは驚いたように目を丸くして、それから小さく笑った。


 ジェイミーはしばらく考え込んだあと、取りあえずといったようにシェリルの肩を押さえ一定の距離をとった。それから、なぜ母親の見舞いに行かないのかについて、シェリルに丁寧に話して聞かせてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ