65.要するに勢いと気まぐれ
ほぉ、と副隊長は気の抜けた相づちを打った。シェリルは想像したような反応が無かったことで気勢を削がれた。
「どうして驚かないの?」
「信じられないからさ。内容によっては驚かないこともないが」
惰性で聞いてやるとでも言いたげな副隊長の態度に、シェリルは不機嫌な声を返す。
「同盟の切り札をそう簡単に教えるわけないでしょ」
「あー、そう。へぇ」
どうやら弱点を見つけたというシェリルの話をこの場にいる誰一人として信じていないらしい。
「別に、信じてくれなくていいのよ。とにかく、私は目的を果たしたわ。これがどういうことか分かるでしょう」
もうこの国に留まる理由はないのだ。あとは情報をアケルナー国に持ち帰るだけ。となれば、堂々と執務室を去るのみ。シェリルはソファーから腰を上げた。その瞬間、スラリと切れ味のよさそうな刃を突き付けられた。
「わからないな。どうして今、こんな話を?」
シェリルに剣を突き付ける副隊長は、どことなく哀しそうな表情である。
「信じる気になった?」
「信じない。しかしこのまま大人しく見送るつもりもない。陛下の弱点を見つけたとどうして今、打ち明けるんだ。黙っていれば隙をついて逃げることも出来たはずだぞ」
これから逃亡すると分かっているのだから、シェリルは再び地下牢に入れられる。おまけに国王の弱点を手に入れたと言うのだから、その内容を吐くまで拷問だって受けるかもしれない。
「今からでも、逃げるは自信あるわ」
「本気か? 悪いが手段は選ばないぞ」
苦々しい表情で言った副隊長は周囲に目配せする。瞬間、シェリルの周りにいる騎士たちが一斉に剣を引き抜いた。全員戸惑いつつもシェリルに剣を突き付ける。
いくらなんでもこんなに必要無いだろうという数の武器に囲まれても、シェリルはどこ吹く風という態度を貫いた。
「一つ教えておくと、今日の私は最高に冴えてたの。私の勇姿をどうか皆さん、順番に思い出してみてね」
誇らしげなシェリルを前に、副隊長は訳がわからないという顔になる。それでもシェリルがさぁさぁとしつこく促すので、仕方なく剣を構えたまま考えを巡らせた。
その他の隊員たちもシェリルの勇姿とやらを思い返してみる。しばしの沈黙のあと、「あ……」と何かに気付いたように声を発したのはジェイミーであった。
「自警団との契約が……」
ジェイミーが呟いたとたん、副隊長は目を見張った。それからゆっくりと口を開く。
「そうか……。くそ、やられた」
シェリルは余裕綽々といった顔で副隊長が構えている剣を指差し、下げなさいというしぐさをして見せる。それを見て副隊長は悔しそうに舌打ちしたあと、大人しく剣を下げソファーに腰を下ろし、脱力した。
「どういうことだ?」
隊員たちがジェイミーに説明を求める。ジェイミーは副隊長と同じように構えていた剣を下ろし、困ったように視線をさ迷わせている。
「自警団の、備品を弁償するという契約書にシェリルがサインしてる。一週間後には弁償額の話し合いがあるだろ」
つまり、そのときシェリルが地下牢にいてはまずいのだ。一週間後、シェリルは闘技場の法律顧問と顔を合わせなければならない。
ジェイミーの説明にニックが口を挟む。
「問題ないだろ。代理を立てればいい」
「代理を立てるのにも書類が必要だ。地下牢に閉じ込められると分かってて委任状にサインするわけない」
「サインなんか適当に真似して書けばいいだろ」
「シェリルが提供した証拠で首の皮一枚繋がってるんだぞ、騎士隊は。急に代理人を立てるのも、偽の書類をつくるのも、リスクが大きすぎる」
ジェイミーの言葉に、そういえば、とニックは苦い顔をする。人身売買の証拠としている手紙は、シェリルが提供したものだと自警団側に伝えてある。偽物だとバレたときのための予防線が裏目に出た。
自警団は人身売買の証拠を突きつけられ切羽詰まっているはず。このタイミングで証拠の提供者を隠したりしたら自警団は絶対に怪しむ。何かあるのではとシェリルについて徹底的に探るだろう。その結果何が出てくるか分かったものではない。
今何が起こっているのか理解した隊員たちは、シェリルに向けていた剣を次々と下ろした。そんな中ニックだけは警戒を解かなかった。
「副隊長、今この子に逃げられても結果は同じでしょう。だったらいちかばちか、力ずくで従わせるしかないですよ」
どのみち地下牢に入れなければシェリルは逃亡し、自警団との話し合いは破綻する。そう主張するニックに向け、シェリルはちっちっと指を振って見せた。
「それは一番よくない選択ね。もう少し冷静にならないと」
「……同感だな」
副隊長がシェリルに同意した。ニックは興味深げに片眉を上げる。
「どういうことですか」
「一週間後、スプリングが自警団との話し合いに参加することと引き換えに、我々にも差し出せるものがあるだろう。例えばそうだな、アケルナー国に帰るための、路銀とか?」
副隊長の提案にシェリルはあっさり頷く。
「まぁ、そんなとこかしらね」
「そんなんでいいの?」
ニックは脱力して、ようやく構えていた剣を下ろした。シェリルは満面の笑みを浮かべたまま、ソファーに腰かけ副隊長を正面から見据える。
「というわけで、この国に留まる理由が無くなった以上、地下牢には戻らないし、監視されることを許すつもりもない。でも心配することはないわ。これまで私が騎士隊を困らせたことなんて一度たりとも無かったでしょ?」
「結構あるだろ」
すかさずニックが突っ込みを入れるがシェリルは笑ってごまかす。
「私はこの国の不利益になるようなことは何一つしてない。それはこれからも変わらないわ。もちろん、国軍が誠意を見せてくれればの話だけどね」
副隊長はシェリルに恨めしげな視線を向ける。
「明日には姿を消しているかもしれない人間の言うことを、信じられるわけないだろう」
「信じてもらうしかないわね。これは交渉じゃない。提案でもないし、ましてお願いしてるわけでもない。忠告よ。シャウラ国は自警団を使って何かを企んでる。だから自棄になって私を地下牢に入れるべきじゃない。私はきっと、この国の役に立つわ」
「なぜお前はそうまでしてアンタレス国の味方につく。ただの親切心というわけではないだろう」
得体の知れないものを見るような顔で副隊長は尋ねる。シェリルは身を乗り出し、愛想のいい笑顔で答えた。
「同盟を結ぼうっていう相手が、内戦や戦争をしてたら困るのよ。アケルナー国とアンタレス国はこれから手を取り合っていかなきゃならない。だからもし国軍が私に敬意を払うなら、手を貸すことも悪くない。うちの国王はそう考えるはず」
副隊長はあからさまに胡散臭いというような表情になる。シェリルは自分に向けられる疑心の目に気付きながらも、快活に言葉を続けた。
「あとはまぁ、この国には愛着があるから。それに、皆だって私に愛着が湧いてるはず。そうでしょ?」
自信満々に言い切ったシェリルに、隊員たちは微妙な顔を向ける。そうでもない、と無言で訴えられているような気がしないでもなかったが、無視した。小さなことは気にしない。それがシェリルのモットーである。
シェリルは自分の企みが想像以上に上手くいったことで、先程にも増して上機嫌になった。ソファーの背にもたれかかり、満足げな視線を周囲に向ける。
「それにしても、今日の私の手際は見事としか言いようがないわね。皆もそう思わない?」
再びシェリルが称賛を求めはじめたので、隊員たちはげんなりとため息をつく。「はいはい」とか「すごいすごい」という適当な褒め言葉が執務室に飛び交い、シェリルは「そうでしょうそうでしょう」と得意になって頷くのであった。