62.行くも地獄戻るも地獄
弁明するならば、シェリルが奴隷だということがこれほど重要になる瞬間が来ると、ジェイミーは予想していなかったのだ。
しかし副隊長をはじめとする仲間たちは、ジェイミーがシェリルのために、彼女が奴隷であるという事実を黙っていたと認識してしまった。おまけにジェイミーがシェリルの左肩を目にしたという部分に食い付き、ひょっとして色でも仕掛けられたんじゃないかとわりと本気で心配される始末である。
必死で否定するジェイミーへの追及は、「今はそれどころじゃない」という副隊長のひとことで一時中断した。
とにもかくにも、目と鼻の先に収監されているシェリルにどのように協力してもらうか。それが現在の最も重要な問題だった。副隊長の話だと、シェリルは突然地下牢に入れられたことでここ最近は大変機嫌が悪いという。まぁ当然と言えば当然だが、それでも何としてでも協力してもらわねばならない。
果たしてそんなことが可能だろうか。
途方に暮れる隊員たちであったが、ニックの一言が滞った空気を一新した。
「俺にいい考えがある」
自信満々に言ったニックに、その場にいた全員の視線が集まった。
◇◇◇
「へっくしょん!」
間抜けなくしゃみが地下牢に響く。一瞬風邪でもひいたかなとシェリルは思ったが、特に悪寒もしないのでその可能性は低い。
風邪よりも何よりも、今シェリルを苦しめているのは退屈すぎるこの状況だった。両手両足を拘束され、窓もなく、することと言ったら地味に揺れる蝋燭の火を眺めることだけ。このままでは気が狂ってしまうのではないかと心配である。
もういい加減脱出したいが、今閉じ込められている牢は前回脱獄した牢とまるで違っていて一人で抜け出すことはまず不可能だった。
こうなったら次に食事を運びに来た人間に噛みついてでも逃げ出してやる、とシェリルは決心する。元々閉じ込められる謂れなどないのだ。逃げられなくても騒ぎが起これば退屈も紛れる。
そうこう考えているうちに、牢の鍵を開ける音が聞こえてきた。一番最初に入ってきた奴に襲い掛かってやろう、とシェリルは身構える。今か今かと待っていると、重厚な扉が重々しい音を轟かせながらゆっくりと動いた。一番最初に顔を覗かせた人物を目にした瞬間、シェリルは駆け出そうとしていた足の力を無意識に抜いた。
「ジェイミー?」
八日前、牢に入れられてから一度も見なかった顔にシェリルは拍子抜けする。ジェイミーは扉の隙間から何故だか困ったような顔を向けてきた。
「久しぶり」
「久しぶり……。今日はジェイミーが尋問するの?」
だとしたら襲いかかるのは無理だなぁなどと考えていると、微妙な表情を浮かべるジェイミーの背後からニックがひょっこり顔を出した。
「どうも、シェリルちゃん。調子はどう?」
「どうだと思う?」
シェリルは拘束された両手を掲げて見せた。ニックに続き、騎士隊の隊員たちがゾロゾロと牢に現れる。
「ちょっと、どういうつもり? 何の騒ぎよ」
大勢の騎士に囲まれて、シェリルは動揺する。まさか逆に襲われやしないだろうなと警戒していると、ニックが相も変わらず軽い空気をかもし出しながら、シェリルの目の前に座り込んだ。
「シェリルちゃん。折り入って相談があるんだ。実は俺たちものすごく困ってて、君の力がどうしても必要なんだよ」
どの面下げて言ってんだと蹴り飛ばしてやりたかったが、退屈すぎる現状にすっかり参ってしまっていたシェリルは、一応不満顔を浮かべながらも大人しく話を聞くことにした。
騎士隊が危機に見舞われている。特に隊長はかなりやばい。現状を打破するためには、人身売買の証拠を見つけ出さなければならない。
ニックの話を最後まで聞いたあと、シェリルは「へぇ」と呑気な相づちを打った。
「それで、私にどうして欲しいわけ?」
「ほら、俺たち人身売買に関する知識が全くないだろ? だからシェリルちゃんの知恵を借りたいと思ってる」
「私の知恵?」
「そう。さっきジェイミーに聞いたんだけど、君、奴隷なんだってね」
なるほど、とシェリルは納得する。先程からジェイミーが気まずそうな顔をしている理由がようやく分かった。シェリルが奴隷だということをジェイミーはとっくのとうに報告しているものと思っていたが、そうではなかったらしい。
優しさだろうか。優しさ故だろうか。だとしたらときめいてしまう。
突然黙り込んだシェリルを前に、ニックは少しだけ焦ったような声を上げた。
「あの、別にからかいに来たわけじゃ無いんだよ。奴隷なら人身売買に詳しいだろうと思って……」
「分かってるわ。どんなものが人身売買の証拠になるのか聞きに来たってことでしょう?」
そうそう、と一同が頷く。
シェリルはほくそ笑んだ。この退屈な箱から抜け出す絶好の機会である。
「何でもいいから、証拠になりそうなものを教えてくれないかな。悪いようにはしないから」
猫撫で声で言うニックに、シェリルはまっすぐ視線を向けて告げた。
「それはね、無理よ」
短くもハッキリした答えにニックは特に動揺したりしなかった。予測していたとばかりにジェイミーをシェリルの目の前に引っ張ってくる。
「まぁそう言わず。もう少し真剣に考えてみてよ。もしこのまま証拠が見つからず裁判なんてことになったら、ジェイミーは子供たちを誘拐した罪に問われるかもしれないんだ。闘技場の皿や花瓶を壊したことも見逃しては貰えないだろうね。覚えてないことで訴えらるのはさすがに可哀想じゃないか?」
ジェイミーを盾にされてシェリルは一瞬たじろぐが、それでも毅然とした態度を貫いた。
「そう言われても、私は別に意地悪で無理だと言ってるわけじゃないのよ。もし私が証拠になりそうなものを教えたとして、どうするの? 闘技場に乗り込んであてもなく探し回るの? 何も見つからなかったらそれこそ自警団の思うツボだわ」
「それを承知で頼んでるんだ。なんせ藁にもすがりたい状況だからね」
ため息混じりに言ったニックに対しシェリルは容赦なくかぶりを振って見せる。
「時間の無駄よ」
かたくななシェリルの態度を受け、さすがにニックは閉口する。それまで静かに事の成り行きを見守っていたジェイミーは迷うような素振りを見せたのち、思いきった風にシェリルに話しかけた。
「シェリル、こんなこと頼めた義理じゃないのは分かってるけど、手を貸してくれないか? 俺たち本当に困ってるんだよ」
切実な表情で訴えるジェイミーに対し、返答に困るシェリル。その一瞬を見逃さずニックが素早く畳み掛けた。
「ほらほら、シェリルちゃん。ジェイミーが困ってるよ。助けなくていいの?」
シェリルは小さく舌打ちする。もとより話を聞いた時点で手を貸そうとは思っていたのだ。先程までの態度は地下牢に入れられたことへのちょっとした意趣返しだった。まだ腹の虫は治まらないが、シェリルは仕方なく期待に応えることにした。
「確実に証拠を手に入れる方法があるわ」
不服だという感情を露にしながらも、呟く。とたん、ニックがシェリルに詰め寄った。
「本当に? どんな方法?」
「作ればいいのよ。証拠をね」
まるで散歩に行きましょうと誘うような調子で提案した。清廉潔白な騎士たちは顔をしかめる。しかしニックだけは瞳を輝かせた。
「俺さ、シェリルちゃんのそういうところ大好きだよ。一回でいいからキスさせてくれない?」
「やめて」
抱きつこうとしてきたニックを蹴り飛ばそうとしたシェリルだったが、ジェイミーがニックの襟首をつかんだので空振りに終わる。ジェイミーはニックをシェリルから遠ざけたあと、難しい顔で言った。
「作るっていったって、このタイミングでそんなことしたらさすがにバレるだろ」
「本物の証拠を見つけたとして偽物だと言われてしまえば同じこと。それに私、完璧な証拠を作る自信がある」
そう言ってシェリルは拘束された両手を前に差し出す。協力するからここから出せという意思表示である。
隊員たちは皆、副隊長に視線を向けた。副隊長は険しい表情で考えに考え抜いたあと、やがてどうにでもなれといった様子で、腰に下げた鍵の束を手に取った。




