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59.それぞれの正義

 ウィルが王弟だと明らかになった瞬間から、ジェイミーの記憶はおぼろげだ。


 目の前にいるのがウィリアム・ハートその人だと判断した子供たちが、王子様が現れたと近隣に触れ回るのを止められなかったことが全ての敗因である。


 正直なところジェイミーは、ウィルの人気を甘く見ていた。


 さえない奴だと貴族社会でどんなにバカにされていても、国民にとっては滅多にお目にかかれない有名人であることに変わりはない。建物の外は子供たちの話を聞き付けた人々であっという間に騒がしくなった。「握手してくれ」とか、「うちの店に寄って欲しい」という声が絶え間なく聞こえてくる。酒盛りをしていた男たちはというと、ウィルに剣を突き付けてしまったことを思い出したのか、絞首刑だけは勘弁してくれと床にひざまずいて懇願している。


 どこから手をつければいいのか。途方に暮れるジェイミーとウィルのもとに、先程部屋の奥に引っ込んだ男が訝しげな顔で戻ってきた。「なんの騒ぎだ」と顔をしかめる男の背後には、二人の男が立っている。恐らくウィルが捕らえたひったくり犯だろう。


 ジェイミーは彼らの姿を視界に入れた瞬間、ああ、なんてタイミングの悪い、と嘆息した。


 ウィルが捕まえた男たちは、オスカーとマックスだった。アルニヤト神殿の少女たちを駆け落ちに誘った五人組のうちの二人である。


 二人が部屋に入ってきたのを見て、ウィルはジェイミーに耳打ちする。


「あの二人、僕が捕まえた奴らだよ。これ以上人が集まると厄介だから裏口から連れだそう。馬はあとから――」

「ウィル、お前やっぱりすごいよ……」


 ジェイミーはウィルの言葉を遮って、しみじみと呟いた。


 ぼんやりしているように見えてやはり、国王の弟である。運のような、何か特別なものを持っていることは間違いない。惜しむらくは二人を捕まえてすぐに連行出来なかったことと、この場にジェイミーを連れてきてしまったことだろう。


 オスカーとマックスはジェイミーのことをばっちり覚えていた。だからジェイミーの姿を認識した二人がとんでもない早さで逃走したことも、取り立てて驚くことではない。






 裏口から逃走したオスカーとマックスが、駐在所に詰めかけた人々に紛れたときはさすがに嘆きたくなったジェイミー。しかしジェイミーは自分で思っているよりも優秀であった。ダメ元で当たりをつけ追いかけたら、意外にもすんなりと二人を取り押さえることができたのである。


 大変なのはむしろ二人を取り押さえたあとだった。ウィルの姿を一目見ようと集まっていた人々は、ジェイミーが二人を取り押さえた現場を見て大盛り上がり。ジェイミーとウィルは腹をくくり、野次馬の中を進み本部を目指すことにしたが、それが完璧な選択だったとは言い難い。

 たった二人の男を本部に連れて行くだけなのに盛大な声援を送られ、その声援によってどんどんと人が集まり、本部に着く頃には何百人という人々を引き連れているような状態になってしまったのだ。


 満身創痍のジェイミーとウィルを出迎えたのは、厳めしい表情の隊長だった。お前たちは休日にパレードを催す趣味でもあるのかと拳を握りながら近付いてきた隊長に、二人は必死で事情を説明した。なんとか隊長の怒りを鎮めたものの、報告書という名の反省文を書いたり、野次馬の対応に追われた衛兵に謝罪して回ったりと、二人の貴重な休日は散々な結果で幕を下ろすことになったのだった。


◇◇◇


「マヌケだよなぁ、ひったくりなんて。人身売買の件で国軍に追われてることは分かってたんだろ。しばらく静かにしてようとか思わなかったわけ? 常に悪いことしてないと生きていけない呪いにでもかかってんの?」


 ニックの言葉を聞いて、取調室で尋問を受けているオスカーは表情を歪めた。


 お祭り騒ぎから一夜明け、現在オスカーとマックスはそれぞれ別の部屋で尋問を受けている。オスカーの尋問を担当するのはジェイミーとニック。ニックは先程から、尋問というよりオスカーの心を(くじ)くことに熱心である。


「わざわざ馬車まで用意して手に入るのが庶民の財布じゃ割りに合わねぇだろ。よっぽど金が入り用だったのか? 人身売買で稼ぐ当てが外れたから困ってるとか?」


 やる気があるのかないのか、一応探りは入れるつもりのようだ。オスカーはふんと鼻を鳴らし、嘲るような笑みを浮かべた。


「あんた、ニック・ボールズだろ。世論を味方につけるために(かつ)ぎ上げられた操り人形だって、俺の地元じゃ有名だぜ」

「俺の地元、ね。小さい世界で生きてんな。それだけ視野が狭けりゃさぞかし充実した人生を送れることだろうよ。羨ましい限りだ」


 小さな子供に言い聞かせるようなニックの口ぶりに、オスカーはギリと歯軋りする。ジェイミーは不穏な空気を一掃するため咳払いして、本題に入ることにした。


「オスカー、よく聞け。人身売買に関する情報を提供するかしないかで、お前のこれからの人生が決まる」

「どういう意味だ?」

「今すぐ有益な情報を提供すれば、刑罰が軽くなるよう取り計らう。ただし、別の部屋で尋問を受けているマックスが先に口を割れば、お前は身を守る(すべ)を失うことになる。情報に価値があるうちに吐いてしまうほうが身のためだぞ」


 淡々と告げるジェイミーを前に、オスカーは疑り深く目を細める。


「それって、マックスにも同じこと言ってんだろ。俺もあいつもそんな安い策にはひっかからねぇよ。情報を手に入れたいならせいぜいご機嫌とりに徹することだな」


 高慢に吐き捨てるオスカー。やけに強気な態度に、どうしたものかとジェイミーは閉口する。


 そのとき、扉を叩く音が響いた。ジェイミーが返事をすると副隊長が部屋に入ってきた。


「マックスの尋問が終わった。こっちの状況は?」


 言いながら副隊長はジェイミーの手元にある調書を覗き込む。雪原よりも真っ白なそれに、副隊長は大きくため息をついた。


「今まで何してた。楽しくおしゃべりか?」

「まぁそう言わないで下さい。さっきから逆剥(さかむ)けが痛くて尋問に集中出来ないんですよねぇ」


 めちゃくちゃな言い訳をするニックに呆れきった目を向けた副隊長は、ジェイミーの隣に腰を下ろす。


「マックスは洗いざらい吐いたぞ。仲間の居場所も分かった。今日中に全員連行出来るはずだ」


 副隊長の報告を聞いて、ジェイミーとニックはなんとも言えない表情をオスカーに向ける。どうやらマックスは安い策にひっかかったらしい。


「冗談だろ?」


 マックスが口を割ったという話をオスカーは信用出来ないようだ。しかし副隊長の話は完全なる事実である。それを証明するため、副隊長はマックスが明かした人身売買に関する話を、この場で語って聞かせた。






――――どこか遠い国の話であった人身売買が、数人のアンタレス人にとって身近なものになったのは今からおそよ半年前のこと。


 オスカーやマックスを含む五人の男たちは、闘技場の下っ端選手だった。ある日五人は闘技場の経営を担う幹部に呼び出された。そして、こんな話を聞いた。




『これから自警団は闘技場に続く新しい商売をはじめる。他国では当たり前に行われている、人身売買だ。今この場にいる五人には、人身売買という新たな試みの先駆者となって貰いたい』




 五人が選ばれた理由は、闘技場の選手の中でまともに読み書きができるからだった。他の選手たちは腕っぷしは強いが、勉強はからっきし。闘技場の幹部は、最低限腕が立ち頭の働くオスカーたちのような人間を必要としていた。


 勉強が出来ても腕力がなければ金にはならない。そんな日常に嫌気がさしていたオスカーたちは、人身売買が成功した場合の報酬を聞き、迷うことなく首を縦に振った。


 人身売買が犯罪であることは百も承知だった。しかし知識のある五人は、それが世界的に見れば特殊であることも知っていた。


 罪悪感などない。恵まれない者を救って金が手に入るならこんなに良いことはない。五人は幹部に言われるがまま、犯罪に手を染めることを決める。


 人身売買で大金を稼ぐ試みは、自警団の中でも一部の人間しか知り得ない、極めて内密な計画だった。オスカーたちが幹部の指示で何やら企んでいることに感づく選手もいたが、積極的にそれを知ろうとする者はいなかった。


 五人が売りさばこうと準備していたのは、ジェイミーとシェリルが救ったアルニヤト神殿の少女たちと、サビク領の孤児たちで全てである。一番最初の取り引きをジェイミーとシェリルに阻止されてからは、責任を追及されることを恐れ自警団と連絡を断ち、ずっと王都の安宿に身を隠していたらしい。






 マックスから聞き出した話を副隊長が語っている間、オスカーは何もかも諦めたような表情を浮かべていた。マックスが口を割ったことをよく理解したようだ。


「人身売買の取り引き相手に関しては、取り引きの仕方を数回打ち合わせた程度で、どこの誰かというような詳しいことは把握していないそうだな。以上がマックスが提供した情報だ。これ以上の情報が無いのなら、お前はこのまま一生獄中暮らしもあり得るぞ」


 副隊長の言葉に、オスカーは口の端を上げる。


「それはないだろう。結局一人も売らなかったんだ。未遂じゃ大した罪には問えないはずだろ」


 確かにそうだと、ジェイミーは密かに感心する。金銭のやりとりが行われていない以上、人身売買が成立したとは言えない。アンタレス国には人身売買を禁じる法律はあっても、計画を立てるなど、事を起こす前の行動を咎める法は整備されていないのだ。ひったくりや孤児を放棄したことは犯罪だが、一生獄中暮らしとまではいかないだろう。


 この状況でよく頭が働くものだと感心しているジェイミーの隣で、副隊長は爽やかに微笑む。


「ずいぶんと可愛らしいことを言うじゃないか。この国はお前が思っているほどまともじゃないぞ。法律など、やりようによってはいくらでもねじ曲げられる」


 ジェイミーとニックは副隊長を凝視した。言っていることとかもし出す雰囲気が全く一致していない。うららかな春の日を思わせる爽やかな空気をまとったまま、副隊長は脅しを続ける。


「この際、罪状は何でもいい。私はサビクの領主として、幼い子供たちを金儲けに利用しようとしたお前を絶対に許さない。どんな手段を使っても叩き潰すつもりだ。だが特別に、最後のチャンスをやってもいい。この先の人生を思い浮かべながら死ぬ気で考えろ。マックスが提供した情報以外に価値のある情報はあるか?」


 一気に捲し立てた副隊長に対し、オスカーはさすがに怯んでいる。ジェイミーとニックもなぜか冷や汗をかいている。オスカーはしばらく視線を泳がせたあと、ゆっくりと口を開いた。


「……ひとつ、ある」


 心持ちうなだれながら、オスカーは呟いた。部屋に現れてから数分でオスカーの鼻をへし折ってみせた副隊長に、ジェイミーとニックは尊敬の眼差しを向ける。しかしオスカーの明かした話を聞いて、驚き以外の感情はどこか遠くに吹き飛んでしまうこととなった。


「幹部が話してるのをたまたま聞いただけだから、詳しいことは分からないが……」


 そこまで言って、オスカーは逡巡(しゅんじゅん)するように一旦口を閉じる。ジェイミーたちが根気強く待っていると、やがて決心した顔で言葉を続けた。


「そもそも、自警団が人身売買で稼ごうと思い立ったのは、一緒に大金を稼ごうと持ちかけて来たやつらがいたからだ。幹部はそいつらのことをこう呼んでた。"シャウラ国の金持ち連中"って」


 その昔、アンタレス国をこれでもかと苦しめた国の名に、ジェイミー、ニック、そして副隊長は絶句した。

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