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58.威厳のない王子様

 シェリルが地下牢に入れられて早くも一週間が経過した。

 シェリルを監視することに自由時間のほとんどを奪われていたジェイミーは、とうとう念願の自由を手に入れた。監視役の責任もなくなり、彼女に付け入るという正直言ってほとんど忘れかけていた使命からも解放された。


 にもかかわらず、ジェイミーは一日の大半をシェリルの身を案ずることに費やしていた。






「お前が心配したって仕方ないだろう。何も出来ないんだから」


 昼下がり。

 執務室でいつかのパズルと格闘していたニックは、向かいに座ってため息ばかりつくジェイミーに鬱陶しいという気持ちを込め言葉を投げた。ジェイミーは決まり悪い顔を浮かべつつも、やっぱり思い詰めた表情で口を開く。


「お前は何とも思わないのか」

「何が?」

「何されてるか分かんないんだぞ。隊長も副隊長もどうやって尋問してるのか教えてくれないし、もしかしたら毎日殴られてるかもしれないのにお前は何とも思わないのか」


 ニックはしばし考え込んだあと、真顔で首を横に振った。


「いや、全然何とも思わない」

「他人を思いやるという感情が無いのかお前」


 聞く相手を間違えたとでも言いたげなジェイミー。ニックはカチンときて、パズルから完全に顔を上げた。


「お前今まで牢獄に入れられた人間の心配なんかしたことあるのかよ。誰を心配しようと勝手だが俺にまで同じこと押し付けんな」


 怒気をはらんだニックの言葉に、ジェイミーは目を見開く。そして数回瞬きしたあと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「そうだよな、悪かったよ」


 あっさり謝るジェイミーに、ニックはげんなりと頭を抱える。


 ジェイミーのようにすぐ謝ってしまうような手合いがニックは大の苦手である。もっと言えば、流されやすい人間や他人の言いなりになるような人間も苦手だ。

 父親に命じられたからという理由で軍に入り、不当な扱いを受けても文句も言わず、いつもどうすれば丸く収まるか考えているようなジェイミーなど、はっきり言って愚の骨頂だ。


 それでも今日まで親友と呼べる関係を続けているのは、ニックが軍学校に入学したばかりの頃、ジェイミーとウィルだけがまともに口を利いてくれたからに他ならない。労働者階級に近づいたら病気がうつるという噂が広まったとき、そんな馬鹿な話があるかと笑い飛ばしたのは二人だった。ナイフとフォークの使い方がわからないニックを嘲笑しなかったのも、庶民特有の習慣を馬鹿にしなかったのも、やっぱり二人だ。


 今となってはニックのことを色眼鏡で見る者はほとんどいない。それでも子供の頃の経験というのは意外に尾を引くもので、ジェイミーとウィルに対しこいつらバカじゃねぇのと思うことは多々あれど、心から信頼できるのはやっぱり、二人だけだったりする。


「隊長を信用しろよ。あの人が無意味に他人を傷付けたりすると思うか?」


 ニックは面倒だと思いつつも、一人で勝手に神経を消耗している友人に付き合ってやることにした。


 ジェイミーは秘密を打ち明けるように声をひそめる。


「隊長はシェリルのことを犯罪者だと思ってる」

「いや、犯罪者だろ。経歴詐称、脱獄、文書偽造、情報窃盗……」

「そんなことで一週間も地下牢に閉じ込められるなんておかしいと思わないか」

「そんなことって……。お前あの子のせいで価値観ねじまがってんじゃねーか。即刻修正しろよ取り返しつかなくなるぞ」


 ニックが苦い顔で忠告したとき、扉を叩く音が響いた。ニックがやる気のない返事をすると、扉の向こうから困り果てた様子のウィルが現れた。


「隊長いる?」

「隊長は地下牢で尋問。副隊長は孤児院からきたハロルドさんと話してる。他の奴らは工兵隊と衛生隊の手伝いで出払ってる」


 ニックの答えを聞いて、ウィルはますます困り果てた表情になる。


「誰か暇な奴いない?」

「休みだってのに忠犬のように隊長の帰りを待ってる男ならここにいるぞ」


 言いながらニックはジェイミーを指差す。ジェイミーはバツの悪い顔で頭をかき、ウィルに視線を向けた。


「俺は暇だけど、なに、どうした?」

「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど……」


 そう言って、ウィルは手招きした。


◇◇◇


 その昔王宮の庭師に師事していた少年が、最近結婚して、王都に花屋を開いた。彼と仲がよかったウィルは休みを利用して開店祝いに出向いたのだが、その帰り道、ひったくりに遭遇した。ひったくられたのはウィルではなく近くを歩いていた婦人で、犯人は近くに停めてあった馬車に乗り逃走。ウィルはその馬車を走って追いかけ、飛び乗り、犯人を捕まえた。


 盗まれた鞄を婦人に返し、ひったくり犯と、その仲間とおぼしき御者の男を本部に連行しようとしたウィル。しかし走っている馬車に追い付き飛び乗るという離れ業を披露したせいで、ウィルの周囲には人だかりができてしまっていた。


 二人の男を捕らえたまま人混みを抜けることに苦労しているうちに、騒ぎを聞き付けた自警団が登場。私服だったため国軍騎士だと伝えても信じてもらえず、犯人を引き渡せと要求された。おまけにひったくり犯と自警団は知り合いだったようで、ひったくりなどでっち上げではないかと疑われる始末。


 王弟だということを伝えても失笑を買うだけだと判断したウィルは、とりあえずひったくり犯を自警団に引き渡し、隊長にことの次第を報告しようと本部に戻ってきたらしい。






 馬に乗って自警団の駐在所に向かう道すがら、ジェイミーは複雑な気持ちでウィルの話に耳を傾けていた。


「馬車に飛び乗るって、バケモノかお前は」


 ジェイミーの言葉に、ウィルは恥じ入ったような声を返す。


「やっぱり走ってる馬車に飛び乗るのは公共のマナーに反する行動だったかな」

「いや、そこじゃない。そこじゃないしそれだけ人間離れしたことが出来るのにどうして自警団には逆らえないんだ」


 いまいち自分の能力を上手く生かせていないウィルに、ジェイミーは呆れた顔を向ける。ウィルは不安げに呟いた。


「穏便に引き渡してもらえるかな」

「軍服着てるし、徽章(きしょう)もつけてるから大丈夫だろ。書類もちゃんと用意したし」


 そんなこんなで駐在所に到着した二人。警備に事情を話し中に入ると、ガラの悪い男たちが真っ昼間から酒盛りをしていた。お上品な生まれ育ちのジェイミーとウィルは、タバコの煙が充満する部屋でポカンと立ち尽くす。そんな二人に目を留めた男たちは、分かりやすくガンを飛ばしてきた。


「どちらさん?」


 ジェイミーは早いところ話をつけてしまおうと、表情を引き締め男たちの方に一歩足を踏み出した。


「国軍本部、騎士隊所属のジェイミー・ウィレット。手違いがあったようで我々の捕らえた犯罪者がこちらに拘束されたと聞いている。国の規定に従い引き渡しの手続きを――」

「あー、ちょっとちょっと、そんな堅苦しい言い回しじゃ何言ってんのか分かんねぇよ。要するに何、喧嘩売りに来たってわけ?」


 男の言葉を合図にして、十数人が一斉に立ち上がりジェイミーとウィルを取り囲んだ。ジェイミーは憮然としつつ、懐から書類を取り出す。


「通告書だ。この駐在所の責任者にお目通し願う」

「俺たちさぁ、あんたらみたいに学がないから文字とか読めねぇんだわ」

「ではここで読み上げよう」


 ジェイミーがそう言った瞬間、男の一人が書類を奪いその場でビリビリに破いた。


「あーあ、破れちゃった。どうする?」


 笑い声が部屋中に響き渡る。ジェイミーとウィルは何ともいえない顔で視線を交わした。全然穏便に引き渡して貰えそうにない。


 ジェイミーはウィルに耳打ちする。


「この中にひったくり犯はいるか?」


 ウィルは辺りを見回し、首を横に振った。


「いや、いない」

「じゃあ奥にいるのか」


 あまり長引かせると色々と面倒なことになりそうなので、ジェイミーは仕方なく、男たちを無視して建物を捜索することに決めた。ウィルと視線で示し合わせ、足を踏み出す。


「おいおい、何してんだ。誰が入っていいなんて言った?」

「ぶしつけな訪問は申し訳なく思う。だが国軍の行うことは全て国王陛下の意思だと心得て頂きたい」

「だからさぁ、あんたさっきから何言ってんのか全然分かんねぇんだよ」


 イライラと声を荒げ、男はジェイミーの胸ぐらを掴んだ。慌てて間に入ろうとしたウィルに、別の男が剣を突きつける。


 ジェイミーとウィルは自分たちの考えの甘さを今さらながら反省していた。自警団から国軍への犯罪者の引き渡しはよくあることで、今回も当然のように問題なく行えると思っていた。しかし不測の事態とはいつ何時でも起こり得るものである。特に相手が酔っ払っている場合は、真面目に接すれば接するほど反感を買うということを理解しておくべきであった。


 次から気を付けよう、と胸ぐらを掴まれながら悠長に決心するジェイミー。そんなジェイミーの顔を、一人の男が注意深く覗きこんできた。


「あれ、こいつどっかで見たことあるな」


 男の言葉を聞いて、他の者たちもジェイミーの顔をまじまじと観察し始める。ジェイミーは胸ぐらを掴まれたまま大勢に凝視されるという状況に何とも落ち着かない心持ちになる。


「人違いでは?」


 なるべく友好的な笑みを浮かべジェイミーが呟いた瞬間、胸ぐらを掴んでいた男が目を見開いた。


「あー! 思い出した! お前闘技場でウルフを倒した奴だろ!?」


 男が叫んだ瞬間、周囲にいた男たちも大きく声を上げた。ジェイミーもハッとする。今ジェイミーの胸ぐらを掴んでいる男は闘技場の事務室にいた選手の一人だ。


「何だよ、お前国軍騎士だったのか。おかしいと思ったんだよ。あのウルフが素人(しろうと)に負けるはずないもんな」


 喉につかえた小骨がとれたみたいな顔で頷く男たち。

 何でもいいがそろそろ手を離してくれないだろうかと思うジェイミーである。


 そのとき、部屋の外から小さな子供の叫び声が聞こえてきた。


「おーい! さっきの馬車の人がきてるって本当!?」

「本物の騎士だったー?」


 げ、と声を漏らし、男はジェイミーの胸ぐらを掴む手を緩めた。小さな足音と共に二人の少年たちが現れる。彼らはジェイミーとウィルを目にした瞬間、「おー……」と感嘆の声をこぼし同時に仰け反った。


「すげー。本物っぽい」

「よくわかんないけど、騎士っぽい」


 喜んでいいのか分からない感想を呟く子供たち。


 自警団の男たちは先程までの荒んだ空気を引っ込め、たしなめるような声を子供たちに向けた。


「勝手に入って来るなっていつも言ってんだろ」


「でも姉ちゃんが入っていいって言ったよ」


 少年のセリフに、男たちはますます顔をしかめる。


 再び部屋の外から足音が聞こえてきて、少年たちよりいくつか年上と見受けられる少女が顔をだした。少女はジェイミーとウィルを見た瞬間、歓声を上げる。


「わぁ、私騎士様って初めて見た!」

「だから……勝手に入るなって何度言ったら分かるんだ」


 男の忠告もむなしく、少年少女たちは何のためらいもなく部屋に入り、ジェイミーとウィルにキラキラとした視線を向けた。


「国軍と仕事することもあるって本当だったのね」

「ねぇ、なんで剣向けてんの?」

「刺すの?」


 自警団の一人がウィルに剣を突きつけている様子に、少年二人は興味津々である。男たちは牙を抜かれたように弱り果てた様子で、顔を見合わせている。やがて渋々というようにウィルに向けていた剣を収め、ジェイミーからも手を離した。


「ちょっと待ってろ」


 リーダー格と思われる男が、ふてぶてしく言い捨てて部屋の奥に引っ込んだ。他の者たちも興が醒めたようにため息をつき、ジェイミーとウィルの周りを離れ酒瓶を手に中央のテーブルに戻る。


 なんだかよく分からないが丸く収まったようだ。


 ジェイミーとウィルはホッと胸を撫で下ろす。そして妙な視線を感じ、二人同時に目線を下げた。


「ねぇねぇ、本当に本物? お兄さんたち貴族なの?」

「騎士隊ってどうやったら入れるの?」

「背中に人乗せて腕立てするって本当?」


 男たちに代わって少年少女が二人の周りを囲んでいた。澄んだ瞳で質問を投げてよこす子供たちに、ジェイミーとウィルは苦笑する。仕方なく順番に質問に答えていると、少女がポケットから紙切れとペンを取りだし、ジェイミーに差し出した。


「サインください」

「え、サイン……?」


 唐突な要求に面食らうジェイミーだったが、あまりにも純粋な眼差しを前に断るなんて選択肢はない。言われるがままサインすると、少女は嬉しそうにジェイミーのサインを眺めたあと、酒を飲んでいる男たちにそれを自慢しに行った。


 サインひとつであれだけ喜んで貰えるなら、騎士というのはずいぶん割りのいい仕事だと言えなくもない。そんなことをぼんやりと考えていたジェイミーの横で、姉の真似をするように、少年二人もウィルにサインをねだっていた。


 はじめはその光景をなんとも思わなかったジェイミー。ウィルのサインした紙を嬉しそうに握りしめて駆け出す子供たちを、微笑ましい気持ちで見送る。数秒経過してから、我に返った。


「ちょっと待て! お前はサインしちゃダメだろ!」

「え? ……あ」


 ジェイミーの指摘によってウィルは己の失態に気付く。しかし時すでに遅し。少年二人はもう、姉の眼前にウィルのサインをかざしていた。


「これなんて読むの?」

「えーっと、ウィリ…ウィリアム……ハート……」


 たどたどしく少女が読み上げた瞬間、部屋の時が止まった。


 酒を飲んでいた男たちが、まるで軋む音が聞こえてきそうなほどゆっくりと、ウィルに視線を向ける。


 国軍本部騎士隊所属。アンタレス国では珍しい黒髪に、緑の瞳。


 一つずつ頭のなかで確認しているのが目に見えるようだった。子供たちは呑気なもので、ウィルのサインと本人を交互に見比べ、へぇ、と感心したように頷いた。


「王子様と同じ名前じゃん。すごいね」


 少年のセリフに、男たちの顔色がさぁっと青くなった。

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