57.ささやかな平穏
「つまりこういうこと? 無駄な話し合いを五日も続けたあげく無駄な結論を導きだしたってわけ?」
地下牢にて両手両足に拘束具を嵌められたシェリルは、自身が拘束された理由を隊長から聞くやいなや不機嫌な顔で吐き捨てた。隊長はシェリルの言葉に構うことなく、なんとも言えない表情で、隣に立つジェイミーに目を向ける。
「ジェイミー、お前はあれか。目に見えない手綱か何かを、この女の首にかけてるのか」
ジェイミーは隊長の問いに、苦笑いだけ返した。
執務室にて、シェリルは剣を構えている騎士たちに対して、真冬の地下牢などお断りだとはっきり言ってのけた。
元々脅しのつもりでシェリルに剣を向けていた騎士たちは困り果て、隊長は禍々しいオーラを解き放ち、シェリルは頑として首を横に振った。
乱闘を予感したジェイミーは、一言、ひとまず地下牢に入ってくれないかとシェリルに告げた。すると彼女はあっさり頷いたのだった。
その時点で周囲から妙な視線を向けられたジェイミー。続いて地下牢にて、地下牢に入ったのだから枷など必要ないとごねるシェリル。そんなわけにいくかと隊長。隊長の言うことに従って欲しいとジェイミー。結果、身動きが取れなくなったシェリルの出来上がりである。
元々ジェイミーは、人身売買やバート・コールソンの件にシェリルが絡んでいるとは考えていない。しかしどう考えても、シェリルが地下牢に追いやられたのは自分がそう命じたせいである。無実と分かっていながらシェリルを窮地に追い込んでいる自分が、何かとてつもなく悪い人間のような気がして、ジェイミーは落ち着かなかった。
「あ、ねぇ、ひょっとしてここ、バート・コールソンが脱獄した場所?」
周囲を見回しながらシェリルが声を上げた。この国で一番厳重な牢であるこの場所は、確かに、最後にバート・コールソンを捕らえていた場所でもある。もっとも、バートが脱獄に成功してから枷や扉の鍵が新しくなったので、彼が脱獄した頃よりもさらに厳重な牢へと進化している。
机すらない、石に囲まれた箱のような部屋で、壁に植え付けられた鎖の先にシェリルは繋がれている。彼女の目の前にはジェイミーと隊長、副隊長、そして団長が立っている。牢の外は騎士隊一同が包囲している。確かにシェリルは脱獄の前科があるし、何を仕出かすか分からない。しかし今の状況は少々異常ではないかと、ジェイミーは違和感を覚えていた。
「なぜバートが捕らえられていた場所だと思うんだ」
「教えてやるもんですか」
不審げな顔で尋ねる隊長に対して、シェリルは唾でも吐きかけそうなくらい不機嫌な態度を見せる。調書を隠れて読んでいたからだとジェイミーは知っていたが、何となく、今はそのことを口にしないでおくことにした。
「ウィレット」
「はい」
団長に名前を呼ばれ、ジェイミーは驚きつつ返事をする。団長に直接声をかけられることなど一年に一度あるかないかである。今日もクルミが割れそうなくらいのシワを眉間に刻んでいる団長は、威圧感たっぷりな口調で告げた。
「監視の任を解く。あとは私とキャンベルで引き継ごう。スコールズとウィレットは外の騎士隊と合流しろ」
「え」
当然のように自分が尋問するものと思っていたので、ジェイミーはすぐに言葉を返すことが出来なかった。監視役でなくなるということは、シェリルの扱いについて一切口を出せなくなるということだ。団長と隊長の様子からして、穏やかな尋問がなされるとは思えない。拷問だって行われるかもしれない。嫌な予感がして返事を渋っているジェイミーを、副隊長が無理矢理牢から連れ出した。
「行くぞジェイミー」
「あ、はい」
牢の外に出て扉の鍵を閉め、完全にシェリルの姿が見えなくなった時点で、ジェイミーはこれ以上ない不安に襲われた。
「監視役卒業おめでとうジェイミー。やっと自由の身だな」
副隊長はおどけたように笑って、ジェイミーの背中を叩く。しかし浮かない顔をしているジェイミーに気付き、おやと首をかしげた。
「どうした。嬉しくないのか?」
「副隊長、本当にシェリルがウィルの襲撃や人身売買に関わっていたと思いますか?」
「それを確認するために牢に入れたんだろう。どちらにしても近いうちに明らかになる」
「でも、度が過ぎてはいませんか。団長まで出てくるなんて……」
「あー、それは……」
副隊長は苦虫を噛み潰したような顔で、なぜ団長が執務室に現れたのか説明した。
副隊長曰く、騎士隊の働きに衛兵隊長が相当不満を持っているという。騎士隊長と衛兵隊長は昔から犬猿の仲なので驚く話ではない。しかしここ最近、衛兵隊長はいつにも増して騎士隊長の責任を追及したがった。あまりにしつこいので、それなら騎士隊の仕事ぶりを団長自らが直接確認し評価するという話で決着がついたらしい。
「だからあんなに気合いが入ってたんですね」
執務室に騎士隊の仲間たちが登場した場面を思い返してみる。格好がついていたのは登場する部分だけだったので、団長の評価はあまり期待出来ないだろうとジェイミーは思った。
◇◇◇
賑わしい王都が闇に包まれ、人々の影という影が跡形もなく消え去る時刻。
しんと静まりかえった騎士隊執務室の扉が突然開き、部屋の蝋燭がわずかに揺れた。扉の向こうから現れたのは、げっそりした顔の隊長である。たった一人でせっせと書類仕事に勤しんでいた副隊長は、夜も遅いというのに隙のない爽やかな笑顔を浮かべ立ち上がった。
「おつかれさまです。尋問は上手くいきましたか」
「大体想像つくだろう」
ため息混じりに吐き捨て、ソファーに勢いよく体を預ける隊長。副隊長は手慣れた様子でお茶を入れながら苦笑いする。
「やっぱり、ジェイミーじゃないと無理ですかね」
「あいつは駆け引きがど下手くそだからどのみち上手くはいかんさ」
容赦のない言葉に副隊長は半笑いで「そうですね」と頷く。
「それにしてもジェイミーは、スプリングに肩入れしすぎではないですか?」
「お前もそう思うか」
隊長は緩慢な動きで頭だけ持ち上げ、副隊長に目を向ける。副隊長はカップを隊長に差し出しつつ頷く。
「ええ、牢から連れ出したあとは大変でしたよ。帰れと言っても隊長が戻ってくるまで待機すると言って聞かないんですから」
「それは、相当だな……」
隊長はカップを受け取りながら難しい顔で唸る。
「ジェイミーはあの女に気があるんだろうか」
副隊長は指を顎にかけ、考え込む。
「崖から落ちたり代わりに闘技に参加して殴られてやるくらいには気に入ってるんじゃないですか?」
「つまり、すごく気に入ってるのか」
隊長は嘆かわしいと言うようにため息をつき、片手で顔を覆った。深刻な空気をかもし出す隊長と対照的に、副隊長は楽観的だ。
「心配いりませんよ。ジェイミーがあんなトラブルの発生源みたいな女に手を出すと思いますか?」
「あり得ないな」
「そうでしょう。それにあいつは聞き分けがいいですしね。滅多なことはやらかしませんよ」
「そう言われるとそんな気がしてきた」
隊長の不安は副隊長の言葉によって少しだけ払拭された。
なにはともあれ、ここ最近隊長の頭を悩ませまくっていたシェリルは今、脱獄不可能の牢獄に閉じ込められている。明日からしばしの平穏が訪れるはずだと、隊長は穏やかな気分でカップに口をつける。
しかし隊長のささやかな平穏は、そう長くは続かなかった。