55.たった一人の味方
今日も今日とて、アンタレス国には雪が降る。しんしんと降り積もる雪を執務室の窓から眺めているシェリルは、ひどく不機嫌そうである。その横顔を眺めながら、ジェイミーは隊長とのやりとりを思い出していた。
◇◇◇
子供たちを本部に連れてきてから、五日目。現時点で分かっていることは、サビク領の孤児院で六人の子供と赤ん坊を引き取ったのは、五人組の男たちであったということ。恐らくジェイミーとシェリルが取り逃がしたオスカーたちだろう。しかし彼らは偽名を使っていたらしく、孤児院の記録に彼らの名前は残っていない。
これらの情報は、孤児院の院長、ハロルド氏から届いた手紙で得たものだ。サビク領から王都まで十日前後かかるため、現在は手紙でのやり取りにとどまっている。
軍の上層部はハロルド氏が本部に到着するまで結論は出せないと言った。結論というと、自警団を調査するかどうかということなのだが、上層部がその決断を引き延ばしたがっているのは明らかだった。話し合いばかりしている上層部に不満があったらしいシェリルは、とうとう今朝、隊長に噛みついた。自分も話し合いに参加させろとシェリルは訴えたが、そんなこと隊長の一存では決められない。ということで、本日も上層部は結論の出ない話し合いをし、ジェイミーとシェリルは執務室で待機である。
話し合いに参加したいというシェリルの主張が却下されたあとのことだ。シェリルは一旦執務室の外に出され、部屋にはジェイミーと隊長、副隊長の三人だけが残った。
副隊長はジェイミーに一枚の封筒を差し出し、中を読むように促してきた。封筒の中身はアンタレス国王ローリーに宛てた手紙であり、「スプリング家など存在しない。シェリルという女は、煮るなり焼くなり好きにしろ」というようなことがもう少し丁寧な言葉で書かれていた。一番最後には、アケルナー国の現国王であるバリック・リバーの署名が記されている。
「やっと返答が来たんですか」
ジェイミーの言葉に、隊長が「ああ」と短く答える。
シェリルが自らをスプリング家だと名乗った日、アンタレス国はアケルナー国に手紙を送った。スプリング家を名乗るシェリルという女が、アンタレス国に忍び込んでいたという内容で、事実確認のために送った手紙だった。
「その手紙、どう思う?」
隊長に意見を求められ、ジェイミーは思案する。
「バリック国王がシェリルを送り込んだのなら、認めるはずがないでしょう。スプリング家が存在してもしなくても、こういう返答になりますよ」
「同意見だ。もうひとつ見せたいものがある」
隊長はそう言って、副隊長に目配せした。副隊長はジェイミーにもう一枚、手紙を手渡す。封筒には、ルドベキア軍と記されていた。
ルドベキア軍とは、国際的に活動している世界最大規模の軍団である。どの国にも属さずどの国にも肩入れせず、国際社会の秩序を守るのが彼らの役目だ。一国にとどまらない大規模な犯罪を取り締まるのが主な活動内容であり、大国と呼ばれる国は大抵、ルドベキア軍と盟約を結んでいる。
盟約を結んだ国は、ルドベキア軍の定める法によって守られる。むやみやたらに戦争を仕掛けることが出来なくなるかわりに、不意打ちで侵略される心配がなくなる。各国で起きた犯罪や災害に関する情報提供が保障される等だ。
もちろんいいことばかりではなく、世界経済のバランスを保つという名目で、盟約を結んだ国同士で不必要な貿易を行わなければならない場合もある。アンタレス国はこの部分がネックとなって、長い間ルドベキア軍と盟約を結ぶことが出来なかった。奴隷の貿易義務が生じた場合、アンタレス国は対応出来ないからだ。
ようやく盟約を結んだのは十五年前のこと。ローリーの手腕をもってして、奴隷貿易に関してはアンタレス国のみ免除されることになり、無事組織への加盟を果たした。
ルドベキア軍からの手紙を見て、ジェイミーは首をかしげる。
「何ですかこれは」
「アケルナー国に確認の手紙を送ったのと同時期に、ルドベキア軍にもスプリング家に関する情報提供を依頼していた。その返答が昨夜届いたんだ」
「知りませんでした」
「スプリングに勘づかれないように黙っていた。中を見ろ」
ジェイミーは封筒の中の手紙を取りだし、目を通す。手紙の内容はとても丁寧なものだった。
ルドベキア軍曰く、スプリング家に関する情報提供はこれまで数えきれないほどの国から依頼されてきたそうだ。最も依頼が多かったのは三十五年前。アケルナー国にとって有利な出来事が頻繁に起こった時代である。
何の前触れもなく、アケルナー国に忍び込んでいた各国の諜報員が姿を消した。アケルナー国の王家にまつわる黒い噂がすべての証拠とともに跡形もなく消え去った。果てはアケルナー国を裏切ろうとした小国が、一晩で滅んでしまったのだ。
そして誰が言い始めたのかわからないが、スプリング家という秘密組織が存在するとあちこちで噂されるようになったのである。
ルドベキア軍は総力をあげて調査を行ったが、大した成果はあげられなかった。国を滅ぼすほどの組織であればそれなりの規模であるはずだが、まるで尻尾が掴めない。スプリングという姓を持つ者は星の数ほど存在するため、名前もあてにならない。
結局、そんな組織は存在しないという結論に至った。スプリング家は不可解な出来事を無理矢理にでも説明するために生まれた、幽霊のような存在だとルドベキア軍は考えている。
シェリルに関して言えば、何かしらの犯罪組織の一員か、どこかの国の諜報員である可能性が高いという。いずれにせよ身分を偽り忍び込んでいた時点で、アンタレス国にとって歓迎すべき相手でないことは明らかだ。よく注意するように、という言葉で、手紙は締めくくられていた。
手紙を読み終わったジェイミーに、隊長は真剣な表情を向ける。
「ジェイミー。お前に話しておきたいことがある」
「何でしょう」
「実は上層部の話し合いは、自警団を調査するかどうかというよりも、スプリングに関する話がほとんどだ」
「シェリルに関する話、というと?」
「王宮舞踏会の日、ウィリアムの襲撃からはじまった一連の騒動は、全てあの女の仕業だったと上層部は考えている」
「はぁ?」
ジェイミーは呆けたまま、二の句を告げなくなった。隊長は構わず言葉を続ける。
「脱獄したバート・コールソン、逃走した人身売買を企む者たち、彼らとスプリングは何らかの繋がりがあると、昨日の話し合いで意見が固まった。ルドベキア軍からの手紙によりスプリング家が存在しないことも確定した。よって本日、騎士隊はスプリングを拘束する」
「ちょ、ちょっとまって下さい」
ジェイミーはようやく声をあげた。話にまるでついていけていなかった。
「どうしてそんな話になるんですか。人身売買の計画を突き止めたのはシェリルですよ? 子供たちを保護したのだって……」
「あまりに出来すぎているとは思わないか?」
動揺するジェイミーに対し、隊長は毅然とした態度で尋ねる。
「出来すぎた話?」
「アルニヤト神殿のメリンダと出会ったのは偶然だと言ったな」
「はい。アクラブ神殿で偶然見かけたんです」
「あの日、神殿に行くことを決めたのは?」
「それはシェリル……」
言いかけて、ジェイミーは口を閉じる。隊長は質問を続ける。
「メリンダを見つけたのは?」
「シェリルです」
「手を貸すことを決めたのは?」
「それは……」
「少女たちの居場所を突き止めたのは?」
「……」
黙り込むジェイミーを前に、隊長はひとつ息を吐き、姿勢を正した。
「お前の提出した報告書によると、主犯と思われる男たちが人身売買を企んでいるという情報は、スプリングが盗み聞きして手に入れたらしいな。フローラという女が語った話も、スプリングが聞き出した話で、お前はその場にいなかった」
「はい……」
「おまけに子供たちを保護したときのことを、お前は覚えて無いときた。これではスプリングの話しかあてにできない。あの女がいくらホラを吹いたところで、こちらは信じるしかないわけだ」
「そうですね……」
ジェイミーはなんとも歯がゆい思いで頷く。
「このままでは、国軍と自警団による内戦が始まらないとも限らない。バート・コールソンに関する話も、本当だとすればシャウラ国との争いは避けられない。これがスプリングの狙いであれば、みすみす踊らされるわけにはいかないだろう」
「そんなことを企んでシェリルに何の得があるんですか?」
「それを突き止めるため拘束するんだ。ルドベキア軍の情報を疑う理由は何もない。スプリング家が存在しない以上、あの女が本当は何者で、何が目的なのか知る必要がある」
ジェイミーは必死で返す言葉を探すが、一つも説得の言葉が思い浮かばなかった。考えに考えた末、口を開く。
「アンタレス国に対する敵意を、シェリルは持っていません。そう見えます。スプリング家でないとしても、彼女は敵ではありません」
隊長と副隊長は目を見合わせる。それから、隊長がジェイミーの目を真っ直ぐ見据えた。
「俺一人が団長に進言したところで予定変更とはいかないだろう。だからその意見は聞き入れられない」
「陛下は何と?」
「軍の決定に委ねるとおっしゃった」
ローリーが反対しないのなら、シェリルを拘束するという決定が覆ることはない。彼女は間違いなく牢獄行きだ。
そこでふと、ある考えが浮かんだ。
「シェリルを拘束するというのは可能なんですか? 万が一逃げられたら、取り返しがつかないんじゃ……」
「だから今、お前にこうして話をしている」
「というと?」
「スプリングを拘束するのはお前の役目だ、ジェイミー」
非常にシンプルな返答だったが、言葉の意味を理解するのに数秒を要した。ジワジワと理解が進むにつれ、ジェイミーの気分は急降下する。
「なぜですか……」
「スプリングがお前にだけは逆らわないからだ」
「そうとは限らないでしょう」
「限る。お前に無理なら誰でも無理だろう」
何とか断る口実を探すが、上官命令に背く方法などあるはずもない。結局、シェリルを拘束するのはジェイミーということで話は進んでしまった。準備が整うまで、ジェイミーは執務室でシェリルを足止めすることとなった。
◇◇◇
ソファーに逆向きに座って窓の外を眺めているシェリルの横で、ジェイミーは気付かれないようため息をついた。今の気持ちを一言で表すとしたら、それはずばり、罪悪感である。
ジェイミーは、一連の騒動がシェリルの企みではないとはっきりわかる。一番近くにいたのだ。シェリルがアンタレス国に協力的なのは本心からだと断言出来る。だが、それを証明することは出来ない。肝心な場面に居合わせていないばかりか、ジェイミーの勘はあてにならないと軍の仲間は皆知っているのだ。それに加え、ルドベキア軍の忠告と、軍の決定に委ねるというローリーの決断。ジェイミー一人で何とか出来る状況ではない。
言い訳をつらつらと考えながら、ふと、頭のすみの方に、今シェリルを逃がしたらどうなるだろうという考えが浮かんだ。馬鹿げていると思いながらも、その考えが頭から離れない。
シェリルは人質の命を救い、騙されていた少女たちを救い、暴力を振るわれていた子供たちを救った。彼女が企んでいることと言ったら、ローリーの弱点を探るという非現実的で出来るかどうかも怪しいこと。どう考えても、牢に入れるというのは酷すぎる仕打ちだ。
馬鹿なことはやめろとどこからか警告する声が聞こえるが、ジェイミーはシェリルに声をかけようと息を吸った。何を言おうとしているのか自分でも分からないが、きっと取り返しのつかないことだ。ダメだと思いながらも言葉が喉まででかかったとき、シェリルの顔がジェイミーの方を向いた。
「ねぇ、ジェイミー」
「………………なに?」
間一髪、ジェイミーは我に返った。何事もなかったかのように笑顔を浮かべて見せると、シェリルが真剣な顔で言った。
「ジェイミーって、まだ変態と呼ばれてるの?」
「ん?」
変態。
懐かしい響きに、ジェイミーは静かに、首をひねった。