54.噛み合わない二人
王宮の使用人すら寝静まる時刻になってようやく、二人は執務室から解放されることになった。上層部の話し合いは明日に持ち越しとなり、そのことを伝えにきたニックが今日一日で判明したことを二人に話して聞かせた。
「子供たちと赤ん坊が自警団に引き取られたのは三ヶ月も前のことらしい。暴力を振るわれるようになったのはごく最近で、それまでは献身的に世話してもらってたんだってさ。明日は孤児院の院長を呼んで、詳しい話を聞く予定。今教えられるのはこれくらいかな」
ニックの言葉に、シェリルはふむと頷く。
自警団は子供たちを売るつもりで孤児院から引き取ったが、人身売買を企んでいることがバレたことで予定が狂ったのだ。国軍が国境の警備を強化したことで子供たちを売る目処がつかず、どうせ売れないのだからと暴力を振るうようになったのだろう。シェリルが自分の考えをニックに話すと、軍の上層部もシェリルと同じように考えていると答えた。
「ついに国軍と自警団は全面対決かしら」
「それはどうかな。貴族院にそんな度胸があるとは思えないけどね」
ニックが肩をすくめて言う。ジェイミーは真剣な顔をニックに向けた。
「ニック、お前大丈夫か? 自警団に知り合いが多いんだろ。上から何か言われたんじゃないのか」
「そりゃまぁ、何も言われてないわけじゃないが、隊長がなんとかうまくやってくれてるみたいだ。今のところはいたって平和だよ。それはそうと、ジェイミー君。ウルフに挑戦することになった経緯をまだ聞いてなかったな」
ニックはいたずらっぽく笑ってジェイミーの肩をポンと叩いた。ジェイミーはあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。
「別にいいだろ。経緯なんてどうでも」
「いいや、よくない。冒険心に欠けるお前がそんな夢見る少年みたいなことをするなんて、何かある。俺の予想を聞きたいか?」
「遠慮しとく」
話を切り上げようとしたジェイミーだが、ニックは引き下がらない。ちらりとシェリルに視線を投げ、わけ知り顔を浮かべた。
「あれだろ。本当はシェリルちゃんが試合に出るはずだったんだろ?」
「すごいわね。何でわかるの?」
シェリルがニックの予想を肯定した瞬間、ジェイミーは片手で頭を押さえた。ニックはその様子を面白そうに眺める。
「で、シェリルちゃんの代わりにジェイミーが試合に出たと。そういうことか」
「違うわよ。ジェイミーも出たいみたいだったから私が機会を譲ったの」
「へぇー」
シェリルの説明を聞いて、ニックは含み笑いしている。ジェイミーは投げやりに声を上げた。
「もういいだろ、帰ろう」
「記憶が無くなるほど酔っぱらったのは何で?」
「うるさい!」
ジェイミーは無理矢理話を切り上げ、兵舎に帰るべく足を踏み出した。
三人で兵舎に向かう途中、黙々と廊下を進んでいたジェイミーが「あ」と声を上げ立ち止まった。シェリルとニックは少し進んだところで立ち止まり、ジェイミーの方を振り返る。
「どうしたの?」
「言い忘れてた。昨日、賞金の受け渡しで闘技場の事務室に入ったとき、顔見知りに会ったんだ」
ジェイミーの言葉にシェリルは驚き目を見張る。
「え、じゃあ騎士だってバレちゃったの?」
「いや、なんとかごまかせたと思うけど……」
「顔見知りって誰?」
ニックの問いに、ジェイミーはうーんと考え込む。
「それが、向こうは俺の顔を知ってたみたいなんだけど、俺の方は全く見覚えが無くて。詳しく聞く余裕も無かったから誰だったのか全然分からない」
「なんだそれ。モヤモヤするな」
ニックが呆れたようにため息をつく。ジェイミーは決まり悪く頭をかいたあと、先程進んできた方向に体を向けた。
「とりあえず隊長に報告してくる。シェリルはそのまま兵舎に戻っていいから。二人ともおやすみ」
そう言って、ジェイミーはもと来た道を戻っていった。その姿を見送り、シェリルとニックは再び人気の無い廊下を進む。しばらく無言で歩き続けたあと、シェリルが沈黙を破った。
「ねぇニック。聞きたいことがあるんだけど」
「これから俺の部屋に泊まってもいいかって? 散らかってるけどまぁ、支障はないよ」
「寒さで耳がおかしくなったみたいね」
シェリルは軽蔑の眼差しをニックに向ける。ニックは不真面目な態度でまぁまぁとシェリルをなだめた。
「冗談だよ。何? 聞きたいことって」
「私の監視がジェイミーなのは、何か理由があるの?」
シェリルの質問に、ニックは琥珀色の瞳を真ん丸にして、足を止めた。
「なに、その今さらな質問は」
「思ったんだけど、私を本気で監視したいなら監視役が一人なのは効率が悪いと思うのよ。ジェイミーが見てないときは勝手に出歩けるもの」
「勝手に出歩いてるのか?」
「うん」
悪びれることなく頷くシェリルにニックは乾いた笑いを返す。
「だからジェイミーの監視には監視以外に、何か目的があるのかって? それは君、深読みし過ぎだよ」
ニックはそういって話を終わらせた。まともに質問に答えるつもりがないとみて、シェリルはニックの前面に立ちはだかり、彼の顔を真っ正面から見据えた。
「ジェイミーを監視役に任命したのはもしかして、ローリーなんじゃない? ジェイミーは私を懐柔するために監視役をやってるのかしら」
「おおっと、ちょっと待った」
矢継ぎ早に疑問をぶつけるシェリルをニックは慌てて制止した。
「俺の反応を見て判断するつもりだな? そうはいかないからな。もう何も答えるつもりはない」
何らかの勘が働いたらしいニックは、目の前に立ちはだかるシェリルを避けてさっさと歩を進めた。シェリルは急いでその背中を追う。
「もうひとつ聞きたいことがあるの」
「だめ。もう閉店」
「ジェイミーが私に親切なのは、軍に命じられてるからなのかしら」
話を打ち切ろうとするニックに構わずシェリルは質問を続ける。ニックは再び足を止めシェリルに顔を向けた。しばしの沈黙のあと、ニックの唇がゆっくりと弧を描く。
「だったら、どうなんだ?」
「どうって?」
「ジェイミーの優しさが君を懐柔するための演技だったら、ショックだったりするわけ」
シェリルは数秒間考えに沈む。
「ショックだったり、するかも……」
もしジェイミーが騎士隊随一の演技派で、シェリルのことを心配するような態度や振るまいが全て嘘だったとしたら、二、三日は落ち込んでしまうかもしれない。
想像しただけで気分が下がったシェリルは、ちょっとだけ泣きたくなった。
「君さ、ジェイミーのことが好きなんだろ」
ニックに指摘された瞬間、シェリルは顔を上げ、ぱちくりと目を瞬いた。
「どうしてわかるの?」
シェリルの反応を見てニックは一瞬、固まった。
「もっとこう、うろたえたりしないのか?」
「どうしてうろたえるの?」
「いや、もういいよ」
ニックは投げやりにため息をついたあと、正面からシェリルを見下ろした。
「で、どうするつもりなの」
「どうするって、何が?」
「だから、好きなんだろ? ジェイミーとどうなりたいわけ」
「どうも、なりたくない」
「あっそ」
ニックは素っ気なく呟いたあと、再び廊下を進み始めた。シェリルは慌てて後を追う。
「ジェイミーに言った方がいいかな?」
「いや、やめといた方がいいんじゃない?」
「どうして? ジェイミーにとっては都合がいいでしょ」
「そうでもないな。あいつめちゃくちゃ単純だから」
「それって悪いこと?」
「だからさ、君はジェイミーのことを好きになっただけで満足してるみたいだけど、ジェイミーはそういうの耐えられないと思うよ」
「……つまり、どういうこと?」
首をかしげるシェリルを見て、ニックは大げさにため息をつく。
「肝心なところで洞察力が働かないんだな」
「遠回しな言い方しないで、言いたいことがあるならはっきり言ってよ」
不満顔のシェリルを一瞥したあと、ニックはやれやれと首を振った。結局シェリルの質問は全て、上手くはぐらかされてしまった。