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52.食堂にて、小さな攻防

 人影が消え静まり返る食堂。

 シェリル、ジェイミー、アンディは、三人並んで床に座っていた。子供たちが隠れている机のすぐ側である。


 現在子供たちが立て籠っている机の周りには、暖炉の炭を専用の容器に入れたものがずらりと並べてある。嫌がらせではない。寒さ対策である。


「子供たちは赤ん坊を除いて六人ですか? ここに全員います?」

「ええ。全員いる」


 アンディの問いに、シェリルは自信を持って頷いた。アンディは続けて疑問を投げかけてくる。


「お二人が自警団の建物から国軍の本部までこの子たちを連れてきたんですよね。なぜそんなことを?」

「乱暴されてるみたいだったし、人身売買を企んでた男が世話してたって聞いたから。だから連れ出した方がいいかと思って」

「無理矢理引っ張ってきたんですか?」

「まさか! 昨日は大人しくついてきたの。ジェイミーが拾った馬車にも大人しく乗ってたんだから」


 全く覚えがないらしいジェイミーは釈然としない表情を浮かべている。アンディはふむと頷いて、子供たちに視線を向けた。


「僕のことは、アンディと呼んでください。君たちのことは何と呼べばいいですか?」


 笑顔で話しかけるアンディを子供たちは睨み付けている。もちろん、返答はない。シェリルは子供たちの反応にがっくりとうなだれた。


「話も聞かないで連れ出したこと、怒ってるのかしら」

「そう落ち込む必要はありません。子供と大人は時間の流れる速度が違うんですよ。彼らはまだ、これからどうするべきか考えている最中なんです。だから気長に待ちましょう」

「気長に、何もせずに、ここで待つの?」


 シェリルにはそれは、後ろ向きな対処法に思えた。不満顔を浮かべて見せるとアンディは困ったように笑った。


「ただ待つのが嫌なら読み聞かせでもしますか? 本なら僕持ってますよ」


 そう言って、アンディは懐から一冊の本を取り出す。その表紙を見てジェイミーはなんとも言えない顔をした。


「それって……」

「ジェイミー様はこの本、ご存じですか? 僕は昨日読み終わったばかりなんですけど、とても感動しました」


 シェリルはアンディが持っている本の表紙を覗き込んだ。なかなかに渋い雰囲気を漂わせている。


「伝記か何か?」

「はい。十六年前、シャウラ国との戦いに貢献した民兵たちの記録です。家族を持たず悲しむ者すらいなかった彼らの生前の姿を、十年以上かけて調べあげたものなんですよ。それに加えて、生き残った兵士のその後とかも調べてあって、なかなかに読み応えがあります」


 アンディに本を手渡され、シェリルはパラパラとページをめくった。著者は亡くなった兵士の恋人らしい。刊行されたのはごく最近である。


「子供に読み聞かせるような内容じゃないと思うけど」


 ジェイミーの意見にシェリルも賛同した。数ページ読んでみただけでも子供向けでないことはよく理解できる。酒や薬、賭け事に溺れ、娼館に通い暇を潰す孤独な男たちの人生が事細かに綴ってあるのだ。アンディはこの本のどこに感動したのだろうかと、シェリルは内心首をひねった。


 二人の反応を見て、アンディはそれならばともう一冊本を取り出した。


「では、アクラブ教の教典を読んで聞かせますか?」


 その言葉にシェリルとジェイミーは黙り込む。教典の朗読など、ぜひとも遠慮したい。


 しばしの沈黙のあと、シェリルはひらめいた。


「そうだ! ジェイミー、『永遠の誓い』の本を持ってるでしょ?」


 昨日リリーに読むようにと手渡されていたはずだ。シェリルの言葉にジェイミーはそういえばと頷いた。


「ああ、部屋にある。取ってこようか?」

「いえ、よく考えたら必要なかった。私あの芝居の内容はまるごと暗記してるもの」

「それは、すごいな……」


 二人のやり取りを聞いたアンディは、不思議で仕方がないという顔つきになる。


「『永遠の誓い』ってどうしてあんなに人気があるんでしょう。最近、婚儀で劇中のセリフを引用したがる人が増えてるんですよ。おかげで僕、最後の誓いの言葉はすっかり覚えてしまいました」

「本当? じゃあ二人で子供たちに演じて見せましょう。心を込めて演じればきっと想いが届くはずよ!」

「それはちょっと……」


 シェリルの提案を聞いて、アンディは分かりやすく目を泳がせた。


 シェリルが負けじとアンディにじりじりと詰め寄っていたとき、机の下からヒソヒソと話し声が聞こえてきた。六人の子供のうち二人の少女が何やら囁きあっている。


「聞いた?」

「『永遠の誓い』だって!」


 そう囁いたあと、二人の少女はくすくすと口元を押さえながら笑った。すかさずアンディが少女たちに声をかける。


「君たちもあのお芝居を知っているんですか?」


 少女たちは恥ずかしそうに顔を見合わせたあと、小さく頷いた。


「院長先生がつれてってくれたの」


 とても小さい声で、少女の一人が呟いた。


「それはきっと、とても楽しかったでしょうね。もしよかったらお芝居に連れていってくれた院長先生の名前を教えて頂けますか?」


 穏やかにアンディが語りかけると、子供たちの視線が厨房で赤ん坊を抱いていた少年に集まった。恐らく彼が子供たちのリーダーなのだろう。少年は子供らしくない険しい表情を浮かべながら、ためらいがちに口を開いた。


「ハロルド先生」


 少年の答えに、アンディは満面の笑みを浮かべる。


「そうですか、ありがとうございます。ひょっとして君たちはサビクにある孤児院にいたんじゃないですか? あそこの院長様はたしか、ハロルド・ボージェフという名前ですよね」


 アンディの言葉に、子供たちがわずかに反応を示した。一人が机の下から少しだけ顔を覗かせる。


「先生を知ってるの……?」

「はい。ハロルドさんの孤児院には、毎年神殿の鐘を寄付していますから」


 アンディと子供たちのやり取りを聞いて、ジェイミーは驚いた声をあげた。


「サビクってことは、副隊長の領地だな」

「そういえば、サビク伯爵は騎士隊の副隊長でしたね。名前は確か、スコールズですか?」


 アンディが副隊長の名前を口にした瞬間、子供たちの反応が変わった。条件反射のように表情がパッと明るくなり、突然ソワソワしはじめたのだ。


「スコールズだって!」

「スコールズさんのことかなぁ……」

「いつもお菓子くれる人?」


 ヒソヒソと声を潜めて囁きあう子供たちを見て、三人は顔を見合わせる。どうやらアンディの言った通り、子供たちは副隊長の領地にある孤児院で暮らしていたとみて間違いないようだ。


 子供たちの警戒はほぼ解けたように見える。机の下から出てくるまであともうひと押しというところだろう。アンディはさっそく、子供たちに誘いをかけた。


「僕たちと一緒に医務室に行きましょう。そうすればスコールズさんに会えますよ」


 アンディの提案に子供たちは瞳を輝かせたが、すぐには頷かず、迷うように視線をさまよわせた。先程院長の名前を告げた少年が、何か言いたげな顔を三人に向けてきた。


「どうしたの?」


 シェリルが尋ねると、少年はおずおずと口を開いた。


「ここから出たくない」

「どうして?」

「だって、もう殴られたくない」


 その言葉を聞いた瞬間、彼らがなぜ机の下に潜り込んでいたのかシェリルはようやく理解した。彼らは狭い場所に立て籠ることで大人から身を守ろうとしていたのだ。本部まで大人しく付いてきた理由も、反抗すれば殴られるかもしれないという恐怖心のためだったのかもしれない。


「殴ったりしないよ。大丈夫だから、出ておいで」


 ジェイミーが優しく声をかけても、子供たちは首を縦に降らない。困り果てるシェリルとジェイミーをよそに、アンディだけは笑顔のまま、子供たちをまっすぐ見つめていた。


「知らない誰かの手を借りるというのは、あまり楽しいことではありませんよね。家族がいない君たちはそのことを実感する機会も多いでしょう」


 諭すようなアンディの言葉に、子供たちは顔をしかめた。言葉の意味をよく理解できないのだろう。それでも構わず、アンディは声の調子を一定に保って話を続けた。


「でも、生きているものは皆例外なく他人と手を取り合わなければなりません。ずっと机の下で生きていくことは出来ないと、君たちはよく分かっているはずです」


 世間話の延長のような語り口なのに、アンディの発する声は思わず聞き入ってしまうような雰囲気をまとっている。


「助けたいとは言いません。ただ、これから先君たちが殴られたり、痛い思いをしたときに、僕も一緒に苦しむことを約束しましょう。このまま机の下で凍えたいのであれば、僕もこの場所で凍えて死ぬことを神に誓いましょう」


 不思議と、その言葉が嘘ではないことを全員が確信していた。子供たちは一体どれだけ理解出来ているのか分からないが、静かにアンディの次の言葉を待っている。


「しかしですね、正直僕は痛いことや辛いことが好きじゃありません。出来れば死にたくないし、君たちが苦しんでいるのを見るのも、すごく辛い。だからそこから出てきてもっと安心出来る場所を選んでくれると助かるんですけど……」


 おどけるように肩をすくめ、アンディは言った。子供たちは呆けたような顔でしばらく黙りこんでいたが、やがて考え続けるのも面倒くさくなったようで、数人がバラバラに頷いた。


「別に、いいよ。ここから出ても」


 少年の一人がやや呆れたような口調で呟く。


「そうですか。ありがとうございます」


 アンディが笑顔で手招きすると、子供たちは呆気なく机の下から出てきた。三人は子供たちの気が変わらないうちに、急いで彼らの手を引き医務室に向かった。

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