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51.二日酔い

 朝から騒がしい国軍本部の食堂。


 窓の外には見事に晴れ渡った空と、日の光に照らされる美しい雪原が広がっている。

 そんな景色には目もくれず、朝食をとりに来た男たちは机の上に寝そべっている赤ん坊の虜になっていた。


「これ笑ってるのか?」

「いや、怒ってるんじゃないかな」

「こんなに小さいのにどうやって息してるんだろう」

「やっぱり笑ってるんだよこの顔は」


 衛生隊の隊長マーソンは、赤ん坊に群がる男たちを鬱陶しげに見やった。


「散れ! 影になって何も見えん!」


 マーソンの言葉に男たちは渋々赤ん坊の側を離れる。

 そんな様子を遠巻きに見ていたシェリルは、意図せず大事になってしまった現状に今さらながら不安を感じていた。






 昨夜、自警団の経営する建物から子供たちを救出したシェリルとジェイミー。想像以上にことは上手く運び、追っ手を撒いたあと無事に子供たちと国軍の本部にたどり着いた。


 夜もふけていたためとりあえずシェリルの部屋に身を落ちつけ、シェリルとジェイミーは子供たちから詳しい話を聞くことにした。しかしこの子供たちというのが一筋縄ではいかない相手で、何を聞いても決して口を開かないのである。途方に暮れた二人はそのままいつの間にか眠ってしまい、朝になってシェリルが目を覚ますと子供たちは姿を消していた。すぐに見つかると思い一人で子供たちを探しに出た結果、食堂で発見したというわけだ。


 マーソンが言うには、子供たちは最初、赤ん坊を抱いたまま机の下に隠れていたらしい。何を言っても出てこないため赤ん坊だけでも診察させてくれとマーソンが懇願すると、子供たちはずいぶん長い間悩んだあと、言われた通り赤ん坊だけ寄越してきた。というわけで、子供たちは未だ机の下に隠れている。


 先程からニックが机の下に向かって呼び掛けているが、成果はなかったようだ。諦めてシェリルの側にやってきた。


「ジェイミーと一緒なら問題は起こらないと思ってたけど、まさか子供をさらってくるなんて予想してなかった」

「さらったんじゃない。助けたの」

「でもめちゃくちゃ警戒されてるぞ」


 シェリルはうっと言葉をつまらせる。ニックの言う通り、子供たちは微塵(みじん)も心を開いてくれないどころか、全力で周囲を警戒している。彼らにしてみればシェリルもオスカーも自警団も国軍も大した違いはないのかもしれない。


「こんな大騒ぎになるなんて。ジェイミーはまた怒られるかしら」

「怒られるなんてもんじゃないだろ。そういえばあいつはどこにいるんだ」

「多分まだ部屋に……」


 シェリルが言いかけたとき、ジェイミーが食堂に現れた。やけに険しい顔をしている。


「なんの騒ぎだこれは……」


 騒がしい食堂を前にジェイミーはぼそりと呟く。ニックはジェイミーに目をやった瞬間、大きく目を見開いた。


「ジェイミー、どうしたんだその顔」

「顔?」


 何を尋ねられたのか分からず怪訝な表情を浮かべるジェイミー。ジェイミーの頬には痛々しい大きなアザがあった。昨日の試合で負ったものだ。シェリルがそのことを簡単に説明すると、ニックはますます驚いた顔つきになった。


「はぁ? お前ウルフに挑戦したのか?」

「大声出すなよ。頭に響く」


 ジェイミーは片手で頭を押さえながら弱々しく呟いた。その姿にシェリルは首をかしげる。


「どうしたの?」

「たぶん二日酔い……」

「大丈夫?」


 ジェイミーは無言で頷いたあと、騒がしい食堂をゆっくり見渡した。それからマーソンが診ている赤ん坊に目を向ける。


「誰の子供?」


 不思議そうな顔で尋ねるジェイミーに、シェリルとニックは思わず顔を見合わせた。苦労して連れ出した赤ん坊を、ジェイミーはまるで初めて見たというような態度で眺めている。


「何言ってるのジェイミー。昨日厨房で泣いてた赤ん坊よ」


 シェリルが言うと、ジェイミーは眉間にシワをよせしばらく考え込んだ。それから気まずそうに頬をかく。


「実は、酒場に入ったところから記憶が曖昧で……。どうやって本部に戻ってきたのかも覚えてないんだ。あの子のことも全然覚えてない」


 ジェイミーの言葉にシェリルは目を丸くした。


「本当に? ずっと普通に喋ってたのに」


 ジェイミーは昨夜、酒場に入ってからも普段と全く変わりない態度だった。それが本当は記憶が飛ぶほど酔っていたなんて一体誰が思うだろう。驚いているシェリルの隣で、ニックが呆れたような声を出す。


「こいつ真顔で酔うんだよ。俺も最初は驚いた」

「へぇ」


 嘘ではないようだ。ジェイミーは今、何が起こっているのか全く見当がついていない様子である。ただどことなく嫌な予感は感じているようで、不安そうな表情を浮かべている。

 シェリルは今の状況をジェイミーに詳しく説明した。あらかた話し終えたとき、ジェイミーは青い顔をさらに真っ青にしていた。


「ということはつまり、俺たちは自警団が世話してた子供たちをさらってきてしまったのか……」

「さらったんじゃない。助けたの」

「でもさっきから俺たちのことめちゃくちゃ睨んでるぞ」


 ジェイミーは頬をひきつらせながら、机の下に隠れている子供たちに視線を向ける。ジェイミーの言う通り、子供たちはまるで悪魔を滅ぼさんとする勢いでシェリルたちのことを睨みつけている。


「あれは多分、照れてるのよ」

「シェリル、現実を見よう。どう前向きに考えてもあれは照れてる人間の目じゃない」


 ジェイミーが力なく呟いたとき、背後から明るい声が聞こえてきた。


「おはようございます!」


 シェリルたちが驚いて振り返ると、そこには朝から爽やかな笑顔を浮かべた神官見習いのアンディが立っていた。


「お、おはよう」


 驚きつつも挨拶を返したジェイミーを見て、アンディは目を見開く。


「どうしたんですか、その顔」

「これは、いろいろあって……。君、アンディだよな。本部に何か用か?」

「衛生隊のマーソン様が神殿の者をお呼びとのことで、僕が参りました。なんでも身寄りのない子供たちが本部に迷い込んだとか」


 にこやかにジェイミーの質問に答えるアンディ。案内してほしいというので、ひとまずジェイミーは、アンディをマーソンの元に連れて行った。


「先生」


 ジェイミーが声をかけると、赤ん坊を診ていたマーソンは振り返り目を見開いた。


「ジェイミー、どうしたその顔」

「聞かないで下さい。神殿から使いが来ました。先生に呼ばれたと言っています」

「ああ、私が呼んだが……」


 マーソンはアンディに視線を向けた瞬間、怪訝な顔をして動きを止めた。アンディは首をかしげる。


「あの、僕の顔に何かついてますか?」

「いや、私は神官を呼んだつもりだったんだが、まさか見習いを寄越してくるとは思わなかった」


 マーソンの言葉にアンディはなるほどと笑った。


「マーソン様。集団で駆け落ちした女の子たちを覚えていますか?」

「ああ、確か今はアクラブ神殿にいるんだったな」

「はい。実は彼女たちがですね、昨夜神官長の祭服をピンク色に染めるという暴挙にでたんです」

「なんだって?」


 マーソンはアンディの言葉に絶句する。アンディは言いたいことは分かるというようにうんうんと頷いた。


「さらにですね、今朝は寒そうだったからという理由でアクラブ神の彫像に花柄のスカーフを巻いたんですよ。なので今、神官長を筆頭に神殿の者総出で彼女たちに気合いの入った説教をしているところなんです」

「で、暇なのが君しかいないってわけか」


 マーソンは眉間を押さえため息をつく。アンディはその反応に苦笑いしたあと、拳で自分の胸をポンと叩いた。


「心配いりません。子供相手なら年が近い僕が最適だと先輩たちがおっしゃっていました。それで、迷い込んだ子供たちはどこに?」

「あそこだ」


 マーソンが子供たちの方を指す。アンディは机の下を覗き込み、ぱちくりと瞬きした。


「あれまぁ、立派に立て籠ってますね。彼らはいつからあの場所にいるんです?」

「さぁな。今朝からずっとだ」


 言いながら、マーソンは赤ん坊を抱き上げる。どうやら診察は終わったようだ。


「その子大丈夫? 病気とかしてる?」


 シェリルが尋ねると、マーソンは難しい表情を浮かべた。


「病気はしてないが酷く衰弱してる。正直に言うが、ジェイミーとスプリング、お前らの判断は正しかったよ。手遅れになる前に本部に連れてきて正解だ」


 マーソンの言葉を聞いて、シェリルは得意な表情でジェイミーとニックを振り返った。


「二人とも聞いた? やっぱり私たちは子供たちをさらったんじゃなく、助けたのよ」


 人差し指を立て自慢げに語るシェリル。それに対し微妙な顔をしているジェイミーの肩を、ニックがポンと叩く。


「よかったなジェイミー。誘拐犯にならなくてすむみたいだぞ」

「それはどうかな……」


 ジェイミーが虚ろな顔で呟いたとき、足元から小さな声が聞こえてきた。


「か、返せよ」


 それは、小さな子供の声だった。シェリルたちが視線を下げると、机の下に隠れていた子供の一人がいつの間にか足元に立っていた。厨房で赤ん坊を抱いていた少年だ。


「喋った……」


 シェリルが呆然と呟く。昨夜からテコでも口を開かなかった少年がついに言葉を発した。シェリルの感動をよそに、少年はマーソンに向かって今度はハッキリと叫んだ。


「返せよ!」


 どうやら診察が終わったと察して、赤ん坊を取り返しにきたらしい。マーソンは困った顔で少年を見下ろす。


「悪いが、この子は今から医務室に連れていく。だから君には返せない」


 マーソンの言葉に、少年は悔しそうに唇を噛んだ。アンディが少年のすぐ側に膝をつき声をかける。


「君、怪我をしてますね。痛くないですか?」


 話しかけられた瞬間びくりと肩を震わせ後ずさった少年は、そのまま急いで机の下に戻ってしまった。せっかく顔を出した少年が再び立て籠ってしまったことで、食堂は一気に、落胆の空気に包まれる。


「参ったな。あの様子じゃ大人しく治療させてくれそうにない」


 マーソンがため息混じりに呟く。アンディは他の者たちと異なり楽観的な態度で、マーソンに笑顔を向けた。


「焦りは禁物です。机の下の子供たちは僕に任せて、その子の治療を優先して下さい」


 まだアンディのことを信頼しきれていないのか、マーソンは不安そうな顔で考え込んでいた。しかし最終的には、降参したように頷いた。


「分かった。出てきたらすぐ医務室に連れてきてくれ。ジェイミー、お前もここに残って彼を手伝いなさい」

「はい」


 ジェイミーが頷くのを確認してから、マーソンは赤ん坊を抱えて食堂を出ていった。

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