49.退屈な男
部屋の中は薄暗くこじんまりとしていた。テーブル席は全て埋まっており、ジェイミーはカウンター席に腰かけていた。シェリルは急いでその隣に座り、何を考えているか分からない横顔に恐る恐る声をかける。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「え……」
即答されてシェリルは固まる。カウンター越しに何がいいかと店員に尋ねられ、ジェイミーは「適当に」と答えた。シェリルも同じように注文しようとしたが、ジェイミーに止められる。
「酒はダメだよ。病み上がりなんだから」
「でも、少しくらい」
「ダメ」
「はい……」
結局、アンタレス国の名物と言われている、暖めた果実のスープを飲むことになった。シェリルはこのスープがあまり得意では無いのだが、栄養があるからとジェイミーに言われてしまえば飲まないわけにはいかなかった。何より、大人しく言うことを聞かなければ機嫌を直してくれそうにない。
シェリルはスープをすすりながら、何がまずかったのだろうかと真剣に考えた。もしかしたらジェイミーはシェリルが逃亡しようとしたと勘違いしたのかもしれない。そんな考えが浮かんだ瞬間、ああ、これだわ、と心の中で手のひらを打った。
ジェイミーは常に、シェリルが逃亡するかもしれないという危機にさらされている。万が一シェリルが逃げたらその責任はジェイミーが負うことになるわけで、だからこそシェリルが単独で行動したことに怒った。これだ。これで間違いない。
シェリルはジェイミーの怒りの原因に当たりをつけ、誤解を解こうと決心する。思いきってジェイミーの方に顔を向けると、ジェイミーも頬杖をつきながらこちらを見ていた。予想外に目があったので、シェリルは自分が何を言おうとしていたかど忘れしてしまった。
「あのさ」
ジェイミーが声を発した瞬間、シェリルは条件反射のように背筋を伸ばした。
「はい、なんでしょう」
「ずっと監視されてるのって、やっぱり嫌なの」
唐突な質問にシェリルは目を瞬く。
「嫌じゃなくは、ないけど……」
ジェイミーなら、嫌じゃない。という言葉は、なぜか喉の奥でつかえてしまった。
「まぁ、そりゃそうか」
ジェイミーはシェリルから視線を逸らすと、何やら思い悩むように黙りこんでしまう。
「あの、ジェイミー」
「ん?」
シェリルの方を向いたジェイミーの表情は、酒場に入る前のような険のあるものではなかった。
「ごめんなさい。何か怒ってるでしょ?」
シェリルの言葉にジェイミーは目を見開いたあと、小さくため息をついた。そして視線を前方に向け、ゆっくりと口を開く。
「気持ちは分かる」
「え?」
「四六時中俺と一緒にいなきゃならなくて、うんざりする気持ちは分かるよ。でもあんな風に逃げ出すことはないだろ。俺だって、嫌がってるって知りながら監視をするのは別に、平気でもないんだからさ」
ジェイミーの言葉を聞いて、シェリルは言い様のない罪悪感にかられた。どうやらジェイミーはシェリルの軽はずみな行動をずいぶんと重く受け止めてしまったようだ。
「ジェイミー」
「それでも突然夜遊びに走るのは考えなしだと思う。さっきだって危うく――」
「ジェイミー」
シェリルはジェイミーの眼前で手を振って彼の言葉を遮った。ジェイミーは面食らったように話を中断し、シェリルの顔を見た。
「なに?」
「考えなしってところだけは、合ってるわ」
「え?」
戸惑うジェイミーに対し、シェリルは潔く真実を告げた。
「そこまで考えてもらって申し訳ないんだけど、私はそんなに深くものを考えてないから。ジェイミーと一緒にいるのが嫌で逃げ出したわけじゃないし、夜遊びしたいとも思ってない」
「じゃあ、さっき逃げ出したのはなんだったんだ」
「ジェイミーも私の監視ばかりじゃなくてたまには遊びたいかと思って。だってあの人たち、すごく美人だった」
シェリルの言葉にジェイミーは呆気にとられたあと、脱力するように肩を落とした。
「なんだそれ……。いらないよ、そんな気遣い」
「確かにそうね。私が考えなしだった。ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいって」
「でも怒ってるでしょう」
「怒ってないよ。試合のあとでちょっと、気が立ってただけなんだ」
ジェイミーはそう言って決まり悪そうな笑みを浮かべた。ようやくいつも通りに戻ったジェイミーを見て、シェリルはホッと胸を撫で下ろす。どうやら誤解は完全に解けたようだ。
「それにしても、よくあの輪から抜け出せたわね」
「ああ、賞金渡したらあっさり解放されたよ」
ホッとしたのもつかの間。さらりと発せられたジェイミーの言葉にシェリルは言葉を失った。何かの冗談かと思ったが、ジェイミーはいたって真面目な顔である。
「私の聞き間違いかしら。今、一万カロンをあの美女たちにあげたという風に聞こえたんだけど……」
「そう言ったけど。あ、ごめん。もしかして欲しかった?」
「違う! しっかりしてジェイミー!」
シェリルはジェイミーの両肩を勢いよく掴んだ。ジェイミーはことの重大さを全く分かっていないようで、きょとんと目を丸くしている。
「しっかりしてって、何が……」
「あれはジェイミーが痛い思いをしてまで手に入れた賞金でしょ? どうしてそんな簡単に人にあげちゃうのよ、自分のために使わなきゃだめじゃないの!」
勢い込んで訴えるシェリルを、ジェイミーはまじまじと見つめる。二人で何秒か見つめ合ったあと、ジェイミーがぷっと吹き出した。
「次から気を付けるよ」
それだけ言って、堪えきれないというように肩を震わせ笑いはじめたジェイミーに、シェリルは例えようのないもどかしさを覚える。シェリルは椅子にきっちり座り直し、出来るだけ厳しい表情をつくった。
「ジェイミー、私には分かってるわよ。次同じことがあったら、あなたはまた同じことをするってね。自分のことは後回し。頼まれたことは断らない。裏切られても怒らない。これって一見親切だけど、不健全だと思う」
シェリルは大真面目だったが、ジェイミーは話を真剣に受け止めていない様子だった。
「大げさな……」
「大げさじゃない。使用人をやってたとき、先輩が言ってたの。誰にでも優しくて怒らない人は、つまらないし退屈だって」
「それは、手厳しいね」
「笑い事じゃないわジェイミー。一万カロンあげたって、あの人たちはジェイミーのことをつまらない奴と思っちゃうだけなんだから」
ここはジェイミーの今後のために厳しくいかなければ。そう思って告げたシェリルの言葉は、思ったほどジェイミーには響かなかったようだ。ジェイミーは全然知らない誰かの噂話を聞いているみたいに楽しそうな表情を浮かべている。
「へぇ。そうなんだ」
「そうよ。男の人はね、危険な香りがするほうが魅力的なのよ」
シェリルは得意げに、先輩の言葉を我がもの顔で言って聞かせる。
「危険な香り?」
「そう。隙を見せたら襲ってくるような男の人のことよ」
「それ、意味わかって言ってる?」
笑いを堪えるような顔をするジェイミーに、シェリルはもちろんと頷いて見せた。
「当然よ。ジェイミーこそ、ちゃんとわかってるの?」
「ああ、分かるよ。つまり……」
ジェイミーは唐突にシェリルの後頭部に手を伸ばした。その理由を考える暇もなく引き寄せられ、額にキスを落とされる。
「こういうこと?」
あっという間の出来事にシェリルは唖然とする。数秒後、ハッと我に返る。
「そう、だと思う……」
「ふーん」
ジェイミーは含み笑いをしながら、何事もなかったかのように酒の入ったグラスを口に運んだ。シェリルも平然を装いつつスープに口をつけるが、内心は大声で叫びだしたい気分だった。