4.人生色々あるけど、健康が一番大事
その日の夜。
「本当に、申し訳ございません」
ベッドの脇に立っているメイドは、沈痛な面持ちで呟いた。パチパチと暖炉の薪が音をたてる。部屋の中は十分に暖かいのに、ジェイミーは何枚もの毛布にくるまれベッドに横たわっていた。
「本当にもう、気にしなくていいから」
「はい」
沈んだ顔でうつむくメイド。窓の外はすでに真っ暗になっている。
渡り廊下の騒動で、ジェイミーは貴重な休み時間を潰してしまった。寝不足と長時間ずぶ濡れでいたこと、暖房設備の整っていない地下牢での尋問により、あっという間に体調を崩した。それでも何とか尋問を終え、夜遅く王宮に用意されている部屋に戻ってすぐ、ぶっ倒れたのだ。
目が覚めたらベッドの中にいて、傍らには涙目のメイドと医者がいた。安静にするようにとありきたりな診断を下した医者が去ったあと、メイドは自分のせいだと謝罪を繰り返した。
「別に、怒ってないから……。もう下がっていいよ」
事実である。正直もう、どうでもよかった。しかしメイドは硬い表情のまま、まだ何か言おうとしていた。
「何?」
ジェイミーが促すと、メイドは決心したように後ろ手に隠していた紙の束を突き出した。
「ほ、本当にごめんなさい!」
「それって……」
メイドの手に握られた紙の束を見て、ジェイミーは絶句する。
「き、騎士隊の隊長様からです! 内容をまとめて報告書として提出するようにおっしゃっていました!」
「血も涙もないな」
ジェイミーは再び気を失いそうだった。寝込んでいる自分がやらなければならないほど人手が足りないのか。
隊長の指示なら仕方がないと、痛む頭を起こす。
「ダメですよ、安静にするようにと言われています」
メイドに言われるまでもなく、頭を持ち上げた瞬間部屋が歪んで枕に逆戻りした。
「参ったな……」
「あの、私、何でもしますので、遠慮なく何なりとお申し付けください」
そう言われても、報告書を代わりに書いてくれなんて頼めない。どうしようかなぁと悩んでいるうちに、意識が遠のいていった。
鳥が囀ずる声が聞こえる。瞼を持ち上げると、見慣れない柄の天井が目に入った。どこかで見たような天井だ。そうか、王宮の寝室の天井だと気付いた瞬間、ジェイミーは勢いよく上半身を起こした。
バタンと何かが倒れる音がしてそちらの方に目をやる。ベッドのふちからメイドがひょっこり顔を出した。
「おはようございます」
「おはよう……」
ジェイミーが混乱していると、メイドがおずおずと話しかけてきた。
「あの、体の具合はどうですか」
そこで全てを思い出し、体がすっかり軽くなっていることに気づく。
「ああ、もう大丈夫……」
「そうですか」
メイドはホッと息をはいた。ジェイミーはふとベッドの脇に視線を移した。水差しやタオル、水を張った器が並べてあり、それらは全て看病の痕跡のようである。
「一晩中ここにいたのか?」
「すみません」
「いや、怒ってるんじゃなくて」
メイドはそれでも申し訳なさそうな顔をしてジェイミーの側へ歩み寄った。意を決したように口を開く。
「あ、あのですね、ウィレット様は昨晩、かなり汗をかいておられて……」
そこまで言って、メイドは顔を赤くする。ジェイミーは自分を見下ろした。綺麗に洗濯された、乾いたシャツを着ている。
「あの、その、服を……」
「ああ、変えてくれたのか」
メイドはついに両手で顔を覆ってしまった。
「男性の使用人に頼もうと思ったんですけど、真夜中だったので。で、でも、上の服だけですから! 安心して下さい!」
必死な様子で訴えるメイドに、ジェイミーはとうとう吹き出してしまった。
「あの……」
「あ、いや、ごめん。だって」
本人にとっては余程思い悩んだ結果なのだろう。しかも意識がない大の男を一人で着替えさせるなんて、相当骨が折れたに違いない。
昨晩のメイドの奮闘を思い、ジェイミーは何とか笑いを飲み込んだ。
「君も俺の裸なんか見たくなかったろ。悪いことしたね」
「いえ! そんなこと、いや、あの」
肯定も否定もできず、何も答えられなくなったメイドにジェイミーは再び吹き出す。
「何がそんなにおかしいんですか」
「いや、ごめんごめん。意地の悪い質問だったと思って」
ごめんと言いつつ笑っているジェイミーを見て、メイドは諦めたように溜め息を吐いた。
「朝食、お持ちしますね」
「あ、ちょっと待って。えーっと」
「シェリルです」
「シェリル、寝てないんだろ。もう世話はいいから、下がっていいよ」
シェリルはジェイミーの言葉に一瞬驚いたようだったが、直ぐに首を横に振った。
「丈夫なのが取り柄ですから。ウィレット様の看病くらいは、こなせるつもりです」
「いや、多分もう大丈夫だから」
シェリルは無言の笑みで、ジェイミーを黙らせた。
温かいスープに、焼きたてのパン。テーブルの前に腰かけたジェイミーは空腹を刺激する匂いに惹かれながらも、視線は手元の報告書に向けていた。
「すごいな」
「以前勤めていたお屋敷で書類仕事もやっていました。だから簡単なものですが、書いてみたんですが」
医者が処方した薬草茶をカップに注ぎながら、シェリルが言った。ジェイミーはシェリルの仕上げた報告書を最後まで読むと感心したように声を上げた。
「よく一晩で仕上げたな。本当に、すごいよ」
報告書を一旦机に置き、差し出されたカップを受けとる。そして少し考え込んだあと、シェリルの顔を見上げる。
「調書は全部読んだ?」
「あ、全部忘れます。今この瞬間から」
「いや、そうじゃなくて、どう思う? トマスは嘘をついていると思うか?」
調書の内容を全て知られてしまったのなら、問題ないだろう。ジェイミーはそう判断して、シェリルに尋ねた。なんとなく、彼女の意見を聞いてみたくなったのだ。
「スプリング家は知ってる?」
「あ、はい。アケルナー国の所有する秘密組織ですね」
「アケルナー国との同盟の話は?」
「五十年近く話し合っていると、聞いたことがあります」
ジェイミーたちが暮らすアンタレス国は、豊富な資源を保有する国だ。しかし国の大きさに対し人口が少ないことで、軍力があまり発達しなかった。
奴隷大国アケルナーは強大な軍事力を誇っている。国力は申し分ないが、長年深刻な資源不足に悩まされている。
お互いに需要と供給が一致しているので、同盟を結ぶという話になるのは自然な流れである。しかし話し合いが始まってから早四十八年。未だ両国は付かず離れずの関係を続けている。
ここまで話し合いが長引いてしまった理由は、アケルナー国では当たり前に行われている人身売買を、アンタレス国が受け入れられないから、ということに尽きる。
もはや空気と化した同盟の話を復活させたのは、アンタレス国の現国王であった。並外れた才覚を持った国王は「私に成せぬことはない」と本人が言ったかどうかは保証できないが、一年前にアケルナー国との同盟に着手するとあれよあれよという間に話を進めてしまった。
「あれほど長引いていた話し合いがようやく終わるかもしれないと、ここ最近では噂されている」
「私も、それは聞いたことがあります」
ジェイミーは報告書をシェリルに手渡す。
「そこにも書いてある通り、アケルナー国は同盟の内容に不満があり、秘密組織の一員であるトマス・スプリングを送り込んできたらしい」
「ウィリアム殿下を脅して、アケルナー国に有利な条件で同盟を結ぼうとしたんですね」
シェリルは自分の書いた報告書を見て、ふむと頷く。
「どう思う?」
「あまりにも、簡単に自白しすぎというか……」
「そこなんだよ。ただ、全くの嘘だという確信も持てない」
「厄介ですねぇ」
結局シェリルにも状況を打破する方法は分からず、ジェイミーはようやく湯気の立つカップに口をつけたのだった。