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48.従業員専用という魅惑の扉

 シェリルは今、美女たちに囲まれている。


「ねぇ、さっきの試合に出てた人はこの部屋にいるの?」

「彼結婚してるのかしら」

「また試合に出る?」


「あの……」


 美女たちの勢いにシェリルは圧倒されていた。この部屋にいると言ったら彼女たちは部屋に乗り込むのだろうか。だとしたらジェイミーだけでなく、中で着替えている選手たちの身も危険かもしれない。なぜだかそんな気がする。シェリルはさりげなさを装って部屋の扉から少し距離を取った。美女たちはシェリルを取り囲んだまま一緒に移動する。


「あなたは彼の妹さん?」


 無邪気に尋ねられ、シェリルは先程ウルフに妹だと言われたときと同様、ショックを受けた。本物の妹であるリリーは、初対面の人にジェイミーと恋人同士だと間違えられるとボヤいていた。それなのにシェリルは妹。リリーより年上なのに。


「妹です……」


 間違いを正さなければならない理由もない。シェリルは渋々頷いた。美女たちは何の疑いもなくシェリルの言葉を信じた。


「いいなぁ。お兄さんとっても素敵ね」

「これからどうするの? よかったらお酒でも飲みに来ない?」

「私たちここの酒場で働いてるの。あなたが来てくれたら他のお客さんもきっと喜ぶと思うなぁ」

「ねぇ、いいでしょ?」


 彼女たちの真の目的は間違いなくジェイミーである。美しいうえに策士であるとはなんと恐ろしいことか。


 シェリルが美女たちの勢いに圧倒されていたとき、部屋の扉が静かに開いた。ジェイミーが出てきたのかと思ったが、違うようだ。二人分の影が美女たちの背後を通りすぎていったが、シェリルは囲まれていたためその姿を見ることが出来なかった。


 それから一方的に質問をぶつけられること数十分。とうとうジェイミーが部屋から出てきた。


「あれ、シェリル?」


 囲まれているシェリルに向かってジェイミーが声をかけた。何してるんだとジェイミーの表情が問いかけているが、シェリルにも自分が何をしているのかはよく分からない。

 美女たちはジェイミーを見るなり歓声をあげて、シェリルの周りからあっという間に去っていった。そして一瞬にしてジェイミーを捕獲した。


「さっきの試合、凄かった!」

「まさかあのウルフを倒しちゃうなんてね」

「これからお店に来てよ。安くするわよ」


「いや、あの……」


 ジェイミーは動揺している。無理もない。彼が日頃接している女性は、淑やかで控えめなやんごとなき貴婦人たちなのだから。


 シェリルは美女たちに囲まれるジェイミーを遠巻きに眺めながら、悩んだ。


 ここは空気を読んで、立ち去るべきか。ジェイミーは頑張ったのだ。少しくらいちやほやされたっていいはずだ。次はシェリルが頑張る番である。


 そう結論を出してじりじりと遠ざかるシェリルに、掴まれた腕を振り払えないでいるジェイミーは怪訝な顔を向けてきた。


「まてまて。どこに行く」

「大丈夫よジェイミー。あなたの努力は無駄にはしないわ」


 ジェイミーは訳が分からないという顔になる。しかしシェリルは皆まで言うなと片手を上げて、神妙な表情を浮かべて見せた。


「いいの、分かってる。ちゃんと分かってるわ」

「何を」

「全部分かってる。邪魔なんてしないわ。私は空気の読める女よ」

「だから何を!」


 シェリルは踵を返し駆け出した。「あとは任せな」と背中で語りつつ、己の使命を全うするべく廊下を突き進む。何やらジェイミーが叫んでいたが、きっとシェリルの気遣いに対する感謝を述べていたのだろう。






 シェリルは一通り建物を散策し、何から手をつけようかと悩んでいた。警備が甘いので探り放題である。これなら別に試合に出なくても忍び込めたかもしれないが、ジェイミーには口が裂けてもそんなことは言わないでおこう。


 一人で廊下を進みながら、シェリルはなぜかとても気分が沈んでいた。先程美女たちに囲まれていたジェイミーを思い出すたび、どうしてか分からないが、面白くないのである。複雑な気持ちのまま、今ごろジェイミーは美女たちとお酒を飲んで楽しんでいるかなぁと考えていたとき。


 ふいに、赤ん坊の泣き声が聞こえた気がした。最初は特に気に留めなかったが、その泣き声が妙にひっかかった。どうせ時間はたくさんある、と思う。シェリルは若干投げやりな気分で声のした方向に足を向けた。






「お嬢さん。ここは子供の来る所じゃないよ」


 泣き声を辿っていたシェリルは一人の男に行く手を阻まれた。


「私これでも十八なんだけど」

「本当に? それにしては色気が足りないな」


 にやにやとした顔で見下ろされ、そもそもあまりよくなかった機嫌がさらに悪くなった。入室を阻まれた部屋を指差し、投げやりに尋ねる。


「この部屋はなに?」

「従業員専用の酒場だよ。俺も聞きたいんだけど、君だれ? 初めて見る顔だな」


 男は品定めするように目を細めてシェリルを見下ろす。シェリルは少し考えたあと、愛想のいい表情をつくった。


「明日から表の酒場で働くの。だから私も中に入っていいでしょ。一日早いけど大目に見てくれない?」


 妙な沈黙があったので、さすがに無理があったかとシェリルは冷や汗をかいた。しかし男はしばらくして、あっさりと酒場に続く扉を開けた。


「いいか、この酒場を使うには、ある審査に通らないといけない」

「審査?」

「ああ。今から出す酒を一気に飲み干せたら、今後はいつでも、この酒場に自由に出入りできる」


 男はそう言って、部屋の中にいる誰かに声をかける。しばらくして透明の酒が入ったグラスを手渡された。


「中でお酒を飲むために、ここでお酒を飲まないといけないの?」


 グラスに口をつけるのをためらっていると、男が鼻で笑った。


「やっぱり子供には無理だったかな」


 シェリルは男を睨み付ける。


「飲めばいいんでしょう、飲めば!」


 シェリルは今、虫の居所がとても悪かった。だから分かりやすい挑発に乗ってしまったのだ。中身を一気に飲み干そうとした瞬間、グラスを傾けようとしていた腕を強く掴まれた。


「こらこら」


 驚いて声のした方を見ると、息を切らしているジェイミーの姿があった。呆気にとられるシェリルの手からジェイミーはさっさとグラスを取り上げる。男がチッと舌打ちした。シェリルは唖然としつつ、何とか声を出す。


「ジェイミー、どうしたの」

「どうしたのじゃないだろ。どこに逃げたのかと思ったらこんなところで何やってんだ」


 シェリルは思わず目を見張った。怒鳴られたわけではないが、ジェイミーがすごく怒っているのが分かる。なぜ怒っているのか思考を巡らすが、思い当たる節が多すぎてさっぱり分からない。


「それ飲んだら中に入れるって言われて……」


 ひとまずシェリルは質問に答える。ジェイミーはシェリルの言葉に眉根を寄せ、扉の前に立つ男に顔を向けた。


「これ何?」

「ヒドラ」

「こんな飲み方していいのか?」

「知らねぇよ。店の前で揉めるのは勝手だが変な言いがかりつけるのは止めてくれ」


 決まり悪そうに答えた男は目が泳いでいる。ジェイミーはしばらく男を睨み付けていたが、やがてシェリルに視線を戻した。


「これは遭難して凍えそうになったときに、気付けに飲むような酒だよ。記憶を飛ばしたくないなら飲まない方が賢明だ」

「そうなの……」


 シェリルは呆然と相づちを打ちながら、ジェイミーが怒ったという事実を未だ引きずっていた。ジェイミーはしばらく怖い顔で黙りこんでいたが、やがてため息をつき、口を開いた。


「中に入りたいのか?」


 シェリルは急いで首を縦に振った。はきはきと質問に答えなければまた怒られてしまいそうな気がしたからだ。シェリルが頷くのを見て、ジェイミーは数秒間考え込んだあと、グラスの中身を一気にあおった。


「あっ!」


 シェリルはとっさにジェイミーの手を止めようとしたが、間に合わなかった。グラスの中身はジェイミーの一部となるべく吸い込まれていく。ジェイミーは少しだけ顔をしかめたあと、空のグラスを男に差し出した。


「これでいい?」

「いや……」

「ダメなら二人分飲むけど」


 ジェイミーの言葉に男は絶句する。ついでにシェリルも顎が外れるくらいにあんぐりと口をあけた。しばしの沈黙が続いたあと、男は根負けしたように扉を開けた。


「いいよ。入んな」


 ジェイミーはさっさと中に入っていってしまった。その背中を呆然と見送っていたシェリルだったが、男に「入るのか、入んないのか」とぶっきらぼうに尋ねられ、急いでジェイミーの後を追った。

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