46.小心者が教えてくれたこと
ジェイミーは頬を伝ってきた汗を拭いながら、まずいなぁと心の中で呟いた。
ウルフは想像以上に強い。無用な怪我をする前に降参するのが身のためだが、それでは試合に参加した意味が無い。かといって殴られる覚悟で近づくのもちょっと、いや、かなり気が引けるし、怪我をすればシェリルが気にしてしまうだろう。大体、あの攻撃をもろに受けて立っていられる自信がジェイミーにはない。となると無傷で勝つしか無いのだが、そんな大層な技術持っていればとっくに試合は終わっている。
そんなことをつらつらと考えているうちに、ウルフが何か探るような視線を向けてきた。どうやら攻撃を避けすぎて不審がられているようだ。
ジェイミーは必死に思考を巡らせた。しかしいくら考えたところで突然強くなれるわけもない。やがて、真面目に考えるのがばかばかしくなってきた。連日戦いに身を置いているこの男には、逆立ちしたって勝てない。勝てるとしたら隊長かウィルくらいだろう。
「あ」
ジェイミーは思わず、気の抜けた声を上げてしまった。ウルフが怪訝な顔つきで口を開く。
「なんだ?」
「ああ、いや、考え事をしていたもので……」
言ってから、ジェイミーはしまったと口を閉じた。ウルフはジェイミーに剣呑な視線を向ける。
「俺との試合は考え事をしながらでも十分ってことか」
「いや、その……」
ジリジリと距離を詰められ、ジェイミーは人生の終焉を覚悟した。と同時に、先程思い出した記憶の断片を必死に手繰り寄せた。
◇◇◇
あれはジェイミーが十七歳だった頃の話である。もうじき軍学校を卒業するというタイミングで、ニックが卒業予定の者たち全員に招集をかけたことがあった。
「俺たちはもうじき卒業する。しかしまだやり残したことがひとつある」
教壇に立ち、真剣な顔で言ったニックに対し、その場にいた全員が呆れた顔を向けた。
「ニック、お前は散々やりたい放題やって来ただろ」
「最後の最後までブレないな本当」
「お前がやってないことと言ったら品行方正な学校生活を送ることくらいしか思いつかないよ」
口々に言葉をぶつけられたニックは、腕を組みうんうんと頷いた。
「そうだろうそうだろう。やっぱり皆、キャンベル先生に一度も勝てなかったことが心残りだよな」
そんなことは誰も言ってないが、そういわれてみれば一度も誰も勝てたことはない。
「あの人には勝てないだろ」
「本部の騎士隊長に任命されるらしいぜ。元々俺たちが敵う相手じゃないんだって」
弱気なことを言う仲間たちを前に、ニックは憤りながら教卓を両手で叩いた。
「ばかやろう! お前らには信念や志というものが無いのか! 金持ちだからか? 金持ちだから現状に甘んじてしまうのか!?」
全員、重いため息をついた。こうなるとニックは後に引かない。四六時中「これだから金持ちは」と嫌みを言われることになる。その場にいた全員は仕方なく、ニックに言われるがまま未来の騎士隊長に勝負を挑むことにした。なんだかんだ言って皆、一度も勝てなかったことが悔しかったのだ。
「お……俺たちはもうじき卒業する。しかしまだやり残したことがひとつある」
ぜぇぜぇと息を吐きながら、ニックが教卓にもたれつつ呟いた。その場に集まった者は全員、ボロボロの傷だらけで満身創痍と言う有り様だ。
「もう無理だって。諦めよう」
「ばかやろうジェイミー! お前そんなことじゃあ立派な騎士にはなれないぞ!」
ニックの言葉に、その場にいる全員はげんなりという表情を浮かべた。
「あの人に勝てないと騎士になれないんじゃ、この国から騎士という騎士がいなくなる」
「無謀だったんだよ。経験値が違うんだ」
すっかり弱気になった男たちを、ニックは必死に奮い立たせる。
「諦めるな! ウィルはいい線いってただろ。あいつならなんとか出来る、多分」
「え……」
比較的軽傷で済んでいるウィルは、ニックの言葉にギクリと頬を強ばらせた。
「確かに」
全員がウィルの方に視線を移す。
「ウィル、お前いつもあと少しってところで負けるよな」
「もしかしてわざと負けてる?」
ウィルは焦ったように首を横に振った。
「そんなわけないだろ。先生が強すぎるんだよ」
男たちは全員、難しい顔で考え込む。
「じゃあウィルが相手のときだけ、先生が手を抜いてるのかな」
「一応お前、偉いやつだしな」
好き勝手なことを言う仲間たちのせいで、ウィルの顔色はどんどん暗くなっていく。そのとき、ニックが何かを思いついたように顔を上げた。
「ひらめいたー!」
そう叫んで、ニックはウィルの両肩をガシッと掴む。
「な、なんだよ」
「お前、素手なら先生に勝てるんじゃないのか?」
「素手?」
期待を込めたニックの視線を受けて、ウィルはぱちくりと目を瞬いた。ジェイミーはため息混じりに声を上げる。
「体術はキャンベル先生の専門外だよ。あの人は騎士なんだから」
「専門外だろうがなんだろうが勝てればいいんだよ勝てれば。ウィル、お前怪我させるのが怖くて剣術じゃ本気出せないんだろ」
ニックの言葉に、ウィルは面食らっている。ジェイミーを含む男たちも同様であった。
「え、そうだったの?」
「あー、だからお前、騎士隊の人としか手合わせしなかったんだな」
ウィルは剣術の授業でいつも、一人だけ大人と組んでいた。ジェイミーたちはそれをウィルの実力がずば抜けているからだと思っていた。しかし先程ニックが言った通りであれば、上手く避けてくれる相手でなければまともに剣が振れなかったからなのだろう。
ジェイミーたちは卒業間近で判明したウィルの悩みに、呆れ返る。
「強いくせ小心者だなお前は」
「俺たちを見ろよ。先生は俺たちをぶちのめしても平気な顔してたぞ」
容赦なく返り討ちにされた様を披露しても、ウィルは浮かない顔を崩さない。
「先生は怪我のさせ方も上手いんだ」
「なんだそれ。なんだよ怪我のさせ方って」
ジェイミーは次元の違うウィルの発言を聞いて、自分には彼の悩みをどうにかすることは出来ないのだと悟った。
ニックは満足げに何度か頷いたあと、ウィルの肩をバシバシと叩く。
「決まりだ決まり。ウィルの身体能力に全てをかけるぞ」
意気揚々とウィルの腕を引っ張って、再び戦いに向かうニック。ジェイミーたちも後を追う。
結果は、接戦の末ウィルが勝利した。当時の騎士隊副隊長、そして現隊長であるキャンベルは、教え子に負けたというのに、どことなく満足げであった。
◇◇◇
青春時代の思い出ということで若干最後の方は脚色してあるが、ジェイミーはこの記憶に、ウルフに勝利する可能性を見出だした。
確かあのあと、ウィルがどうやって勝ったのか本人に詳しく説明して貰ったはずである。しかしジェイミーは当時、何度ウィルに説明してもらってもその内容をよく理解できなかったのだ。確か相手の重心を見極めるのが重要だとか言っていた気がする。必死に思い出そうとしていると、ウルフが再び攻撃を仕掛けてきた。考え事をしていたジェイミーはギリギリで攻撃を避けそこない、左頬に拳が当たった。
「ジェイミー!」
シェリルの声が響く。会場が大いに沸き立った。飛び退いたせいで金網に背中をぶつけたジェイミーは、想像した程痛みがなかったことに拍子抜けする。それでも口もとを拭うと腕には血がついた。なるほど、彼も怪我のさせ方を心得ている一人なのかと、ジェイミーは妙に感心してウルフの方に目を向けた。そして一度殴られたらもう何度殴られても同じだよなぁ、とまで考えたとき。
「あ」
先程とは違い、ジェイミーははっきりと声を上げた。ウルフが指を鳴らしながら近付いてくる。
「何だ、また考え事か」
「いや、多分殴られたせいだ。思い出した」
「は?」
「思い出したんだ。ありがとう」
ウルフは気味が悪そうにジェイミーを眺めている。しかしジェイミーはお構いなしで感動に浸っていた。
ウルフはわざとらしくため息をついたあと、勢いよくジェイミーに向かってきた。ジェイミーはその攻撃に、正面から立ち向かった。




