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45.絶対王者ウルフと腰抜け

 盛大に歓声をあげる観客に囲まれ、シェリルとジェイミーは正反対の表情を浮かべていた。


 闘技を行う場所は腰の高さまである頑丈な金網で正方形に囲まれており、選手と審判以外は中に入れないようになっている。シェリルは満面の笑みを浮かべ、すでに囲いの内側に入っているジェイミーに明るく声をかけた。


「試合に出たかったならそう言ってくれればよかったのに」


 ジェイミーは外套などの防寒着を脱ぎながら、虚ろな顔でため息をつく。


「これが試合に出たがってるように見えるのか……」


 金網ごしに衣類を受け取りながら、シェリルはジェイミーを元気づけるべく彼の肩を叩く。


「照れることないわよ。そりゃあジェイミーは闘技には全然向いてなさそうだけど、勝ちたいという気持ちがあるなら大丈夫! 気持ちが大事よ、気持ちが」

「……ああ、そう」


 ジェイミーはいろいろと諦めたような顔をして袖を捲っている。シェリルはその姿を見ながら、期待に胸を躍らせていた。ジェイミーにも闘志というものが存在したのだ。きっと観客たちをあっと言わせてくれるに違いない。


「ジェイミー、自分を信じて! あなたは強いんだから、絶対勝てるわ!」


 シェリルはジェイミーの士気をあげようと力強く声をかける。ジェイミーはなんとも言えない表情でシェリルを振り返り、ためらいがちに口を開いた。


「あのさ」

「やっぱりやめる? いいのいいの、代わりに私が鮮やかにあの男を倒して……」

「いや、そうじゃなくて、どこを狙えばいいと思う? できれば長引かせたくないんだけど」


 言いながら、ジェイミーは少し離れたところに立っているウルフを指す。シェリルは「ああ」と声をあげ、腕を組んだ。


「そりゃあ……ジェイミーは鍛えてるんだから、思いきり顎を狙って……」


 言いかけて、いや待てよと口を閉じる。ほいほいと射程圏内に入るのは危険すぎる。どう考えても腕力では敵わないのだから。というか、ジェイミーがあの男を殴り倒すイメージが全く浮かばない。そういえば騎士隊が素手で戦う訓練をしているところをシェリルは見たことが無い。剣や槍の勝負ならジェイミーが有利だろうが、あいにくそれはルール違反である。ここにきて、シェリルは一抹の不安を覚えた。


「ねぇジェイミー。殴り合いの喧嘩とかしたことある?」

「あるわけないだろう」


 何を分かりきったことを、という顔でジェイミーは即答した。シェリルはさぁっと顔色を青くする。


「どうしよう。心配になってきた」

「ようやく俺の気持ちが伝わったみたいで嬉しいよ」


 嬉しいと言いながらジェイミーの表情はどんよりと曇っている。


「おーい。もう準備出来たか?」


 いつまでも話してばかりいる二人に、審判が苛立ったような声をあげた。シェリルは慌てて審判に向かって叫ぶ。


「もう少しくらい待ってくれてもいいでしょう。準備の時間くらい大目に見なさいよ」

「知らねぇよ。ウルフが待ってんだ。早くしてくれ」


 シェリルは舌打ちしたあと、ジェイミーと真剣な顔で向き合った。


「ジェイミー、ウルフの攻撃は絶対に正面から受けちゃだめ。全部避けて持久戦に持ち込むの。背中を取ればこっちのものよ。下敷きにされないように注意して」

「わかった……」


 ジェイミーは不安そうな顔で頷いた。シェリルも不安である。


「全部避けるのよ。絶対に殴られちゃだめだからね。絶対よ」

「ああ、わかったから」


 念を押すように忠告するシェリルに、ジェイミーは苦笑いを返す。いい加減痺れを切らした審判は、まだ二人が話しているにも関わらず試合開始の合図を叫んだ。


「はじめ!」


 シェリルとジェイミーは驚いて審判の方を見た。瞬間、ウルフがものすごい勢いでジェイミーの方に突っ込んでくる。シェリルはとっさに文句を言おうとしたが、声を出す前にジェイミーに思いきり突き飛ばされた。同時に、金網が軋む音が会場に響く。


「嘘だろ」


 呆然と呟くジェイミーの声に、地面に倒れこんだシェリルはハッと顔を上げた。ジェイミーは間一髪でウルフの攻撃を避けたようだ。ホッとしたのも束の間、シェリルは自分の目を疑った。ウルフの拳は、先程シェリルが立っていたあたりの金網を突き破っていたのである。


「失礼。客が退屈してしまうといけないからね」


 ウルフはシェリルに向かってそう言ったあと、金網から拳を引き抜いた。客席は大いに盛り上がっている。シェリルは地面にへたりこんだまま穴のあいた金網を凝視した。あの部分だけ細工がしてあるとかそういうことなんだろうか。確認しようと金網に近付いたとき、ジェイミーが焦ったように叫んだ。


「危ないから離れ……うわっ!」


 ジェイミーの言葉を待たず、ウルフは再び攻撃を仕掛けた。先程金網を突き破った拳をジェイミーは真っ青な顔で避ける。


「他人の心配をする余裕があるのか?」

「ありません」


 凶悪な笑みを浮かべながら尋ねるウルフに、ジェイミーは辛うじてといった様子で答える。


「ちょっと、審判! まだ始めていいなんて言ってないわよ!」

「うるせぇ。ウルフを待たせるなんて百年早いんだよ」


 ようやく文句を口にしたシェリルは審判の態度に苛立ちつつも、大人しく口を閉じた。あまりしつこく文句を言えば困るのはジェイミーだ。ウルフの応援が大半を占めるこの会場で、ジェイミーを応援することが今のシェリルに課せられた使命である。そうと決まればと、シェリルは気合いを入れて立ち上がり、大きく息を吸った。






 盛大な喧騒に包まれた会場で、シェリルは悩んでいた。試合がはじまってずいぶん経ったが未だ勝負はつかないままである。ジェイミーはシェリルの助言を忠実に守っていた。ウルフの攻撃は一度も受けていないし、全て上手く避けている。有り体に言うと、ずっと逃げ回っているのだ。


「腰抜け! 正々堂々と勝負しろ」

「やっちまえウルフ! ぶっ潰せ!」


 とうとうジェイミーを腰抜けと呼ぶ輩が現れてしまった。非常に腹立たしいが、そう見えても仕方の無い状況である。


 遠目からでは分かりにくいのだが、ジェイミーはこの試合中に何度か攻撃を仕掛けようとしていた。しかし腕や足が届く距離に近付くと必然的にウルフの攻撃圏内に入ってしまうため、文字通り手も足も出ない状況に陥っているのだ。しかもウルフは背中を狙われることに慣れているようで、後ろを取る隙もない。これは一度腹をくくり殴られてでも近付く他無いが、穴のあいた金網を見たら、そんな提案をする気にはとてもなれないシェリルである。かといってわざと負けろとも言えない。そんなことをしたらジェイミーの面目は丸潰れだ。


「おい、ウルフ。そろそろ本気出したらどうだ」


 審判の言葉にウルフは微妙な表情を浮かべる。一旦殴りかかるのをやめ、ジェイミーのことをしげしげと見つめた。


「お前、兵士か何かか」


 ウルフに尋ねられ、ジェイミーはギクリと顔を強ばらせる。


「いえ、違いますが……」

「あ、そう」


 疑わしげに目を細めるウルフ。どうやら自分の攻撃が一度も当たらないことに疑問を感じているようだ。シェリルとジェイミーは互いに目配せしながら、密かに冷や汗をかいた。

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