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44.ピンチはチャンスと言いますが

 割れるような叫び声。開けた場所に、二人の男が距離を取って立っている。周りは階段状の客席に囲まれていて、老若男女が隙間なくひしめいている。


 中央で睨み合っている二人は恐らく闘技場で最も人気の高い選手たちである。間に立った審判が「はじめ!」と叫んだ瞬間、二人は勢いよく駆け出し互いに殴りかかった。場内に響き渡る声援がより一層大きくなる。二人の男は容赦なく殴り合い、数分とたたず片方が仰向けに倒れた。これで終わりかと思いきや、立っている方の男は倒れた男を容赦なく殴り始める。沸き立つ観客。審判が二人を止める気配は無い。


「これはどうなったら勝ったことになるんですか?」


 ジェイミーは右隣の席に座っている見知らぬ男に尋ねた。拳を振り回し声援を送っていた男は、驚いたようにジェイミーに目を向ける。


「なんだよ、あんた観戦はじめてなのか」

「ええ、まぁ」

「それじゃあ仕方ねぇなぁ。教えてやるよ。なに、難しいことは何もない。先に両手両膝を地面につけた方が負けで、そうじゃない方が勝ち。武器を持つのはルール違反。それ以外は何でもありだ」


 ジェイミーの肩に腕を乗せた男は、得意げにルールを説明した。ジェイミーは再び中央の空間に目を移す。


「じゃあ、今すぐ体をひっくり返してやれば試合は終わりなんじゃ……」


 ジェイミーは殴られ続ける男が気の毒になり、顔をしかめた。仰向けに倒れたのが運の尽きか。殴られている男はもう反撃する力もないだろうに、試合は終わることなく彼は気絶するまで痛め付けられてしまうらしい。


「そんな展開、興ざめ! あの選手はこの闘技場の人気者みたいだし、もっと活躍させないと。殴られてる方もちゃんと分かってるはずよ」


 左隣に座っているシェリルが前のめりで試合を凝視しつつ、声だけジェイミーに向けて言った。すると先程ルールを説明した右隣の男がそうそうと頷く。


「よく分かってるじゃねぇかお嬢ちゃん」

「それほどでも」


 ジェイミーは盛り上がっている人々を見渡し、複雑な気持ちになった。血だらけになり殴られている人間を見て何が楽しいのかさっぱり分からない。そして、シェリルの言った通り自分は闘技場には向いていないことをしみじみと実感した。






 数時間前。

 ジェイミーはシェリルと闘技場に行くことを断固拒否した。というより、シェリルが外出することに猛反対した。本当は医務室から出るのもよく思っていなかったのだ。どう考えても闘技場に行くことと安静にすることが両立出来るとは思えない。

 シェリルは「ジェイミーがそう言うなら……」と言って渋々納得した。その時点で一旦安心したジェイミーだが、よくよく考えると全然安心する状況じゃないことに気付いた。


 シェリルは一度、一人で森に入ろうとした前科がある。しかも彼女は危ない橋を渡ることに全くためらいがない上に、目的を達成するためなら手段を選ばない不屈の精神を持っている。ここまで考えて、ジェイミーは先が読めた。粛々(しゅくしゅく)と言うことを聞くフリをして、シェリルはきっと、一人でこっそり自警団に乗り込む。そして自分はその事に気付かず、恐らくニックあたりにそのことを指摘されるのだ。


 そもそも、シェリルは時々外に遊びに行きたいというようなことをこぼしていた。ニックを焚き付けたのも外に出るチャンスが欲しかったからかもしれない。そう考えるとちょっと気の毒な気がしないでもないし、高熱に気付けなかった負い目もある。試しに「大人しくしているなら連れていってもいい」と、前半の部分をかなり強調して言ってみたところ、シェリルは想像以上に喜んだ。それを見てジェイミーは引くに引けなくなってしまい、結局二人で闘技場に行くこととなったのである。






 ジェイミーは目の前の試合に意識を戻した。一方的に殴られていた男は何度か反撃をしたところを制圧され、散々痛め付けられたあと、うつ伏せに倒され試合は終わった。勝利した男は倒れている男の背に片足を乗せ、拳を突き上げ歓声に応える。


「勝者! ウルフ・バグ・スター!」


 審判の声が響く。名前を呼ばれた男は雄叫びを上げ、観客はそれに呼応するように盛大な拍手を送った。やがて、ウルフは「静かに」という風に両手を上げた。一瞬で静まり返る観客。十分に静かになってから、ウルフは口を開いた。


「みんな、力強い声援をありがとう。素晴らしい応援のおかげで最高の試合が出来たよ。彼にとっては最悪な試合だっただろうけどね」


 そう言ってウルフは地面に伸びている男に目を落とす。会場は小さな笑いに包まれた。ウルフは言葉を続ける。


「さて、今日の客は最高だったから賞金も景気よくいこう。本日の挑戦者に贈られる賞金はなんと、一万カロンだ!」


 ウルフの声に、観客は沸き立つ。ジェイミーは右隣の男に顔を向けた。


「賞金って?」

「兄ちゃん本当に何も知らないんだな。試合の最後、その日優勝した選手に誰でも挑戦出来るんだ。もし勝てたら賞金はそいつのものってわけ」

「へぇ」

「まぁ、あのウルフに挑戦しようなんて無謀な奴は滅多にいないけどな。挑戦者がいなきゃ賞金はウルフに賭けた客に配当される。今日はついてるぜ。一人30カロンってところだろう」


 なるほどと、ジェイミーは相槌を打つ。このときジェイミーは気付くべきであった。舞台が整ってしまったことに。


「この俺に挑戦したい奴は手を挙げてくれ! どうしてもと言うなら、手加減してやってもいいぞ!」


 ウルフの呼び掛けに観客は笑い声を上げる。しかし、名乗りを上げる者は一人もいない。ウルフは慣れたように会場をぐるりと見渡し、挑戦者はいないかと呼び掛ける。そしてジェイミーの座っている側にやって来たとき、彼は大きく目を見開いた。


「……おいおい、お嬢さん。本気なのか? 冷やかしならやめてくれよ」


 そう言って険しい顔を浮かべたウルフの視線を、他の観客たちと同様、ジェイミーも辿る。そこには綺麗に挙手しているシェリルの姿があった。


「もちろん本気よ。一分で終わらせるわ」


 シェリルはハッキリと、周囲に聞こえるように言った。とたん、客席がざわつき、しばらくして冷やかすような声があちらこちらから上がった。


「やっちまえウルフ!」

「女だからって容赦するんじゃねぇぞ!」


 客席からの声にウルフは苦笑いを浮かべる。一方、顎が外れるほどあんぐりと口を開いて固まっていたジェイミーは、ようやく我に返り勢いよく立ち上がった。


「失礼! 今のは無かったことに。彼女ちょっと頭がおかしいんです!」


 そう叫んで、ジェイミーはシェリルの腕を引っ張り客席の影に隠れた。二人は屈んだまま、ヒソヒソと話し合う。


「ジェイミー、私別に頭おかしくない……」

「いやおかしいよ。何を血迷ってるんだ。正気になれ」


 ジェイミーはシェリルの顔を両手でつかみ必死に説得する。しかしシェリルには全然響いていないようだ。シェリルは不敵な笑みを浮かべ、ジェイミーにだけ聞こえるように声を潜めた。


「これは人身売買の黒幕に近付くチャンスよ。もし勝ったら賞金の受け渡しで内部の人間と接触できるし、負けても多分、怪我とかを治療してくれると思うから闘技場の内情を探れるわ」

「もっと他に方法は無いのか」

「これが一番いい方法よ。だってもし勝てたら一万カロン貰えるんだもの!」


 これは人身売買うんぬんは関係なく、ただやってみたいだけに違いない。そう考えたジェイミーはシェリルの顔を強制的にウルフの方に向けた。


「よく見ろ。あの筋肉が服を着て歩いてるみたいな奴に本気で勝てると思うのか?」

「別に勝てなくてもいいのよ。挑戦する気持ちが大事なの」

「いや、勝てなかったらああなるんだぞ!」


 ジェイミーは未だ血だらけで地面に倒れている男を指差した。さっきから全然動かないが彼はちゃんと生きているのだろうか。


「心配しないでジェイミー。私、絶対に負けない!」


 ジェイミーが途方に暮れている間に、会場からはブーイングが飛んできた。


「おーい! 怖じ気づいたのか?」

「やっぱりただの冷やかしかよ!」


 口々に不満を叫ぶ人々を、ウルフが片手を上げて制する。


「まぁまぁ。それじゃあ今日も挑戦者はなしで――」


「いるわよ! ここに!」


 シェリルは慌てて立ち上がり、手を挙げた。ウルフはそれを見て難しい顔で頭をかく。


「あー、悪いんだけど……」

「何よ。女は殴れないとか言うつもり?」


 ウルフは困ったような顔を浮かべた。


「そうじゃなくて、挑戦できるのは一日一人だけなんだ。悪いんだけど、どっちが挑戦するか隣の彼と相談してくれるか?」


 ウルフの言葉にシェリルは目を見開き、隣を見た。隣には、片手で頭を押さえ、もう片方の手を小さく挙げているジェイミーの姿があった。

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