40.しばしの別れと再会
マーソンの調合した薬を飲んだとき、シェリルはこの世の真理を見た。しかしあまりの味に一瞬で全てを忘れた。
激しく咳き込むシェリルの背中を、ベッドのふちに腰かけたジェイミーが気遣わしげにさする。
「大丈夫か?」
「あの男は私を殺すつもりなんだわ」
ぜぇぜぇと肩で息をしながらシェリルは確信を持って呟いた。昨日の夜、医務室を訪れて食事にありついたまではいい。それからあの禍々しい薬を飲んだあと、シェリルはみるみる調子が悪くなったのだ。
そして今、朝の分と称しマーソンはまたこの世の理不尽を凝縮したような色の薬を寄越してきた。きっと奴はシェリルの動きを封じるための薬をこの液体に混ぜているに違いない。
シェリルが吐き気と格闘していると、ジェイミーが冷たいタオルで額をぬぐってくれた。
「本当にごめんな」
昨日から何度も、ジェイミーはこうして謝ってくる。謝罪の大安売りである。こう謝られると、シェリルはどうしていいのか分からなかった。そもそもシェリルの気分が悪いのはあのおぞましい薬のせいである。
「ジェイミーじゃなくてあのヤブ医者が悪いのよ」
「誰がヤブ医者だって? 私は医者じゃなくて研究者だぞ」
マーソンがカーテンの向こうから現れた。そこかよ、と突っ込む気にもならず、シェリルは薬の容器を無言で持ち上げる。マーソンは容器の中身を確認してから満足そうに頷いた。ジェイミーはすかさずマーソンに声をかける。
「先生、この薬もっとマシになりませんか。飲むたびに顔色が悪くなるんですけど」
「ジェイミー、お前は私が学校で教えたことをもう忘れたのか。薬には副作用が付き物だと教えたはずだ。副作用と病状を天秤にかけ命にかかわる方を優先して治療することもな。仮にも衛生隊志望だったなら理解して然るべきだろう」
マーソンの言葉にジェイミーは一瞬口ごもるが、その顔はまだ何か言いたげだった。再び口を開きかけたジェイミーをシェリルはすかさず片手で制す。
「いいのよジェイミー。私はこの薬がもたらす苦しみをきっと乗り越えてみせる。私に出来ないことはない!」
「よーしその意気だ。君の治癒力には期待しているよ」
ジェイミーはますます不安げな顔になった。シェリルはというと、先程のマーソンの言葉に時間差で驚いていた。
「ジェイミー、あなた衛生隊志望だったの?」
「ああ、うん……」
ジェイミーはシェリルの問いに対し決まり悪そうに頷く。シェリルは見開いた目をパチパチと瞬いた。
「へぇ。ということは、先生に受け入れ拒否されたの?」
「バカ言うな。私は推薦までしてやったんだぞ」
マーソンはシェリルの考えを機嫌悪く訂正する。
「父親の意向でね。珍しい話じゃないんだ。自分の子供を騎士隊に入れたがる貴族は多いから」
ジェイミーはあっさりと真相を明かした。貴族階級も楽じゃないな、とシェリルはもの悲しい気分になった。
そのとき、入り口からコンコンと壁を叩く音が響いた。全員がそちらに目をやると、朝から素晴らしくご機嫌なニックが姿を現す。
「やぁシェリルちゃん。ジェイミーのせいで病気になった気分はどう?」
開口一番ジェイミーの罪悪感をつついてきたニックに、ジェイミーだけでなくシェリルとマーソンもげっそりとした表情になる。
「私が監督する試験はカンニングし放題だと周囲に言いふらしていたニック・ボールズ君じゃないか。一体なんの用かな」
「先生、何年前の話をしてるんですか」
相変わらず軽い空気をかもし出しながらベッドのふちに腰かけるニック。シェリルは調子の悪さも手伝って、最上級に不機嫌な声を出した。
「ジェイミーのせいじゃないんだってば」
「またまた。一日中無言を貫くこいつの近くにいたら俺だって気のつかいすぎで病気になるね」
ニックの言葉はジェイミーの心にグサッときたようだ。沈痛な面持ちでうなだれる。
「反省してるよ。本当に……」
事実、ジェイミーは昨日の夜から現在までずっと反省しっぱなしである。どうやら彼はここ最近自分がおかしかった自覚が全くないらしく、食事を忘れたり、一日中口を利かない日があったことをシェリルが伝えると、雷に打たれたかのように驚いていた。それから、雨に打たれた子犬のようにしょぼくれてしまったのだ。
この上さらに落ち込ませにかかるニックは、あまりに非情だ。
「帰ってよ。私いま病気なんだから」
「まぁそう言うなって。仕方ないだろ。隊長命令だ」
「隊長命令?」
ニックの言葉にシェリルは眉をひそめた。それからジェイミーの顔を見る。ジェイミーは申し訳なさそうに頷いた。
「俺は今から仕事なんだ。だからその間ニックが監視役を交代してくれる。こいつ今日は休みだから」
シェリルはベッドの上に崩れ落ちた。
「え、ちょっと、その反応傷付くわ」
「最悪だわ」
ニックが傷つくのも構わず、シェリルは本音をこぼした。そんなシェリルにジェイミーは苦笑しつつ声をかける。
「大丈夫だよ。ニックの監視も呼んであるから」
「え?」
「え?」
シェリルが顔を上げるのと同時に、ニックも驚いて目を見開く。そのとき、先程と同じく入り口の壁を叩く音がした。
「失礼します。アニー・レディントンが参りました」
「どうぞ」
ジェイミーが応えると、シェリルがメイドをしていた頃の同僚、アニーが姿を現した。
「アニーさん!」
アニーは緊張した面持ちで部屋に入ってきて、ジェイミーに対し膝を曲げ深く頭を下げた。
「ウィレット様、本日は誠心誠意お仕え致しますので、よろしくお願いいたします」
「ああ、そんな堅苦しくしなくていいよ。名前も、ジェイミーでいいから」
「は、はい。かしこまりました」
ジェイミーが笑いかけると、アニーはうつむいた顔を真っ赤に染めた。その様子を見ながら、ニックが呆然と呟く。
「アニー、お前なんでここにいるんだ」
「シェリルの看病をするようウィレ……ジェイミー様から申し付かったの。あんたこそなんでここにいるのよ」
ニックは珍しく悔しそうな表情を浮かべて、ジェイミーを睨み付けた。
「……どういうことだよ」
「お前の幼馴染みなんだってな。驚いたよ」
「なんで知ってんだよ」
「騎士隊は全員知ってるぞ」
「はぁ? なんで!?」
大声を出したニックに対し、マーソンはたしなめるように大きく咳払いした。
「私の授業は睡眠時間だといって毎回居眠りをしていたニック・ボールズ君。大きい声は控えてくれるかな」
「先生、俺とはずっとそんな感じで接するつもりですか。ていうかなんだこの仕打ちは。俺は休日返上で監視を引き受けたんだぞ」
シェリルには最悪だと言われ幼馴染みには邪険にされマーソンには過去の過ちを掘り返される。ニックは早々にやる気を失った様子だ。
そんなニックにはお構いなしで、ジェイミーは上半身だけ起こしているシェリルに視線を移した。
「彼女に看病される方が、気が楽だろ。俺はもういくけど、またあとで顔出すから」
「わかった……」
ジェイミーはシェリルに笑いかけたあと、立ち上がった。
「先生、あとよろしくお願いします。アニーさんも、急に呼びつけておいて悪いんだけど、シェリルのことよろしく頼むよ」
「はい。お任せください」
ジェイミーが部屋を出ると、アニーはすかさずシェリルの方を振り返った。
「ちょっとシェリル、さっきの聞いた!?」
「何をですか?」
「ジェイミー様が『騎士隊は全員知ってる』っておっしゃったわ。つまり、スティーブ様もマーク様もレイトン様も私のことをご存知なんだわ!」
「ああ、そうですねぇ、確かに」
シェリルはアニーが以前と変わらず気さくに接してくれることに、密かにホッとした。アニーは機嫌よくベッドのふちに沿って歩いていき、ニックの肩をパシリと叩く。
「そこどいて。邪魔よ」
邪険に扱われても文句を言わず大人しく従うニックに、シェリルは驚いた。そして、ニックの監視を呼んであると言ったジェイミーの言葉をようやく理解し、ニヤリと笑みを浮かべる。
「シェリルちゃん。気味の悪い笑顔を向けるのはやめてくれ。ていうか、なんで皆俺たちが幼馴染みだって知ってるんだ。いや、別に隠してたわけじゃないんだけど」
「教えてあげてもいいわよ?」
何を隠そう、シェリルもニックとアニーが幼馴染みであることを知っていた一人である。
一人首をかしげるニックに、マーソンが声をかけた。
「私の研究室から薬品を盗みだしこの世に生み出してはいけない物質を誕生させたことのあるニック・ボールズ君。暇なら私の仕事を手伝いなさい」
「嫌です。なんかもうやる気が無いんで、帰ります」
「医務室にしょっちゅう女を連れ込んではことに及んでいたニック・ボールズ君。さっきのは頼んだのではなく上官命令だ」
「わかりましたよ! 手伝いますからその話し方やめてください!」
とうとうニックが降参したとき、シェリルとアニーは軽蔑の眼差しで彼を見ていた。ニックは二人の視線に気づき、片眉を上げる。
「何?」
「まさかとは思うけど、このベッドじゃないわよね」
シェリルの言葉に、ニックは考え込むように腕を組む。
「いや、たしかもっと向こう……痛ってぇ! 何すんだアニー!」
「汚らわしいわね。もっと私たちから離れてちょうだい」
ニックの爪先に踵を落としたアニーは、テキパキとシェリルをベッドに寝かせたあと、看病をするための準備をはじめた。




