表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/131

39.無自覚同士の悲劇

 ハワードの一件があってからと言うもの、ジェイミーはどこか、うわの空という状態だった。シェリルはとても心配したのだが、ニック曰く「たまにああなる」らしいので、そんなものかとあまり口を出さなかった。しかし日がたつにつれ、あまり悠長には構えていられなくなった。


 端から見て悩んでいるのか疲れているのか、はたまたなにも考えていないのか、ジェイミーの考えていることがまるっきり分からないのである。おまけに放っておくと食事をするのを忘れていたりして、シェリルがその事を指摘するとジェイミーは一時的に我にかえり、決まり悪い表情を浮かべ、そしてまたすぐ心ここにあらずという状態に戻るのだ。


 そんなことが続くと、さすがにシェリルの方も参ってくる。一番堪えたのは気軽に声をかけられないことだ。ある日窓の外に白いものがチラチラ降っているのを見つけて、シェリルは心のなかで歓喜した。生まれてはじめて見る雪である。よほど外に出て間近で雪を見てみたかったのだが、そうなるとジェイミーも連れ出さなければならず、見飽きているであろう雪のために吹雪いている屋外に連れていくのもためらわれて、後ろ髪を引かれる思いで外に行きたいという言葉を飲み込んだ。




 ハワードの襲来から五日経ったある日の夕方。武器庫で在庫の確認をしているジェイミーを横目に、シェリルは脚の壊れたソファーの上で膝を抱え落ち込んでいた。ジェイミーは相変わらずで、今日も一言も話せなかったなぁとため息をつく。ここ最近は気を遣いすぎて頭痛までしてくる始末だ。恐らくそばを離れてもジェイミーは気づかないだろうから、ローリーの弱点を探る絶好の機会だった。それなのに何となくやる気が出ない。膝に頭をつけて肩を落としていると、ふと窓から差し込む夕日が陰った。どうしたのだろうと頭を上げると、目の前にジェイミーの顔があった。


 ジェイミーはその場にひざまずいたまま、シェリルの額に手を伸ばしてきた。想像以上に掌が冷たくて驚いていると、難しい顔をしたジェイミーはゆっくりと口を開いた。


「熱がある」


 何日かぶりにかけられた言葉に、感動する。そしてジェイミーの言葉にぱちくりと瞬きした。


「え、大丈夫なの?」


 シェリルの反応にジェイミーは困ったように笑った。


「俺じゃなくて、シェリルが」


 ジェイミーの言葉を理解するより先に、ジェイミーが以前のように笑ったことにシェリルは衝撃を受けた。


「よかった。元気になったのね」

「え?」

「ずっと元気なかったもの。でも、もう大丈夫なんでしょう?」


 期待を込めて尋ねると、ジェイミーは呆けたような顔になった。それから気恥ずかしそうにひとつ、咳払いをした。


「そっか、あの、悪かった。気をつかわせて」

「ジェイミーは悪くないわよ。全部あのハワードってやつのせい。絶対そう」


 ジェイミーはシェリルの言葉に答えず、今度はシェリルの首に手を当ててきた。


「喉の痛みは?」

「ない、と思う」

「頭は?」

「痛い……かも……」

「いつから?」

「三日くらい前……」


 シェリルの答えに、ジェイミーは途方に暮れたように眉尻を下げた。


「もっと早く気付いてやればよかったな」

「いいのよ。私すごく丈夫なの。本当に丈夫なのよ。どれくらい丈夫かっていうと……」

「いや、熱が高すぎる。つかまって」


 ジェイミーはシェリルの両腕を自分の首に回した。何が始まるのかと怪訝に思った瞬間、突然体が宙に浮いた。

 シェリルは驚きのあまり声を出せなかった。そんなシェリルに構わず、ジェイミーはさっさと武器庫の外に歩を進めた。


◇◇◇


「先生、いますか」


 あれよあれよと運ばれて、気付いたときには衛生隊の医務室にいた。だだっ広い部屋には真っ白いベッドがズラリと並んでおり、薬品の匂いがつんと鼻についた。ジェイミーが部屋の奥に向けて声をかける。すると部屋を仕切っている真っ白いカーテンの向こうから、ぼさぼさ頭に分厚い眼鏡をかけた男がひょっこり現れた。


「ジェイミーか。どうし……」


 男はシェリルを抱えるジェイミーの姿に、険しい顔になる。


「ジェイミー。いくらお前の頼みでもここのベッドは貸さないよ。病人専用なんだから」

「やめてください。病人を連れてきたんです」


 ジェイミーは苦い顔で男の近くまで歩いていき、ベッドのひとつにシェリルを腰掛けさせた。


「ああ、なんだ。君はシェリル・スプリングか」


 眼鏡をクイっと上げたあと、男はもの珍しそうにシェリルの顔を覗き込む。ふーんと頷いたあと、降参するみたいに両手をあげた。


「言っておくけど、私に暴力を振るってもつまらないからね。自慢じゃないが全く腕が立たないんだ」


 真面目な顔で言った男に対し、シェリルはわけがわからず顔をしかめる。ジェイミーは小さくため息をつきながらシェリルの隣に腰掛け、紹介するように男の方に手を向けた。


「衛生隊のマーソン隊長だ。皆は先生って呼んでる」

「先生だ。よろしく」


 差し出された手をシェリルは恐る恐る掴む。マーソンはシェリルの手を握ったとたん、眉をひそめた。それから額に手を伸ばし、目を見開く。


「あれま。おーい! ロイド!」


 マーソンが部屋の奥に向かって叫ぶ。すると「はいはい」と言って利口そうな青年が姿を現した。


「なんですか、今実験の途中なんですけど」

「患者だ。薬持ってこい」

「はいはい」


 だるそうに返事をした青年は、頭をかきながらカーテンの向こうに消えた。


「口開けて」


 マーソンに言われてシェリルは大人しく口を開く。声を出せとか舌を出せとか、言われるがままに従っていると、ジェイミーが深刻な顔でマーソンに声をかけた。


「三日も続いてるんです」

「なんとまぁ。君その熱でよく平気な顔してるな。普通は座ってるのもやっとだぞ」


 マーソンが信じられないという顔でシェリルを見下ろす。実のところシェリルも驚いている。頭は痛いが、熱があるなんて自覚は全くない。


「本当に熱なんてあるの?」


 シェリルは自分の額に手を当てて、はてと首をかしげた。マーソンはやれやれと首を振り、近くにある椅子を持ってシェリルの正面に座る。


「吐き気はあるのか?」

「少し」

「食欲は?」

「無い」

「体が痛む?」

「ちょっとだけ」

「呼吸が苦しいことは?」

「ときどき」

「それで平気だって言うのか。もっと生き物としての自覚を持ちなさい」


 ガラガラと台車を押す音がして、カーテンの向こうからロイドと呼ばれていた青年が現れた。


「感染ですか? 隔離したほうがいいですかね」

「ジェイミーが平気なら大丈夫だろ。念のため各隊に予防薬を配りなさい」


 ロイドはやる気なさげにはいと頷いて、台車の上に大量に並ぶ薬瓶の一つを手に取った。小さな容器を三つ取りだし、それぞれに同じように薬を入れる。


「久しぶり」


 そう言いながらロイドは無表情でジェイミーに容器を差し出した。もうひとつはマーソン、そしてもうひとつはロイド。三人は同時に容器の中身をあおり、同じタイミングで顔をしかめる。


「これ、もう少しマシな味にならないんですか。毎年苦情が来るんですよ」

「贅沢言うんじゃない」


 ロイドの提案を却下したマーソンは、台車の上にある薬瓶を物色しながら手際よく調合をはじめた。ロイドは面倒くさそうにため息をつき、予防薬の瓶を持ってダラダラと部屋を出る。


「なにはともあれだ。いくら君が平気と言ってもその熱は下げないといけない。それ以上あがったら間違いなく頭がやられるぞ」


 そう言ってマーソンは両手で抱える程の大きさの器をシェリルに差し出した。禍々(まがまが)しい色に一瞬気後れするが、シェリルは気合いを入れて容器のふちに口をつける。そのとき、思い出したようにマーソンがあっと声を上げた。シェリルは何事かと器を傾けようとした手をすんでのところで止める。


「そのまま飲んだら胃が死ぬ。夕食はもうすんだのか?」


 マーソンの言葉に、シェリルはちらりとジェイミーの方を見た。シェリルの視線にジェイミーは不思議そうな顔をしたあと、何かに気づいたようにハッと目を見開いた。


「ちょっとまて。もしかして今日」

「何も食べてない……」


 シェリルの答えに、ジェイミーはさぁっと顔を青くした。


 そう。ジェイミーはこの五日間、驚くほどにものを食べるということを忘れていた。最初のうちはシェリルが何とか声をかけて食べさせていたのだが、今日はシェリルも食欲がなかったので、声をかけるのを忘れていたのである。ジェイミーが食事をとらないと、必然的にシェリルも食べ物にありつけない。だからジェイミーと同様、シェリルは今日何も口にしていないのだ。


「ジェイミー、お前、またか」


 マーソンが呆れ顔でため息をついた。ニックが言った通り、ジェイミーは以前にも同じようなことをしでかしているようだ。恐らく彼は落ち込むと食事を忘れるという厄介な癖があるらしい。


 ジェイミーはがっくりとうなだれた。


「本当にごめん。気をつけてたつもりだったんだけど。病気になったのは俺のせいだな。もう殴っていいよ」


 シェリルの代わりに、マーソンがバシリとジェイミーの頭を叩いた。


「先生に言ったんじゃないんですけど」

「病人に体力を使わせるな。お前は今すぐ食堂に行って何か貰ってこい。自分の分も忘れるなよ」


 ジェイミーは大人しくマーソンの指示に従い、部屋を出た。その姿を見届けたあと、マーソンは毅然とした態度で立ち上がり、まっすぐシェリルを見下ろした。


「シェリル・スプリング」

「はい」

「お前が病気である以上、完治するまで医務室の外に出ることは決して許さない」

「えぇ……」


 シェリルは隠すことなく嫌だという反応を返した。しかしマーソンは動じることなく言葉を続ける。


「天変地異が起きようと世界が滅びようと、私は病気を治療する。覚えておけ。私は自分や他人の体をないがしろにする奴が大嫌いなんだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ