37.ローリー・ハートの弱点
「私は天才かもしれない」
突然そう切り出したシェリルに、ひたすら書類にペンを走らせていたジェイミー、ニック、ウィルはなんとも言えない視線を向けた。
「シェリルちゃん。俺たちの状況を見てくれ。それから口を閉じてそこに静かに座っていてくれ」
ニックはげっそりした顔でシェリルをたしなめ、再び書類に視線を落とした。
現在ジェイミーたちは本部の書庫にある作業スペースで書類仕事に追われている。シェリルとジェイミーがメリンダたちを連れて本部に戻ってきたのが昨日のこと。そして昨日の午後から現在まで、彼らはひたすらに書類を作成し続けている。日はすでに傾き、窓から差し込む光は綺麗なオレンジ色だ。シェリルは積み上げられた紙をパラパラとめくりながら、呟いた。
「無意味な書類ばっかり」
「まさかとは思うが、それは俺たちの血と汗と涙の結晶に対しての発言か?」
ニックは威圧を込めた目でシェリルを睨み付ける。ウィルはうんざりと顔を上げ、ニックを見た。
「いちいち突っかかるなよ。その子の話はネズミの足音か何かだと思え」
意外に酷いことを言う。しかしウィルは自分の発言を省みることなく、ピリピリした空気をまといながら再び書類に視線を落とした。
彼らは何故ここまで追い詰められているのか。それは、国軍という組織が抱える問題に振り回されてしまっているからだ。
国軍の運営資金はそのほとんどが貴族からの寄付で賄われている。さらに詳しく言うならば、領民から徴収した税の一部を貴族が王家に献上し、その金の一部が国軍の予算となるのだ。
領民、貴族、王族、この中で国軍に対し一番の発言力を有するのは、王族だろうと思いきや実は貴族である。王族に献上される献金の額は貴族の裁量によって大きく左右される。だから王族はあまり貴族の機嫌を損ねたくはないし、国軍は自分たちの給料のため貴族により多くの献金をしてもらわねばならない。さらには、国軍が動くには議会の承認が必要であり、議会で権力を振るうのは貴族院である。
つまり、国軍の運命を左右しているのは貴族である。そしてこの貴族たちは、非常に保守的で腰が重い連中ばかりである。
およそ二週間前に脱獄したシャウラ国の殺し屋、バート・コールソンがいい例だ。国軍は彼を再び捕らえるつもりだったが、バートを捜索することに貴族院はいい顔をしなかった。本当にシャウラ国の殺し屋だったのか確たる証拠が無い以上、むやみにシャウラ国を刺激することは避けたいというのが彼らの言い分だ。もちろん国軍は食い下がったが、ならば必要な書類を提出しろとのお達しで、とうてい書ききれない量の書類を要求してきた。そしてそれらを提出したところで、様々な難癖をつけて全てを却下するのである。結局、国軍は未だにバート・コールソンの捜索をはじめられずにいる。
そして今、ジェイミーたちが書いているのは自警団を調査するための許可を求める書類である。言うまでもなく、無駄に多いうえ、提出すれば却下されるだろう。
「私、一週間以内にオスカーたちを見つける自信がある。今すぐ探しに出て本部に連行すれば三人の手柄になるんじゃない?」
口を閉じろと言う忠告を聞かず呑気なことを言うシェリルに、ニックはとうとうペンを投げ出し、両手で頭を抱えた。
「ジェイミー、昨日はからかって悪かった。お前には心底同情するよ」
「気にするな」
言いながらジェイミーもペンを投げ出した。シェリルは自分の提案を聞いてもらえたのかと一瞬喜んだ。しかしグッタリと椅子に座っている三人の様子からして、どうやら休憩しているだけのようだ。
「どうして役に立たない書類を書くのよ。役に立たないのに」
追い討ちのごとく発せられたシェリルの言葉に、三人はイラッとした表情を浮かべる。
シェリルは三人の視線に、少しやり過ぎたかなと心の中で舌を出した。実のところ、三人が必死に書類を書き続ける理由はちゃんと分かっている。
昨日、ジェイミーは独断で動いたことを軍の上層部に咎められた。売られそうになっていた少女たちを救ったにも関わらずである。結局、騎士隊の隊長が監督不行き届きで始末書を書くということで、ジェイミーは処分を免れた。
このように、結果を出すだけでは国軍という組織でやっていけないのだ。オスカーたちを捕らえたければ、貴族院に服従する姿勢を見せなければならない。だからジェイミーたちは無意味と分かっていながら腱鞘炎の危機にさらされているのだろう。
「それで? 何がどうして天才だって?」
休憩がてら、ジェイミーはシェリルの話を聞くつもりのようだ。シェリルはよくぞ聞いてくれたと胸を張る。
「ローリーの弱点にたどり着くための、手がかりを見つけたわ」
シェリルの言葉を聞いた瞬間、三人はきょとんと目を丸くした。一拍おいて、ニックが瞳を輝かせる。
「そんな面白そうな話、どうしてもっと早く言わないんだよ」
「あなたさっきは黙ってろって言ったじゃない」
変わり身の早いニックにシェリルは呆れた顔を向ける。ニックだけでなく、ジェイミーとウィルも興味津々で身を乗り出した。
「この部屋の本に兄上の弱点でも書いてあったのか?」
「まさか!」
真面目な顔で尋ねるウィルに対し、シェリルは快活に笑って彼の考えを否定した。
ジェイミーたちが書類仕事をしている間、シェリルはずっと書庫の本を読んでいた。最初は書類仕事を手伝おうと申し出たのだが、さすがにそこまで信用されてはいないらしく、断固拒否された。仕方なく保留になっていた神官長の手紙の複製に取りかかったが、それも午前の間に終わってしまい、それからシェリルはずっと本を読んでいたのだ。
「弱点は書いてなかったけど、ヒントはあった」
そう言ってシェリルは一冊の本を掲げて見せる。その本の表紙には、『ローリー・ハートの栄光と軌跡』と大きく書かれている。題名から察せられる通り、ローリーがいかに素晴らしい人間であるかということをあらゆる賛辞を駆使して書き連ねたものだ。
「一体どういう読み方をしたその本から弱点を読み取れるんだよ」
本の内容を知っているらしいニックは、疑わしく目を細めた。シェリルは含み笑いしながらニックの方へ体を向ける。
「ニック、あなたは労働者階級なのに、どうして特権階級ばかりの軍学校に入学出来たの?」
シェリルの質問に、ニックは片眉を上げた。
「それ、関係ある?」
「大ありよ」
シェリルは本を開き、三人の前にかざした。
――ローリー・ハートの偉大な功績その157。
そんな書き出しで始まるページには、労働者階級が軍学校に入学することを貴族院に認めさせるまでの、ローリーの苦労が記されている。
「彼が労働者階級や貧困層の地位向上に力を入れ始めたのは即位してから一年と経たない頃。この本に書いてあることが本当なら、彼はそれこそ血の滲むような苦労をして庶民の味方を貫いてる。今も、昔も」
一見感動的な話だが、シェリルはこの話にはローリーの人柄が優れているという他に、別の側面があると睨んでいる。
「ローリーは労働者階級に対して、後ろめたい気持ちがあるんじゃないかしら」
シェリルの言葉に、ジェイミーとニックは呆けたように瞬きした。全く思い当たる節が無いようだ。しかしウィルだけは表情をほんの少し曇らせた。シェリルはその反応を見逃さず、自分の読みは正しいと確信を得る。
「どうして陛下が後ろめたく思うんだ。むしろ誇りに思うところだろう」
ジェイミーの問いに、シェリルはパタンと本を閉じひとつ咳払いをした。そして、まるで教師が生徒にそうするように朗々と説明をはじめた。
「自警団という組織がはじまったのは約十五年前ね。ローリーが労働者階級に色々な権利を与えはじめたのも十五年前。この年は、シャウラ国を完全に退けることに成功した年でもある」
二十歳という若さでシャウラ国に侵略される恐怖から国民を解放することに成功したローリー。アンタレス国に降り立った守護神だと崇められる彼は、もちろん神様などではなく、苦悩し傷付くこともある人間である。先王が倒れて訳もわからず国政の責任を押し付けられたローリーの心中は想像を絶するものだっただろう。
ローリーが国政を引き継いだとき、アンタレス国の状態は最悪の一言に尽きた。連日の戦いによって国軍はほぼ壊滅していたし、まともに動ける兵士など数えるほどもいなかった。しかしシャウラ国は侵略の手を緩めてなどくれない。このままでは国民にまで被害が及ぶ。このとき、ローリーはある決断を迫られていた。
壊滅した国軍に変わり、国を守る兵士。国民を窮地から救いだすたった一つの方法。倒れる前に先王が準備していた策があった。それは、なんの訓練もしていない庶民を強制的に戦場へ送り込むというものだ。
選ばれたのは、犯罪者、ホームレス、孤児院育ちの者や天涯孤独な男たち。失っても国が非難される可能性の低い者たち。そんな人物を選定し、書状ひとつで戦場に送り込める状態がすでに用意されていた。
他の手だてがあるとすれば、戦場で負った傷に苦しむ特権階級の兵士を再び戦場に赴かせること。貴族が権威を振るう議会は決して認めない方法だ。高貴な血をこれ以上絶やしてはいけないと誰もが口を酸っぱくしてローリーに言い聞かせた。
結局、ローリーは先王が用意した民兵を戦場に送り込んだ。だれが国王であってもそうした。そう誰もが口にした。
民兵は想像以上に戦いに貢献した。それは待つ者がいなかったからか、己の人生に絶望していたからか、英雄になる唯一無二の機会だったからか。結果、一時的にシャウラ国の兵を足止めすることが出来たが、何千人と用意された民兵の中で、生き残ったのはたった二人の兵士だけだった。
民兵が犠牲になっている間、ローリーは周辺の国と交渉しアンタレス国の守りを固めていた。それは信じられないほど鮮やかな手腕であったし、誰もが目を見張るスピードで彼は事を進めた。
全てが終わり、平和が訪れたとき。ローリーが神だと崇められ国中がお祭り騒ぎとなったとき。そんなとき、自警団という組織はひっそりと立ち上げられたのである。それは戦場で死んでいった孤独な兵士たちを想ってのことだと、ローリーはよく分かっているだろう。
「つまり、陛下の弱点は庶民ってこと?」
ジェイミーの言葉に、シェリルはうーんと難しい顔をする。
「それは間違いないでしょうけど、この世に存在する人間のほとんどは庶民でしょう」
アケルナー国に帰ってローリーの弱点は庶民だと報告しても、恐らく張り倒されるだけだろう。
「もし人質が欲しかったら俺にしてよ。俺は陛下に可愛がられてるから」
そんなことを楽しげに切り出したニック。シェリルはあからさまに嫌な顔をして見せる。
「嫌よ。なんだかすごく苦労しそうだもの」
「人聞き悪いな。楽しませてあげるのに」
軽口が飛び交うなか、ウィルは一人暗い顔をしていた。
シェリルの話はウィルにとって、ヒヤリとするものであった。よもや兄の弱点など探れるはずも無いと思っていたし、弟であるウィルにもローリーの弱点など分からないが、シェリルがいいところまで読みを進めていることは分かる。十五年前、民兵の生き残りがたった二人だけだと聞かされたあの日、自分が彼らを殺したも同然だと声を殺しながら泣き崩れた兄の姿が、ウィルの脳裏には今でもはっきりと焼き付いている。




