32.ジェイミーの不安は尽きない
二頭の馬に馬具をつけ、急ぎ森の中に隠してある馬車の元に向かったオスカーとマックス。
「フローラ? どこにいるんだ」
「ここよ!」
オスカーが名前を呼ぶと、馬車の後ろの方から声が聞こえた。オスカーとマックスが馬車の後部に回ると、扉の上部にある格子窓からフローラの顔が覗いていた。オスカーは怪訝に眉をひそめる。
「フローラ、どうしてお前まで中に入ってんだ」
「大事な商品が暴れないように中で見張るわ。時間がないんでしょ。早く出して」
「あ、ああ……」
オスカーたちからは見えていないが、フローラは現在、後ろ首にナイフを突き付けられている。シェリルの指示通りのセリフを口にしたフローラの異変にオスカーとマックスは全く気付かない。彼らはかんぬきを扉にかけ内側から開かないようにしたあと、急ぎ前方に回り馬を繋いで馬車を出した。
走り出した馬車の中で、シェリルはフローラからゆっくりとナイフを離した。
「何分くらいで着くの?」
「知らないわよ」
呑気な質問をするシェリルに、フローラは苛立ちながらぶっきらぼうに答える。シェリルはふーんと頷いたあと、ガランとしている馬車の側面に背を預け腰を下ろした。フローラは出口に一番近い部分に立ち尽くしたまま、シェリルを睨み付ける。
「私を殺すの?」
「さあね。状況による」
肩をすくめながら答えると、フローラは数歩後ずさった。まるで得たいの知れないものを見るような目でシェリルをまじまじと観察している。
「あんた誰。傭兵か何か?」
「まぁ、そんなとこ」
「本当に黒幕を捕らえるつもりなの? あんた一人で?」
「うん」
シェリルが適当に相づちを打っていると、フローラが皮肉っぽい表情をつくって鼻で笑った。
「頭おかしいんじゃないの」
さすがにカチンときたシェリルは、顔をしかめてフローラに目をやる。
「失礼ね。神殿で一緒に暮らしてきた仲間を男たちとぐるになって売り飛ばそうとしてる自分はどうなのよ」
シェリルの言葉を聞いて、フローラは澄ました様子でふっと笑い、ようやくその場に腰を下ろした。
「どいつもこいつも、考え方が古いのよ。人身売買なんてどこの国でもやってることなのに、この国だけは違法だなんて馬鹿馬鹿しいと思わない? アケルナー国では奴隷の方が平民よりもいい暮らしをしてるって言うわ。だから未来のないあの子たちを助けてあげようと思っただけ。私は善意で、あの子たちを助けようとしてたの」
「ふーん」
シェリルはそっけなく相づちをうつ。その態度が癇に障ったのか、フローラが語気を強めた。
「なに? 言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「ええ、そうする」
シェリルはすかさず身を乗りだし、フローラの目をまっすぐ見据えた。
「誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、人身売買を禁止することが古い考えだっていうのは驚きね。奴隷制はこの国の歴史よりももっと古くからある制度なのに。それに念のため言っておくけど、アケルナー国でも人をさらって売り飛ばすことは犯罪よ」
話している間も、シェリルの手元にあるナイフは窓から差し込む光をチカチカとはじいている。フローラはそれをしきりに気にしつつも、口調だけは高飛車に言葉を返した。
「知ったかぶりはやめてよ。私は実際にアケルナー国の人間と話したけど、そんなこと一言も言ってなかったわ」
フローラの言葉に、シェリルはナイフを弄んでいた手を止めた。
◇◇◇
一方その頃ジェイミーは、見張りの三人をロープで拘束していた。
お別れのキスと称してシェリルが首に手を回してきたとき、服の裾に小さな折り畳みナイフが忍び込んできた。服の中を落ちていくナイフを縛られていた両手で受け止めたジェイミーは、ロープを切って自由になったあと、剣を構えつつも完全に油断していた見張りの男三人を倒して気絶させた。
意識を失った男を順番にロープで縛りながら、思考を巡らす。下手に動けばシェリルが危ないし、かといって少女たちが売られるのを見過ごすわけにもいかない。
何はともあれ小屋を出ようと、倒れている男の一人から剣と鞘を奪い立ち上がる。表口から外に出て辺りを見回すが人の気配はなく、不気味な森が広がっているばかりだ。車輪の跡が残っていないか地面を確認していると、何か黒いものが落ちているのを見つけた。拾い上げ、眺める。
「これは……」
どこからどう見ても、銃である。十中八九フローラがシェリルに突き付けていた銃である。なぜこんなところに落ちているのか。嫌な予感がする。嫌な予感といっても、少女たちに危険が迫っているかもしれないとかそういう類いのものではない。シェリルがまた何か仕出かしているのではという予感である。
とりあえず、運のいいことに車輪の跡ははっきりと残っていた。急げば追い付けるかもしれないと、踵を返す。小屋の裏にある馬小屋に向かおうとしたとき、後ろからパタパタと足音が聞こえてきた。
「あの!」
声のする方に顔を向けたジェイミーは唖然として動きを止めた。馬車で連れていかれたはずの少女たちが、そこにいた。
「皆、無事だったのか」
ジェイミーの頭の中には疑問符が飛び交っていた。彼女たちがここにいるのに、なぜ男たちは居ないのか。シェリルは一体どこに行ったのか。困惑しているジェイミーの疑問を解消すべく、少女たちは口々に説明をはじめた。
「銃が偽物だったんです!」
「あのシェリルって子がナイフを持ってて……」
「フローラが人質に」
「違うわ! フローラが脅されて」
「とにかくあの子が助けてくれたから私たちは森に隠れて……」
何が何やらさっぱりである。とりあえずジェイミーは少女たちを落ち着かせて、順番に話を聞き出した。
そして数分後。
あらかたの話を理解したジェイミーは、こめかみを押さえて深いため息をついた。
「あの、もう一回説明しますか?」
「いや、もういいよ。話は十分わかったから」
自分たちの説明が悪くてジェイミーがため息をついたのかと少女たちは気にしていたが、ジェイミーの憂鬱は少女たちが推し量れない部分にあった。
シェリルは"国境手前で待っている奴ら"というのを探りたがっていた。フローラが偽の銃を突き付けてきたとき、チャンスが巡ってきたと思ったのだろう。見事そのチャンスを生かし、少女たちを危険に晒すことなく諸悪の根源を突き止めに行くことに成功したらしい。
「あの子、フローラのこと殺しちゃうんですか?」
一番幼い風貌の、エレナと呼ばれていた少女がポツリと呟いた。少女たちの口ぶりから察するに、どうも彼女たちは自分たちを裏切ったフローラを心配しているようである。今日に至るまでずっと一緒に暮らしてきたのだから、無理もない。
「心配ないよ。今から連れ戻しに行くから、皆は森の中に隠れていてくれ。小屋の中には絶対に入らないように」
少女たちは皆ホッとした様子で素直に頷いた。ジェイミーは小屋の中から毛布やシーツを持ち出して少女たちに渡したあと、馬小屋に入って馬や手綱の確認をした。そこでふと、先程のエレナの言葉が頭をよぎる。
『あの子、フローラのこと殺しちゃうんですか?』
心配ないととっさに答えたが、本当にそうだろうか。さすがに殺しはしないだろうが、そういえばシェリルは拷問に詳しいというようなことを言っていた気がする。
ジェイミーは急ぎ馬に乗り、小屋を出発した。フローラやオスカー、マックスの両手の爪が、指から離れていないことを祈りながら。




