22.逆戻り
太陽が頭上に登った頃。二人はようやく神殿から脱出した。脱出したといっても正面から堂々と出たのだが、気分はまさに脱出したという表現が相応しい。
「これで終わり?」
神殿の庭を歩きながらジェイミーが尋ねると、シェリルは不敵な笑みを浮かべた。
「まさか。ここからが本番よ」
「そうか……」
これからさらにどんなことを仕出かそうというのか。ジェイミーはただでさえ下がっていた気分がさらに降下するのを感じた。ジェイミーの不安に全く気付かず、シェリルは先程神官長から受け取った手紙をポケットから取り出すと、あろうことか封を開けてしまった。
ジェイミーはあまりのショックに言葉を発せず、あんぐりと口を開けて立ち止まった。シェリルは封筒から便箋を取りだし、神官長の書いた文字をまじまじと眺める。
ジェイミーは数秒間かけて何とか気を取り戻し、声を上げた。
「何してるんだ。封を開けたら意味ないじゃないか」
封蝋が砕けてしまっては、もう手紙を送ることは出来ない。これまでの苦労は一体何だったんだと絶望するジェイミーに向かって、シェリルはちっちっと人差し指を振った。
「ジェイミー、この手紙一枚じゃどう考えても力不足よ。だから複製する。私たちに都合のいいようにね」
「複製って……文字はともかく、封蝋は複製出来ないだろう」
「出来るわよ。型を取ったから」
シェリルは言いながら、ポケットから小さなケースを取り出して、どうだと言わんばかりにそれをジェイミーの顔の前にかざして見せた。ケースの中には粘土のようなものが入っていて、封蝋印を押し付けたような型がついていた。
「いつの間に……」
「紅茶を溢したとき、神官長がアンディを呼びに行った隙にね」
シェリルはそう言って得意げに胸を張る。
「紅茶をこぼしたのはこのためか」
ジェイミーは段々と、シェリルのパターンが読めてきた。取りあえずこれからは彼女に液体の類いを近付けないようにしようと、固く心に誓う。
「これがあれば、神官長の手紙が何枚でも複製できるわ!」
「何枚も複製してどうするんだよ……」
「金、権力はなんとかなったでしょ。あと必要なのは先導者。サルガス公爵夫人もその一人だけど、それだけじゃ心許ないわ。味方は多ければ多いほどいい……」
シェリルは言いかけて、ピタリと動きを止める。ジェイミーは突然黙り込んだシェリルを不審に思い、顔を覗き込む。
「どうした?」
「ねぇ、あれ誰?」
シェリルは先程自分たちが出てきた神殿の方を指差した。
「どこ?」
「あそこ。窓の下」
ジェイミーはようやくシェリルの見ているものを捉えた。ジェイミーたちから見て神殿の左側の方に、コソコソと動く影がある。どうやら窓から建物の中を覗いているようだ。ジェイミーとシェリルは顔を見合わせ、それから怪しげな影に近付いた。
熱心に神殿の中を覗いている人物は、ジェイミーたちが手の届く距離にいてもまだ二人に気付かなかった。ジェイミーとシェリルはお互いに視線を交わしたあと、再び女の背中に視線を落とした。ジェイミーがなるべく驚かせないように肩を叩き声をかける。
「あの、何かお困りですか?」
女はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。そしてジェイミーを見て目を見開いたあと……。
「いやーーーー!!!」
甲高い叫び声を上げ、そのまま気絶してしまった。
◇◇◇
「なんだ、また神官長に説教されに来たのかい?」
再び神殿に現れたジェイミーとシェリルを見て、二人を迎えた神官が呆れたように笑った。しかしジェイミーがぐったりしている女を抱き上げている姿に、さすがに驚いた顔をした。
「あれまぁ。一体何事だ」
ジェイミーが事情を話すと、神官は神殿の休憩室に女を寝かせるよう提案した。
簡素なベッドに女を寝かせたあと、神官とジェイミー、シェリルは三人揃って気を失っている女を見下ろした。
「家を追い出されたんだろうか」
神官が難しい顔で考え込んでいると、休憩室にアンディが入ってきた。タオルや水などを抱えてベッドの側まで近付いたアンディは、気を失っている女を見て目を丸くした。
「あれ、メリンダじゃないですか」
「お前、この人を知っているのかい?」
神官が驚いた顔で尋ねると、アンディは人のいい笑みを浮かべ頷いた。
「アルニヤト神殿に通っていたとき、よく遊んで頂きました」
「では、彼女はアルニヤト神殿の信者なのか」
アルニヤト神殿とはアンタレス国で唯一の、女性だけで運営している宗教施設である。行き場の無い女性が行き着く場所でもあり、国内にある他の神殿と比べ多少毛色の違う組織と認知されている。
「アルニヤト神殿は王都から馬車で一週間はかかりますよね。一人で来たのかなぁ」
心配げに呟くアンディ。
神官とアンディがうーんと唸っているなか、ジェイミーは一人、解せないという表情を浮かべていた。彼女はジェイミーを見たとたん悲鳴をあげ、気絶したのだ。平手打ちを食らったときよりショックである。
どよんとしているジェイミーに気付いたのか、シェリルがアンディに声をかけた。
「あの、この人ジェイミーが話しかけた瞬間気絶しちゃったの」
「ああ、それは仕方ないですよ。彼女男性恐怖症なんです」
アンディ以外の三人は、その瞬間固まる。
「それじゃあ、いま目を覚ましたらヤバイんじゃ」
ジェイミーが呟くと、アンディもハッとした顔になった。数拍おいて、シェリル以外の三人は扉の向こうに身を移し、顔だけで部屋の中を覗き込む格好になる。
「シェリルさん、メリンダが目を覚ますまでここにいてもらえますか? アクラブ神殿には女性がいないんですよ」
「ええ、わかった」
小声で言ったアンディに、シェリルも小声で答える。
「だから中に入れずに窓を覗いてたのか」
ジェイミーがそう言った横で、神官がそういえばと口を開いた。
「アンディ、そういえばお前、あの人によく遊んで貰ったと言っていたね」
「はい。当時僕はまだ十歳でしたから。子供は平気みたいなんですよ。あれから六年も経ったし、もう近寄らせてくれないだろうなぁ」
アンディは寂しげに呟く。
「彼女、夫に暴力を振るわれてたんです。離婚が成立してから、ずっとアルニヤト神殿で下働きをしていると言ってました。昔は滅多に神殿の外には出なかったのに、一体どうしたんでしょう」
アンディが首を傾げながら言ったとき、メリンダの瞼が微かに動いた。
「あ! 目を覚ますわ!」
シェリルが三人に向かって合図するように手を上げた。三人は何故だか緊張しつつ、そのときを待つ。
メリンダが瞼をゆっくりと開いた。
まだ焦点の定まらない目で辺りを見回したメリンダは、やがて頭がハッキリしたのか、真っ青な顔で起き上がった。それから、近くにいるシェリルを見て心なしかホッとした表情を浮かべ、肩の力を抜いた。
「あなたは?」
「私はシェリル。あなたはさっき神殿の前で気絶したの。ここは神殿の休憩室よ」
一息に説明したシェリルに、メリンダは呆けたような顔をした。そして遠巻きに部屋の中を覗いているジェイミーたちに気付く。室内は妙な緊張に包まれ、メリンダ以外は全員、ゴクリと唾をのんだ。
「あら、あなた、アンディ? アンディなの?」
メリンダは目を見開き、息をのむように呟いた。アンディはメリンダに気付いて貰えたことがうれしかったのか、涙目になりつつ何度も頷いた。
「お久しぶりですメリンダ」
「まぁ、立派になって……」
じーんとした空気が漂うが、メリンダとアンディの間にはかなりの距離が開いている。奇妙な感動の再会が繰り広げられるなか、アンディはさっそく本題に入った。
「メリンダ。アクラブ神殿に何か用事があったのでは?」
メリンダは何かを思い出したような顔をして、それからみるみる肩を落とした。
「そうだった。私、どうしても助けが必要で……」
メリンダは顔をうつむかせ、ポツリポツリと王都に来た理由を語りはじめた。